愉悦者は嘲笑う~世界を書き換えて遊んでいたら、政府も軍も本気で世界の真実を探し始めた~ 作:ユーザーA
それではお楽しみください
七月四日、午前七時十八分。
日本中の報道は、一夜にして変わっていた。
昨日まで中心だったのは、「目撃者の保護」。
しかし今朝からは、新たな話題が世界を覆い始めている。
――八尺様は、本当に都市伝説なのか。
世界最大報道機関・WENは、朝の特別番組で特集を組んでいた。
『保護施設での経過観察が続く中、新たな事実が判明しました。』
『全国各地から、八尺様と酷似する伝承や古い記録が相次いで発見されています。』
画面には古びた和綴じの書物や、郷土史の一部が映し出される。
墨で書かれた文字。
色褪せた紙。
長い年月を経たように見える資料。
『これらは昨日まで確認されていなかった資料ではありません。』
『しかし、これまで重要視されてこなかったため、改めて調査が進められています。』
キャスターは慎重な口調で続けた。
『現時点で、八尺様との直接的な関連性は確認されていません。』
『ですが、類似する記述が複数発見されていることは事実です。』
その放送は、日本だけでなく海外にも同時配信されていた。
♢
午前八時五分。
国立超常現象研究所――NPRI。
古文書解析室では、大量の資料が机いっぱいに並べられていた。
「長野県。」
「岐阜県。」
「福島県。」
「秋田県。」
「発見場所はすべて異なります。」
若い研究員が報告を読み上げる。
「内容は。」
所長が静かに尋ねる。
「共通しています。」
一冊の和綴じ本が開かれる。
そこには、達筆な筆文字で短い文章が記されていた。
『丈高き女を見てはならぬ。』
『その姿を認めし者、夜毎その声を聞く。』
別の資料が開かれる。
『高き女、田を歩む。』
『その姿を見る者は家へ帰れど安らげず。』
さらに別の地方資料。
『白き装束の女、背丈八尺余。』
『夜、遠くより声あり。』
研究員たちは無言で資料を見比べる。
書かれた年代は違う。
地域も違う。
筆跡も違う。
それでも、不思議なほど共通点が多かった。
「偶然でしょうか。」
一人の研究員が呟く。
所長は首を横へ振る。
「結論を急いではいけません。」
「しかし。」
「これほど一致する記録が各地から見つかるのは極めて珍しい。」
室内には重い沈黙が流れた。
♢
同じ頃。
神話考証機構でも調査は進められていた。
「こちらは江戸後期。」
「これは明治初期。」
「こちらは年代不明です。」
古文書専門の調査員が、一枚ずつ慎重に資料を並べていく。
その中には、地方神社へ奉納されていた記録や、村の古い日誌まで含まれていた。
「……こちらをご覧ください。」
一人の調査員が、小さな木箱から一枚の紙を取り出した。
紙は酷く傷んでいた。
しかし、一文だけははっきりと読める。
『子へ教えよ。
高き女を見れば、決して振り返るな。』
部屋の空気が静かに変わる。
別の調査員も口を開く。
「こちらにも似た記述があります。」
『夜更けに聞こえる声へ応えてはならぬ。』
『応えし者、朝を迎えず。』
誰も冗談だとは思わなかった。
昨日までは都市伝説。
そう考えられていた存在が、各地の歴史資料から姿を現し始めている。
偶然。
そう片付けるには、あまりにも出来すぎていた。
日本中で、人々の認識は静かに変わり始める。
八尺様は、新しい都市伝説ではない。
昔から存在し、人々の記憶の片隅へ埋もれていただけなのではないか。
そんな考えが、少しずつ世界へ浸透し始めていた。
♢
午前九時四十六分。
NPRIによる古文書の調査は、想像を超える速度で進んでいた。
全国の博物館。
郷土資料館。
大学図書館。
神社や寺院の収蔵庫。
これまで「民間伝承」として扱われてきた資料が、一斉に再調査の対象となる。
「北海道大学から資料が届きました。」
「京都府立図書館から追加資料です。」
「福岡県の古い庄屋文書にも類似記述があります。」
解析室へ次々と運び込まれる資料。
昨日までは価値を見出されなかった紙切れが、今では世界中の研究者たちの視線を集めていた。
「……これも。」
一人の研究員が息を呑む。
古びた帳面には、震えたような筆跡で短い文章が残されていた。
『見てしまった。』
『あの女は、あまりにも高かった。』
『振り返ってはならぬと言われた意味を知った。』
それ以上の記述はなかった。
まるで、途中で書くことができなくなったかのように。
室内は静まり返る。
「年代は。」
「江戸後期と推定されています。」
「偽造の可能性。」
「現時点では確認されていません。」
研究員たちは互いの顔を見合わせる。
一つだけなら偶然。
二つでも偶然と言える。
だが、十件、二十件と同じ内容が見つかれば話は変わる。
所長は静かに資料を閉じた。
「地域ごとの共通点を洗い出してください。」
「はい。」
「伝承の変遷も同時に解析します。」
「了解しました。」
♢
同じ頃。
神話考証機構では、日本各地の民俗学者を交えた緊急会議が始まっていた。
「この記録をご覧ください。」
大型スクリーンへ、一枚の古地図が映し出される。
そこには山村の名前と、小さく墨書きされた注意書きが残されていた。
『夜、高き女現る。』
『子どもを外へ出すな。』
「この地図は明治初期のものです。」
「これまで地域独自の迷信として扱われていました。」
別の学者が続ける。
「こちらは東北地方の伝承です。」
『声が聞こえても返事をしてはならない。』
『家の外を見てはならない。』
さらに九州地方。
『背丈八尺ほどの女あり。』
『見た者は数日で様子がおかしくなる。』
会議室は重苦しい空気に包まれた。
地方も違う。
年代も違う。
交流があったとは考えにくい地域同士で、あまりにも似た伝承が残されていた。
「これだけ一致する例は……。」
一人の学者が言葉を失う。
「民俗学でも、極めて珍しい。」
誰も反論できなかった。
♢
その日の昼前。
WENは緊急速報を世界へ配信した。
『日本各地から、八尺様と酷似する歴史資料が相次いで発見。政府は関連性を調査中。』
その記事は瞬く間に各国のニュースサイトへ転載される。
Linkでも話題は一変していた。
『都市伝説じゃなかったの?』
『昔からあったってこと?』
『今まで誰も気付かなかっただけ?』
『各地で同じ話が残ってるの怖すぎる。』
『偶然じゃ説明できない。』
Visionでは考察動画が急増する。
『【最新考察】八尺様は江戸時代から存在した?』
『全国で発見された古文書を比較してみた』
『伝承はなぜ今になって見つかるのか』
人々は恐怖するだけではなかった。
自ら資料を探し、調べ、考察し始めていた。
世界は再び、自ら「歴史」を補完し始める。
昨日までは都市伝説。
今日からは、古くから伝わる実在の伝承。
その認識は、誰かに強制されたものではない。
人々自身が証拠を積み重ね、その結論へ近付こうとしていた。
♢
午後一時二十四分。
世界異常対策機構――WARO本部。
各国代表による緊急会議が開かれていた。
会議室中央の大型スクリーンには、日本から送られてきた膨大な資料が映し出されている。
八尺様の目撃証言。
保護施設で確認された症状。
全国各地で発見された古文書。
そして、地方ごとに残されていた数百年前の伝承。
会議室は重苦しい空気に包まれていた。
「日本政府の追加報告です。」
事務局員が新たな資料を表示する。
「現在までに確認された関連資料は百二十七件。」
「そのうち七十八件に、『背の高い女性』『夜』『声』『目撃者への異変』という四つの共通要素が確認されています。」
アメリカ代表が腕を組む。
「捏造ではないのか。」
その問いに、日本代表が静かに答えた。
「年代測定済みの資料も含まれています。」
「現時点で偽造を示す証拠は確認されていません。」
イギリス代表が口を開く。
「つまり、日本国内で数百年にわたり同じ伝承が残されていた可能性がある、と。」
「可能性としては否定できません。」
再び沈黙が流れる。
会議へ参加する誰もが理解していた。
もしそれが事実なら。
八尺様は最近現れた存在ではない。
人類が長い歴史の中で、断片的に遭遇し続けてきた存在ということになる。
「各国へ通達します。」
議長が静かに宣言した。
「日本と類似する伝承、古文書、民話、口承が存在する場合は、速やかにWAROへ報告してください。」
「発見地域、年代、内容を問わず、すべて調査対象とします。」
反対する者はいなかった。
満場一致で可決される。
調査対象は、ついに日本国内だけではなく、世界全体へ広がった。
♢
同時刻。
日本・SDA本部。
保護施設の経過報告と並行して、各地方自治体から古い資料の情報が次々と届いていた。
「岐阜県より三件。」
「宮崎県より五件。」
「岩手県より二件追加。」
職員は大型モニターへ全国地図を表示する。
発見地点を示す印が、ゆっくりと日本列島全体へ広がっていく。
北海道。
東北。
関東。
中部。
近畿。
中国。
四国。
九州。
ほぼ全国だった。
「偏りがありません。」
一人の職員が呟く。
「昔話として語り継がれた地域もあれば、村の記録として残されていた地域もあります。」
「ですが。」
「内容だけは驚くほど一致しています。」
局長は地図を見つめたまま尋ねた。
「年代は。」
「最も古いものは室町時代後期と推定。」
「江戸時代の記録が最も多く、明治、大正まで断続的に続いています。」
「現代だけの現象ではない、ということか。」
誰も答えなかった。
答えは、資料そのものが示していた。
目撃した者。
声を聞いた者。
夜を恐れた者。
数百年という時間を隔てても、その記録だけはほとんど変わっていなかった。
♢
午後二時十六分。
世界最大報道機関・WENは特別番組を開始した。
『日本で発見が相次ぐ歴史資料について、各国でも独自調査が始まりました。』
画面には、日本各地の古文書だけでなく、海外の博物館や大学で資料を調べる研究者たちの姿が映し出される。
世界は今、「八尺様」という一つの伝承を、日本だけの問題として見なくなり始めていた。
その認識は、静かに、しかし確実に広がっていく。
誰もが同じ疑問を抱いていた。
もし本当に昔から存在していたのなら。
人類は、いったい何百年もの間、何を見続けてきたのだろうか。
♢
午後三時四十八分。
国立超常現象研究所――NPRI。
古文書解析室には、全国から届けられた資料が積み上げられていた。
和綴じ本。
村の記録。
寺社へ奉納された古文書。
個人の日記。
その数は、午前中の時点からさらに倍近くまで増えている。
「追加資料、二十三件。」
職員が段ボール箱を運び込む。
「京都、島根、鹿児島からです。」
研究員たちは一冊ずつ慎重に開いていく。
どの資料も年代は異なる。
紙質も違う。
書き手も違う。
しかし、その内容だけは奇妙なほど一致していた。
『高き女を見し者、家へ戻れど安眠できず。』
『声は日に日に近付く。』
『七日を越えてなお声が続くならば、決して外を見るな。』
室内に静かな緊張が走る。
「……七日。」
一人の研究員が呟いた。
「どうした。」
所長が振り返る。
「現在保護している目撃者ですが、最初の目撃から七日前後の人が何名かいます。」
「症状との一致を確認します。」
すぐに保護施設のデータが呼び出される。
目撃日時。
発症日時。
保護日時。
すべてが時系列で並べられた。
「対象者十二。」
「目撃から六日。」
「対象者二十七。」
「七日目です。」
「対象者三十一。」
「七日経過。」
解析室の空気が変わる。
偶然かもしれない。
だが、その偶然を無視できる段階ではなかった。
「全対象者について再確認してください。」
「七日という期間に意味がある可能性があります。」
「了解。」
研究員たちは一斉に作業へ戻る。
♢
同時刻。
神話考証機構でも、新たな発見が報告されていた。
「こちらをご覧ください。」
一人の調査員が、古い巻物を広げる。
そこには村人たちが代々書き加えてきたと思われる記録が残されていた。
『高き女を見し者は、一人で夜を越すな。』
『七日が過ぎるまでは、家族と共に過ごせ。』
『声へ返事をしてはならぬ。』
『窓を開けてはならぬ。』
民俗学者たちは顔を見合わせる。
「妙ですね。」
「現在報告されている症状と一致しています。」
別の学者が頷く。
「昔の人間は理由を知らなかった。」
「ですが、経験則として残した可能性があります。」
会議室は静まり返る。
伝承とは、本来曖昧なものだ。
時代とともに姿を変え、誇張され、失われていく。
それなのに、この伝承だけは核心となる部分がほとんど変わっていなかった。
まるで、何度も同じ出来事が繰り返されてきたかのように。
♢
午後四時三十五分。
その情報は、世界へも伝わり始める。
WENは速報を配信した。
『日本の研究機関は、八尺様に関する古文書から「七日」という共通記述を確認。現時点で関連性は調査中。』
記事は瞬く間に拡散される。
Linkでは、
『七日って何だ?』
『目撃から七日?』
『だから保護施設で様子を見てるのか。』
『伝承が本当なら怖すぎる。』
『偶然にしては一致しすぎ。』
という投稿が相次いだ。
Open Forumでも新たな議論が始まる。
【八尺様の伝承、「七日」が共通してる件】
1:名無しの探索者
また新しい情報来た。
2:名無しの探索者
七日って何が起きるんだ。
3:名無しの探索者
保護されてる人、大丈夫なのか。
4:名無しの探索者
昔の記録にも残ってるらしい。
5:名無しの探索者
だったら昔の人はどうしてたんだ?
6:名無しの探索者
返事するな、窓を見るなって書いてある。
7:名無しの探索者
全部今の症状と一致してるじゃん。
8:名無しの探索者
都市伝説じゃなくて警告だったのか……?
最後の書き込みには、多くの利用者が反応した。
世界の空気は、また一歩変わる。
人々は八尺様を「噂」として語らなくなっていた。
それは、長い歴史の中で人々が恐れ、語り継ぎ、そして警告として残してきた「伝承」なのではないか。
そんな認識が、静かに世界へ根付き始めていた。
♢
午後六時十一分。
保護施設では、七日目を迎える目撃者たちの観察が最優先事項となっていた。
SDA職員は巡回回数を通常の三倍まで増やし、医師とNPRIの研究員も施設内へ常駐している。
談話室では、保護対象者たちが静かにテレビを見つめていた。
画面には、WENの特別番組が映っている。
『全国各地から発見された伝承には、「七日」という共通した記述が見つかっています。』
『現在、研究機関が関連性を調査しています。』
部屋は静まり返っていた。
誰も話そうとしない。
その沈黙を破ったのは、榎本春斗だった。
「……今日で。」
誰もが彼を見る。
「今日で、七日目です。」
その一言だけで、部屋の空気が凍り付く。
目撃者たちは互いの顔を見合わせた。
七日。
その言葉は、すでに全員が知っていた。
ニュースでも。
職員同士の会話でも。
スマートフォンでも。
繰り返し目にしてきた。
だからこそ、恐怖は以前よりも大きくなっていた。
春斗は苦笑いを浮かべる。
「……大丈夫ですよね。」
しかし、その声には自分を安心させようとする色しかなかった。
近くにいた中年男性が、小さく頷く。
「きっと大丈夫だ。」
「ここには先生もいる。」
「職員も警備もいる。」
「昔とは違う。」
その言葉へ、何人かが頷いた。
そう信じたかった。
信じなければ、平静ではいられなかった。
♢
午後六時四十分。
監視室では、七日目を迎えた対象者だけが別画面へ表示されていた。
「対象者十二、異常なし。」
「対象者十九、異常なし。」
「対象者二十七、異常なし。」
「榎本春斗、異常なし。」
責任者は静かに頷く。
「予定通り十分間隔で確認を続けます。」
「はい。」
部屋にはキーボードを叩く音だけが響いていた。
その時。
コンコン。
監視室の扉が叩かれる。
「どうぞ。」
返事をする。
しかし、誰も入ってこない。
若い職員が扉を開ける。
廊下には誰もいなかった。
「……巡回班ですかね。」
そう呟いて席へ戻る。
誰も深く気には留めなかった。
♢
午後七時七分。
榎本春斗は、自室で静かに本を読んでいた。
内容は頭へ入ってこない。
ページだけがめくられていく。
ふと、時計を見る。
七時七分。
理由もなく胸騒ぎがした。
窓は閉まっている。
扉も閉まっている。
部屋の外では職員が巡回している足音も聞こえる。
「……考えすぎだ。」
自分へ言い聞かせる。
その時だった。
――ぽ。
また、小さな声が聞こえた。
春斗は本を持つ手を止める。
昨日も聞いた。
今日も聞こえた。
距離は分からない。
方向も分からない。
それでも、一つだけ確信できることがあった。
昨日より近い。
その感覚だけは、はっきりと分かった。
春斗はゆっくりと息を呑む。
「……近付いてる。」
思わず漏れたその一言は、静かな部屋へ吸い込まれるように消えていった。
♢
午後七時二十八分。
榎本春斗がナースコールを押してから、一分も経たないうちにSDA職員と医師が部屋へ駆け込んできた。
「榎本さん、大丈夫ですか。」
年配の医師が穏やかな声で尋ねる。
春斗は青ざめた表情のまま頷いた。
「……また聞こえました。」
「『ぽぽ』という声です。」
「昨日より、近かった。」
医師は手元の記録端末へ入力しながら続ける。
「どちらの方向から聞こえましたか。」
「分かりません。」
「部屋の外なのか、中なのかも。」
「ただ……。」
春斗は拳を握り締める。
「確実に近付いています。」
その一言を聞いた職員は、無線機へ手を伸ばした。
「監視室、対象者二十七号室です。」
「新たな証言を確認。」
「昨日より音源が近付いたと証言しています。」
無線の向こうで短く返答が返る。
『了解。全館巡回を実施します。』
♢
午後七時四十三分。
施設内では、同じような報告が相次いでいた。
「対象者十一。」
「昨日より声が近いと証言。」
「対象者十八。」
「誰かが部屋の前で立ち止まった感覚。」
「対象者三十三。」
「窓の向こうから視線を感じる。」
責任者は報告書を並べ、ゆっくりと眉をひそめる。
「昨日との違いは。」
一人の職員が答えた。
「恐怖の内容ではありません。」
「距離です。」
「全員が、『昨日より近い』と証言しています。」
部屋の空気が凍り付く。
誰もが同じ考えへ辿り着いた。
近付いている。
何がとは言えない。
だが、目撃者たちは全員、それを確信していた。
♢
午後八時十分。
NPRI解析室。
保護施設から送られてきた証言は、時系列順に整理されていた。
「七日目。」
「全対象者に共通する新しい証言を確認。」
研究員が大型モニターを操作する。
画面には同じ言葉が並んでいた。
『近付いている。』
『昨日より近い。』
『日に日に声が大きくなる。』
『距離が縮まっている気がする。』
所長は腕を組み、静かに資料を見つめる。
「これまでの古文書には。」
一人の研究員が別の資料を開く。
「はい。」
「類似する記述があります。」
読み上げる。
『初日は遠し。』
『二日目は近し。』
『七日目には、すぐ傍らに立つ。』
解析室は静まり返った。
誰も言葉を発しない。
古文書と現在の証言。
時代を超えて、その内容が一致し始めていた。
「偶然とは考えにくいですね。」
「……ああ。」
所長は小さく頷く。
「伝承は作り話ではなく、観察記録だった可能性があります。」
その言葉を聞いた研究員たちは息を呑んだ。
♢
午後八時四十七分。
その情報はまだ一般へ公開されていない。
世界中の人々は、「七日」という言葉だけを知っている。
しかし、保護施設の中では恐怖が確実に進行していた。
誰も姿を見ていない。
誰も監視カメラへ映っていない。
それでも、目撃者たちは同じことを口にする。
「近付いている。」
その一言だけが、保護施設全体へ静かに広がっていった。
そして誰もまだ知らない。
その「距離」が縮まった先で、何が待っているのかを。
♢
午後十時三分。
都内、高層マンション。
静かな部屋には、テレビも音楽も流れていない。
聞こえるのは、時計の秒針が刻む小さな音だけ。
真白空はソファへ深く腰掛け、テーブルへ並べられた複数の画面を眺めていた。
Link。
Vision。
Open Forum。
WEN。
SDAの記者会見。
世界中の情報が、一つの部屋へ集まっている。
空はコーヒーカップを手に取り、小さく微笑んだ。
「面白い。」
穏やかな声が静かな部屋へ響く。
「私は”種”を置いただけ。」
「それなのに世界は、自分たちで歴史を掘り起こし始めた。」
画面には、全国各地から発見された古文書が映し出されている。
地方の伝承。
寺社の記録。
村人の日記。
郷土史。
世界は、それらを必死に繋ぎ合わせ、一つの答えへ辿り着こうとしていた。
「そう。」
「人は、一つだけでは信じない。」
「二つでも疑う。」
「でも、百も二百も並べられれば、自分から信じ始める。」
空は静かに目を細める。
今回、自分が創ったのは「八尺様」という存在だけ。
伝承を作ったわけではない。
古文書を書いたわけでもない。
村の記録を残したわけでもない。
それでも世界は、何百年という歴史を自ら補完した。
その働きは、空自身が見ても興味深いものだった。
「今回は随分と丁寧だね。」
「神社まで用意するとは思わなかった。」
画面には、小さな地方神社の映像が映っている。
昨日まで誰も注目しなかった神社。
しかし今日、その社殿の奥から「高き女」に関する古い記録が見つかったと報じられていた。
空は小さく笑う。
「そこまで繋げるんだ。」
「やっぱり、この世界は期待を裏切らない。」
♢
視線を移せば、Open Forumでは今も議論が続いている。
【八尺様って本当に昔からいたんだな】
1:名無しの探索者
都市伝説じゃなく伝承だった。
2:名無しの探索者
今まで知らなかっただけか。
3:名無しの探索者
古文書多すぎる。
4:名無しの探索者
全国にあるとか笑えない。
5:名無しの探索者
笑えないよ。
6:名無しの探索者
保護施設もあるし、本物なんだろうな。
7:名無しの探索者
昔の人も同じ目に遭ってたってことか。
8:名無しの探索者
だから記録を残したんだろ。
空は掲示板を閉じる。
「完全に受け入れ始めた。」
「誰かが教えたわけでもない。」
「誰かが命令したわけでもない。」
「世界は、自分自身で結論へ近付いていく。」
それこそが、空にとって何より面白い瞬間だった。
力を見せ付けたいわけではない。
恐怖を与えたいわけでもない。
ただ、自分が置いた小さな”種”から、世界そのものがどれほど壮大な物語を生み出すのか。
その過程を眺めることが、何よりの愉悦だった。
空はゆっくりと立ち上がり、夜景を見渡す。
数え切れない灯り。
その一つひとつの下で、誰かが今日も八尺様について考えている。
研究者は資料を読み。
政府は対策を練り。
一般市民は夜の窓を恐れる。
誰もが、それぞれの答えを探していた。
空は静かに微笑む。
「さて。」
「ここまでは、世界が思った以上によく踊ってくれた。」
「それじゃあ。」
「次は、どんな結末を見せてくれるのかな。」
その穏やかな声は、夜の静寂へ溶けるように消えていった。
♢
午後十一時四十二分。
夜も更け、日本各地の明かりが少しずつ消え始める。
しかし、その静けさとは裏腹に、世界の情報網は眠ることを知らなかった。
Linkでは「八尺様」が二日連続で世界トレンド一位を維持し続けている。
Visionには考察動画や検証配信が絶え間なく投稿され、Open Forumでは深夜にもかかわらず議論が続いていた。
【八尺様の伝承、どこまで本当なんだ】
1:名無しの探索者
昔話だと思ってた。
2:名無しの探索者
でも古文書が多すぎる。
3:名無しの探索者
全国から出てくるのおかしい。
4:名無しの探索者
保護施設の件もあるしな。
5:名無しの探索者
七日っていう共通点まで一致してる。
6:名無しの探索者
もう都市伝説じゃなくて歴史じゃん。
7:名無しの探索者
昔の人はどうやって生き残ってたんだ?
8:名無しの探索者
まだ記録が残ってるなら、対処法もあるはず。
9:名無しの探索者
探せ。
10:名無しの探索者
絶対どこかに答えがある。
その最後の書き込みには、短時間で数千件の賛同が集まった。
世界は恐怖するだけでは終わらない。
恐怖を理解しようとする。
理解できないなら、歴史を調べる。
歴史に答えがないなら、新たな歴史を積み重ねる。
人類はそうやって、未知と向き合い続けてきた。
♢
午後十一時五十六分。
世界異常対策機構――WARO。
その日の最後の報告書が各国へ共有される。
『現時点において、八尺様に関する伝承は日本国内で百五十七件確認。』
『資料の年代は室町時代後期から現代まで連続性を有する。』
『現在も追加資料の収集を継続中。』
報告書の最後には、一文だけ付け加えられていた。
『伝承ではなく、長期間にわたる観測記録である可能性を否定できない。』
その文章は世界中の研究機関へ送信される。
そして新たな調査が、また始まろうとしていた。
♢
都内、高層マンション。
真白空は窓際へ立ち、街の夜景を静かに眺めていた。
無数の灯り。
その一つひとつに、人の営みがある。
笑う者。
泣く者。
眠れない者。
今日も八尺様について語り合う者。
世界は誰に命じられることもなく、自ら歴史を積み重ね続けていた。
空は静かに目を閉じる。
「伝承。」
「記録。」
「歴史。」
「面白い。」
「私は何一つ用意していない。」
「それでも世界は、自分自身で答えへ近付こうとする。」
小さく笑みを浮かべる。
その表情に驕りはない。
ただ純粋な興味だけが宿っていた。
やがて空は、テーブルの上へ置かれた一枚の白紙へ視線を向ける。
まだ何も書かれていない。
何も描かれていない。
可能性だけが広がる、真っ白な一枚。
空はその紙を指先で軽くなぞり、穏やかに呟いた。
「八尺様は、もう十分に世界へ根付いた。」
「それなら。」
「次は、少し違う”種”を置いてみよう。」
その瞬間。
白紙の中央へ、小さな黒い染みが一つだけ浮かび上がる。
それが何なのか。
どんな意味を持つのか。
まだ空自身も決めてはいない。
ただ一つだけ確かなことがある。
明日になれば、この世界はまた自ら歴史を補完し始める。
空は白紙を見つめたまま、小さく微笑んだ。
「さて。」
「今度は、どんな物語を見せてくれるのかな。」
静かな夜の部屋には、その期待を含んだ声だけが、いつまでも穏やかに残っていた。
楽しんでいただけました?