ドラゴンクエストⅤ 転生したらパパスだった件。   作:兎深みどり

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第51話『反対した者』

 石段を上がるほど、町の音は遠くなっていった。

 水場の声も、家々の戸が開く音も、下の方へ沈んでいく。

 

 青年が言った老女の家は、町の上にあった。

 白い石壁に囲まれた小さな家で、入口のそばには古い杖が立てかけられている。

 

 戸は少しだけ開いていた。

 中から、乾いた咳の音が聞こえる。

 

「誰だい」

 

 中から声がした。

 俺は戸の前で足を止めた。

 

「パパスだ」

 

 短く名乗ると、家の中が静かになった。

 

「……入っておいで」

 

 許しの言葉ではない。

 だが、拒絶でもなかった。

 

 俺は戸を押し、家の中へ入った。

 

 

 部屋の奥に、老女が座っていた。

 昨日広場で見た老女とは違う。

 

 背は小さく、髪は白い。

 だが、こちらを見る目だけは、年齢を感じさせないほど鋭かった。

 

「本当に戻ってきたのかい」

 

「ああ」

 

「ずいぶん遅い帰りだね」

 

 俺は何も言わなかった。

 

 老女は膝の上に置いた手を、ゆっくりと握った。

 

「長老たちに言われて来たのかい」

 

「この町でマーサの話を聞けと言われた」

 

「なら、わしのところへ来るのは間違ってないね」

 

 老女は小さく笑った。

 笑ったが、温かさはなかった。

 

「わしは反対したよ。エルヘブンの娘が外へ嫁ぐなんて、認められるものかとね」

 

 確認できている原作の言葉が、目の前の人間の声になって響いた。

 画面越しに聞いた台詞ではない。

 今、俺へ向けられている言葉だった。

 

「なぜ反対した」

 

「外の世界が嫌いだったからじゃない。マーサが大切だったからだよ」

 

 その一言に、俺は返す言葉を失った。

 

 

「マーサは、この町の中でも特別な娘だった」

 

 老女は、窓の外へ目を向けた。

 

「力が強かった。人より遠くを見て、人より深く聞いた。けれど、あの子はそれを誇るような娘じゃなかった」

 

 俺は黙って聞いた。

 

「困っている者がいれば、すぐに手を伸ばす。泣いている子がいれば、そばに座る。誰かが無理をしていれば、黙って水を置く。そういう子だった」

 

 俺の知らないマーサだった。

 

 優しい人だったと、サンチョから聞いたことはある。

 だが、エルヘブンの人間が語るマーサは、もっと近かった。

 

 町の空気の中にいた。

 水場のそばにいた。

 石段を上り下りしていた。

 

 ただの母でも、ただの聖なる血筋でもない。

 この町に生きていた一人の娘だった。

 

「そんな娘を、外から来た若者が連れて行くと言う」

 

 老女の目が、俺へ戻った。

 

「反対しない方がおかしいだろう」

 

「ああ」

 

 短く答えた。

 その通りだった。

 

 老女は俺を見つめた。

 

「あんたは、あの時のことを覚えているのかい」

 

 来ると思っていた問いだった。

 それでも、胸の奥が重く沈む。

 

「覚えていない」

 

「ほう」

 

「言い訳ではない」

 

「先にそう言うところが、もう言い訳に聞こえるね」

 

 鋭い言葉だった。

 俺は目を伏せなかった。

 

「そう聞こえても仕方ない」

 

 老女は、しばらく黙って俺を見ていた。

 

 

「マーサは泣かなかったよ」

 

 やがて、老女が言った。

 

 俺は息を止めた。

 

「あの日、わしは最後まで反対した。外へ出れば、もう簡単には戻れない。町の役目も、あの子の力も、すべて捨てるつもりかとね」

 

 老女の声は低かった。

 

「マーサは、泣かなかった。ただ、困ったように笑った」

 

 その顔を、俺は知らない。

 

 だが、見える気がした。

 人を傷つけたくないのに、自分の選択も曲げられない者の顔。

 

「何と言った」

 

 俺は思わず聞いていた。

 

 老女は少しだけ眉を上げた。

 

「覚えていない男が、それを聞くのかい」

 

「ああ」

 

「残酷だね」

 

「そうだな」

 

 否定はできなかった。

 

 老女は小さく息を吐いた。

 

「マーサは言ったよ。自分で選んだ道だと」

 

 俺は拳を握った。

 

「パパスに連れて行かれるのではなく、自分が行くのだと。そう言った」

 

 胸の奥が、重く沈んだまま熱を持った。

 

 マーサは選んだ。

 長老もそう言った。

 老人も、町の者たちも、その選択を覚えていた。

 

 だが、その隣にいたはずの俺だけが覚えていない。

 

 いや、正確には俺ではない。

 元のパパスだ。

 

 それでも、今この身体で立っているのは俺だった。

 

 

「あんたが忘れていようが、マーサが選んだことは消えない」

 

 老女の声は静かだった。

 

「だがね、パパス。選ばれた側には、選ばれた側の責任がある」

 

「ああ」

 

「マーサが自分で選んだ道だから、あんたは悪くない。そんな話ではないよ」

 

「分かっている」

 

「本当に分かっているなら、簡単にマーサを救うなどと言うんじゃない」

 

 老女の言葉が、胸に刺さった。

 

「救うと言うなら、あの子が何を捨てて、何を持って出ていったのかを知りなさい」

 

 俺は黙ってうなずいた。

 

 マーサを救う。

 その言葉は、俺の中では魔界へ向かう理由だった。

 

 だが、この町では違う。

 

 マーサを救うということは、マーサが背負っていたものごと抱え直すということだった。

 

「一つ聞く」

 

 老女は俺を見た。

 

「何だ」

 

「あんたは、マーサを連れ戻したら、この町へ返すつもりかい」

 

 答えはすぐには出なかった。

 

 マーサを救う。

 だが、その先を俺は考えていなかった。

 

 リュカの母として。

 パパスの妻として。

 グランバニア王妃として。

 

 前世の知識にある役割ばかりが先に立っていた。

 

 だが、マーサはエルヘブンの娘でもある。

 

「俺が決めることではない」

 

 ようやく、それだけ言った。

 

 老女の目が、少しだけ変わった。

 

「マーサが決めることだ」

 

「……そうかい」

 

「俺は、あいつを奪われたままにしない。その先を決めるのは、マーサ自身だ」

 

 老女は長く黙った。

 

 やがて、小さくうなずいた。

 

「なら、少しは聞く耳があるようだね」

 

 

 家を出る頃には、朝の光が町の上まで届いていた。

 老女は最後まで、俺を許すとは言わなかった。

 

 それでいい。

 許しをもらいに来たわけではない。

 

 石段を下りながら、俺は老女の言葉を思い返した。

 

 選ばれた側には、選ばれた側の責任がある。

 

 その言葉は、剣よりも重かった。

 

 俺はマーサと過ごした記憶を持たない。

 だが、マーサが選んだ道の先に、今のリュカがいる。

 

 ならば俺は、その道を知らないまま終わらせてはならない。

 

 下の広場へ戻ると、昨日の青年が遠くからこちらを見ていた。

 俺と目が合うと、青年は何も言わずに視線をそらした。

 

 それで十分だった。

 

 俺は町の奥へ目を向けた。

 

 まだ聞くべき声がある。

 マーサを見送った者。

 マーサの名を懐かしむ者。

 そして、この町の長老たち。

 

 まほうのカギとまほうのじゅうたんへ辿り着く前に、俺はもう少し、この町のマーサを知らなければならなかった。

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