ドラゴンクエストⅤ 転生したらパパスだった件。   作:兎深みどり

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第62話『子分のしるし』

 密談を終え、扉が開いた。

 

 部屋の外で待っていた家臣たちが、何事もなかったかのように戻ってくる。

 ラインハット王も、先ほどまでの重い表情を消していた。

 

 さすがは一国の王だ。

 

 父親として揺れていても、臣下の前ではそれを見せない。

 

「パパス殿」

 

「はい」

 

「先ほども申した通り、そなたにはしばらくヘンリーの相手をしてもらいたい」

 

「承知いたしました」

 

 表向きは、それでいい。

 

 俺はただ、ラインハット王に呼ばれ、わがままな王子の世話を頼まれた旅の武人。

 

 この形は崩さない。

 

 崩してはいけない。

 

 王が近くにいた兵士へ目を向ける。

 

「パパス殿をヘンリーの部屋へ案内せよ」

 

「はっ」

 

 俺は一礼し、王の間を出た。

 

 廊下では、リュカがボロンゴの頭を撫でながら待っていた。

 俺を見ると、すぐに顔を上げる。

 

「おとうさん、お話終わった?」

 

「ああ」

 

「何を話してたの?」

 

「仕事の話だ」

 

「おしごと?」

 

「ヘンリー王子という子の相手をすることになった」

 

「王子さま?」

 

 リュカの目が少しだけ輝く。

 

「お友だちになれるかな」

 

「なってやってくれ」

 

「ぼくが?」

 

「ああ。子ども同士の方が、話しやすいこともある」

 

 そう言いながら、胸の奥が少しだけ痛んだ。

 

 ヘンリー。

 

 わがままで、生意気で、寂しがりの王子。

 

 そして、このあとリュカと長い時間を共にすることになる少年。

 

 できることなら、二人には普通に出会ってほしかった。

 ただの友達として。

 王子でも、人質でも、奴隷でもなく。

 

 だが、この世界はそれを許さない。

 

 廊下を進む途中、城の空気が肌に刺さった。

 

 兵士たちは表向きは整然としている。

 だが、どこか落ち着かない。

 

 王妃の名を口にする者。

 デール王子の将来を囁く者。

 ヘンリー王子の悪戯に疲れた顔をする者。

 

 原作で見たラインハットの歪みが、現実の城の中にも確かにあった。

 

 階段の前にいた兵士が、俺の顔を見て姿勢を正す。

 

「こちらです、パパス殿」

 

「ああ」

 

 案内された先は、城の二階にある部屋だった。

 

 扉の前に立つと、中から子どもの声が聞こえる。

 威張ったような、退屈を持て余したような声だ。

 

 兵士が扉を開ける。

 

 部屋の中には、緑髪の少年が椅子に座っていた。

 

 ヘンリー王子。

 

 原作で何度も見た少年が、そこにいた。

 

 画面の中ではただのイベントキャラだった。

 だが今は違う。

 

 この子もまた、生きている。

 

 そして、今まさに狙われている。

 

「なんだ、お前」

 

 ヘンリーは俺ではなく、リュカを見て言った。

 

「親父に呼ばれてきたパパスとかいうやつの子どもか?」

 

「ぼくはリュカ」

 

「ふうん」

 

 ヘンリーは椅子の上で足を組み、偉そうに顎を上げた。

 

「オレはこの国の王子だ。王様の次にえらいんだぞ」

 

「そうなんだ」

 

 リュカは素直に頷いた。

 

 その素直さが気に入らなかったのか、ヘンリーは少しむっとする。

 

「お前、オレの子分になりたいか?」

 

「子分?」

 

「そうだ。なりたいなら、なりたいって言え」

 

「うーん……」

 

 リュカは真剣に考え込んだ。

 

 隣でボロンゴが小さく唸る。

 

「ガウ」

 

「ボロンゴは嫌みたい」

 

「なんだよ、その変なネコ」

 

「ボロンゴは変じゃないよ」

 

「変だろ。でかいし」

 

「ヘンリー王子の方が、えらそうで変だよ」

 

 部屋の空気が一瞬止まった。

 

 俺は思わず口元を押さえそうになった。

 

 リュカ。

 そこを正直に言うのか。

 

 ヘンリーは目を丸くした後、顔を赤くする。

 

「なっ……!お前、生意気だぞ!」

 

「ヘンリー王子が先に言ったんだよ」

 

「オレは王子だぞ!」

 

「ぼくはおとうさんの子どもだよ」

 

 会話が成立しているようで、していない。

 

 だが、不思議と悪くはなかった。

 

 ヘンリーは怒っている。

 リュカは困っている。

 ボロンゴは警戒している。

 

 それでも、この二人の間には、まだ取り返しのつく何かがあった。

 

 俺は部屋の入口で立ち止まる。

 

「リュカ。少し王子と話してみなさい」

 

「おとうさんは?」

 

「俺は外にいる。王子が部屋から出ないように見ているだけだ」

 

 ヘンリーがすぐに反応した。

 

「お前は入ってくるなよ、パパス!」

 

「承知しました、王子」

 

「本当だぞ!」

 

「ああ」

 

 俺は扉の外へ出た。

 

 原作通りなら、ここからヘンリーの悪戯が始まる。

 

 そして、その先に誘拐がある。

 

 止めるだけなら、今すぐ止められる。

 

 この部屋を閉ざし、兵を集め、ヘンリーを守ればいい。

 

 だが、それでは根は残る。

 

 ここで踏み込んでくる者たちの向こうにいるものを、引きずり出せない。

 

 俺は廊下に立ち、静かに息を整えた。

 

 しばらくして、部屋の中からヘンリーの声がした。

 

「そんなに言うなら、子分にしてやる」

 

「まだ言ってないよ」

 

「うるさい。子分になりたいんだろ」

 

「うーん」

 

「となりの部屋の宝箱に、子分のしるしがある。それを取ってこい」

 

「子分のしるし?」

 

「そうだ。それを持ってきたら認めてやる」

 

 扉が開き、リュカが顔を出した。

 

「おとうさん、子分のしるしって何?」

 

「さあな」

 

 知らないふりをした。

 

 原作では、そんなものはない。

 

 隣の部屋の宝箱は空っぽだ。

 

 だが今は、リュカにそれを教えるわけにはいかない。

 

「探してみるといい」

 

「うん」

 

 リュカとボロンゴは隣の部屋へ向かった。

 

 小さな足音が遠ざかる。

 

 俺はヘンリーの部屋の扉を見た。

 

 この中に、隠し通路がある。

 

 椅子の下。

 

 そこから地下へ続く階段。

 

 分かっている。

 

 すべて分かっている。

 

 それでも今は、動かない。

 

 ほどなくして、リュカが戻ってきた。

 

「おとうさん、宝箱からっぽだった」

 

「そうか」

 

「ヘンリー王子に言ってくる」

 

「ああ」

 

 リュカが扉を開ける。

 

 次の瞬間、動きが止まった。

 

「……あれ?」

 

「どうした」

 

「ヘンリー王子がいない」

 

 来た。

 

 俺は胸の奥で、その言葉を受け止める。

 

 扉の中を覗く。

 

 部屋には誰もいない。

 

 椅子だけが、何事もなかったかのように置かれている。

 

「王子は、この廊下を通ったか?」

 

 俺は近くの兵士へ尋ねた。

 

「い、いいえ。こちらには来ておりません」

 

「そうか」

 

 リュカが不安そうに俺を見る。

 

「おとうさん、ヘンリー王子どこに行ったの?」

 

「探してみよう」

 

「うん」

 

 俺は部屋へ入った。

 

 一度目は悪戯だ。

 

 分かっている。

 

 それでも、心臓の奥が嫌な音を立てる。

 

 原作を知っているということは、安心できるということではない。

 

 これから起こることを、先に怖がれるということだ。

 

 椅子の近くへ進む。

 

 床。

 

 壁。

 

 気配。

 

 俺はすべてを分かっているふりで見ない。

 

 知らない者として、部屋を見回す。

 

 その時、奥で小さな物音がした。

 

「あ!」

 

 リュカが声を上げる。

 

 いつの間にか、ヘンリーが椅子の近くに戻っていた。

 

「パパス!部屋に入るなって言っただろ!」

 

 ヘンリーが不機嫌そうに叫ぶ。

 

 俺は軽く頭を下げた。

 

「失礼しました、王子」

 

「まったく。勝手に入ってくるなよ」

 

「リュカが心配したので」

 

「ふん。つまらないやつだな」

 

 リュカは目をぱちぱちさせている。

 

「どこにいたの?」

 

「教えない」

 

「なんで?」

 

「子分じゃないからだ」

 

「まだ子分じゃないよ」

 

「だから、もう一回探してこい。宝箱をちゃんと調べろ」

 

「さっき空っぽだったよ」

 

「見落としたんだ」

 

「そうかなあ」

 

 リュカは首を傾げながら、もう一度隣の部屋へ向かった。

 

 ボロンゴもその後を追う。

 

 ヘンリーは俺を睨む。

 

「お前、本当に入ってくるなよ」

 

「分かっています」

 

「絶対だぞ」

 

「ああ」

 

 扉が閉まる。

 

 俺は廊下に立ったまま、静かに息を吐いた。

 

 一度目は終わった。

 

 次だ。

 

 次にヘンリーが消えた時、本当に動く。

 

 廊下の奥で、城の空気がかすかに揺れた。

 

 誰も気づいていない。

 

 だが、俺には分かる。

 

 この城の中で、物語が原作の形へ戻ろうとしている。

 

 俺は拳を握った。

 

 戻るなら戻れ。

 

 その流れごと、利用してやる。

 

 しばらくして、リュカが再び戻ってきた。

 

「やっぱり、なかったよ」

 

 そう言って、リュカはヘンリーの部屋の扉を開けた。

 

 そして、今度こそ声を失った。

 

 椅子の上に、ヘンリーはいなかった。

 

 部屋は静まり返っている。

 

 開いた窓もない。

 

 廊下へ出た形跡もない。

 

 ただ、椅子の下から、冷たい風がわずかに流れていた。

 

 始まった。

 

 俺は静かに、部屋の中へ足を踏み入れた。

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