ドラゴンクエストⅤ 転生したらパパスだった件。   作:兎深みどり

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第69話『修正力』

 赤い火球が、俺の胸元へ迫った。

 

 腕が上がらない。

 

 肩の傷が引きつり、胸の奥の痛みが呼吸を奪う。

 足も動かない。

 

 間に合わない。

 

 ゲマの笑みが、炎の向こうで歪んだ。

 

「終わりです」

 

 その時だった。

 

「バギ!」

 

 声は、遠くからではなかった。

 

 すぐ後ろ。

 

 俺の背中から、数歩の距離。

 

 小さな風の刃が走り、迫っていたメラミの端を叩いた。

 

 火球は消えない。

 斬れもしない。

 

 だが、ほんのわずかに軌道がずれた。

 

 それだけで十分だった。

 

 赤い火球が、俺の胸を外れる。

 肩口を焼き、背後の石畳へぶつかって弾けた。

 

「ぐっ……!」

 

 熱が皮膚を裂く。

 服が焦げ、鼻の奥に焼けた匂いが刺さる。

 

 だが、生きている。

 

 俺は倒れなかった。

 

「おとうさん!」

 

 振り返った。

 

 そこに、リュカがいた。

 

 兵の後ろではない。

 俺のすぐ後ろまで来ていた。

 

 どうのつるぎを握りしめ、顔を青ざめさせながら、それでも俺を見ている。

 

 小さな胸が、荒く上下していた。

 

 誰かが止めるより早く、盾の脇をすり抜けてきたのだ。

 ボロンゴだけが、その動きに追いついていた。

 

「リュカ……!」

 

 来るな、と言おうとした。

 

 ここにいろと言っただろう、と叱ろうとした。

 

 約束したはずだ。

 お前がそこにいることが、俺を助けるのだと。

 

 だが、その声は出なかった。

 

 リュカの手が震えていた。

 

 どうのつるぎを握る指は白くなり、目には涙が浮かんでいる。

 怖くないはずがない。

 ゲマを見て、炎を見て、俺が倒れかけるのを見て。

 

 それでも、この子は走ってきた。

 

 約束を破るためではない。

 

 俺を、死なせないために。

 

「ベホイミ!」

 

 光が、俺の身体を包んだ。

 

 ホイミではない。

 

 もっと深い。

 もっと強い。

 傷の奥へ届く光だった。

 

 胸の痛みが引いていく。

 焼けた肩に、熱とは違う温かさが広がっていく。

 乱れていた呼吸が、少しずつ戻る。

 

 ベホイミ。

 

 いつの間に。

 

 いつの間に、そんな呪文まで覚えた。

 

 俺はずっと、守ることばかり考えていた。

 危ないものから遠ざけることばかり考えていた。

 

 だが、リュカはただ守られるだけの子どもではなかった。

 

 震えながら。

 泣きそうになりながら。

 

 それでも、父親を助けるために、ここまで来た。

 

 原作の流れにはなかった一手。

 

 俺が紙に書いた勝ち筋にもなかった一手。

 

 俺がこの世界でリュカと生きてきたからこそ、ここに生まれた一手だった。

 

「おとうさん、死なないで……!」

 

 その声が、胸に刺さった。

 

 ああ。

 

 死なない。

 

 死ねるわけがない。

 

 ボロンゴが、リュカの横で低く唸った。

 

「ガルルル……!」

 

 小さな身体を低く構え、牙を剥く。

 

 まだ子どもだ。

 

 それでも、その唸りには獣の王の片鱗があった。

 

 リュカとゲマの間に立ち、いつでも飛びかかれる姿勢を取っている。

 

 ゲマの視線が、リュカへ向いた。

 

 次に、ボロンゴへ。

 

 細い目が、さらに細くなる。

 

「風の呪文を使う子どもに……キラーパンサーの仔ですか」

 

 ゲマはくつくつと笑った。

 

 だが、その笑いには、さっきまでになかった棘が混じっていた。

 

「ずいぶんと面白いものを隠していましたねえ」

 

「下がれ、リュカ」

 

 俺は低く言った。

 

「今すぐ下がれ」

 

「いやだ!」

 

 リュカは首を振った。

 

「おとうさん、死んじゃうと思ったんだ!」

 

 その一言で、ゲマの笑みが深くなった。

 

 まずい。

 

 今ので、分かってしまった。

 

 ゲマは見逃さない。

 

 俺が何に反応するのか。

 何を守ろうとするのか。

 何を失えば、剣を止めるのか。

 

「なるほど」

 

 ゲマが言った。

 

「よいものを見せていただきました」

 

 俺は踏み込もうとした。

 

 その足より早く、ゲマの指先が動いた。

 

 赤い光が灯る。

 

 違う。

 

 メラミではない。

 

 遺跡の前の冷たい夜気が、一瞬で乾いた。

 石畳の隙間に残っていた湿り気が、白く煙を上げる。

 兵たちがざわめいた。

 

 熱い。

 

 まだ放たれてもいないのに、熱い。

 

 ゲマの指先に集まる炎は、さっきまでのメラミとはまるで違っていた。

 

 赤い。

 深い。

 重い。

 

 火球というより、燃える太陽の欠片だった。

 

 メラゾーマ。

 

 その炎を、俺は知っている。

 

 原作でパパスを焼いた炎。

 

 リュカの目の前で、パパスを灰にした炎。

 

 ゲマの指先は、俺へ向いている。

 

 だが、その直線の先に、リュカがいる。

 

 俺が避ければ、炎はリュカへ届く。

 

 受ければ、俺が焼ける。

 

 反らせば、どこへ飛ぶか分からない。

 兵がいる。

 ヘンリーがいる。

 ボロンゴがいる。

 

 しんくう斬りでは駄目だ。

 

 メラミとは違う。

 

 この炎は、ただ芯をかすめて逸らせるようなものではない。

 外側を裂いても、内側の熱が押し潰してくる。

 受け止めれば、剣ごと腕が焼ける。

 

 逃げ場はない。

 

 原作通りなら、ここで死ぬ。

 

 そういう場面だった。

 

 どれだけパパスが強くても。

 どれだけプレイヤーがボタンを押しても。

 ここでは助からない。

 

 戦闘ではない。

 

 イベントだ。

 

 ゲマが笑う。

 パパスが動けなくなる。

 メラゾーマが飛ぶ。

 リュカが泣く。

 

 決まっていた流れ。

 変えられない画面。

 何度見ても、何度やり直しても、同じ結末へ落ちる場所。

 

 だが、今は違う。

 

 俺は画面の外にいない。

 

 この炎の前にいる。

 この剣を握っている。

 リュカの声を、背中で聞いている。

 

 しかも今回は、リュカまで巻き込んでいる。

 

 ふざけるな。

 

 そんな結末のために、ここまで来たんじゃない。

 

 ゲマが笑った。

 

「まとめて燃え尽きなさい」

 

 メラゾーマが放たれた。

 

 夜が赤く染まる。

 

 炎が迫る。

 

 熱が肌を焼く。

 目が乾く。

 息が焦げる。

 

 逃げるな。

 

 受けるな。

 

 反らすな。

 

 斬れ。

 

 これは、ゲームの知識だけで届く一撃ではない。

 

 知っているだけでは、何も変わらなかった。

 

 メタルキングのけんを手に入れた。

 竜紋の手甲を得た。

 ほしふるうでわを使いこなした。

 バーハを覚えた。

 ホイミで何度も立ち上がった。

 

 ホークブリザードの吹雪を裂いた。

 

 ザラキの黒い魔力を、完全ではなくても下へ届かせなかった。

 

 未来のリュカのバギを裂いた。

 バギマを受けた。

 バギクロスの暴風へ踏み込み、その芯を断った。

 

 試練の洞窟で、メラミを見た。

 炎にも流れがあると知った。

 だが、あの時は逸らしただけだった。

 

 ゲマのメラミも斬った。

 それでも、完全には消せなかった。

 

 だが、全部がここへ繋がっている。

 

 魔力には流れがある。

 

 流れには芯がある。

 

 風も。

 吹雪も。

 死の呪文も。

 炎も。

 

 形は違う。

 熱も違う。

 重さも違う。

 

 それでも、呪文である限り、魔力の流れがある。

 

 なら、断てる。

 

 断つしかない。

 

 俺はメタルキングのけんを握り直した。

 

 竜紋の手甲が熱を帯びる。

 ほしふるうでわが、腕の中で脈打つように輝いた。

 

 速さだけでは足りない。

 

 力だけでも足りない。

 

 研ぎ澄ませ。

 

 刃を。

 呼吸を。

 魔力を。

 今まで積み上げてきたすべてを。

 

 炎の外側を見るな。

 赤く燃える形を見るな。

 熱に怯えるな。

 

 奥だ。

 

 もっと奥。

 

 炎を炎として立たせている一点。

 

 そこへ、刃を届かせる。

 

 メラゾーマが眼前に迫る。

 

 原作の炎が迫る。

 

 リュカを泣かせる未来が迫る。

 

 俺は踏み込んだ。

 

 名などなかった。

 

 だが、この一撃を呼ぶなら、それしかない。

 

「―――火炎斬り!!」

 

 刃が、炎の芯へ入った。

 

 世界が白く弾けた。

 

 熱も音も消える。

 

 一瞬、何も聞こえなかった。

 

 次の瞬間。

 

 メラゾーマが裂けた。

 

 炎が左右へ割れる。

 

 消えたのではない。

 押し返したのでもない。

 逸らしたのでもない。

 

 斬った。

 

 真正面から。

 

 炎の奥にいたゲマの目が、大きく見開かれる。

 

 初めて。

 

 初めて、その顔から笑みが消えた。

 

「な……」

 

 俺は止まらない。

 

 割れた炎の間を抜ける。

 

 熱が身体を焼く。

 頬が裂ける。

 肩の傷が開く。

 

 だが、止まらない。

 

 ほしふるうでわで引き上げられた速度が、世界を置き去りにする。

 

 ゲマが後ろへ下がろうとした。

 

 遅い。

 

 メタルキングのけんを構える。

 

 青白い顔が、眼前に迫る。

 

 ここで終わらせる。

 

 刃が、ゲマへ届いた。

 

 赤紫のローブが裂ける。

 青白い身体に、深い線が走る。

 

 確かに斬った。

 

 ゲマの身体が、大きく揺らいだ。

 

 終わる。

 

 そう思った。

 

 その瞬間だった。

 

 ゲマが笑った。

 

 笑うはずのない傷で。

 

 倒れるはずの身体で。

 

 喉の奥から、ひび割れた笑い声が漏れる。

 

「く……くく……」

 

 何だ。

 

 空気が軋んだ。

 

 遺跡の石が震える。

 地面に落ちたジャミとゴンズの影が、黒く揺れる。

 斬ったはずの炎が、消えずに空中で蠢いた。

 

 初めてではない。

 

 レヌール城で感じた、原作にはなかった魔界の気配。

 妖精の村の旅に現れたホークブリザード。

 起こるはずのないことが、何度も俺の前に立ちはだかった。

 

 そのたびに俺は、そういうものだと思おうとした。

 

 この世界はゲームそのものではない。

 俺が動けば、敵も動く。

 原作を知っているだけで、すべてが思い通りになるはずがない。

 

 そう考えてきた。

 

 だが、違う。

 

 これは偶然のズレではない。

 

 俺が原作を変えたからだ。

 

 パパスがここで死ぬはずだった流れを、俺が壊そうとしているからだ。

 

 レヌール城で。

 ホークブリザードで。

 これまで何度も、魔界の影は俺を原作の流れへ押し戻そうとしていた。

 

 そして今。

 

 ゲマを斬り、メラゾーマを斬り、パパスの死を越えようとしたこの瞬間。

 

 それが、はっきりと形を取った。

 

 ゲマが両腕を広げる。

 

 裂けた胸から、黒い魔力が噴き上がった。

 

 細い目が、狂ったように見開かれる。

 

「我が主、ミルドラース様!!」

 

 ゲマの叫びが、夜を裂いた。

 

「この私に力を!!!」

 

 黒い魔力が、空から落ちた。

 

 俺の剣が、ゲマを断ち切る直前。

 

 見えない何かが、壊したはずの筋書きを押し戻す。

 

 パパスは、ここで死ぬ。

 

 そう定められていた物語が、俺の首に手をかける。

 

 これが、修正力。

 

 原作を変えた俺を、原作へ戻すための力。

 

 俺が初めて原作の死を斬った瞬間、これまで影のように付きまとっていたものが、はっきりと牙を剥いた。

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