ドラゴンクエストⅤ 転生したらパパスだった件。   作:兎深みどり

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第50話『若者の怒り』

 青年は、石段の下で俺を待っていた。

 昨日と同じ目だった。

 

 怒りを隠そうとしていない。

 だが、昨日のように拳を握りしめてはいなかった。

 

 俺は数歩手前で足を止めた。

 

「昨日は、殴って悪かった」

 

 先に口を開いたのは、青年の方だった。

 

 俺は少しだけ目を細めた。

 謝られるとは思っていなかった。

 

「気にしていない」

 

「そういう言い方が、余計に腹立つんだよ」

 

 青年は吐き捨てるように言った。

 俺は黙った。

 

 確かに、俺の言葉は足りなかったのかもしれない。

 気にしていない、で済む話ではない。

 

 青年は俺の頬を見た。

 

「痛むか」

 

「ああ」

 

「なら、少しは気が済む」

 

 正直な言葉だった。

 俺はそれを責める気にはなれなかった。

 

 

 青年は広場の端へ歩き出した。

 俺は少し遅れてついていく。

 

 水場から離れた場所に、古い石の腰掛けがあった。

 青年はそこに座らず、立ったまま町の上を見た。

 

「あんたが本当にパパスなら、聞きたいことがある」

 

「何だ」

 

「マーサ様は、幸せだったのか」

 

 その問いは、拳よりも重かった。

 

 俺はすぐに答えられなかった。

 

 幸せだった。

 そう言えば簡単だ。

 

 だが、俺にはその記憶がない。

 マーサと笑った日も、共に旅した日も、グランバニアで過ごした日も、俺の中にはない。

 

 嘘で頷くことはできなかった。

 

「分からない」

 

 青年の目が鋭くなった。

 

「分からない?」

 

「ああ」

 

 喉が重かった。

 それでも、言わなければならなかった。

 

「俺には、マーサと過ごした記憶がない」

 

 青年の顔から、怒りとは違う色が消えた。

 

「……何を言ってる」

 

「そのままの意味だ」

 

「ふざけてるのか」

 

 俺は首を横に振った。

 

「ふざけていない」

 

「じゃあ何だよ。マーサ様を連れて出ていった男が、覚えてませんって言うのか」

 

 青年の声が震えた。

 

 昨日なら、ここでまた拳が飛んでいたかもしれない。

 だが、今の青年は殴らなかった。

 

「長老たちには話した」

 

「だから俺にも言ったのか」

 

「聞かれたからだ」

 

 青年は唇を噛んだ。

 

「最低だな」

 

 その言葉は、真っ直ぐだった。

 

 俺は受け止めるしかなかった。

 

 

 しばらく、二人とも黙っていた。

 

 町の下では、水を汲む音がする。

 遠くで子供の声がして、すぐに家の中へ引っ込んだ。

 

 青年は低い声で言った。

 

「俺は、マーサ様をよく覚えているわけじゃない」

 

 俺は顔を上げた。

 

「子供の頃に、何度か見ただけだ」

 

「そうか」

 

「でも、この町の大人たちは、みんな覚えてる。優しかったとか、力が強かったとか、外へ行くべきじゃなかったとか、勝手なことを言う」

 

 青年は拳を握った。

 

「俺は、それを聞いて育った」

 

「……」

 

「だから、あんたが来た時、腹が立ったんだ」

 

 青年は俺を睨んだ。

 

「マーサ様を連れて行った男が、立派な顔で戻ってきた。しかも、何かを取りに来たみたいな顔をしてた」

 

 言い返せなかった。

 

 実際、俺はまほうのカギとまほうのじゅうたんを求めて来た。

 それは事実だ。

 

 理由があっても、青年から見れば同じことだ。

 

「道具は必要だ」

 

「やっぱりな」

 

 青年の声が冷えた。

 

「だが、それだけではない」

 

「何が違う」

 

「マーサを取り戻す」

 

 青年は息を止めた。

 

 俺は続けなかった。

 魔界の話も、別世界の記憶も、この場で並べる話ではない。

 

 ただ、目的だけを置いた。

 

「……本気で言ってるのか」

 

「ああ」

 

「今さら?」

 

「ああ」

 

 青年は笑った。

 笑ったが、そこに楽しさはなかった。

 

「遅すぎるだろ」

 

「そうだな」

 

 俺の返事に、青年は目を見開いた。

 

 否定しなかったからだろう。

 

「遅すぎる。だが、やめる理由にはならない」

 

 青年は何も言わなかった。

 

 

 風が石段を抜けていった。

 青年は町の上へ目を向ける。

 

「あんたが本当にマーサ様を助けに行くなら、一つだけ言っておく」

 

「何だ」

 

「この町の人間は、みんな同じ気持ちじゃない」

 

 青年の声は少し落ち着いていた。

 

「マーサ様を外へ出したことを、今でも怒ってる人がいる。でも、マーサ様が自分で選んだなら仕方ないって言う人もいる」

 

「ああ」

 

「戻ってきてほしかっただけの人もいる」

 

 その言葉が、一番静かだった。

 

 俺は昨日の老女を思い出した。

 反対したと言いながら、マーサの優しさを覚えていた老女。

 

 この町に残っているのは、怒りだけではない。

 

「お前はどうなんだ」

 

 青年はすぐには答えなかった。

 

「分からない」

 

「そうか」

 

「あんたを許す気はない」

 

「ああ」

 

「でも、昨日殴った時、あんたが剣を抜かなかったのは見た」

 

 青年は俺を見る。

 

「あれで、余計に分からなくなった」

 

 俺は黙っていた。

 

 許されるために剣を抜かなかったわけではない。

 だが、それを言葉にする必要はなかった。

 

 青年は小さく息を吐いた。

 

「長老たちに、試されてるんだろ」

 

「ああ」

 

「なら、上の方にいる婆さんにも話を聞け。昔、マーサ様が外へ出るのに強く反対した人だ」

 

 昨日の老女とは別の者かもしれない。

 あるいは同じ流れにいる者かもしれない。

 

「分かった」

 

「それと」

 

 青年は少しだけ言いよどんだ。

 

「マーサ様を取り戻すって言うなら、途中でやめるな」

 

「やめん」

 

 今度は、迷わず答えた。

 

 青年は俺をしばらく見ていた。

 やがて、視線をそらす。

 

「なら、行けよ」

 

 それだけ言って、青年は背を向けた。

 

 

 俺は青年の背中を見送った。

 

 許されたわけではない。

 信じられたわけでもない。

 

 ただ、一つだけ道を示された。

 

 それで十分だった。

 

 石段の上へ目を向ける。

 朝の光は、町の高い場所まで届き始めていた。

 

 マーサを反対した者。

 マーサを見送った者。

 マーサの名を、今も覚えている者。

 

 その声を聞かなければならない。

 

 俺は石段を上がり始めた。

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