ドラゴンクエストⅤ 転生したらパパスだった件。 作:兎深みどり
夜が明ける前に、俺はサンチョを起こした。
扉を軽く叩くと、中からすぐに慌ただしい足音がした。
しばらくして扉が開く。
顔を出したサンチョは、ステテコパンツ姿だった。
慌てて羽織った上着の前は閉じきれておらず、寝癖までついている。
「パパスさま……?このような朝早くに、いかがなさいました?」
緊張感のある話をするには、少しばかり格好が締まらない。
だが、サンチョらしいといえば、これ以上なくサンチョらしかった。
「すまない。少し出てくる」
その一言で、サンチョの眠気が消えた。
「またでございますか」
「ああ」
「今度は、どちらへ?」
「グランバニアだ」
サンチョの表情が固まった。
「グランバニア……」
「ああ」
「ついに、お戻りになられるのでございますか?」
「違う」
俺は首を横へ振った。
「帰るわけじゃない。まだ、あの国へ王として戻るつもりはない」
「では、なぜ?」
「必要なものがある」
「必要なもの、でございますか」
「俺が何者なのかを、示さなければならない時が来る」
サンチョは黙って俺を見た。
理由を聞きたいのだろう。
だが、今の俺がすべてを話すつもりはないことも分かっている。
「今すぐ必要になるわけではない。だが、手元になければ間に合わない」
「それが、グランバニアにあるのでございますな」
「ああ」
「私も参ります」
「いや。サンチョは残ってくれ」
「私が、でございますか?」
「リュカを頼む」
サンチョの顔つきが変わった。
「坊っちゃんを……」
「ああ。俺がいない間、リュカを見ていてほしい。ボロンゴもいるが、サンチョがいてくれた方が安心できる」
「しかし、パパスさまをお一人でグランバニアへ向かわせるなど」
「大丈夫だ。今度は忍び込むわけじゃない」
「今度は、でございますか」
しまった。
サンチョの目が細くなる。
「前回の旅で、やはり何かされましたな?」
「楽しい旅だったぞ」
「楽しい旅で三千ゴールドを持ち帰る方を、私は存じ上げません」
「細かいことを気にするな」
「三千ゴールドは細かくございません」
サンチョは深いため息をついた。
だが、今は追及する時ではないと思ったのだろう。
表情を改めると、静かに頭を下げた。
「承知いたしました。坊っちゃんは、このサンチョがお守りいたします」
「頼む」
「ですが、パパスさま」
「何だ?」
「グランバニアへ正面から入れば、騒ぎになります」
「ああ」
「それでも、行かれるのですね」
「必要だからな」
サンチョは、それ以上止めなかった。
俺はリュカの部屋を覗いた。
リュカはまだ眠っている。
布団の端を握り、小さく寝息を立てていた。
寝台のそばでは、ボロンゴが丸くなっている。
俺が近づくと、片目だけを開けた。
「ボロンゴ」
「……ガウ?」
「リュカを頼む」
ボロンゴはゆっくりと頭を上げた。
俺の顔を見て、次に眠っているリュカを見る。
「ガウ」
短く鳴いて、ボロンゴはリュカの寝台の横へ座り直した。
「頼んだぞ」
リュカの頭を軽く撫でる。
起こさないように、すぐ手を離した。
村の外へ出ると、朝霧が足元を流れていた。
まほうのじゅうたんは使わない。
もう、グランバニアの場所は分かっている。
俺は空へ向けて魔力を巡らせた。
「ルーラ」
身体が光に包まれる。
足元の感覚が消え、次の瞬間、冷たい山風が頬を打った。
目の前には、山に抱かれた大国があった。
グランバニア。
前に来た時とは違う。
あの時は夜を待ち、外套を深くかぶり、裏手から忍び込んだ。
誰にも知られず、宝物庫から三千ゴールドとほしふるうでわを持ち出した。
今回は違う。
顔は隠さない。
正門から入る。
俺は外套を畳み、城門へ向かった。
門前の兵士がこちらへ槍を向ける。
「止まれ。何者だ」
その声は、職務に忠実な兵士のものだった。
だが、俺が近づくにつれて、兵士の顔色が変わっていく。
「まさか……」
年嵩の兵士だった。
俺の顔を知っているのかもしれない。
彼は槍を下げ、一歩後ろへ退いた。
「パパス……さま……?」
その声に、周囲の兵士たちがざわめいた。
「パパス様だと?」
「そんなはずが」
「いや、あのお姿は……」
騒ぎが広がりかける。
俺は低く告げた。
「騒ぐな」
大きな声ではなかった。
だが、その一言で門前の空気が静まった。
「オジロンに会いたい。人を集めず、静かに通してくれ」
「は、はい!」
兵士が慌てて城内へ走っていく。
残った兵士たちは、俺を見つめたまま動けずにいた。
無理もない。
この国にとって、パパスは過去の王だ。
マーサを探して国を出たまま戻らなかった男。
生きているのか、死んでいるのかさえ曖昧になっていた男。
その男が、突然正門に現れたのだ。
俺はグランバニアへ帰ったわけではない。
だが、この国がパパスを待っていたことだけは、門前の兵士たちの顔で分かってしまった。
しばらくして、城の奥から足音が近づいてきた。
侍女や兵士たちが左右へ下がる。
その中央を、ひとりの男が早足で歩いてきた。
オジロン。
原作で見た姿より、少し若い。
穏やかそうな顔立ちと、どこか頼りなさを残した雰囲気はそのままだった。
彼は俺の前で立ち止まる。
言葉が出ないようだった。
「オジロン」
俺が名を呼ぶと、オジロンの顔が歪んだ。
「兄上……」
次の瞬間、オジロンは人目も忘れたように俺の手を取った。
「本当に……本当に兄上なのですね」
「ああ」
「生きて……おられた……」
オジロンの声が震えていた。
周囲の兵士たちも、驚きと喜びを隠せずにいる。
胸が痛んだ。
俺は、この再会を喜ばせるために来たわけではない。
彼らが望むような帰還ではない。
それでも、パパスという名がこの国に残していた重さを、今さら思い知らされる。
「オジロン。人払いを頼む」
俺がそう言うと、オジロンはすぐに表情を引き締めた。
「分かりました」
通されたのは、城の奥にある静かな部屋だった。
厚い扉が閉じられ、室内には俺とオジロンだけが残る。
オジロンはしばらく俺を見つめていた。
そして、深く頭を下げた。
「兄上。お帰りを、ずっとお待ちしておりました」
「すまない」
「謝らないでください。兄上は、マーサ義姉上を探すために旅立たれたのですから」
その名を聞くと、胸の奥が重くなる。
マーサ。
パパスが探し続けた妻。
リュカの母。
そして、俺がまだ取り戻せていない人。
「オジロン。今日は戻るために来たのではない」
オジロンは顔を上げた。
「戻るためでは、ないのですか」
「ああ」
「では、なぜ」
「必要なものがある」