ドラゴンクエストⅤ 転生したらパパスだった件。 作:兎深みどり
冷たい風が頬を打った。
古代の遺跡の湿った空気は消え、足元には硬い土がある。
見上げると、崩れかけた石の入口がすぐ近くに見えた。
リレミトは成功した。
俺たちは、遺跡の外へ出ていた。
「……外?」
ヘンリーが目を見開く。
「本当に出たのか?」
「ああ」
「なんだよ、それ。そんな呪文があるなら、最初から使えばよかったじゃないか」
「使う場所を選ぶ」
「よく分からん」
ヘンリーは不満そうに言った。
だが、その声はすぐに途切れた。
遺跡の外に広がっていた光景を見たからだ。
そこには、ラインハットの兵がいた。
一人や二人ではない。
槍を構えた歩兵。
盾を並べた重装兵。
弓を手にした兵士。
馬上で周囲を警戒する騎兵。
遺跡を取り囲むように、整然と兵が展開している。
現代の感覚で言えば、一個師団。
追手などという規模ではない。
まるで、これから戦争でも始めるかのようだった。
「な……」
ヘンリーが声を失う。
リュカも俺の服の裾を握ったまま、目を丸くしていた。
「おとうさん……これ……」
「ああ」
俺は短く答えた。
これが、あの密談の答えだ。
王子がさらわれた。
敵が動いた。
ならば、こちらも動く。
あの夜、俺が紙の上で印をつけた一行。
パパスが追う。
原作では、その一行から死へ向かう流れが始まった。
だが、それだけではない。
ヘンリーが奪われたあの日から、ラインハットという国もまた、敵の流れへ乗せられた。
王子は消えた。
その咎はパパスへ押しつけられた。
王位を巡る歪みは残り、やがて国は内側から食われていく。
だが、今回は違う。
同じ「追う」でも、今は違う。
俺一人が、敵の用意した盤面へ飛び込むわけではない。
奪われるはずだった王子を取り返すために。
奪われるはずだった国の未来を守るために。
ラインハットという国そのものが、ここに来ている。
これは仕返しではない。
反撃だ。
ただ追うのではない。
ただ助けるのでもない。
敵が勝ったと思い込んだ場所を、こちらの戦場へ変える。
兵の列が割れた。
その中央から、一騎の馬が進み出る。
きらびやかな鎧を身につけた男が、馬上からこちらを見下ろしていた。
ラインハット王。
城で見た穏やかな姿とは違う。
今そこにいるのは、息子を案じる父親であり、同時に兵を率いる一国の王だった。
「ヘンリー」
王の声が響く。
ヘンリーは、呆然と父を見上げた。
「父上……?」
「怪我は」
「な、ない」
「本当だな」
「ないって言ってるだろ!」
いつもの生意気な声だった。
その声を聞いた瞬間、王の表情がわずかに揺れた。
だが、彼は馬上から降りなかった。
ここはまだ戦場だ。
父親の顔だけを見せるわけにはいかない。
「よく戻った」
それだけを言った。
ヘンリーは目を逸らす。
「別に……パパスが勝手に助けただけだ」
「そうか」
王は短く答え、それ以上は言わなかった。
代わりに、近くの兵へ視線を向ける。
「王子を後方へ。リュカ殿たちも一緒に守れ」
「はっ!」
兵士たちが素早く動く。
ヘンリーが慌てて声を上げた。
「待てよ!パパスはどうするんだ!」
「パパス王には、まだやるべきことがある」
「パパス王……?」
ヘンリーが俺を見た。
リュカも驚いた顔で見上げてくる。
「おとうさん?」
「話は後だ」
俺はリュカの頭へ手を置いた。
「リュカ。ヘンリー王子のそばにいろ」
「おとうさんは?」
「戻る」
「また、あの中に?」
「ああ」
「ぼくも――」
「駄目だ」
即座に言った。
リュカの表情が固まる。
「ここにいろ」
「でも……」
「お前がここにいることが、俺を助ける」
リュカは言葉を失った。
意味は分かっていないだろう。
だが、俺が本気で言っていることだけは伝わったはずだ。
「……ほんと?」
「ああ」
「ここにいたら、おとうさん助かる?」
「助かる」
今度は、はっきり言えた。
リュカが遺跡の中にいない。
それだけで、原作の敗北条件は一つ消える。
「約束だよ」
「ああ。約束だ」
ボロンゴが低く鳴いた。
「ガウ」
「ボロンゴ。リュカを頼む」
「ガウ!」
ラインハット王が馬上から俺を見る。
「パパス王」
「はい」
「ヘンリーを生きて返せ。そう言ったな」
「ああ」
王は一度、ヘンリーへ目を向けた。
兵に守られながらも、ヘンリーはまだこちらを見ている。
強がっているが、その顔には先ほどまでの恐怖が残っていた。
「その約束は果たされた」
王の声が、遺跡の前に響いた。
「だが、もう一つ残っている」
俺は王を見上げた。
あの密談の最後。
王が口にした言葉を思い出す。
ヘンリーを生きて返せ。
そして、そなたも生きて帰るんだ。
「そなたも生きて帰るんだ……約束、違えるなよ?」
王は静かに言った。
その声は、王命というより、かつての仲間としての願いだった。
周囲の兵たちは、誰も声を出さなかった。
俺は剣の柄へ手を置き、深く頷く。
「承知した」
「ならば行け、グランバニア王パパス」
王が片手を上げる。
兵たちが一斉に盾を鳴らした。
低く重い音が、遺跡の前に響き渡る。
原作のパパスは、一人でここへ来た。
だが、今は違う。
俺の背には、息子がいる。
友となる少年がいる。
約束を交わした王がいる。
そして、その王が率いる兵がいる。
俺は遺跡の入口へ向かった。
「おとうさん!」
リュカの声が背中に届く。
足を止め、振り返る。
「絶対、帰ってきてね!」
「ああ」
◆
俺は遺跡へは入らなかった。
崩れた石壁の陰に身を寄せ、入口を見張る。
兵たちは動かない。
ラインハット王も、声を上げない。
ここから先は、俺の戦いだ。
夜風が、遺跡の割れた石の間を抜けていく。
その時だった。
空気が、歪んだ。
遺跡の入口近くに、青白い光が浮かぶ。
光は一瞬で膨れ上がり、地面へ落ちるように収束した。
ルーラ。
光の中から、三つの影が現れた。
ひとつは、白い体に紫のたてがみを持つ、馬のような獣人。
異様に発達した上半身が、松明の光を受けて歪んで見える。
ジャミ。
もうひとつは、猪を思わせる巨体の魔物だった。
分厚い腕に巨大な刃物を握り、棘のついた盾を重そうに構えている。
ゴンズ。
そして、その中央。
赤紫のローブをまとった、痩せた魔道士のような影が立っていた。
青白い顔が、遺跡の暗がりを覗き込んでいる。
ゲマ。
忘れるはずがない。
その名を心の中で呼んだだけで、胸の奥に炎が蘇る。
「王子はどこです?」
高く、粘つくような声が響いた。
ゲマたちは、遺跡の入口へ向いていた。
こちらには背を向けている。
「中で騒ぎがあったようですが」
ジャミが暗がりへ目を凝らす。
「奥へ逃げ込んだのではないか?」
ゴンズが鼻を鳴らした。
ゲマはくつくつと笑う。
「困りますねえ。大切な客人に逃げられては」
三体はまだ、こちらに気づいていない。
奴らが見ているのは、遺跡の中だ。
自分たちの背後に、俺がいるとは思ってもいない。
俺はメタルキングのけんの柄へ手をかけた。
ほしふるうでわが、腕でかすかに熱を持つ。
原作で俺を殺した場所に、今度は奴らが背を向けて立っている。
銀の刃が、鞘の中で静かに鳴った。