ドラゴンクエストⅤ 転生したらパパスだった件。 作:兎深みどり
第53話『星降る腕輪』
まほうのじゅうたんは、夜の海を滑るように進んでいた。
振り返れば、グランバニアの灯りはもう小さくなり、やがて山の向こうへ消えていった。
腕には、グランバニアの宝物庫から持ち出したほしふるうでわ。
腰の袋には三千ゴールド。
誰にも正体を知られず、目的の物を手に入れ、城から脱出した。
「完璧だな」
口に出してから、少し考える。
「……たぶん」
明日の朝、空になった宝箱が見つかれば、城内は騒ぎになるだろう。
だが、外套で顔は隠していたし、俺がパパスだと気づいた者もいない。
今さら心配しても仕方がない。
俺は腕を持ち上げ、ほしふるうでわを月明かりにかざした。
星の光を閉じ込めたような腕輪が、淡い銀色の光を返す。
ゲームでは、装備した者の素早さを大きく上げる装飾品だった。
実際、城から逃げ出した時には、兵士たちの動きが少し遅く見えた。
ただ、速く動けることと、思い通りに動けることは違う。
身体が腕輪の力についていかなければ、ゲマと戦うどころではない。
「少し試しておくか」
俺は人目のない草原を見つけ、まほうのじゅうたんを地面へ降ろした。
絨毯から降り、軽く地面を蹴る。
次の瞬間、身体が予想以上の勢いで前へ飛び出した。
「うおっ!」
慌てて足を止める。
身体はすぐには止まらず、そのまま数歩分ほど前へ流れた。
目の前には一本の木が立っている。
あと少し遅ければ、正面から突っ込んでいたところだ。
「危ないな、これ」
今のリュカが装備すれば、最初の一歩で家の壁に激突するだろう。
俺はもう一度、ゆっくりと地面を蹴った。
走る。
止まる。
向きを変える。
何度も同じ動きを繰り返した。
最初は足がもつれ、止まるたびに身体が前へ流れた。
だが、繰り返すうちに、少しずつ腕輪の速さへ身体が追いついてくる。
腰のメタルキングのけんへ手を伸ばした。
柄を握ったと思った時には、剣はすでに鞘から抜けていた。
そのまま横へ振り抜き、木の幹へ触れる直前で止める。
刃が風を裂いた。
「これは使える」
ゲマが動くより先に剣を抜く。
炎が放たれるより先に、リュカとヘンリーの前へ入る。
その一瞬を手に入れるために、俺はグランバニアへ忍び込んだ。
ただし、速さに振り回されていては意味がない。
狙った場所へ動き、狙ったところで止まり、確実に剣を振るう必要がある。
俺は夜が明け始めるまで、草原で動きを確かめ続けた。
空が白み始めた頃、再びまほうのじゅうたんへ乗った。
身体には疲れが残っていたが、ほしふるうでわの感覚は少しつかめた。
まだ完全ではない。
だが、ラインハットから呼び出しが来るまでには使いこなしてみせる。
じゅうたんは海を越え、サンタローズへ続く土地へ入った。
昼を過ぎた頃、見慣れた山と森が見えてくる。
俺は村から少し離れた場所へ降り、まほうのじゅうたんを巻いて背負った。
そのまま道を歩き、サンタローズへ向かう。
村の入口が見えたところで、小さな影がこちらへ走ってきた。
「父さん!」
リュカだった。
俺も足を踏み出す。
だが、ほしふるうでわを装備していることを一瞬だけ忘れていた。
身体が勢いよく前へ出て、リュカとの距離が一気に縮まる。
「わっ!」
驚いたリュカを、俺はそのまま両腕で抱き上げた。
「悪い。驚かせたな」
「父さん、すごく速かった!」
「ああ。少しばかり、速く動けるようになったんだ」
「どうして?」
リュカが、俺の腕にある銀色の輪へ気づいた。
「それ、なに?」
「ほしふるうでわだ。身につけると、身体が速く動くようになる」
「ぼくもつけたい!」
「今のリュカには、まだ早いな」
「どうして?」
「走った瞬間、家の壁に突っ込むからだ」
「突っ込まないよ!」
リュカが頬を膨らませる。
「父さんだって、さっき止まれなかったでしょ?」
「見ていたのか?」
「ちょっとだけ」
どうやら村の入口から、俺が勢いよく飛び出したところを見られていたらしい。
「なら、なおさら貸せないな」
「ずるい!」
笑いながらリュカを抱いたまま家へ向かうと、サンチョが慌てて駆け寄ってきた。
「パパスさま! ようやくお戻りになられましたか!」
「心配をかけたな」
「まったくでございます。どこへ行かれたのかも分からず、何日もお戻りにならないのですから!」
口調は厳しかったが、俺とリュカの姿を交互に見ると、サンチョは安心したように息を吐いた。
「ですが、ご無事で何よりでございます」
「ああ。村に変わりはなかったか?」
「何もございません。皆、変わらず過ごしております」
家へ入り、背負っていた荷物を机の上へ置く。
金貨の入った袋が、重い音を立てた。
サンチョが袋へ目を向ける。
「そちらは?」
「三千ゴールドだ」
「三千ゴールドでございますか?」
「ああ。少し手に入れる機会があってな」
嘘は言っていない。
入手方法を説明していないだけだ。
サンチョは怪しそうに俺を見た。
「まさか、危険なことをなさったのでは?」
「楽しい旅だったぞ」
「なぜそこで、楽しいと強調されるのでございますか?」
「気にするな」
サンチョは納得していない様子だったが、それ以上は聞かなかった。
「サンチョ。借りている三万五千ゴールドだが、返すのはもう少し待ってくれ」
「そのようなことを気にされていたのでございますか?」
「借りたものは返す」
「ですが、今は必要なのでございましょう?」
「ああ」
「でしたら、すべてが終わった後で結構でございます。今は、パパスさまが必要と思われることへお使いください」
「すまない」
「謝られることではございません」
三千ゴールドを返したところで、残りは三万二千ゴールドだ。
それなら、これからの旅に備えて手元へ置いておく方がいい。
夕食の支度が始まると、俺はサンチョへ尋ねた。
「留守の間に、誰か訪ねてこなかったか?」
「誰かと申しますと?」
「ラインハットからの使いだ」
サンチョは首を傾げた。
「いいえ。ラインハットからは、どなたも来ておりません」
「そうか」
やはり、まだ来ていない。
考えてみれば当然だった。
俺は原作よりも早く、妖精の国の事件を解決した。
その後、オラクルベリーへ向かい、エルヘブンでまほうのカギとまほうのじゅうたんを手に入れ、さらにグランバニアまで往復している。
俺が未来を知って先回りしたからといって、世界の出来事まで早く進むわけではない。
ラインハット国王がパパスを呼ぶのは、まだ少し先だ。
「パパスさま。ラインハットで何かあるのでございますか?」
「今はまだ、何もない」
「今はまだ?」
サンチョが眉をひそめる。
「いずれ分かる」
「また、それでございますか」
「悪いな」
サンチョはため息をついたが、それ以上は追及しなかった。
夕食が終わると、リュカは俺の旅の話を聞きたがった。
「父さん、どこまで行ってたの?」
「ずっと遠くだ」
「何があったの?」
「空を飛んだ」
「空を?」
「ああ。海の上を、まほうのじゅうたんで飛んできた」
「すごい! ぼくも乗りたい!」
「今度、一緒に乗ろう」
「ほんと?」
「ああ。約束だ」
グランバニア城へ忍び込み、兵士の目を盗んで宝箱を開けた話はしなかった。
五歳の息子へ、父親の楽しい泥棒体験を聞かせる必要はない。
その夜、リュカは俺の隣で眠った。
小さな寝息を聞きながら、俺はこれまでに手に入れた物を思い返す。
メタルキングのけん。
竜紋の手甲。
まほうのカギ。
まほうのじゅうたん。
そして、ほしふるうでわ。
原作のパパスにはなかった力が、少しずつ集まっている。
だが、これで勝てると決まったわけではない。
相手はゲマだ。
未来を知っていても、その未来を変えられる保証はない。
ラインハットから使いが来るまで、まだ時間がある。
その間に、ほしふるうでわを完全に使いこなす。
ゲマとの戦いに備え、できることを一つずつ積み重ねる。
俺は眠るリュカの頭を、そっと撫でた。
「今度こそ、必ず守る」
リュカは目を覚まさなかった。
ただ、安心したように俺の腕へ身を寄せた。