ドラゴンクエストⅤ 転生したらパパスだった件。   作:兎深みどり

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第63話『隠し階段』

 俺は静かに、ヘンリーの部屋へ足を踏み入れた。

 

 部屋の中に、ヘンリーはいない。

 

 窓は閉まっている。

 廊下へ出た様子もない。

 兵士たちも、王子が外へ出たところは見ていないと言っていた。

 

 なら、答えは一つしかない。

 

 椅子の下。

 

 そこに隠し階段がある。

 

 分かっている。

 

 すべて分かっている。

 

 だが、俺はすぐには動かなかった。

 

「おとうさん……?」

 

 リュカが不安そうに俺を見上げる。

 

「ヘンリー王子、どこに行ったの?」

 

「この部屋から出ていないなら、部屋の中に手がかりがあるはずだ」

 

「手がかり?」

 

「ああ。よく見てみろ」

 

 リュカは部屋の中をきょろきょろと見回した。

 

 壁。

 床。

 机。

 椅子。

 

 そして、ヘンリーが座っていた椅子の前で足を止める。

 

「あれ?」

 

「どうした」

 

「ここ、風が出てる」

 

 リュカが椅子の下を覗き込んだ。

 

 小さな手が床へ触れる。

 

 カチリ、と音がした。

 

 椅子の下の床が、重い音を立ててずれた。

 暗い穴が口を開け、その先に下へ続く階段が現れる。

 

「階段だ!」

 

 リュカが目を丸くした。

 

 ボロンゴが低く唸り、穴の奥を睨む。

 

「ガウ……」

 

 階段の奥から、かすかに声が聞こえた。

 

 ヘンリーの声だ。

 

 俺の指が、無意識に剣の柄へかかった。

 

 今、駆け込めば止められる。

 

 誘拐犯をこの場で斬り伏せることもできる。

 ヘンリーを傷一つなく取り戻すこともできる。

 

 だが、それでは枝を折るだけだ。

 

 根は残る。

 

 俺は奥歯を噛み締めた。

 

「リュカ」

 

「なに?」

 

「ボロンゴと一緒に下を見てこい。ただし、危ないと思ったらすぐ戻れ」

 

「う、うん」

 

 本当なら、五歳の子どもに言う言葉ではない。

 

 だが、この流れは必要だった。

 

 リュカが何を見たのか。

 ヘンリーが本当にさらわれたのか。

 

 それを、この子の口から俺へ伝えさせる必要がある。

 

 原作通りに見える形で。

 

 リュカはボロンゴと一緒に、慎重に階段を下りていった。

 

 俺は階段の上に残る。

 

 いつでも飛び込めるように。

 いつでも斬れるように。

 

 だが、まだ動かない。

 

 下からヘンリーの声が聞こえた。

 

「なんだ。もう見つけたのかよ」

 

 いつもの生意気な声。

 

 少し安心しかけた、その直後だった。

 

 別の声がした。

 

 低い、荒い男の声。

 

「ヘンリー王子だな」

 

 空気が変わった。

 

 リュカが息を呑む気配がする。

 ボロンゴが唸る。

 

「お前たち、何者だ!」

 

 ヘンリーの声に、怯えはなかった。

 

 王子としての強がり。

 子どもらしい反発。

 その両方が混ざっている。

 

 男たちは笑った。

 

「悪いが、来てもらうぜ」

 

 鈍い音がした。

 

 何かが倒れる音。

 

 リュカが小さく声を上げる。

 

 俺は階段へ足を踏み出しかけた。

 

 止まる。

 

 まだだ。

 

 まだ、ここではない。

 

「早く運べ!」

 

「へい!」

 

 荒い足音が遠ざかる。

 

 水の匂い。

 外へ抜ける風。

 隠された搬出口。

 

 原作通りだ。

 

 男たちはヘンリーを運び出す。

 

 しばらくして、リュカが階段を駆け上がってきた。

 

 顔が青ざめている。

 

 ボロンゴも毛を逆立て、牙をむき出しにしていた。

 

「おとうさん!」

 

「ああ」

 

「ヘンリー王子が……!」

 

「さらわれたんだな」

 

 俺が言うと、リュカは驚いたように目を見開いた。

 

「見てたの?」

 

「声は聞こえた」

 

 嘘ではない。

 

 すべてを知っていたとは言わない。

 

「おとうさん、助けに行こう!」

 

「ああ。助けに行く」

 

 俺は頷いた。

 

 だが、走り出しはしなかった。

 

「おとうさん?」

 

「リュカ。落ち着け」

 

「でも、ヘンリー王子が!」

 

「分かっている。だからこそ、焦るな」

 

 リュカは唇を噛んだ。

 

 今にも階段へ戻りそうな顔だった。

 この子は、やはり追う。

 

 父親が止めても。

 危ないと言っても。

 友達になりかけた王子がさらわれたなら、必ず追ってくる。

 

 だから、置いていく選択肢は最初からなかった。

 

 俺は廊下にいた兵士へ目を向けた。

 

「王子がさらわれた」

 

 兵士の顔色が変わる。

 

「な、なんですと!?」

 

「騒ぐな」

 

 俺は低く言った。

 

 兵士の口が止まる。

 

「陛下へ伝えろ」

 

「は、はい!」

 

「ただし、伝える相手は陛下だけだ。城中に触れ回るな」

 

「陛下だけ、でございますか?」

 

「ああ」

 

 俺は兵士の目を見た。

 

「それと、こう伝えろ」

 

 声を落とす。

 

「北東の件が動いた、と」

 

 兵士は一瞬、意味が分からないという顔をした。

 

 だが、俺の表情を見て、すぐに姿勢を正した。

 

「承知いたしました!」

 

 兵士が走り去る。

 

 これでいい。

 

 盤面は動いた。

 

 王なら分かる。

 

 ヘンリーがさらわれた。

 敵が動いた。

 ならば、こちらも動く時だと。

 

 ただし、それをここで口にするつもりはない。

 

「おとうさん、本当に急がなくていいの?」

 

 リュカが不安そうに尋ねる。

 

「急ぐさ」

 

「じゃあ、早く行こうよ」

 

「敵の速さに合わせて走る必要はない」

 

「どういうこと?」

 

「相手はヘンリー王子を抱えている。そう遠くへは行けない」

 

 それは表向きの理由だ。

 

 本当は違う。

 

 俺は知っている。

 

 ヘンリーがどこへ連れて行かれるのかを。

 そこで誰が待っているのかを。

 そして、そこで何が起きるのかを。

 

 だから、焦る必要はない。

 

 焦れば、原作のパパスと同じになる。

 

 何も見ず、何も整えず、ただ敵の用意した盤面へ飛び込むことになる。

 

 それだけはしない。

 

「リュカ。俺のそばを離れるな」

 

「うん」

 

「ボロンゴ。リュカを頼む」

 

「ガウ!」

 

 俺はもう一度、ヘンリーの部屋を見た。

 

 椅子の下の隠し階段。

 

 原作で何度も見た、あの入り口。

 

 ここから物語は動き出す。

 

 ヘンリー誘拐。

 パパスが追う。

 リュカが追う。

 神殿で戦う。

 リュカを人質に取られる。

 剣を捨てる。

 死ぬ。

 

 その流れを、俺は知っている。

 

 そして、その中の一行を変えるために、ここまで準備してきた。

 

 廊下を出ると、城内はまだ大きく騒いではいなかった。

 兵士たちは不安そうにこちらを見るが、誰も声を荒らげていない。

 

 それでいい。

 

 混乱は敵を利する。

 騒ぎは城を鈍らせる。

 

 俺はリュカとボロンゴを連れて、城門へ向かった。

 

 外へ出ると、夕方の風が頬を撫でた。

 

 ラインハットの北東。

 

 古代の遺跡。

 

 そこにヘンリーは連れて行かれる。

 

 そこに、ゲマがいる。

 

「行くぞ、リュカ」

 

「うん……!」

 

 リュカはまだ焦っている。

 当然だ。

 

 目の前でヘンリーがさらわれたのだ。

 

 だが、俺はその焦りに飲まれない。

 

 原作通りに見える流れが、動き出した。

 

 だが、もう同じ盤面ではない。

 

 俺たちは、北東の遺跡へ向かった。

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