ドラゴンクエストⅤ 転生したらパパスだった件。 作:兎深みどり
小舟は、洞窟の水路を静かに進んでいく。
水が船底を叩く音。
壁を伝う水滴の音。
たいまつの明かりが、濡れた岩肌に揺れていた。
さっきまで聞こえていたリュカの足音は、もうない。
薬屋の男と一緒に、村へ戻ったはずだ。
よくやった。
声に出すのは、帰ってからでいい。
今は、俺の用事を済ませる。
原作のパパスが、ここで何を探していたのか。
そこまでは、はっきりとは分からない。
だが俺は知っている。
この洞窟の奥に、天空の剣がある。
本来なら、青年期のリュカが見つけるものだ。
父の手紙と共に。
長い年月を越えて、息子へ届くはずだったもの。
それを、今の俺が先に取る。
少しだけ、気が引けた。
けれど、今必要なのは遠慮じゃない。
ゲマはマホカンタを使う。
呪文を跳ね返す、厄介な壁。
あれを消す手段があるかどうかで、戦いは大きく変わる。
天空の剣は、装備できなくても道具として使える。
それだけで、価値がある。
水路の奥へ進むと、魔物の気配が濃くなった。
ドラキーが暗がりから飛び出す。
おおねずみが足元を狙う。
せみもぐらが地面を割って跳ねた。
だが、相手にはならなかった。
パパスの身体は、本当に強い。
剣を振れば、魔物は倒れる。
踏み込めば、身体が思った以上に前へ出る。
腕も足も、前世の俺とはまるで違う。
だが、浮かれるな。
この程度で強いと思っていたら、ゲマには届かない。
ゲマ。
ジャミ。
ゴンズ。
あいつらは、序盤の魔物とは違う。
分かっているからこそ、準備がいる。
やがて、小舟は行き止まりに着いた。
岩場へ足をかける。
湿った石の上を進むと、奥に古びた空間があった。
そこだけ、空気が違っていた。
朽ちた岩肌。
静まり返った地面。
誰にも踏み荒らされていない、長い時間の残り香。
そして、その奥にあった。
剣。
錆びていない。
汚れてもいない。
洞窟の闇の中で、そこだけ淡く光を帯びている。
天空の剣。
見た瞬間、足が止まった。
あった。
本当にあった。
ゲームで何度も手に入れた剣。
勇者の装備。
天空シリーズの象徴。
それが今、目の前にある。
画面越しじゃない。
アイテム欄の文字でもない。
実物だ。
手を伸ばすのに、少しだけ時間がかかった。
これは、俺の剣ではない。
リュカの未来へ繋がる剣。
もっと先にいる、勇者へ渡るはずの剣。
けれど今だけは、借りる。
「……使わせてもらう」
柄を握った。
重い。
ただの重さではなかった。
腕だけではなく、肩まで沈む。
まるで剣そのものが、こちらを見定めているようだった。
試しに、腰の剣と入れ替えるように構えようとする。
さらに重くなった。
足元まで圧がかかる。
握っているだけで、身体が押し返される。
違う。
そう言われている気がした。
お前は、この剣の主ではない。
当たり前だ。
俺は勇者じゃない。
この剣を振るうために選ばれた者でもない。
なら、無理に装備するな。
俺は構える意識を捨てた。
これは俺の武器じゃない。
今は、預かるだけだ。
道具として使う。
必要な時に、必要な役目だけを果たしてもらう。
そう考えると、腕にかかる重さが少しだけ落ち着いた。
持てる。
振るうためではなく、運ぶためなら。
「分かった」
誰に言ったのか、自分でも分からない。
「本来の持ち主には、必ず渡す」
剣は答えない。
当然だ。
剣が喋るわけじゃない。
それでも、さっきまでの拒むような重さは弱まっていた。
俺は天空の剣を布で包み、荷に収めた。
そこで、ようやく息を吐く。
やばい。
これは、やばい。
天空の剣だぞ。
子どもの頃から何度も見てきた、あの天空の剣だぞ。
叫ぶな。
洞窟で叫ぶな。
魔物が寄ってくる。
それに、パパスが勇者装備を見つけてはしゃいでいたら嫌すぎる。
落ち着け。
父親だぞ。
父親は、洞窟で天空の剣を見つけても奇声を上げない。
たぶん。
口元が少し緩んでいる気がした。
仕方ない。
これだけは仕方ない。
目的は果たした。
リュカは薬屋を助けた。
俺は天空の剣を手に入れた。
だが、これで終わりじゃない。
次に必要なのは、移動手段だ。
ルラフェン。
ベネットじいさん。
ルラムーン草。
そして、ルーラ。
明日になれば、アルカパへ向かう流れが始まる。
その前に、行けるところまで行く。
俺は来た道を戻った。
水路を抜け、洞窟の外へ出る頃には、空の色が少し変わっていた。
夕方が近い。
村には、薬屋が戻った知らせが広がっているだろう。
リュカも家に戻っているはずだ。
まずは帰る。
勝手に危ない場所へ行ったことは、叱る。
それから、ちゃんと褒める。
よく考えた。
よく動いた。
よく帰ってきた。
父親として、言うべきことを言うために。
俺はサンタローズへ歩き出した。