ドラゴンクエストⅤ 転生したらパパスだった件。   作:兎深みどり

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第54話『帰る場所』

 まほうのじゅうたんは、夜の海を滑るように進んでいた。

 振り返れば、グランバニアの灯りはもう小さくなり、やがて山の向こうへ消えていった。

 

 腕には、グランバニアの宝物庫から持ち出したほしふるうでわ。

 腰の袋には三千ゴールド。

 

 誰にも正体を知られず、目的の物を手に入れ、城から脱出した。

 

「完璧だな」

 

 口に出してから、少し考える。

 

「……たぶん」

 

 明日の朝、空になった宝箱が見つかれば、城内は騒ぎになるだろう。

 だが、外套で顔は隠していたし、俺がパパスだと気づいた者もいない。

 

 今さら心配しても仕方がない。

 俺は腕を持ち上げ、ほしふるうでわを月明かりにかざした。

 

 星の光を閉じ込めたような腕輪が、淡い光を返す。

 

 ゲームでは、装備した者の素早さを大きく上げる装飾品だった。

 実際、城から逃げ出した時には、兵士たちの動きがかなり遅く見えた。

 

 ただ、速く動けることと、思い通りに動けることは違う。

 身体が腕輪の力についていかなければ、ゲマと戦うどころではない。

 

「少し試しておくか」

 

 俺は人目のない草原を見つけ、まほうのじゅうたんを地面へ降ろした。

 

 絨毯から降り、軽く地面を蹴る。

 

 次の瞬間、身体が予想以上の勢いで前へ飛び出した。

 

「うおっ!」

 

 慌てて足を止める。

 身体はすぐには止まらず、そのまま数歩分ほど前へ流れた。

 

 目の前には一本の木が立っている。

 あと少し遅ければ、正面から突っ込んでいたところだ。

 

「危ないな、これ」

 

 今のリュカが装備すれば、最初の一歩で家の壁に激突するだろう。

 

 俺はもう一度、ゆっくりと地面を蹴った。

 走る。

 止まる。

 向きを変える。

 

 何度も同じ動きを繰り返した。

 

 最初は足がもつれ、止まるたびに身体が前へ流れた。

 だが、繰り返すうちに、少しずつ腕輪の速さへ身体が追いついてくる。

 

 腰のメタルキングのけんへ手を伸ばした。

 

 柄を握ったと思った時には、剣はすでに鞘から抜けていた。

 そのまま横へ振り抜き、木の幹へ触れる直前で止める。

 

 刃が風を裂いた。

 

「これは使える」

 

 ゲマが動くより先に剣を抜く。

 炎が放たれるより先に、リュカとヘンリーの前へ入る。

 

 その一瞬を手に入れるために、俺はグランバニアへ忍び込んだ。

 

 ただし、速さに振り回されていては意味がない。

 狙った場所へ動き、狙ったところで止まり、確実に剣を振るう必要がある。

 

 俺は夜が明け始めるまで、草原で動きを確かめ続けた。

 

 空が白み始めた頃、再びまほうのじゅうたんへ乗った。

 身体には疲れが残っていたが、ほしふるうでわの感覚は少しつかめた。

 

 まだ完全ではない。

 だが、ラインハットから呼び出しが来るまでには使いこなしてみせる。

 

 じゅうたんは海を越え、サンタローズへ続く土地へ入った。

 

 昼を過ぎた頃、見慣れた山と森が見えてくる。

 俺は村から少し離れた場所へ降り、まほうのじゅうたんを巻いて背負った。

 

 そのまま道を歩き、サンタローズへ向かう。

 

 村の入口が見えたところで、小さな影がこちらへ走ってきた。

 

「おとうさん!」

 

 リュカだった。

 

 俺も足を踏み出す。

 

 だが、ほしふるうでわを装備していることを一瞬だけ忘れていた。

 

 身体が勢いよく前へ出て、リュカとの距離が一気に縮まる。

 

「わっ!」

 

 驚いたリュカを、俺はそのまま両腕で抱き上げた。

 

「悪い。驚かせたな」

 

「おとうさん、すごく速かった!」

 

「ああ。少しばかり、速く動けるようになったんだ」

 

「どうして?」

 

 リュカが、俺の腕にある腕輪を見る。

 

「それ、なに?」

 

「ほしふるうでわだ。身につけると、身体が速く動くようになる」

 

「ぼくもつけたい!」

 

「今のリュカには、まだ早いな」

 

「どうして?」

 

「走った瞬間、家の壁に突っ込むからだ」

 

「突っ込まないよ!」

 

 リュカが頬を膨らませる。

 

「おとうさんだって、さっき止まれなかったでしょ?」

 

「見ていたのか?」

 

「ちょっとだけ」

 

 どうやら村の入口から、俺が勢いよく飛び出したところを見られていたらしい。

 

「なら、なおさら貸せないな」

 

「ずるい!」

 

 笑いながらリュカを抱いたまま家へ向かうと、サンチョが慌てて駆け寄ってきた。

 

「パパスさま!ようやくお戻りになられましたか!」

 

「心配をかけたな」

 

「まったくでございます。どこへ行かれたのかも分からず、何日もお戻りにならないのですから!」

 

 口調は厳しかったが、俺とリュカの姿を交互に見ると、サンチョは安心したように息を吐いた。

 

「ですが、ご無事で何よりでございます」

 

「ああ。村に変わりはなかったか?」

 

「何もございません。皆、変わらず過ごしております」

 

 家へ入り、背負っていた荷物を机の上へ置く。

 金貨の入った袋が、重い音を立てた。

 

 サンチョが袋へ目を向ける。

 

「そちらは?」

 

「三千ゴールドだ」

 

「三千ゴールドでございますか?」

 

「ああ。少し手に入れる機会があってな」

 

 嘘は言っていない。

 入手方法を説明していないだけだ。

 

 サンチョは怪しそうに俺を見た。

 

「まさか、危険なことをなさったのでは?」

 

「楽しい旅だったぞ」

 

「なぜそこで、楽しいと強調されるのでございますか?」

 

「気にするな」

 

 サンチョは納得していない様子だったが、それ以上は聞かなかった。

 

「サンチョ。借りている三万五千ゴールドだが、返すのはもう少し待ってくれ」

 

「そのようなことを気にされていたのでございますか?」

 

「借りたものは返す」

 

「ですが、今は必要なのでございましょう?」

 

「ああ」

 

「でしたら、すべてが終わった後で結構でございます。今は、パパスさまが必要と思われることへお使いください」

 

「すまない」

 

「謝られることではございません」

 

 三千ゴールドを返したところで、残りは三万二千ゴールドだ。

 それなら、これからの旅に備えて手元へ置いておく方がいい。

 

 夕食の支度が始まると、俺はサンチョへ尋ねた。

 

「留守の間に、誰か訪ねてこなかったか?」

 

「誰かと申しますと?」

 

「ラインハットからの使いだ」

 

 サンチョは首を傾げた。

 

「いいえ。ラインハットからは、どなたも来ておりません」

 

「そうか」

 

 やはり、まだ来ていない。

 

 考えてみれば当然だった。

 

 俺は原作よりも早く、妖精の国の事件を解決した。

 その後、オラクルベリーへ向かい、エルヘブンでまほうのカギとまほうのじゅうたんを手に入れ、さらにグランバニアまで往復している。

 

 俺が未来を知って先回りしたからといって、世界の出来事まで早く進むわけではない。

 

 ラインハット国王がパパスを呼ぶのは、まだ少し先だ。

 

「パパスさま。ラインハットで何かあるのでございますか?」

 

「今はまだ、何もない」

 

「今はまだ?」

 

 サンチョが眉をひそめる。

 

「いずれ分かる」

 

「また、それでございますか」

 

「悪いな」

 

 サンチョはため息をついたが、それ以上は追及しなかった。

 

 夕食が終わると、リュカは俺の旅の話を聞きたがった。

 

「おとうさん、どこまで行ってたの?」

 

「ずっと遠くだ」

 

「何があったの?」

 

「空を飛んだ」

 

「空を?」

 

「ああ。海の上を、まほうのじゅうたんで飛んできた」

 

「すごい! ぼくも乗りたい!」

 

「今度、一緒に乗ろう」

 

「ほんと?」

 

「ああ。約束だ」

 

 グランバニア城へ忍び込み、兵士の目を盗んで宝箱を開けた話はしなかった。

 五歳の息子へ、父親の楽しい泥棒体験を聞かせる必要はない。

 

 その夜、リュカは俺の隣で眠った。

 

 小さな寝息を聞きながら、俺はこれまでに手に入れた物を思い返す。

 

 メタルキングのけん。

 竜紋の手甲。

 まほうのカギ。

 まほうのじゅうたん。

 そして、ほしふるうでわ。

 

 原作のパパスにはなかった力が、少しずつ集まっている。

 

 だが、これで勝てると決まったわけではない。

 

 相手はゲマだ。

 未来を知っていても、その未来を変えられる保証はない。

 

 ラインハットから使いが来るまで、まだ時間がある。

 

 その間に、ほしふるうでわを完全に使いこなす。

 ゲマとの戦いに備え、できることを一つずつ積み重ねる。

 

 俺は眠るリュカの頭を、そっと撫でた。

 

「今度こそ、必ず守る」

 

 リュカは目を覚まさなかった。

 ただ、安心したように俺の腕へ身を寄せた。

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