ドラゴンクエストⅤ 転生したらパパスだった件。 作:兎深みどり
刃を抜く音は、夜風に紛れた。
ルーラの光の名残が、まだ地面に薄く残っている。
青白い魔力の残滓は、崩れた石畳の上でかすかに揺れ、すぐに夜の闇へ溶けていった。
三体はまだ、こちらに気づいていない。
ジャミは遺跡の暗がりを覗き込み、ゴンズは入口を塞ぐように立っている。
ゲマはその中央で、楽しげに笑っていた。
奴らは、まだ中を見ている。
王子も、俺も、まだ遺跡の中にいると思っている。
違う。
俺は外にいる。
奴らの背後にいる。
原作では、ここで詰んだ。
出口を塞がれ、リュカを人質に取られ、剣を捨てさせられた。
どれだけ強くても、父親である限り動けなくなる場所だった。
だが、今は違う。
リュカは外にいる。
ヘンリーも外にいる。
人質は、もうあいつらの手の中にない。
そして俺は、ゲマたちの背後にいる。
ほしふるうでわへ意識を通した。
腕輪が、かすかに熱を持つ。
世界の音が遠のいた。
風の音。
兵たちの鎧が触れ合う微かな音。
遠くでボロンゴが喉を鳴らす音。
その全部が、薄い膜の向こう側へ沈んでいく。
残るのは、自分の呼吸と、敵の背中だけだった。
最初はジャミ。
ゲマのすぐ脇に立つ、白い獣人。
こいつに声を上げられれば、奇襲は終わる。
ゲマに一瞬でも時間を与えれば、何をされるか分からない。
順番を間違えるな。
ジャミ。
ゴンズ。
そして、ゲマ。
ここで手を鈍らせれば、今まで変えてきたものが全部無駄になる。
迷うな。
ここにいるのは人間ではない。
牢に放り込んだならず者たちとは違う。
原作でパパスを嬲り、リュカの人生を奪った魔物だ。
一歩。
足音を殺す必要すらなかった。
ほしふるうでわで引き上げられた速度に、奴らの反応が追いついていない。
白い背中へ届く。
紫のたてがみが、夜風に揺れた。
その瞬間、ジャミがほんのわずかに耳を動かした。
本能か。
殺気を感じたのか。
だが、遅い。
メタルキングのけんが走った。
銀の刃が、ジャミの首筋へ入る。
手応えはあった。
だが、重くはない。
刃は硬い肉を裂き、そのまま抜けた。
ジャミの口が開く。
声は出なかった。
白い身体が、糸を切られた人形のように崩れる。
「――?」
ゴンズが反応した。
さすがに、隣にいる仲間が倒れれば気づく。
猪のような頭がこちらを向き、濁った目が俺を捉えかけた。
分厚い腕が持ち上がり、巨大な刃物が動く。
棘のついた盾も、遅れてこちらへ向いた。
まともに受ければ、ただでは済まない。
あの膂力で振り下ろされれば、メタルキングのけんで受けても腕ごと持っていかれる。
盾で押し潰されれば、骨が砕ける。
だが、振らせなければいい。
返す刃で踏み込む。
二閃目。
ゴンズの盾が上がりきるより早く、俺の剣が首元へ届いた。
分厚い皮膚。
太い筋肉。
獣の熱。
刃が食い込む。
ゴンズが吠えようとした。
その声ごと、剣で断つ。
巨体が傾いた。
地面が揺れる。
倒れたゴンズの重みで、崩れた石の欠片が跳ねた。
ジャミ。
ゴンズ。
原作でパパスを痛めつけた二体は、悲鳴を上げる暇もなく沈んだ。
兵たちが、息を呑む気配がした。
誰も動かない。
王も命じない。
分かっているのだ。
ここで兵が前へ出れば、戦場が乱れる。
ゲマが誰を狙うか分からなくなる。
守るべきものが増えれば、それだけ俺の剣は鈍る。
だから、動かない。
俺が頼んだ通りに。
ラインハット王は、約束を守っている。
残ったのは、一体だけ。
ゲマが振り返った。
それは、決して遅い動きではなかった。
ただ、俺の目にはそう見えただけだ。
赤紫のローブ。
青白い顔。
細い目。
薄く歪んだ口元。
その笑みが、ほんの少しだけ消えていた。
「……これは」
ゲマは倒れた二体を見た。
まずジャミ。
次にゴンズ。
それから、俺。
最後に、その向こうへ視線を流す。
遺跡の外。
整然と並ぶラインハットの兵。
馬上のラインハット王。
兵に守られたヘンリー。
リュカ。
ボロンゴ。
ゲマの目が細くなった。
「ほう」
怒りではない。
驚きでもない。
面白いものを見つけたような声だった。
「王子を外へ出し、兵を並べ、私たちが来る場所に先回りする」
ゲマはくつくつと笑った。
「なかなか手の込んだことをなさいますねえ」
「ゲマ、お前を逃がすつもりはない」
「お前、ですか」
ゲマの口元が、また歪む。
「名乗った覚えはありませんが」
「そうだな…だが、俺は知っている」
俺は剣を構えた。
「ゲマ」
その名を口にした瞬間、胸の奥で何かが熱くなる。
怒り。
恐怖。
記憶。
灰の中で泣く幼いリュカ。
その光景だけで十分だった。
「おやおや」
ゲマは細い肩を揺らした。
「ずいぶんと憎まれているようですねえ」
「憎みきるには、時間が足りない」
「それは光栄です」
ゲマは倒れたジャミとゴンズへ、ちらりと視線を落とした。
仲間を失った悲しみなど、そこにはない。
惜しむ様子もない。
あるのは計算だけだった。
二体を一息で斬った相手。
王子を外へ逃がした相手。
兵をここまで連れてきた相手。
その全部を、今この瞬間に測っている。
「なるほど」
ゲマが言った。
「ただ腕力だけの剣士ではありませんか」
「試してみるか」
「ええ」
ゲマの口元に、笑みが戻る。
だが、さっきまでとは違う。
そこには、初めて警戒の色が混じっていた。
「確かめさせていただきましょう」
ゲマの指先に、赤い光が灯る。
周囲の空気が、じわりと熱を帯びた。
メラではない。
もっと濃い。
もっと重い。
火球の中心に、魔力が圧縮されていく。
メラミ。
赤い光が膨れ上がり、夜の遺跡の前を炎で照らす。
リュカが息を呑む気配がした。
振り返るな。
俺が振り返れば、ゲマはそこを見る。
そこを見れば、狙う。
だから見ない。
俺はゲマだけを見る。
炎が迫る。
試練の洞窟で見たメッサーラのメラミを思い出す。
あの時は、斬ったというより逸らしただけだった。
炎の形を崩し、熱の向きを変え、どうにか身を焼かれずに済ませた。
だが、それだけでは足りない。
炎にも流れがある。
流れには芯がある。
炎の外側を見るな。
赤く燃える形を見るな。
どこから魔力が生まれ、どこへ集まり、どの一点が火球を火球として保っているのかを見る。
だが、焦るな。
これはまだ、メラゾーマではない。
ゲマが本当に俺を焼き殺すために放つ炎ではない。
これは探りだ。
なら、こちらも確かめる。
しんくう斬りが炎に届くのか。
試練の洞窟で掴んだ感覚が、ゲマのメラミにも通じるのか。
メタルキングのけんへ魔力を流す。
竜紋の手甲が熱を帯びた。
刃の先に、薄い真空を作る。
風を斬るために生まれた技。
だが、魔力の流れを断つという一点では同じだ。
炎の芯が、見えた。
ゲマの火球が迫る。
俺は一歩、前へ出た。