ドラゴンクエストⅤ 転生したらパパスだった件。   作:兎深みどり

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第66話『盤面の外』

 冷たい風が頬を打った。

 

 古代の遺跡の湿った空気は消え、足元には硬い土がある。

 見上げると、崩れかけた石の入口がすぐ近くに見えた。

 

 リレミトは成功した。

 

 俺たちは、遺跡の外へ出ていた。

 

「……外?」

 

 ヘンリーが目を見開く。

 

「本当に出たのか?」

 

「ああ」

 

「なんだよ、それ。そんな呪文があるなら、最初から使えばよかったじゃないか」

 

「使う場所を選ぶ」

 

「よく分からん」

 

 ヘンリーは不満そうに言った。

 

 だが、その声はすぐに途切れた。

 

 遺跡の外に広がっていた光景を見たからだ。

 

 そこには、ラインハットの兵がいた。

 

 一人や二人ではない。

 

 槍を構えた歩兵。

 盾を並べた重装兵。

 弓を手にした兵士。

 馬上で周囲を警戒する騎兵。

 

 遺跡を取り囲むように、整然と兵が展開している。

 

 現代の感覚で言えば、一個師団。

 

 追手などという規模ではない。

 まるで、これから戦争でも始めるかのようだった。

 

「な……」

 

 ヘンリーが声を失う。

 

 リュカも俺の服の裾を握ったまま、目を丸くしていた。

 

「おとうさん……これ……」

 

「ああ」

 

 俺は短く答えた。

 

 これが、あの密談の答えだ。

 

 王子がさらわれた。

 敵が動いた。

 ならば、こちらも動く。

 

 あの夜、俺が紙の上で印をつけた一行。

 

 パパスが追う。

 

 原作では、その一行から死へ向かう流れが始まった。

 

 だが、それだけではない。

 

 ヘンリーが奪われたあの日から、ラインハットという国もまた、敵の流れへ乗せられた。

 

 王子は消えた。

 その咎はパパスへ押しつけられた。

 王位を巡る歪みは残り、やがて国は内側から食われていく。

 

 だが、今回は違う。

 

 同じ「追う」でも、今は違う。

 

 俺一人が、敵の用意した盤面へ飛び込むわけではない。

 

 奪われるはずだった王子を取り返すために。

 奪われるはずだった国の未来を守るために。

 

 ラインハットという国そのものが、ここに来ている。

 

 これは仕返しではない。

 

 反撃だ。

 

 ただ追うのではない。

 ただ助けるのでもない。

 

 敵が勝ったと思い込んだ場所を、こちらの戦場へ変える。

 

 兵の列が割れた。

 

 その中央から、一騎の馬が進み出る。

 

 きらびやかな鎧を身につけた男が、馬上からこちらを見下ろしていた。

 

 ラインハット王。

 

 城で見た穏やかな姿とは違う。

 

 今そこにいるのは、息子を案じる父親であり、同時に兵を率いる一国の王だった。

 

「ヘンリー」

 

 王の声が響く。

 

 ヘンリーは、呆然と父を見上げた。

 

「父上……?」

 

「怪我は」

 

「な、ない」

 

「本当だな」

 

「ないって言ってるだろ!」

 

 いつもの生意気な声だった。

 

 その声を聞いた瞬間、王の表情がわずかに揺れた。

 

 だが、彼は馬上から降りなかった。

 

 ここはまだ戦場だ。

 父親の顔だけを見せるわけにはいかない。

 

「よく戻った」

 

 それだけを言った。

 

 ヘンリーは目を逸らす。

 

「別に……パパスが勝手に助けただけだ」

 

「そうか」

 

 王は短く答え、それ以上は言わなかった。

 

 代わりに、近くの兵へ視線を向ける。

 

「王子を後方へ。リュカ殿たちも一緒に守れ」

 

「はっ!」

 

 兵士たちが素早く動く。

 

 ヘンリーが慌てて声を上げた。

 

「待てよ!パパスはどうするんだ!」

 

「パパス王には、まだやるべきことがある」

 

「パパス王……?」

 

 ヘンリーが俺を見た。

 

 リュカも驚いた顔で見上げてくる。

 

「おとうさん?」

 

「話は後だ」

 

 俺はリュカの頭へ手を置いた。

 

「リュカ。ヘンリー王子のそばにいろ」

 

「おとうさんは?」

 

「戻る」

 

「また、あの中に?」

 

「ああ」

 

「ぼくも――」

 

「駄目だ」

 

 即座に言った。

 

 リュカの表情が固まる。

 

「ここにいろ」

 

「でも……」

 

「お前がここにいることが、俺を助ける」

 

 リュカは言葉を失った。

 

 意味は分かっていないだろう。

 だが、俺が本気で言っていることだけは伝わったはずだ。

 

「……ほんと?」

 

「ああ」

 

「ここにいたら、おとうさん助かる?」

 

「助かる」

 

 今度は、はっきり言えた。

 

 リュカが遺跡の中にいない。

 

 それだけで、原作の敗北条件は一つ消える。

 

「約束だよ」

 

「ああ。約束だ」

 

 ボロンゴが低く鳴いた。

 

「ガウ」

 

「ボロンゴ。リュカを頼む」

 

「ガウ!」

 

 ラインハット王が馬上から俺を見る。

 

「パパス王」

 

「はい」

 

「ヘンリーを生きて返せ。そう言ったな」

 

「ああ」

 

 王は一度、ヘンリーへ目を向けた。

 

 兵に守られながらも、ヘンリーはまだこちらを見ている。

 強がっているが、その顔には先ほどまでの恐怖が残っていた。

 

「その約束は果たされた」

 

 王の声が、遺跡の前に響いた。

 

「だが、もう一つ残っている」

 

 俺は王を見上げた。

 

 あの密談の最後。

 王が口にした言葉を思い出す。

 

 ヘンリーを生きて返せ。

 

 そして、そなたも生きて帰るんだ。

 

「そなたも生きて帰るんだ……約束、違えるなよ?」

 

 王は静かに言った。

 

 その声は、王命というより、かつての仲間としての願いだった。

 

 周囲の兵たちは、誰も声を出さなかった。

 

 俺は剣の柄へ手を置き、深く頷く。

 

「承知した」

 

「ならば行け、グランバニア王パパス」

 

 王が片手を上げる。

 

 兵たちが一斉に盾を鳴らした。

 

 低く重い音が、遺跡の前に響き渡る。

 

 原作のパパスは、一人でここへ来た。

 

 だが、今は違う。

 

 俺の背には、息子がいる。

 友となる少年がいる。

 約束を交わした王がいる。

 そして、その王が率いる兵がいる。

 

 俺は遺跡の入口へ向かった。

 

「おとうさん!」

 

 リュカの声が背中に届く。

 

 足を止め、振り返る。

 

「絶対、帰ってきてね!」

 

「ああ」

 

◆

 

 俺は遺跡へは入らなかった。

 

 崩れた石壁の陰に身を寄せ、入口を見張る。

 

 兵たちは動かない。

 

 ラインハット王も、声を上げない。

 

 ここから先は、俺の戦いだ。

 

 夜風が、遺跡の割れた石の間を抜けていく。

 

 その時だった。

 

 空気が、歪んだ。

 

 遺跡の入口近くに、青白い光が浮かぶ。

 

 光は一瞬で膨れ上がり、地面へ落ちるように収束した。

 

 ルーラ。

 

 光の中から、三つの影が現れた。

 

 ひとつは、白い体に紫のたてがみを持つ、馬のような獣人。

 異様に発達した上半身が、松明の光を受けて歪んで見える。

 

 ジャミ。

 

 もうひとつは、猪を思わせる巨体の魔物だった。

 分厚い腕に巨大な刃物を握り、棘のついた盾を重そうに構えている。

 

 ゴンズ。

 

 そして、その中央。

 

 赤紫のローブをまとった、痩せた魔道士のような影が立っていた。

 青白い顔が、遺跡の暗がりを覗き込んでいる。

 

 ゲマ。

 

 忘れるはずがない。

 

 その名を心の中で呼んだだけで、胸の奥に炎が蘇る。

 

「王子はどこです?」

 

 高く、粘つくような声が響いた。

 

 ゲマたちは、遺跡の入口へ向いていた。

 

 こちらには背を向けている。

 

「中で騒ぎがあったようですが」

 

 ジャミが暗がりへ目を凝らす。

 

「奥へ逃げ込んだのではないか?」

 

 ゴンズが鼻を鳴らした。

 

 ゲマはくつくつと笑う。

 

「困りますねえ。大切な客人に逃げられては」

 

 三体はまだ、こちらに気づいていない。

 

 奴らが見ているのは、遺跡の中だ。

 

 自分たちの背後に、俺がいるとは思ってもいない。

 

 俺はメタルキングのけんの柄へ手をかけた。

 

 ほしふるうでわが、腕でかすかに熱を持つ。

 

 原作で俺を殺した場所に、今度は奴らが背を向けて立っている。

 

 銀の刃が、鞘の中で静かに鳴った。

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