ドラゴンクエストⅤ 転生したらパパスだった件。 作:兎深みどり
宿の中は、昼間とは違う静けさに包まれていた。
灯りは最低限。
食堂の椅子は片づけられ、奥の部屋からは小さな寝息が聞こえる。
ここには、ビアンカ親子も泊まっているはずだ。
起こすつもりはない。
今夜動くのは、俺だけでいい。
受付にいた宿の主人が、眠そうな顔を上げた。
「こんな夜に、どうされました?」
「少し人を探している」
「人、ですか?」
「ああ。ルラフェンから来た者、あるいはルラフェンへ行ったことのある者だ。商人でも旅人でもいい」
宿の主人は目をこすりながら、少し考え込んだ。
「ルラフェンですか……ああ、そういえば」
「心当たりがあるのか?」
「今夜、ルラフェンから来る予定の行商の方がいたんです。薬草や香料を扱っている方で、何度かこの宿にも泊まっています」
「その者は?」
「それが、まだ着いていないんです」
宿の主人の顔に、不安が混じった。
「いつもなら日が落ちる前には着く方なんですが、今日は妙に遅くて」
「道中で何かあったかもしれないな」
「ええ。アルカパとサンタローズの間の道を通って来るはずなんですが、この時間に外へ出るのは危険です。魔物も出ますし……」
「分かった」
「パパスさん?」
「少し見てくる」
「ですが、夜ですよ」
「だからだ」
宿の主人は言葉を詰まらせた。
だが、俺の顔を見て、無理に止めても無駄だと悟ったのだろう。
「……分かりました。どうかお気をつけて」
「ああ。すぐ戻る」
俺は荷を確かめた。
布で包んだ天空の剣。
サンチョから受け取ったキメラの翼。
少しばかりの金。
そして、腰の剣。
キメラの翼は、行きたい場所を自由に選べる道具ではない。
最後に訪れた町へ戻るための道具だ。
だから、俺がこの翼を使っても、ルラフェンへ飛ぶことはできない。
俺が使えば、戻る先は今いる町になる。
だからこそ、任意の町へ飛べるルーラには価値がある。
だが、もし。
ルラフェンから来た商人が、まだポートセルミにもアルカパにも入っていないのなら。
その男にとって、最後に訪れた町はルラフェンのままかもしれない。
そして、キメラの翼が使った者を最後に訪れた町へ戻す道具なら、俺の持つ翼でも、商人が使えばルラフェンへ戻れる可能性がある。
考えとしては危うい。
だが、確認する価値はある。
俺は宿を出た。
夜のアルカパは静かだった。
町の灯りは少なく、遠くで虫の声がしている。
昼間なら穏やかな道も、夜になればまるで別物だ。
森の影が濃い。
風の音に、何かの気配が混じる。
俺は足を速めた。
町の外へ出て、サンタローズ方面へ続く道へ向かう。
しばらく進んだところで、耳に音が届いた。
荷が落ちる音。
男の悲鳴。
そして、魔物の唸り声。
「いたか」
俺は駆け出した。
アルカパとサンタローズの間の道。
その脇に、小さな木箱と布袋が散らばっていた。
薬草らしき束が踏み荒らされ、香料の包みが破れている。
荷は軽い物ばかりだ。
薬草。
香料。
小瓶に詰められた油。
旅の商人が背負って運べる程度の品だ。
その荷を背にして、旅装束の商人が後ずさっていた。
商人の前には、数体の魔物。
月明かりを受けて、牙が白く光っている。
「来るな、来るな!」
商人が震える声を上げる。
魔物の一体が飛びかかった。
その前に、俺は剣を抜いた。
一閃。
魔物の身体が弾かれる。
続けて踏み込み、二体目を斬り伏せる。
残った魔物がこちらを見た。
獲物を見る目から、敵を見る目に変わる。
「悪いな」
俺は剣を構え直した。
「急いでいるんだ」
次の瞬間、魔物たちが一斉に飛びかかってきた。
だが、遅い。
パパスの身体は重い。
けれど、その重さは鈍さではない。
踏み込めば地面が鳴る。
剣を振れば、空気が裂ける。
一体。
二体。
三体。
最後の魔物が逃げようとしたところを、横薙ぎに払う。
静けさが戻った。
商人はその場に腰を抜かしていた。
「……た、助かった……」
「怪我は?」
「かすり傷だけです。ですが、あなたは……」
「パパスだ。宿で、ルラフェンから来る商人が遅れていると聞いた」
「パパスさん……!」
商人の顔に、驚きと安堵が広がった。
「あなたが、あのパパスさんですか」
「ああ。立てるか?」
「はい。なんとか」
商人は震える足で立ち上がった。
荷の一部は荒らされていた。
薬草は踏み潰され、香料の包みは破れている。
無事な品もある。
だが、この状態では、今夜アルカパに着いてもまともな商売にはならないだろう。
俺は周囲を確認しながら、商人の荷を拾った。
「ルラフェンから来たのか?」
「ええ。薬草と香料を持って、アルカパへ向かっていました」
「ポートセルミには寄ったのか?」
「いいえ。あちらの港や船を使うと高くつきますからね。港町には入らず、近くの漁師に頼んで途中まで小舟に乗せてもらっただけです」
「アルカパには?」
「まだ入っていません。町に入る前に、この有様です」
「なら、最後に入った町は?」
「ルラフェンです」
十分だ。
ポートセルミには入っていない。
アルカパにも、まだ入っていない。
なら、この男にとって最後に訪れた町は、ルラフェンのままだ。
「商品は?」
商人は、地面に散らばった薬草と香料を見た。
「見ての通りです。全部ではありませんが、かなりやられました。この状態では、アルカパで売るのは難しいでしょう」
「一度、ルラフェンへ戻るしかないか」
「ええ。仕入れ直しですね。ですが、この距離を戻るのは……」
「キメラの翼がある」
商人は、はっとしたように俺を見た。
「パパスさんが、お持ちなのですか?」
「ああ。サンチョから受け取った物が一枚ある」
「ですが、パパスさんが使えば、戻る先はここになるのでは?」
「そうだ。俺が使えばな」
俺は荷からキメラの翼を取り出した。
「だが、あなたが使えばどうなる?」
商人は息を呑んだ。
「私が使えば……戻る先は、ルラフェン」
「そういうことだ」
「けれど、それはパパスさんの翼でしょう?」
「翼の持ち主が誰かは問題ではない。使った者がどこへ戻るかだ」
商人は、俺の手の中の翼を見つめた。
「では、私がその翼を使い、パパスさんが同行する形にする、と?」
「ああ」
キメラの翼は、一人だけを運ぶ道具ではない。
旅の仲間がいれば、共に戻ることができる。
ただし、荷をすべて運べるわけではない。
ここに残す商品も出る。
だからこそ、俺は金の入った袋を取り出した。
「無理にとは言わない。命を助けた礼を強要するつもりもない」
俺は金袋を商人へ差し出す。
「だが、商品の損失は俺が埋める。ルラフェンまで連れて行ってほしい」
商人は黙った。
夜道。
魔物。
荒らされた商品。
命を助けられた直後。
そして、パパスの持つキメラの翼を使ってルラフェンへ戻れと言われている。
普通なら迷う。
当然だ。
「なぜ、そこまでしてルラフェンへ?」
「会いたい人がいる」
「誰です?」
「ベネットという老人だ」
商人の眉が動いた。
「ああ、あの変わり者のじいさんですか」
「知っているのか?」
「町では有名です。妙な研究ばかりしている方でね。最近も、空を飛ぶ呪文だか何だかの話をしていました」
当たりだ。
ベネットじいさん。
ルラムーン草。
ルーラ。
流れが、少しずつ形になっていく。
いや。
流れすぎている。
都合が良すぎる。
ルラフェンへ行く手段を探していた夜に、ルラフェンから来るはずの商人が遅れている。
その商人が魔物に襲われている。
商品がやられ、一度ルラフェンへ帰る理由ができている。
そして、俺の手元にはサンチョから受け取ったキメラの翼がある。
まるで、誰かが道を用意したみたいだ。
ご都合主義。
そう笑い飛ばすには、あまりにも出来すぎている。
この世界には、原作という流れがある。
俺がそれを知っている以上、偶然に見える出来事にも意味があるのかもしれない。
ただの幸運か。
それとも、この世界の何かが、俺をルラフェンへ導いているのか。
分からない。
今は、分からない。
だが、使えるものは使う。
立ち止まっている時間はない。
「その人に用がある」
「……パパスさん。何をしようとしているんです?」
商人の声には、好奇心より警戒があった。
正直に全部は言えない。
未来を知っている。
ゲマと戦う準備をしている。
息子が奴隷になる未来を潰す。
そんな話をすれば、ただの危ない男だ。
「急ぎの旅の支度だ」
短く答える。
「明日から動くことになる。今夜のうちに、できることを済ませておきたい」
商人は俺の顔をじっと見た。
嘘ではない。
ただ、全部ではない。
やがて商人は、小さく息を吐いた。
「分かりました」
「いいのか?」
「命を助けられましたからね。それに、商品もこの状態です。今夜このままアルカパへ入っても、商売にはなりません」
商人は地面に散らばった品を見て、苦笑した。
「一度ルラフェンへ戻って、仕入れ直した方がいいでしょう」
「すまない」
「いえ。パパスさんに恩を売れるなら、悪い話でもありません」
「礼は必ずする」
「期待していますよ」
商人は、俺からキメラの翼を受け取った。
サンチョから受け取った、俺の翼だ。
だが、今それを使うのは俺ではない。
最後に訪れた町がルラフェンである、この商人だ。
「ただし、私はルラフェンまでです。町に着いたら、すぐ宿へ入らせてもらいます」
「それでいい」
「帰りはどうされるんです?」
「こちらで何とかする。あなたを帰りまで付き合わせるつもりはない」
「無茶な方だ」
「よく言われる」
前世では、たぶん言われたことはない。
動かなかったからだ。
だが今の俺は、動くしかない。
商人は残った荷の中から必要最低限のものだけを背負った。
散らばった薬草と香料は、そのままにはできない。
俺は使える包みを拾い集め、破れた袋を布で縛った。
持ちきれない分は、街道脇の木陰へ寄せ、魔物に荒らされにくいように枝をかぶせる。
「後で人を寄こす」
「助かります」
「こちらこそ、無理を言っている」
「いえ。命があっただけでも幸運です」
商人はキメラの翼を掲げた。
「では、私の手を」
俺はその腕をつかんだ。
夜の街道に、風が吹いた。
羽が淡く光る。
ただの道具ではない。
魔力の流れが、周囲の空気を巻き込んでいく。
商人が目を閉じた。
「戻れ、ルラフェンへ」
その言葉に合わせて、翼が強く輝いた。
次の瞬間、足元の感覚が消えた。
風が巻き上がる。
視界が白く揺れる。
身体が空へ引き上げられるような感覚。
胃が浮く。
これは慣れない。
前世で遊園地の絶叫マシンが苦手だったことを、こんなところで思い出すとは思わなかった。
叫ぶな。
パパスだぞ。
次に足が地面を踏んだ時、空気の匂いが変わっていた。
草の匂い。
湿った土。
そして、薬草の強い香り。
目の前には、夜の町並みが広がっていた。
ルラフェン。
来た。
本当に来た。
商人が少しふらつきながら、壁に手をついた。
「……着きましたね」
「ああ。助かった」
商人は、使い終えたキメラの翼の残りを見た。
淡い光を失った羽は、指先で崩れるように消えていく。
「貴重な物を使わせてしまいましたね」
「必要なことだった」
「私は宿へ行きます。パパスさんも、無茶はほどほどに」
「礼は必ずする」
「ええ。期待していますよ」
商人は苦笑して、夜の町へ歩いていった。
俺はルラフェンの町を見上げる。
ベネットじいさん。
ルラムーン草。
ルーラ。
ここからが本番だ。
まだ夜は終わっていない。