愉悦者は嘲笑う~世界を書き換えて遊んでいたら、政府も軍も本気で世界の真実を探し始めた~ 作:ユーザーA
めちゃくちゃ難航してます
それではお楽しみください
七月三日、午前七時三十一分。
八尺様の目撃情報が全国で相次いでから、数日が経った。
世界はまだ、混乱の中にある。
しかし、その混乱は少しずつ形を変え始めていた。
最初は恐怖だった。
次に好奇心が広がった。
そして今、人々は八尺様という存在を「いるかもしれないもの」として扱い始めていた。
朝の情報番組では、連日同じような注意喚起が流れている。
『夜間の一人歩きは控えてください』
『人気の少ない農道、河川敷、山道への立ち入りには十分注意してください』
『不審な人物を見かけた場合は、接近せず、すぐに警察へ通報してください』
誰もはっきりと「八尺様」とは言わない。
政府も、警察も、報道機関も、その名前を公式には使わなかった。
だが、画面を見ている誰もが理解していた。
それは、八尺様への注意喚起だった。
Linkでは朝から関連する投稿が絶えない。
『昨日から帰り道を変えた。』
『田んぼ道を避けたら二十分遠回りになった。』
『窓の外を見るのが怖くなった。』
『親が夜に外へ出るなって言い始めた。』
『学校から集団下校の連絡来たんだけど。』
投稿の多くは、特別な事件ではない。
誰かが消えたわけでもない。
何かを見たわけでもない。
ただ、人々の生活が少しずつ変わっているというだけだった。
しかし、その変化こそが大きかった。
都市伝説は、もう画面の中だけの娯楽ではなくなっていた。
午前八時十二分。
東京都内のある中学校では、臨時の職員会議が開かれていた。
会議室には校長、教頭、各学年主任、生活指導担当の教師が集まっている。
机の上には、教育委員会から届いた通知が置かれていた。
「本日より、しばらくの間、部活動終了時刻を早めます」
校長が静かに告げる。
「下校はできるだけ複数人で行うよう指導してください」
「保護者への連絡はどうしますか」
「すでに一斉送信の文面を用意しています。不審者対策という形で伝えます」
若い教師が少しだけ言い淀む。
「……八尺様の名前は、出さない方がいいんですよね」
会議室が一瞬だけ静まり返った。
誰も笑わなかった。
数日前なら、そんな言葉が職員会議で出ること自体が冗談のように扱われていただろう。
だが今は違う。
校長は少し考えた後、ゆっくりと頷いた。
「出さないでください」
「ただし、生徒たちが不安を感じていることは事実です」
「怖がらせすぎず、それでも安全には配慮する」
「難しいですが、そうするしかありません」
教師たちは無言で頷く。
廊下の向こうから、生徒たちの声が聞こえていた。
笑い声。
足音。
いつも通りの学校。
しかし、その日常の中に、もう八尺様という名前は入り込んでいた。
午前八時四十六分。
Open Forumには、新しいスレッドが立つ。
【生活変わった奴いる?】
1:名無しの探索者
夜に外出るのやめた。
2:名無しの探索者
分かる。
3:名無しの探索者
俺もコンビニ行くの昼にした。
4:名無しの探索者
田舎だから普通に怖い。
5:名無しの探索者
家の裏が畑なんだけど、もう見れない。
6:名無しの探索者
親がカーテン閉めろって言うようになった。
7:名無しの探索者
信じてないけど、念のためって感じ。
8:名無しの探索者
その「念のため」がもう信じてるんだよ。
9:名無しの探索者
笑えない。
10:名無しの探索者
都市伝説で生活変わる日が来るとは思わなかった。
その書き込みに、多くの利用者が反応した。
誰も強制されていない。
誰も命令されていない。
それでも人々は、自分たちの判断で行動を変え始めていた。
八尺様はまだ、社会を破壊していない。
街は動いている。
学校も会社も店も、いつも通りに開いている。
だが、人々の視線は変わった。
田畑を見る目。
夜道を見る目。
窓の外を見る目。
それらすべてが、昨日までとは違っていた。
世界は少しずつ、八尺様が存在する前提の生活へ移り始めていた。
♢
午前九時二十分。
その変化は学校や家庭だけではなかった。
各地の自治体でも、住民向けの防犯放送が少しずつ変わり始めていた。
『夜間の外出はできるだけ複数人で行動してください。』
『人通りの少ない場所には近付かないようお願いいたします。』
『不審な人物を発見した場合は、決して接近せず警察へ通報してください。』
放送内容そのものは、どこにでもある防犯放送だった。
しかし、その背景には明らかに八尺様事件が存在している。
誰も名前は口にしない。
それでも誰もが理解していた。
午後のワイドショーでも、専門家を招いた特集が放送される。
「集団心理による影響も考えられます。」
「一方で、現実に目撃証言が急増している事実もあります。」
「冷静な行動をお願いします。」
司会者も慎重に言葉を選ぶ。
断定はしない。
否定もしない。
それが今の報道の共通した姿勢だった。
午前十時三分。
日本各地のホームセンターでは、ある商品の売り上げが急増していた。
防犯ライト。
人感センサー。
屋外監視カメラ。
双眼鏡。
そして強力な懐中電灯。
「先月の三倍です。」
店員は困ったように苦笑する。
「理由までは聞きませんけど……。」
「皆さん同じような物を買われますね。」
その様子を撮影した利用者がLinkへ投稿する。
『ライト売り切れてた。』
『監視カメラまで品薄らしい。』
『みんな考えること同じか。』
『対策しても意味あるのかな。』
投稿は瞬く間に拡散された。
Visionでも動画が増え始める。
『八尺様対策として準備した物を紹介します』
『実際に夜道を歩いて検証』
『田舎暮らしだから本気で備えることにした』
コメント欄には様々な意見が並ぶ。
『備えて損はない。』
『何も起きないならそれが一番。』
『逆に煽りすぎじゃない?』
『でも何もしないより安心する。』
恐怖は、人々の行動を変えていた。
正午。
特殊災害対策局――SDA本部。
会議室では最新の統計資料が共有されていた。
「八尺様関連の110番通報件数。」
「昨日一日で二百四十一件。」
「前日比、およそ一・七倍です。」
局長は静かに資料を見つめる。
「虚偽通報の割合は。」
「約七割。」
「残り三割は。」
「現地確認を行いましたが、説明できるものとできないものが混在しています。」
担当官が続ける。
「住民の自主的な防犯活動も増えています。」
「夜間巡回を始めた自治体は現在二十八。」
「学校の集団下校を実施した地域は百二十七校です。」
局長はゆっくりと息を吐いた。
「……八尺様が実在するかどうか。」
「それはまだ分からない。」
「ですが、一つだけ確かなことがあります。」
室内の視線が集まる。
「この現象は、すでに社会へ影響を及ぼしている。」
誰も否定しなかった。
たとえ怪異が存在しなかったとしても。
人々は、その存在を前提に生活を変え始めている。
それだけで十分、一つの社会現象だった。
同時刻。
都内の高層マンション。
真白空は静かにソファへ腰掛け、四台の端末を順番に眺めていた。
Link。
Vision。
Open Forum。
そしてWEN。
画面の向こうでは、世界中の人々が同じ存在について語り続けている。
空はコーヒーカップを静かに置き、小さく微笑んだ。
「存在を証明したわけでも。」
「姿を見せ続けたわけでもない。」
「それでも、人は自分たちで日常を書き換えていく。」
Linkには『夜道を避ける』という投稿。
Open Forumには『生活が変わった』という書き込み。
Visionには『対策動画』。
それらを見渡した空は、穏やかな声で続ける。
「面白い。」
「世界はもう、八尺様を信じるかどうかの段階じゃない。」
「どう付き合うかを考え始めている。」
窓の外では、夏の風が街路樹を静かに揺らしていた。
その何気ない日常の中で。
世界はまた一歩、自ら新しい常識を作り上げようとしていた。
♢
七月二日、午後一時十七分。
八尺様という存在は、もはや一つの都市伝説ではなく、「社会が対応を始めた未知の現象」として認識され始めていた。
その変化は、日本だけに留まらない。
世界最大報道機関・WENは、午後の特別ニュースを世界同時配信していた。
『日本国内で続く八尺様関連事案について、各国政府も警戒を強めています。』
『現時点で実在は証明されていません。』
『しかし、各国の危機管理機関は日本政府との情報共有を開始しました。』
画面には、日本各地の目撃地点を示す地図が映し出される。
その隣には、海外から報告された類似事案も表示されていた。
韓国。
台湾。
アメリカ西海岸。
イギリス。
フランス。
いずれも件数は少ない。
しかし、共通点だけは驚くほど一致していた。
白い服。
異様な長身。
人目を避けるような場所。
そして、低く響く「ぽぽ、ぽぽぽ」という声。
ニュース番組では海外の専門家も招かれていた。
「日本固有の都市伝説が、なぜ海外で目撃され始めたのか。」
「文化的影響だけでは説明しきれません。」
「模倣現象の可能性もありますが、時系列が一致しない事例も確認されています。」
司会者は慎重に頷く。
「断定は避けるべきですが、調査は必要ということですね。」
「その通りです。」
番組終了後、その映像は瞬く間に世界中へ拡散された。
午後一時四十九分。
Linkでは、新たなハッシュタグが急上昇していた。
『#八尺様対策』
『#夜道注意』
『#白い女』
利用者たちは、それぞれの対策を共有し始める。
『夜は絶対一人で帰らない。』
『家族と位置情報共有した。』
『犬の散歩を昼へ変えた。』
『祖母が「昔から夕方は山へ入るな」って言ってた。』
『笑ってたけど、今は少し怖い。』
都市伝説を語る空気ではない。
生活の一部として話す空気へ変わっていた。
同時刻。
Visionではライブ配信が急増していた。
『八尺様目撃地点を昼間に検証』
『夜間ライブ中継』
『実際に警察へ話を聞いてみた』
『地方住民へインタビュー』
再生数は軒並み数十万回を超える。
コメント欄も以前とは変わっていた。
『無茶するな。』
『夜は帰れ。』
『冗談じゃ済まなくなってきた。』
『本当に気を付けて。』
配信を面白半分で見る利用者は、確実に減っていた。
午後二時十一分。
Open Forum。
新たな総合スレッドが立てられる。
【総合】八尺様対策スレ Part12
1:名無しの探索者
情報共有用。
2:名無しの探索者
夜道一人はやめとけ。
3:名無しの探索者
家族にも言っといた。
4:名無しの探索者
祖父母世代が妙に詳しい。
5:名無しの探索者
昔話知ってる人増えてきたな。
6:名無しの探索者
昔はネットが無かっただけで、本当に噂はあったのか?
7:名無しの探索者
親父も山で見たって言ってた。
8:名無しの探索者
今まで笑われるから話さなかっただけかもしれん。
9:名無しの探索者
世界が変わったよな。
10:名無しの探索者
きさらぎ駅から全部始まった気がする。
スレッドはわずか十分で千件を突破する。
体験談。
昔話。
祖父母から聞いたという話。
地域ごとの言い伝え。
世界は再び、自ら空白を埋め始めていた。
誰も命令していない。
誰も証拠を示していない。
それでも人々は、自分たちの記憶と経験を持ち寄り、一つの歴史を組み立て始めている。
八尺様は、少しずつ「昔から存在していたもの」へ変わり始めていた。
♢
午後二時四十七分。
国立超常現象研究所――NPRI。
八尺様対策を目的とした臨時合同会議が開かれていた。
会議室の大型スクリーンには、日本地図と世界地図が並べて表示されている。
赤い印は国内の目撃地点。
黄色い印は海外から報告された類似事案だった。
「本日正午時点。」
「国内目撃報告は二百九十八件。」
「海外報告は二十一件。」
研究員が淡々と報告を続ける。
「昨日と比較して増加傾向は継続しています。」
「共通点は。」
「依然として一致しています。」
「白い服。」
「異常な長身。」
「人気の少ない場所。」
「低い発声。」
所長は腕を組んだまま静かに尋ねる。
「相違点は。」
「個体差と思われる証言があります。」
スクリーンへ新しい資料が表示される。
「髪の長さ。」
「立っている距離。」
「声が聞こえる位置。」
「消失までの時間。」
「これらにはばらつきがあります。」
所長はゆっくり頷いた。
「つまり。」
「完全に同一の現象とは断定できない。」
「はい。」
「しかし特徴の一致率は九割を超えています。」
室内が静まり返る。
誰も軽率な結論を出そうとはしない。
だからこそ、不気味だった。
同じ頃。
世界異常対策機構――WARO本部。
各国代表との定例会議でも八尺様が最優先議題となっていた。
「日本国内だけではありません。」
事務局員が報告する。
「海外でも、夜間外出を控えるよう呼び掛ける自治体が増えています。」
「政府の公式発表か。」
「いいえ。」
「地方自治体や教育機関による自主判断です。」
アメリカ代表が小さく息を吐く。
「情報だけで社会が変わっている。」
イギリス代表も静かに続けた。
「現象の有無とは別問題ですね。」
「はい。」
「人々は、存在を前提に行動を始めています。」
議長は資料を閉じた。
「これ以上の混乱を避けるためにも、各国で情報共有を継続してください。」
「新たな事例は全てWAROへ集約します。」
異論は出なかった。
午後三時二十五分。
世界統合特殊防衛軍――USDF。
統合作戦司令部でも、日本から送られた資料の確認が進められていた。
「現時点で軍事介入の必要性は。」
「ありません。」
「ですが。」
担当士官が言葉を続ける。
「未知の存在を前提とした初動マニュアルの見直しを提案します。」
「理由は。」
「八尺様が実在するかどうかではありません。」
「社会全体が未知の存在を前提に動き始めているためです。」
司令官は静かに頷く。
「承認します。」
「危機管理手順を更新してください。」
午後四時。
WENは速報を配信する。
『世界各国で八尺様関連情報の共有体制が本格化。』
『WAROは各国へ新たな報告基準を通知。』
『日本政府は引き続き冷静な対応を呼び掛けています。』
そのニュースは瞬く間にLinkへ転載される。
『世界規模になってきた。』
『もう日本だけの話じゃない。』
『ここまで来ると怖い。』
『まだ誰も正体を知らないんだよな。』
『だから余計に不気味なんだ。』
Open Forumでも新しい書き込みが続く。
827:名無しの探索者
軍まで動いてる。
828:名無しの探索者
都市伝説で終わる話じゃなくなった。
829:名無しの探索者
でも誰も倒そうとか言わないよな。
830:名無しの探索者
敵が何なのか分からないから。
831:名無しの探索者
正体より先に世界が対応し始めた。
832:名無しの探索者
それが一番怖い。
833:名無しの探索者
昔なら笑い話だったのにな。
834:名無しの探索者
今は笑えない。
誰も確信を持ってはいない。
それでも世界は、一つの存在を現実の危機として受け入れ始めていた。
証明よりも先に。
結論よりも先に。
社会そのものが静かに変わり始めていた。
♢
午後五時十二分。
八尺様という存在は、人々の生活だけでなく、価値観そのものを変え始めていた。
これまで都市伝説を扱っていた配信者たちは、次々と動画の方向性を変えていく。
「検証」ではない。
「対策」へ。
Visionの急上昇ランキングには、似たような動画が並んでいた。
『夜間外出で気を付けること』
『子どもを守るための防犯対策』
『山間部に住む人への注意喚起』
『八尺様関連情報まとめ【七月二日最新版】』
コメント欄も以前とは明らかに違う。
『助かります。』
『親にも見せました。』
『今までネタだと思ってた。』
『最近、本当に空気が変わったよね。』
『情報をまとめてくれてありがとう。』
再生数だけではない。
高評価率も極めて高かった。
人々は刺激ではなく、安心できる情報を求め始めていた。
午後五時四十分。
Linkでは、新たな投稿が静かに拡散されていく。
『小学校から集団下校のお知らせ来た。』
『町内会で夜間パトロール始めるらしい。』
『祖母が夕方以降は田んぼへ近付くなって真顔で言ってきた。』
『今まで聞いたことない昔話を急に話し始めた。』
『もしかして、本当に昔から何かあったのかな。』
どの投稿にも共通していたのは、「昔から」という言葉だった。
世界は自ら歴史を補完し始めている。
それは真白空だけが知る真実だった。
一方、人々は違う。
誰かが作った歴史だとは思っていない。
「忘れられていただけだった。」
そう考え始めていた。
午後六時十分。
Open Forum。
【八尺様って本当に昔からいたの?】
1:名無しの探索者
最近、年寄りが知ってる人多くない?
2:名無しの探索者
うちの祖父も似た話してた。
3:名無しの探索者
ネットが無かっただけ説。
4:名無しの探索者
地方には昔話として残ってたのかも。
5:名無しの探索者
きさらぎ駅の後だから信じちゃう。
6:名無しの探索者
昔の人は本当に遭遇してたのかな。
7:名無しの探索者
だから夕方は帰れって言われてた?
8:名無しの探索者
全部迷信だと思ってた。
9:名無しの探索者
今は笑えない。
10:名無しの探索者
伝承って、こうやって残るのかもしれない。
その一言に、多くの利用者が反応した。
「伝承」。
その言葉が、静かに広がっていく。
もはや八尺様は、一過性の話題ではない。
人々の間で「受け継がれるもの」として認識され始めていた。
その頃。
都内の高層マンション。
真白空は静かに端末を眺めながら、小さく笑みを浮かべる。
画面には、無数の書き込み。
考察。
体験談。
昔話。
どれも世界自身が生み出したものだった。
「そう。」
「人は恐怖だけでは歴史を作らない。」
空はOpen Forumの流れをゆっくり追う。
「恐怖を語り合い。」
「意味を与え。」
「誰かへ伝え。」
「やがて、それは伝承になる。」
コーヒーカップから立ち上る湯気を眺めながら、穏やかに呟く。
「私は何も教えていない。」
「それでも世界は、自分たちだけで続きを書いていく。」
その様子は、空にとって何よりも美しい光景だった。
♢
午後六時四十八分。
都内の高層マンション。
真白空は窓際に立ち、夕暮れから夜へ移り変わる街並みを静かに眺めていた。
部屋には四台の端末。
一台にはLink。
一台にはVision。
一台にはOpen Forum。
そして最後の一台には、WENの特別報道が映し出されている。
どの画面にも映るのは、同じ存在。
八尺様。
数日前まで、ネットの片隅で語られるだけだった都市伝説。
それが今では、政府が対策を講じ、研究機関が解析を続け、世界中が情報を共有する対象となっていた。
空は静かにソファへ腰を下ろす。
「少し前までは。」
「存在するかどうかを議論していた。」
Open Forumへ視線を向ける。
『どう対策する?』
『子どもには何て説明する?』
『自治体も動き始めたな。』
『もう笑えない。』
書き込みは止まらない。
誰もが「存在しない証明」ではなく、「存在した場合」を前提に話を進めている。
空は小さく笑った。
「そこへ辿り着いたんだ。」
「予想より少し早かった。」
Visionでは、防犯動画よりも再生数を伸ばしている配信があった。
現役の民俗学者が、古い伝承について語っている。
「日本には、地域ごとに姿の似た怪異が数多く伝わっています。」
「名称は違っても、共通点が見られる事例は珍しくありません。」
コメント欄は次々と流れていく。
『うちの地元にも似た話ある。』
『祖父から聞いた記憶がある。』
『全部繋がってるのか?』
『昔話が現実になるなんて。』
空は静かに画面を閉じた。
「繋げたのは世界自身。」
「私は、たった一粒の種を置いただけ。」
そう呟く声は、どこまでも穏やかだった。
世界は空白を嫌う。
説明できない出来事があれば、理由を探す。
理由が見つからなければ、歴史を探す。
歴史がなければ、自ら補完する。
その営みを、空は誰よりも知っていた。
「やっぱり。」
「期待を裏切らない。」
窓の外では、街の灯りが一つ、また一つと増えていく。
その灯りの数だけ、人がいる。
考える者。
恐れる者。
否定する者。
受け入れる者。
それぞれが違う答えへ辿り着きながらも、一つだけ共通していることがあった。
誰も、八尺様を無視できなくなっている。
空はゆっくりと立ち上がり、窓へ手を添えた。
「さて。」
「ここまでは十分楽しませてもらった。」
「なら、次は。」
その言葉は最後まで続かなかった。
口元に浮かんだ微笑みだけが、その先を物語っている。
世界はまだ気付いていない。
この舞台は、まだ序章に過ぎないということを。
♢
七月二日、午後八時九分。
夜の帳が日本列島を静かに包み込む。
街には普段と変わらない灯りが並び、仕事帰りの人々が駅から家路へと向かっていた。
しかし、その歩く速度は以前よりも少しだけ速い。
人通りの少ない道を避ける者。
スマートフォンのライトを点ける者。
誰かと通話を繋いだまま帰宅する者。
八尺様はまだ誰の日常も直接壊してはいない。
それでも、人々の日常は確かに変わっていた。
午後八時二十一分。
Linkへ一枚の写真が投稿される。
写っていたのは、ごく普通の神社だった。
古びた石段。
朱色の鳥居。
境内へ続く細い参道。
どこにでもある地方の神社。
投稿者は短く書き込む。
『今日、地元の神社でこんなの見つけた。』
添付された写真には、一枚の木札が映っていた。
木札には達筆な墨文字で、こう記されている。
『日暮れより後、背高き白き女を見れば、決して声へ応じるな。』
投稿者自身も困惑していた。
『昔からあったかな……。』
『毎年初詣に来てるけど、こんなの初めて見た気がする。』
投稿から数分。
返信が殺到する。
『また新しいの来た。』
『地元どこ?』
『八尺様じゃん。』
『昔からあった注意書き?』
『誰かが最近付けたんじゃない?』
だが、その中へ一枚の写真が投稿された。
別の県。
別の神社。
そこにも、よく似た木札が掛けられていた。
『うちにもある。』
さらに十分後。
『祖父の家の近くにもあった。』
『これ、寺にもあったぞ。』
『山の入口にも似た札が立ってる。』
写真は次々と集まっていく。
形は違う。
材質も違う。
文字も少しずつ異なる。
それでも意味だけは、ほとんど同じだった。
――日暮れ以降は近付くな。
――声を聞いても振り返るな。
――白い女を見ても見返すな。
人々は驚き始める。
『こんなの昔からあった?』
『今まで気付かなかっただけ?』
『写真見る限り古そうなんだけど。』
『誰か最近作ったにしては数が多すぎる。』
Open Forumでも、新しいスレッドが立ち上がる。
【速報】全国で八尺様らしき古い警告札が見つかる
1:名無しの探索者
神社だけじゃない。
2:名無しの探索者
寺にもある。
3:名無しの探索者
山道にも立ってた。
4:名無しの探索者
全部最近設置したとは思えない。
5:名無しの探索者
風化してる札もある。
6:名無しの探索者
昔から存在してたのか?
7:名無しの探索者
誰も気付いてなかっただけ?
8:名無しの探索者
また世界がおかしくなってきた。
そのスレッドは、わずか数十分で数千件の書き込みを集め始める。
そして同じ頃。
高層マンションの一室。
真白空は静かに夜景を眺めながら、小さく微笑んだ。
「なるほど。」
「今回は、そこを補完したんだ。」
空が創ったのは、ただ一つ。
"八尺様という存在"だけ。
それなのに世界は、自ら古い木札を生み出し、忘れられていた警告として歴史へ組み込み始めていた。
空は静かに端末を閉じる。
「人は証拠を求める。」
「世界は、その証拠まで用意してしまう。」
穏やかな笑みは、ゆっくりと深くなっていく。
「……やっぱり。」
「この世界は、本当に退屈しない。」
♢
午後九時三十六分。
全国各地で見つかり始めた「警告札」の情報は、一時間も経たないうちに世界中へ広がっていた。
WENは速報として、その動きを大きく取り上げる。
『日本各地の神社、寺院、山道などで、八尺様を連想させる警告札が相次いで確認されています。』
『現在、各自治体および関係機関が調査を進めています。』
映像には、それぞれ異なる地域で撮影された木札が並ぶ。
材質は違う。
書体も違う。
傷み具合も異なる。
しかし、その内容だけは不思議なほど共通していた。
――日暮れより後は近付くな。
――白き女を見ても見返すな。
――声に応じるな。
番組に出演していた民俗学者が静かに口を開く。
「興味深いのは、表現が少しずつ違うことです。」
「同じ文章を誰かがコピーしたようには見えません。」
「地域ごとに伝承が変化しながら受け継がれた可能性も考えられます。」
司会者は驚いた表情を浮かべる。
「つまり、昔から各地に存在していた可能性があると。」
「現段階では可能性の一つです。」
「断定はできません。」
その慎重な言葉さえ、人々には十分だった。
午後十時七分。
国立超常現象研究所――NPRI。
緊急に回収された警告札の調査が始まっていた。
「材質は。」
「年代が一致しません。」
「こちらは百年以上前の木材。」
「こちらは比較的新しい。」
「ですが。」
研究員が資料を見つめる。
「内容だけは、ほぼ同じです。」
所長は静かに頷く。
「地域ごとの伝承として残っていた。」
「そう考えれば説明はできます。」
「ですが、その記録が今までほとんど見つからなかった理由は。」
「……まだ分かりません。」
答えは出ない。
それでも世界は、少しずつ一つの結論へ近付いていた。
午後十時四十五分。
Open Forum。
【八尺様、本当に昔からいた説が濃厚】
1542:名無しの探索者
もう否定する方が難しくないか。
1543:名無しの探索者
警告札まで出てきた。
1544:名無しの探索者
各地に残ってたってこと?
1545:名無しの探索者
昔の人は知ってたんだな。
1546:名無しの探索者
俺たちが忘れてただけか。
1547:名無しの探索者
都市伝説じゃなくて伝承だったのか。
1548:名無しの探索者
そう考えると全部繋がる。
1549:名無しの探索者
きさらぎ駅から世界がおかしくなったと思ってた。
1550:名無しの探索者
違う。
1551:名無しの探索者
世界は最初からこうだったのかもしれない。
その書き込みには、短時間で数万件の反応が集まった。
誰も証明していない。
それでも世界は、自ら一つの歴史を完成させようとしていた。
その頃。
都内の高層マンション。
真白空は窓の外へ視線を向けたまま、小さく息を漏らした。
机の上では四台の端末が絶え間なく通知を鳴らしている。
ニュース。
掲示板。
SNS。
世界中の反応が、一つの方向へ収束していく。
空は静かに目を細めた。
「ここまで来れば。」
「もう誰も、元には戻れない。」
八尺様は、ただの都市伝説ではなくなった。
人々の記憶の中で。
歴史の中で。
日常の中で。
確かに「昔から存在していたもの」として根付き始めている。
空は静かに端末を一つ閉じる。
そして、何もない空間へゆっくりと手を伸ばした。
「さて。」
「次は、どんな舞台を用意しようか。」
その瞬間。
空の指先へ、小さな黒い染みのような"何か"が静かに浮かび上がる。
形もない。
名前もない。
意味さえ定まっていない。
ただ、新たな"種"だけが、そこにあった。
空は穏やかに微笑む。
「まだ名前は要らない。」
「世界が、きっと相応しい名前を見つけてくれる。」
その言葉とともに。
黒い"種"は音もなく消えた。
誰にも知られず。
誰にも気付かれず。
世界ではもう、新しい物語が静かに動き始めていた。
楽しめたのなら良いのですが
いかがでした?