ドラゴンクエストⅤ 転生したらパパスだった件。 作:兎深みどり
リュカが眠った後、俺は居間へ戻った。
サンチョもすでに休んでいる。
家の中は静かで、暖炉の火が小さく音を立てていた。
机の上に、これまで手に入れたものを並べる。
メタルキングのけん。
竜紋の手甲。
ほしふるうでわ。
それから、紙と炭筆。
バーハは覚えた。
身体にも少しずつ馴染んできている。
ほしふるうでわも、まだ完全ではないが、以前よりは使いこなせるようになった。
原作のパパスにはなかった力だ。
これだけあれば、普通の相手なら負けない。
少なくとも、ジャミやゴンズだけなら問題にならないはずだ。
だが。
「勝ち筋……」
口に出してみる。
返ってきたのは、暖炉の薪が爆ぜる音だけだった。
勝てるかもしれない。
そう思える材料は増えた。
けれど、勝てるとは言い切れない。
相手はゲマだ。
正面から斬り合ってくれる相手ではない。
こちらが嫌がることを、迷わず選ぶ。
勝つためなら、子どもを盾にすることもためらわない。
原作のパパスは、弱かったわけではない。
むしろ強かった。
ジャミとゴンズを相手にしても押していた。
ゲマを前にしても、怯んではいなかった。
それでも負けた。
俺は紙の上に、原作の流れを書き出した。
ヘンリー誘拐。
パパスが追う。
リュカが追う。
神殿で戦う。
ジャミとゴンズを倒す。
リュカを人質に取られる。
剣を捨てる。
死ぬ。
書いているだけで、胸の奥が冷えた。
何度も見た場面だ。
ゲーム画面の中で。
小説の中で。
記憶の中で。
だが、今は違う。
この流れの先で死ぬのは、どこかの物語のパパスではない。
俺だ。
そして、目の前でそれを見るのはリュカだ。
「……駄目だ」
俺は炭筆を握り直した。
強くなる。
まず考えたのはそれだった。
メタルキングのけん。
ほしふるうでわ。
竜紋の手甲。
バーハ。
だが、どれだけ強くなっても、リュカの首元に刃を向けられれば動けない。
先に斬る。
それも考えた。
ほしふるうでわの速さなら、ゲマが動くより先に届くかもしれない。
だが、神殿の奥で、何がどの位置にいるかは戦いの流れで変わる。
少しでも読み違えれば終わる。
魔法で防ぐ。
これも駄目だ。
バーハは炎を弱める。
だが、人質を取られることそのものは防げない。
リュカを置いていく。
その考えも、すぐに消した。
あの子は来る。
必ず来る。
父親がヘンリーを追って出ていけば、じっと待っていられる子ではない。
ボロンゴもいる。
止めても、きっと追ってくる。
それに、俺が原作と違う行動を取れば、ゲマも違う動きをするかもしれない。
リュカを安全な場所に置いたつもりで、そこを狙われる可能性だってある。
結局、問題は一つだった。
俺は紙の一行を見つめる。
リュカを人質に取られる。
ここだ。
ここに入った瞬間、勝ち目は消える。
剣も。
魔法も。
速さも。
すべて意味を失う。
「勝ち筋……」
もう一度、呟く。
勝つために必要なのは、もっと強い剣ではない。
もっと強い魔法でもない。
ゲマに、その手を選ばせないこと。
いや、違う。
選ばせないだけでは足りない。
ゲマは必ずそこを狙う。
俺がパパスである限り、リュカは最大の弱点だ。
なら、その前から変えなければならない。
俺は、紙に書いた流れをもう一度最初から見た。
ヘンリー誘拐。
パパスが追う。
リュカが追う。
そこで、手が止まった。
……なぜ急いだ?
なぜ、あの時のパパスはヘンリーを追い続けた。
答えは分かっている。
見失えば、どこへ連れて行かれるか分からなくなるからだ。
だが、俺は知っている。
ヘンリーがどこへ連れて行かれるのかを。
そこで誰が待っているのかを。
何が起きるのかを。
なら、急ぐ必要はない。
そこで、思考が噛み合った。
「……なんだ」
俺は、小さく笑っていた。
乾いた、自分でも呆れるような笑いだった。
こんな簡単なことに、なぜ今まで気づかなかった。
俺はずっと、ゲマをどう倒すかだけを考えていた。
どう斬るか。
どう防ぐか。
どう先に動くか。
だが、そこではない。
原作のパパスが負けたのは、剣を交えた瞬間ではない。
もっと前だ。
もっと前から、負ける形に入っていた。
なら、そこを変えればいい。
俺は紙の上の流れを、もう一度見下ろした。
ヘンリー誘拐。
パパスが追う。
リュカが追う。
神殿で戦う。
リュカを人質に取られる。
剣を捨てる。
死ぬ。
その中の一行へ、ゆっくりと印をつける。
消すのではない。
変える。
読まれている手を、そのまま使う。
ただし、結末だけは変える。
「勝ち筋……」
今度は、さっきまでとは違う響きだった。
見えた。
まだ細い。
少しでも間違えれば、すぐに切れる。
だが、確かに一本だけ見えた。
俺は紙を裏返した。
作戦の細部を、そこへ書き込んでいく。
誰にも見せるつもりはない。
口にも出さない。
言葉にすれば、そこから綻びが生まれる気がした。
必要なのは、最後の一手。
ゲマを斬るための力ではない。
ゲマが勝ったと思い込む流れを、こちらの流れへ変えるための一手だ。
書き終えた頃には、外がわずかに白み始めていた。
俺は紙を折りたたみ、暖炉の火へくべた。
炭で書かれた文字が、炎に飲まれて黒く縮れていく。
ヘンリー誘拐。
パパスが追う。
リュカが追う。
リュカを人質。
死ぬ。
その未来が、灰になって崩れていく。
「原作通りには、死なない」
小さく呟いた。
その声は、誰にも届かない。
それでいい。
ラインハットからの使いが来るまで、まだわずかに時間がある。
なら、間に合う。
俺は机の上に並べた装備を、一つずつ片づけた。
メタルキングのけんを腰へ。
竜紋の手甲を腕へ。
ほしふるうでわを、反対の腕へ。
そして、巻いたまほうのじゅうたんを手に取る。
最後の一手を整えるために、行くべき場所は決まった。
夜が明ける。
リュカが目を覚ます前に、俺は静かに立ち上がった。