ドラゴンクエストⅤ 転生したらパパスだった件。   作:兎深みどり

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第47話『エルヘブン』

 山を下りる頃には、空の端が赤く染まり始めていた。

 谷の底には、石造りの町が静かに広がっている。

 

 エルヘブン。

 

 マーサが生まれた町。

 そして、まほうのカギとまほうのじゅうたんがある場所。

 

 俺は肩に食い込んだ革帯を直し、荷物の重さを確かめた。

 海を泳ぎ、山を越えた疲れは残っている。

 だが、ここで足を止めるわけにはいかない。

 

 この町は、ただの目的地ではない。

 マーサを知る者たちが暮らしている場所だ。

 

 俺は腰のメタルキングのけんに触れた。

 この剣は、魔物を斬るために持ってきた。

 この町で力を示すためではない。

 

 それだけは、町へ入る前に決めておく必要があった。

 

 

 町の入口に着くと、水場にいた女が最初に俺へ気づいた。

 桶を抱えたまま、女は動きを止める。

 

 次に、近くの家から老人が顔を出した。

 老人は俺の姿を見て、目を細めた。

 

「旅のお人か」

 

 俺はうなずいた。

 

「この町の長老に会いたい」

 

 老人の表情が、わずかに変わった。

 

「長老に何の用じゃ」

 

 周囲にいた者たちが、こちらを見る。

 戸口が開き、石段の上に人が立った。

 

 俺は言葉を選んだ。

 ここで多くを語るつもりはない。

 

「マーサのことで話がある」

 

 その名を出した瞬間、空気が変わった。

 

 水場の女が息をのむ。

 老人は、俺の顔を改めて見つめた。

 

「マーサ……」

 

 老人の声には、懐かしさがあった。

 だが、それだけではなかった。

 

「昔、この村に一人の若者が迷い込んで来たことがある」

 

 俺は黙って聞いた。

 

「その若者は、村の娘と恋に落ちた。娘の名はマーサ。若者の名は、たしかパパスと言った」

 

 周囲の視線が、俺へ集まった。

 

 ここで名を隠しても意味はない。

 

「俺がパパスだ」

 

 ざわめきが広がった。

 

 女が桶を抱え直す。

 石段の上にいた男が、別の家へ声をかける。

 

 驚き。

 戸惑い。

 そして、簡単には言葉にならない感情。

 

 その中から、一人の青年が前へ出た。

 

 

 青年は、俺よりもずっと若かった。

 だが、その目には、年齢に似合わないほど強い怒りが宿っていた。

 

「今さら何しに来た」

 

 俺は目をそらさなかった。

 

「長老に話がある」

 

「マーサ様のことか」

 

「そうだ」

 

「なら、ここで言えよ」

 

 俺は答えなかった。

 

 言えることはある。

 だが、この広場で言うべきではない。

 

 マーサの名を騒ぎの中へ投げ込めば、町の者たちは止まれなくなる。

 俺の言葉を信じるかどうか以前に、怒りと不安が先に広がる。

 

「ここで話せることではない」

 

 青年の顔が歪んだ。

 

「都合がいいな」

 

 拳が震えている。

 

「マーサ様を連れて行った男が、今さら戻ってきて、話せませんだと?」

 

 俺は黙っていた。

 

 否定する言葉はない。

 弁解する言葉も、ここでは出せない。

 

 次の瞬間、青年の拳が俺の頬を打った。

 

 鈍い音がした。

 視界が少し揺れ、熱い痛みが顔に広がる。

 

 周囲がざわめいた。

 誰かが青年を止めようとした。

 

 俺は手を上げなかった。

 殴り返すつもりはない。

 押さえつけるつもりもない。

 

 この町の者は敵ではない。

 

 青年は荒い息を吐きながら、俺の腰の剣を睨んだ。

 

「抜けよ」

 

 俺は動かなかった。

 

「その立派な剣で斬ってみろよ!!あぁ!!」

 

 広場が静まり返った。

 

 メタルキングのけんは、夕暮れの光を受けて、鞘越しにも重い存在感を放っている。

 たしかに立派な剣だ。

 

 だが、この剣は今ここで抜くものではない。

 

「この剣は、この町の者に向けるものではない」

 

 青年が歯を食いしばった。

 

「じゃあ、何しに来たんだよ」

 

 答えは喉まで出かかっていた。

 それでも、俺は飲み込んだ。

 

 ここで叫べば、すべてが崩れる。

 

「長老たちの前で話す」

 

 俺はそれだけを言った。

 

 

「そこまでになさい」

 

 静かな声がした。

 

 人垣が左右に割れる。

 白い衣をまとった老女が、杖をついて広場へ出てきた。

 

 背は高くない。

 それでも、町の者たちは自然に道を開けた。

 

 青年は老女を見て、拳を下ろした。

 まだ納得していない顔だった。

 それでも、それ以上は踏み込まなかった。

 

 老女は俺の頬を見た。

 次に、俺の腰の剣を見る。

 

「殴られても、剣を抜きませんでしたね」

 

「ああ」

 

「もし抜いていれば、長老たちはあなたの言葉を聞かなかったでしょう」

 

 老女の目は厳しかった。

 歓迎の色はない。

 だが、拒絶だけでもなかった。

 

「パパス殿」

 

「はい」

 

「長老たちは、あなたの話を聞きます。信じるかどうかは、その後です」

 

「それでいい」

 

「今夜は町外れの客間を使いなさい。明朝、迎えを出します」

 

 俺はうなずいた。

 

 青年はまだ俺を睨んでいた。

 俺はその目から逃げなかった。

 

 怒りには理由がある。

 この町には、マーサがいた。

 マーサを見送り、マーサを失った者たちがいる。

 

 俺はその前に、パパスとして立っている。

 

 

 案内された客間は、町の端にある小さな石造りの部屋だった。

 窓の外には、エルヘブンの灯が静かに揺れている。

 

 荷を下ろすと、肩と背中が遅れて痛みを訴えた。

 殴られた頬は、山道の傷よりも熱かった。

 

 俺はメタルキングのけんを壁際へ置いた。

 手の届く場所ではある。

 だが、すぐに抜ける位置ではない。

 

 この町で今夜、俺に必要なのは剣ではなかった。

 

 明日、長老たちに話す。

 この身体の過去を覚えていないこと。

 別の記憶を持っていること。

 そして、マーサがどこにいるのかを。

 

 信じられるかどうかは分からない。

 だが、嘘で道具だけを得ることはできない。

 

 まほうのカギ。

 まほうのじゅうたん。

 

 それらを求めてここへ来た。

 だが、この町へ入った以上、それだけでは済まない。

 

 俺は窓の外を見た。

 

 エルヘブンの夜は静かだった。

 その静けさの中に、マーサの名が沈んでいる。

 

 逃げるつもりはなかった。

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