ドラゴンクエストⅤ 転生したらパパスだった件。   作:兎深みどり

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第8話『ルラフェンを知る男』

 宿の中は、昼間とは違う静けさに包まれていた。

 

 灯りは最低限。

 食堂の椅子は片づけられ、奥の部屋からは小さな寝息が聞こえる。

 

 ここには、ビアンカ親子も泊まっているはずだ。

 

 起こすつもりはない。

 今夜動くのは、俺だけでいい。

 

 受付にいた宿の主人が、眠そうな顔を上げた。

 

「こんな夜に、どうされました?」

 

「少し人を探している」

 

「人、ですか?」

 

「ああ。ルラフェンへ行ったことのある者だ。商人でも旅人でもいい」

 

 宿の主人は目をこすりながら、少し考え込んだ。

 

「ルラフェンですか……ああ、そういえば、行商の方がひとり泊まってますよ。あの人なら、そちらの方面から来たと言っていました」

 

「会えるか?」

 

「もう休まれていると思いますが……パパスさんの頼みなら、声だけかけてみましょう」

 

「すまない」

 

 主人は奥の客室へ向かった。

 

 待っている間、俺は荷の中身を確かめる。

 

 布で包んだ天空の剣。

 サンチョから受け取ったキメラの翼。

 少しばかりの金。

 

 ゲームなら、道具欄を開けば済む。

 だが現実では、一つ一つの重さがある。

 

 キメラの翼も、ただの便利アイテムではない。

 使い方を間違えれば、どこへ飛ぶか分からない。

 

 だから、ルラフェンを知る人間がいる。

 

 この世界の道具は、使う者の記憶や目的地の印象に引かれる。

 少なくとも、俺はそう考えている。

 

 だったら、俺の記憶だけでは足りない。

 

 パパスの身体がルラフェンを知っている保証はない。

 俺の知識にあるのは、ゲーム画面の町だ。

 

 実際にそこへ行った者の記憶が必要だ。

 

 しばらくして、宿の主人が一人の男を連れて戻ってきた。

 

 旅装束の商人だった。

 眠そうではあるが、目つきははっきりしている。

 夜中に起こされて、ただ不機嫌というより、何事かと警戒している顔だった。

 

「あなたがパパスさんですか。宿の主人から聞きました。ルラフェンのことで話があるとか」

 

「ああ。急で悪い」

 

「いえ、サンタローズのパパスさんなら、話くらいは聞きますよ」

 

 名前が通っている。

 

 ありがたい反面、少しだけ重い。

 

「ルラフェンへ行ったことはあるか?」

 

「何度かあります。薬草と香料の取引で」

 

「最後に向かったのはいつだ?」

 

「十日ほど前です。そこからこちらへ流れてきました」

 

 十分だ。

 

 少なくとも、ルラフェンを実際に知っている。

 

「今から、ルラフェンへ向かいたい」

 

 商人の顔が固まった。

 

「今から、ですか?」

 

「ああ」

 

「夜ですよ。馬車も出ませんし、道中には魔物もいる」

 

「歩いて行くつもりはない」

 

 俺はキメラの翼を見せた。

 

 商人は小さく息を呑んだ。

 

「キメラの翼……しかし、それは普通、知っている町へ戻るための道具でしょう」

 

「だから、あなたに頼みたい」

 

「私の記憶を使う、ということですか」

 

「無理にとは言わない。礼はする。危険があれば、こちらで引き受ける」

 

 商人は黙った。

 

 当然だ。

 

 夜中に起こされ、知らない場所へ飛ぶ手助けをしろと言われている。

 普通なら断る。

 

 俺は続けた。

 

「ルラフェンで会いたい人がいる。ベネットという老人だ」

 

 商人の眉が少し動いた。

 

「ああ、あの変わり者のじいさんですか」

 

「知っているのか?」

 

「町では有名です。妙な研究ばかりしている方でね。最近も、空を飛ぶ呪文だか何だかの話をしていました」

 

 当たりだ。

 

 ベネットじいさん。

 ルラムーン草。

 ルーラ。

 

 流れが、少しずつ形になっていく。

 

「その人に用がある」

 

「……パパスさん。何をしようとしているんです?」

 

 商人の声には、好奇心より警戒があった。

 

 正直に全部は言えない。

 

 未来を知っている。

 ゲマと戦う準備をしている。

 息子が奴隷になる未来を潰す。

 

 そんな話をすれば、ただの危ない男だ。

 

「急ぎの旅の支度だ」

 

 短く答える。

 

「明日から動くことになる。今夜のうちに、できることを済ませておきたい」

 

 商人は俺の顔をじっと見た。

 

 嘘ではない。

 ただ、全部ではない。

 

 やがて商人はため息をついた。

 

「分かりました。ただし、私はルラフェンまでです。町に着いたら、すぐ宿へ入らせてもらいますよ」

 

「それでいい」

 

「帰りは?」

 

「自分で戻る」

 

「無茶な方だ」

 

「よく言われる」

 

 前世では、たぶん言われたことはない。

 

 動かなかったからだ。

 

 だが今の俺は、動くしかない。

 

 商人は外套を羽織り直した。

 

「では、外へ。宿の中で使うものではありませんから」

 

「ああ」

 

 俺たちは宿を出た。

 

 サンタローズの夜は静かだった。

 村の灯りは少なく、遠くで虫の声がしている。

 

 商人は空を見上げた。

 

「ルラフェンの町を思い浮かべます。川沿いの道、薬草の匂い、古い家並み……それで足りますかね」

 

「足りるはずだ」

 

 そうであってくれ。

 

 俺はキメラの翼を広げた。

 

 羽が淡く光る。

 ただの道具ではない。

 魔力の流れが、指先に伝わってくる。

 

 商人が息を整えた。

 

「ルラフェンへ」

 

 その言葉に合わせて、俺は翼を握りしめる。

 

 次の瞬間、足元の感覚が消えた。

 

 風が巻き上がる。

 視界が白く揺れる。

 身体が空へ引き上げられるような感覚。

 

 胃が浮く。

 

 これは慣れない。

 

 前世で遊園地の絶叫マシンが苦手だったことを、こんなところで思い出すとは思わなかった。

 

 叫ぶな。

 パパスだぞ。

 

 次に足が地面を踏んだ時、空気の匂いが変わっていた。

 

 草の匂い。

 湿った土。

 そして、薬草の強い香り。

 

 目の前には、夜の町並みが広がっていた。

 

 ルラフェン。

 

 来た。

 

 本当に来た。

 

 商人が少しふらつきながら、壁に手をついた。

 

「……着きましたね」

 

「ああ。助かった」

 

「私は宿へ行きます。パパスさんも、無理はほどほどに」

 

「礼は必ずする」

 

「期待していますよ」

 

 商人は苦笑して、町の宿へ向かった。

 

 俺は夜のルラフェンを見上げる。

 

 ベネットじいさん。

 ルラムーン草。

 ルーラ。

 

 ここからが本番だ。

 

 まだ夜は終わっていない。

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