ドラゴンクエストⅤ 転生したらパパスだった件。 作:兎深みどり
長老たちの前へ戻ると、広間の空気は昨日よりも静かだった。
町の者の声を聞いたあとだからだろう。
ここにある沈黙の重さが、少しだけ分かる気がした。
「町の者とは話しましたか」
「ああ」
「何を聞きました」
「マーサが、この町で大切にされていたことだ」
長老たちは黙っていた。
「反対した者がいたことも聞いた。それでも、マーサが自分で選んで外へ出たことも」
口にしながら、俺は自分の中にない記憶を思った。
マーサの手を取った日のことを、俺は知らない。
彼女がどんな顔でこの町を出たのかも知らない。
俺は記憶を失ったパパスではない。
ドラゴンクエストⅤを知る現代の男が、この身体に入っているだけだ。
だが、それを言い訳にはできない。
この身体でリュカの父として生きると決めた以上、マーサのことだけを他人事にはできなかった。
「俺は、マーサを奪われたままにはしない」
長老の一人が、奥へ目を向けた。
控えていた者が、布に包まれた二つの品を運んでくる。
ひとつは小さな鍵。
もうひとつは、丁寧に巻かれた絨毯だった。
「まほうのカギです」
長老が鍵を示した。
「そして、まほうのじゅうたん」
胸の奥が鳴った。
前世で何度も見た道具だ。
だが、今は宝箱から取るだけのアイテムではない。
「俺に渡していいのか」
「信じたわけではありません」
長老は即答した。
「ですが、あなたは町の怒りから逃げなかった。マーサを追うとも言った」
「ああ」
「ならば、持っていきなさい。閉ざされた道を開くために」
俺は両手でカギと絨毯を受け取った。
重さはほとんどない。
それでも、手の中に乗ったものは軽くなかった。
「必ず役立てる」
「その言葉が真であるかは、これからのあなたが示すことです」
「分かっている」
長老はそこで立ち上がった。
「もう一つ、見ていきなさい」
◆
案内されたのは、建物の奥にある部屋だった。
古い石の廊下を進むほど、人の気配が薄くなる。
扉の前で、長老が足を止めた。
「マーサの部屋です」
息が止まりかけた。
「入ってもいいのか」
「あなたが何を思うのか、見ておきたいのです」
扉が開いた。
中は整えられていた。
机。
棚。
寝台。
古い本。
祈りに使うものらしい小さな飾り。
俺は一歩だけ中へ入った。
この部屋か。
PS2版のおもいでのロケットのイベントで来る場所。
過去のエルヘブンで、若いパパスとマーサに関わる場所。
前世の俺なら、手順の一つとして覚えていた。
妖精の城。
過去のエルヘブン。
若いパパス。
マーサの部屋。
そして、ロケットに入るはずだった絵。
だが、目の前にあるのはイベント用の背景ではなかった。
マーサという一人の女が、ここで暮らしていた跡だった。
懐かしいとは思わない。
思い出が戻ることもない。
ここにいたパパスは、俺ではない。
それでも、リュカにあの空のロケットが渡る未来を知っている。
サンチョが、いつかリュカへ渡すはずのもの。
本来ならマーサの絵が入るはずだった、小さな空白。
俺は拳を握った。
その空白を、リュカだけに背負わせるつもりはない。
棚の上に古びた詩篇集が置かれていた。
長老が静かに言う。
「マーサが大切にしていたものです」
俺は手を伸ばしかけて、止めた。
「持っていかないのですか」
「今は違う」
「なぜ」
「これは、俺が欲しがるものじゃない」
長老は黙っていた。
「マーサを連れ戻した時に、あいつが自分で決めればいい」
部屋の中に、しばらく沈黙が落ちた。
俺は深く頭を下げ、部屋を出た。
◆
町を出る前に、防具屋へ寄った。
当初は《ゆうわくのけん》を買うつもりだった。
だが、今の俺には剣を増やすより必要なものがある。
「実は、ゆうわくのけんを買うつもりで来たのだが。防具を見たい」
店主は俺の腕と腰の剣を見た。
「盾を持つ気はあるのか」
「剣の邪魔になるなら、ない」
「なら、ドラゴンシールドは勧めにくいな」
店主は奥へ引っ込み、金属と革で作られた腕甲を持って戻ってきた。
竜の鱗を思わせる板が重なり、内側には細い紋が刻まれている。
「試作品だ。ドラゴンシールドの素材と、まほうのよろいに使う魔法金属を少し合わせてある」
「盾と鎧の代わりか」
「ならん」
店主は短く言った。
「息を少し散らす。呪文の衝撃も少し逃がす。それだけだ。だが、剣の邪魔にはなりにくい」
俺は腕甲を受け取った。
重い。
だが、この重さなら振れる。
「いくらだ?」
「ゆうわくのけんを買うつもりで来たんだろう」
「ああ」
「なら、その値でいい。九千八百ゴールドだ」
俺は迷わなかった。
サンチョから借りた金の中で、武器のために残していた金だ。
だが今、その金は守るための備えへ変わる。
「買う」
店主はうなずいた。
「名前はまだない。好きに呼べ」
俺は手甲を腕へ固定した。
金具が締まり、前腕にぴたりと収まる。
竜の守り。
魔法の守り。
そのどちらも完全ではない。
だが、今の俺にはちょうどいい。
「竜紋の手甲」
口にすると、店主が少しだけ笑った。
「悪くない名だ」
自分で名付けててなんだが某竜の騎士の紋章みたいな名だな。
◆
町の外へ出ると、山から風が吹き下ろしてきた。
俺は巻かれた絨毯を広げる。
まほうのカギ。
まほうのじゅうたん。
そして、竜紋の手甲。
エルヘブンで得たものは、道具だけではなかった。
マーサの帰る場所が、ここにも残っていると知った。
俺は町へ一度だけ振り返った。
「待っていろ」
誰に向けた言葉かは、もう分かっていた。
マーサだ。
絨毯が地面を離れた。
石の町が、少しずつ遠ざかっていく。