ドラゴンクエストⅤ 転生したらパパスだった件。   作:兎深みどり

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第64話『北東の遺跡』

 ラインハット城を出ても、俺は走らなかった。

 

 リュカは何度もこちらを見上げる。

 今にも駆け出しそうな足取りで、それでも俺の横を離れようとはしない。

 

「おとうさん、もっと急がなくていいの?」

 

「急いでいる」

 

「でも、走ってないよ」

 

「走るだけが急ぐことじゃない」

 

 リュカは納得していない顔だった。

 

 無理もない。

 

 目の前でヘンリーがさらわれた。

 助けなければならない。

 そう思えば、子どもなら走り出す。

 

 原作のパパスも、きっとそうした。

 

 ヘンリーを見失わないために。

 王子を取り戻すために。

 迷う暇もなく、北東へ向かった。

 

 だが、俺は違う。

 

 俺は知っている。

 

 ヘンリーがどこへ連れて行かれるのかを。

 そこに誰がいるのかを。

 そして、あの場所で何が起きるのかを。

 

 だからこそ、焦ってはいけない。

 

 敵の速さに合わせて走れば、敵の作った流れに呑まれる。

 息を切らし、視界を狭め、何も考えずに飛び込めば、原作と同じ場所へ辿り着くだけだ。

 

 必要なのは速度ではない。

 

 間合いだ。

 

 相手に逃げられない距離。

 こちらが崩れない距離。

 そして、相手が勝ったと思い込む距離。

 

「リュカ」

 

「なに?」

 

「足元を見ろ」

 

「足元?」

 

「ああ。草が倒れているだろう」

 

 リュカは道の脇を見た。

 

 柔らかい草が、何人も踏み荒らしたように潰れている。

 土の上には、乱れた足跡が残っていた。

 

「ほんとだ」

 

「王子を抱えて運んでいるなら、綺麗な足跡にはならない。焦っていればなおさらだ」

 

「じゃあ、この先にヘンリー王子がいるの?」

 

「ああ」

 

 嘘は言っていない。

 

 だが、足跡がなくても俺は向かっただろう。

 

 行き先は最初から分かっている。

 

 ボロンゴが鼻を鳴らした。

 

「ガウ」

 

 低い声。

 

 何かの匂いを拾っている。

 

「分かるか」

 

「ガウ」

 

「よし。先に行きすぎるな」

 

 ボロンゴはリュカの横へ戻った。

 

 えらいものだ。

 以前なら真っ先に飛び出していただろう。

 少しずつ、リュカを守るという役目を理解してきている。

 

 城から少し離れたところで、後方から小さく馬の蹄の音が聞こえた。

 

 一頭だけ。

 

 すぐに別の方向へ遠ざかっていく。

 

 リュカは気づかなかった。

 ボロンゴは耳を動かしたが、俺が何も言わないのを見て黙っていた。

 

 俺も振り返らなかった。

 

 今はそれでいい。

 

 ラインハットの兵士たちが大騒ぎを始めた様子はない。

 城門も、街道も、表向きは静かなままだった。

 

 王は分かっている。

 

 なら、俺は俺の役目を果たすだけだ。

 

 街道を外れ、北東へ進む。

 

 日が傾き、草原の影が長く伸び始めた頃、遠くに古びた石造りの遺跡が見えてきた。

 

「おとうさん、あれ?」

 

「ああ」

 

 ラインハット北東の古代の遺跡。

 

 原作で、ヘンリーが連れて行かれる場所。

 そして、パパスが死ぬ場所。

 

 胸の奥が、冷たくなる。

 

 だが、足は止めない。

 

 入口の近くには、二人の男が立っていた。

 

 兵士ではない。

 鎧も揃っていない。

 腰に武器をぶら下げ、こちらを見た途端に嫌な笑みを浮かべる。

 

「おいおい、こんなところに子ども連れかよ」

 

「迷子か?それとも親子で宝探しか?」

 

 ならず者。

 

 原作でも、この遺跡はろくでもない連中の根城になっていた。

 そしてその奥には、もっと厄介なものがいる。

 

 男のひとりがリュカへ目を向けた。

 

「そのガキ、なかなかいい値段しそうじゃねえか」

 

 その瞬間、ボロンゴが牙をむいた。

 

「ガウッ!」

 

「おっと、化け猫つきか」

 

「下がれ、リュカ」

 

「うん」

 

 俺は前へ出た。

 

 男たちは俺を見て、少しだけ笑みを引っ込める。

 

「なんだ、でけえな」

 

「悪いが、通る」

 

「通すと思うか?」

 

「思わない」

 

 俺は短く答えた。

 

 男が武器を抜くより早く、俺は距離を詰めた。

 

 ほしふるうでわの力は使いすぎない。

 ここで速さを見せすぎる必要はない。

 

 拳で一人の鳩尾を打つ。

 もう一人の手首を取ってひねり、壁へ叩きつける。

 

 二人は声も出せず、その場に崩れた。

 

 殺してはいない。

 

 だが、しばらくは起き上がれないだろう。

 

「すごい……」

 

 リュカが目を丸くする。

 

「今のは真似するな」

 

「できないよ」

 

「ならいい」

 

 俺は遺跡の入口へ向かった。

 

 石の壁は古く、ところどころ苔に覆われている。

 中からは湿った空気が流れてきた。

 

 水の匂い。

 土の匂い。

 魔物の気配。

 

 ボロンゴが低く喉を鳴らす。

 

 リュカも、さっきまでより緊張した顔になっていた。

 

「おとうさん」

 

「何だ?」

 

「ヘンリー王子、ここにいるんだよね」

 

「ああ」

 

「助けられるよね」

 

「助ける」

 

 俺ははっきり言った。

 

 リュカの目が少しだけ落ち着く。

 

 遺跡の中へ入ると、すぐに薄暗い通路が続いていた。

 壁の隙間から水音が響く。

 

 足元は濡れていて滑りやすい。

 五歳のリュカには危険な場所だ。

 

「俺の後ろを歩け。ボロンゴはリュカの横だ」

 

「うん」

 

「ガウ」

 

 少し進んだところで、天井近くから何かが落ちてきた。

 

 丸い目。

 闇に溶けるような身体。

 

 ダークアイ。

 

 こちらを見つめた瞬間、いやな気配が広がる。

 

 催眠か、幻惑か。

 この時期の魔物としては厄介だ。

 

 俺は目を合わせすぎないようにしながら、剣の柄へ手をかけた。

 

「リュカ、見るな」

 

「え?」

 

「目を閉じろ」

 

 リュカが慌てて目を閉じる。

 

 ダークアイが揺れた。

 

 次の瞬間、俺は剣の腹でそれを壁へ叩きつけた。

 闇の塊のような身体が潰れ、床へ落ちる。

 

 完全に動かなくなる前に、奥からさらに気配がした。

 

 今度は水路の方から、長い身体が這い上がってくる。

 

 カパーラナーガ。

 

 蛇のような体をくねらせ、牙を剥いた。

 

 ボロンゴが前へ出ようとする。

 

「待て」

 

「ガウッ」

 

「守れ」

 

 俺が短く言うと、ボロンゴはリュカの横に踏みとどまった。

 

 よし。

 

 今のボロンゴは、突っ込むことより守ることを優先できる。

 

 カパーラナーガが跳びかかる。

 

 俺は半歩下がって軌道をずらし、メタルキングのけんを横へ振るった。

 

 刃ではなく腹で打つ。

 

 カパーラナーガは石壁に叩きつけられ、そのまま水路へ落ちた。

 

 水音が大きく響く。

 

 俺はしばらく耳を澄ませた。

 

 奥から、人の声が聞こえる。

 

 荒い声。

 笑い声。

 そして、かすかに混じる子どもの声。

 

 ヘンリーだ。

 

 リュカも気づいたのだろう。

 顔を上げる。

 

「おとうさん……!」

 

「ああ。近い」

 

「行こう!」

 

「焦るな」

 

「でも!」

 

「ここで足音を立てれば、向こうに気づかれる」

 

 リュカは口を閉じた。

 

 小さな手が、服の裾を強く握っている。

 

 怖いのだろう。

 悔しいのだろう。

 それでも我慢している。

 

「リュカ」

 

「うん」

 

「助けるために、静かに進むんだ」

 

「……うん」

 

 俺たちは通路の奥へ進んだ。

 

 水路に沿って歩く。

 途中には崩れた石柱があり、古い床石が沈みかけている場所もあった。

 

 原作では何度も通った道だ。

 

 だが、今は画面ではない。

 

 石の冷たさも。

 湿った空気も。

 遠くから聞こえるヘンリーの声も。

 

 全部が本物だ。

 

 しばらく進むと、通路の先に灯りが見えた。

 

 松明の光だ。

 

 人影が動いている。

 

 ならず者たちが数人。

 その奥に、鉄格子のようなものが見えた。

 

 俺は壁際に身を寄せた。

 

 リュカとボロンゴも、俺の後ろで息を殺す。

 

 奥から、ヘンリーの声がした。

 

「お前ら、こんなことしてただで済むと思うなよ!」

 

 相変わらず、気だけは強い。

 

 俺は小さく息を吐いた。

 

 無事だ。

 

 少なくとも、今はまだ。

 

 俺はメタルキングのけんの柄へ手をかけた。

 

 ここから先は、原作でも大きく動く場所だ。

 

 ヘンリーを助ける。

 追手が来る。

 逃げる。

 

 その流れは変えない。

 

 だが、出口へ向かうだけでは終わらせない。

 

 俺はリュカへ目を向けた。

 

「ここで――」

 

 待て、と言いかけて、言葉を止めた。

 

 違う。

 

 それが一番危ない。

 

 リュカを俺の視界から外すな。

 手の届かない場所に置くな。

 

 原作の敗因は、そこにある。

 

「リュカ。俺の後ろから離れるな」

 

「え?」

 

「壁際を歩け。俺の背中だけ見ていろ。前に出るな」

 

「……うん」

 

「ボロンゴ。リュカと敵の間に入れ」

 

「ガウ」

 

 ボロンゴがリュカの横に並び、牙を低く見せた。

 

 これでいい。

 

 リュカを置いていくのではない。

 連れていく。

 

 ただし、俺の届く場所から絶対に出さない。

 

 俺は壁際から一歩出た。

 

 ならず者の一人がこちらに気づく。

 

「誰だ――」

 

 最後まで言わせない。

 

 俺はリュカの位置を視界の端に入れたまま、静かに踏み込んだ。

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