愉悦者は嘲笑う~世界を書き換えて遊んでいたら、政府も軍も本気で世界の真実を探し始めた~   作:ユーザーA

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2話です
どうぞ


終電検証

昼に投稿された一枚の新聞記事は、世界中の人々が思っていた以上に大きな波紋を呼んでいた。

 

 都市伝説。

 

 創作。

 

 ネット怪談。

 

 そう片付けられてきた「きさらぎ駅」。

 

 だが、その存在を裏付けるかのような新聞記事、古い鉄道資料、そして時代の異なる複数の記録が次々と発見されたことで、世界は静かに、しかし確実に揺れ始めていた。

 

 最初は笑っていた者も、時間が経つにつれ笑えなくなる。

 

 否定していた者ほど、証拠を探し始める。

 

 人間とはそういう生き物だった。

 

 真白空は、自室のソファへ深く腰掛けながら、その様子を静かに眺めていた。

 

 テーブルには飲みかけのコーヒー。

 

 窓の外には、いつもと変わらない夕焼け。

 

 世界は何一つ変わっていない。

 

 変わったのは、人々の認識だけだった。

 

「面白い。」

 

 空はそれだけ呟く。

 

 誰かを支配したいわけではない。

 

 誰かを救いたいわけでもない。

 

 ただ、人々が自ら答えを探し、自ら混乱し、自ら世界を書き換えていく姿を見ることが、何よりも愉快だった。

 

 空はリモコンを手に取り、モニターを一枚ずつ点けていく。

 

 一枚目。

 

 Open Forum。

 

 二枚目。

 

 Link。

 

 三枚目。

 

 Vision。

 

 どの画面にも、「きさらぎ駅」の文字が並んでいた。

 

 Open Forumでは、新しいスレッドが立ち続けている。

 

【速報】きさらぎ駅資料また見つかる

 

【考察】新聞記事は本物なのか

 

【鉄道】如月駅付近点検とは何だったのか

 

【検証】終電へ乗れば行ける説

 

 数分おきに新しいスレッドが立ち、数百件、数千件という書き込みが積み重なっていく。

 

 Linkでも同様だった。

 

 トレンド一位。

 

 #きさらぎ駅

 

 二位。

 

 #存在しない駅

 

 三位。

 

 #終電検証

 

 昼には半信半疑だった投稿も、夕方になる頃には空気が変わっていた。

 

『流石に資料多すぎない?』

 

『創作だけじゃ説明できなくなってきた。』

 

『誰か実際に終電乗ってきて。』

 

『今夜検証する配信者いないの?』

 

『見つけたら絶対見る。』

 

 Visionでも異変は起きていた。

 

 考察動画。

 

 まとめ動画。

 

 ライブ配信予告。

 

 普段はゲーム実況しかしていない配信者までもが、「今夜、終電検証をやります」と宣言し始めている。

 

 再生数は、異常だった。

 

 一時間前に投稿された動画が、すでに百五十万再生。

 

 二百万再生。

 

 三百万再生。

 

 勢いは止まらない。

 

 画面を見つめる空は、小さく笑った。

 

「結局、人間は未知が好きなんだ。」

 

 怖い。

 

 信じたくない。

 

 けれど、見てみたい。

 

 その矛盾した感情こそ、人間という存在の面白さだった。

 

 Open Forumには、新しいスレッドが立つ。

 

【今夜終電検証する配信者まとめ】

 

1:名無しの探索者

 

今分かってるだけで八人。

 

都市伝説専門、鉄道系、心霊配信者、雑談配信者まで参戦。

 

今日は祭りだ。

 

2:名無しの探索者

 

絶対見る。

 

3:名無しの探索者

 

何も起きないだろ。

 

4:名無しの探索者

 

でも見たい。

 

5:名無しの探索者

 

こういう祭り久しぶり。

 

6:名無しの探索者

 

誰か本当に行ったら歴史変わるぞ。

 

7:名無しの探索者

 

いや、帰ってこられなかったら笑えない。

 

8:名無しの探索者

 

だから都市伝説なんだって。

 

9:名無しの探索者

 

……そうだよな?

 

 その最後の書き込みだけが、どこか空気を変えた。

 

 誰も「絶対に嘘だ」と断言できなくなっている。

 

 それが、空にはたまらなく愉快だった。

 

 世界はまだ平和だった。

 

 警察も。

 

 政府も。

 

 研究者も。

 

 まだ本気では動いていない。

 

 だが、その境界線は確実に近付いている。

 

 たった一人。

 

 たった一件。

 

 本物が現れれば、世界は後戻りできなくなる。

 

 空はコーヒーを一口飲み、Visionのライブ配信予定一覧を開いた。

 

 配信開始まで、あと三十分。

 

 画面には「終電検証」の文字が、次々と並んでいた。

 

 そのどれもが、自分たちはただの企画だと思っている。

 

 だが、その中の誰か一人は、本当に境界線を越える。

 

 空は静かに笑みを浮かべた。

 

「さて。」

 

「今夜は、誰が最初の役者になるんだろうね。」

 

 

♢

 

 

時刻は午後八時を回っていた。

 

 夜が近付くにつれ、ネットの熱量は増していく。

 

 普段ならゲームや芸能ニュースが並ぶLinkのトレンドは、上位十件の半分以上が「きさらぎ駅」に関係する話題で埋め尽くされていた。

 

 人々は仕事を終え、学校から帰宅し、食事を済ませ、スマートフォンを手に取る。

 

 そして今日という一日の出来事を知る。

 

 そこで初めて、「きさらぎ駅」の存在を知る者も少なくなかった。

 

『何これ?』

 

『また新しいホラー?』

 

『トレンド全部きさらぎ駅じゃん。』

 

『昼からずっと一位なんだけど。』

 

『新聞記事見たけど普通に怖い。』

 

『誰か説明して。』

 

 その投稿へ、すぐに何百件もの返信が付く。

 

『元はネット怪談。』

 

『存在しない駅の都市伝説。』

 

『今日は資料が大量に見つかって祭りになってる。』

 

『夜に終電検証する配信者がいる。』

 

『見るなら今日。』

 

 情報は情報を呼び、人は人を呼ぶ。

 

 誰かが「見に行こう」と言えば、十人が集まる。

 

 十人が集まれば百人が話題にする。

 

 百人が話題にすれば、世界中へ広がる。

 

 誰も命令していない。

 

 誰も誘導していない。

 

 それでも、人間は自ら集まり、自ら熱狂していく。

 

 真白空は、その流れを静かに見つめていた。

 

「これだから、人間は面白い。」

 

 空は何もしていない。

 

 世界へ一つの”嘘”を置いただけ。

 

 後は人々が勝手に考え、勝手に恐れ、勝手に世界を変えていく。

 

 Open Forumでは、また新しいスレッドが立っていた。

 

【今夜検証するならどの路線?】

 

1:名無しの探索者

 

終電乗るならどこが一番それっぽい?

 

2:名無しの探索者

 

ローカル線。

 

3:名無しの探索者

 

終点近い路線。

 

4:名無しの探索者

 

人が少ない所だろ。

 

5:名無しの探索者

 

でも条件なんて全部後付けじゃね?

 

6:名無しの探索者

 

昔の怪談だと「気付いたら知らない駅」だった気がする。

 

7:名無しの探索者

 

つまりどこでも可能性ある?

 

8:名無しの探索者

 

やめろ怖い。

 

9:名無しの探索者

 

今夜終電乗る予定なんだけど。

 

10:名無しの探索者

 

頑張れ。

 

11:名無しの探索者

 

頑張るな。

 

12:名無しの探索者

 

無事に帰ってこい。

 

 冗談半分。

 

 本気半分。

 

 そんな空気だった。

 

 まだ誰も、本当に怪異が起きるとは思っていない。

 

 いや、思いたくないだけなのかもしれない。

 

 Visionでは、配信開始の待機画面が次々と表示され始める。

 

【今夜、本当に終電へ乗ります】

 

【都市伝説検証ライブ】

 

【きさらぎ駅へ行けるのか】

 

 待機人数は一万人。

 

 二万人。

 

 三万人。

 

 配信開始前にもかかわらず、数字は増え続けていた。

 

 コメント欄も止まらない。

 

『待機。』

 

『仕事終わって急いで来た。』

 

『本当にやるの?』

 

『無茶するなよ。』

 

『どうせ何も起きない。』

 

『でも見届ける。』

 

 空は配信一覧を眺めながら、小さく息を吐いた。

 

「舞台は整った。」

 

 後は始まるだけ。

 

 役者は揃った。

 

 観客も揃った。

 

 世界中が、一つの都市伝説へ視線を向けている。

 

 その瞬間を待っている。

 

 もし何も起きなければ、人々は「やっぱり創作だった」と笑うだろう。

 

 もし何かが起きれば、その瞬間から世界は元には戻らない。

 

 空は、そのどちらでも構わなかった。

 

 重要なのは結果ではない。

 

 人間がどう反応するか。

 

 その過程こそが、最高の娯楽だった。

 

 時計の針は午後九時を指す。

 

 Visionの待機画面が一つ、また一つと配信画面へ切り替わっていく。

 

 そして、その中でも一際多くの視聴者を集めている配信があった。

 

 登録者四十五万人。

 

 普段は雑談やゲーム実況を中心に活動する配信者。

 

 企画名は、ただ一言。

 

【終電検証】

 

 開始まで、あと五分。

 

 待機人数は、すでに五万人を超えていた。

 

 空はその画面を開いたまま、静かに笑った。

 

「始まるね。」

 

 

♢

 

 

配信開始まで、残り三分。

 

 Visionのトップページには、同じようなタイトルの配信がいくつも並んでいた。

 

 だが、その中でも一番多くの視聴者を集めていたのは、雑談配信者・ユウトの配信だった。

 

 登録者数四十五万人。

 

 普段はゲーム実況や雑談配信を中心に活動しており、都市伝説を専門に扱う配信者ではない。

 

 だからこそ、多くの視聴者は興味を持っていた。

 

 本気で心霊現象を信じている人間ではなく、ごく普通の配信者が終電へ乗る。

 

 その方が「検証」としての説得力があると考えたのだ。

 

 待機画面には、開始を知らせるカウントダウンが表示されている。

 

 残り二分。

 

 コメント欄は、配信前とは思えない勢いで流れていた。

 

『待機。』

 

『仕事終わらせて飛んできた。』

 

『今日の主役。』

 

『絶対何も起きない。』

 

『でも見たい。』

 

『新聞記事が気になりすぎる。』

 

『終電乗るだけだよな?』

 

『頼むから無茶だけはするな。』

 

 待機人数は六万人を突破した。

 

 数字は止まらない。

 

 更新されるたびに数千人単位で増え続ける。

 

 Linkでも同時に話題となっていた。

 

『ユウトの配信始まるぞ。』

 

『今日一番見るべき配信。』

 

『七万人待機ってヤバくない?』

 

『テレビより人集まってるじゃん。』

 

『歴史の目撃者になるかもしれない。』

 

 その投稿へ、「そんな大げさな」と笑う返信が付く一方で、「本当に何か起きそうで怖い」という投稿も少なくなかった。

 

 Open Forumでは実況スレが立ち上がる。

 

【実況】終電検証ライブを見るスレ

 

1:名無しの探索者

 

始まるぞ。

 

2:名無しの探索者

 

ユウト待機七万人。

 

3:名無しの探索者

 

都市伝説専門より多くて草。

 

4:名無しの探索者

 

一般人目線だから見やすい。

 

5:名無しの探索者

 

頼むから無事帰ってこい。

 

6:名無しの探索者

 

まだ何も始まってないのに緊張する。

 

7:名無しの探索者

 

分かる。

 

8:名無しの探索者

 

結局みんな怖いもの見たさなんだよ。

 

 午後九時ちょうど。

 

 待機画面が切り替わった。

 

 カメラが映すのは、夜の駅前だった。

 

 街灯に照らされたロータリー。

 

 行き交う人々。

 

 遠くを走るタクシー。

 

 どこにでもある、ごく普通の駅前風景。

 

「こんばんは。」

 

 画面の中で、ユウトが軽く手を振る。

 

 黒いパーカーにジーンズというラフな服装。

 

 普段の配信と何も変わらない。

 

「急な企画なんだけど、今日は今ネットで話題になってる『きさらぎ駅』を検証してみようと思います。」

 

 コメント欄が一気に加速した。

 

『きたあああ!』

 

『待ってた!』

 

『始まった!』

 

『無事で帰れよ!』

 

『普通に楽しみ!』

 

 ユウトは笑いながら駅舎を指差す。

 

「安心してください。危険なことはしません。ただ終電に乗るだけです。」

 

「ネットだと『終電に乗ると行ける』とかいろいろ言われてるんだけど、流石に都市伝説だからね。」

 

「普通に終点まで行って、何もありませんでしたって報告して帰ってきます。」

 

 その言葉に、コメント欄は少し安心したような空気になる。

 

『それでいい。』

 

『無理だけはするな。』

 

『終電乗るだけなら大丈夫。』

 

『駅員さんの迷惑になることだけはするなよ。』

 

 ユウトは頷く。

 

「もちろん。」

 

「今日は検証だけ。」

 

「勝手に線路へ入ったり、立入禁止の場所へ行ったりは絶対しません。」

 

 その誠実な説明に、多くの視聴者が安堵する。

 

 Open Forumでも反応が続く。

 

9:名無しの探索者

 

ちゃんとしてるな。

 

10:名無しの探索者

 

好感持てる。

 

11:名無しの探索者

 

これなら安心。

 

12:名無しの探索者

 

普通の検証だな。

 

13:名無しの探索者

 

逆にそれが一番怖い。

 

14:名無しの探索者

 

分かる。

 

15:名無しの探索者

 

何も起きないで終わってくれ。

 

 ユウトは駅前広場を歩きながら、スマートフォンでニュース記事を開いた。

 

「今日一日で、新聞記事とか鉄道資料とか、いろいろ見つかったじゃないですか。」

 

「正直、俺も全部見たんですよ。」

 

「でもね。」

 

「だからって本当に異世界の駅へ行けるとは思ってないです。」

 

 そう笑って肩をすくめる。

 

「ただ、これだけ話題になってるなら、一回くらい実際に試してみてもいいかなって。」

 

 コメント欄には賛否が入り混じる。

 

『そういうノリ好き。』

 

『冷静で安心した。』

 

『でも怖い。』

 

『今日は何かありそうなんだよな。』

 

『俺も終電だけは乗りたくない。』

 

 ユウトは改札の前で立ち止まった。

 

 駅構内にはまだ人が多い。

 

 仕事帰りの会社員。

 

 学生。

 

 買い物帰りの家族。

 

 誰もが普段通りの日常を過ごしている。

 

 その光景を映しながら、ユウトは苦笑した。

 

「ほら。」

 

「いつも通りでしょ。」

 

「ネットは大騒ぎだけど、現実はこんなもんです。」

 

 その言葉に、多くの視聴者が「そうだよな」と安心する。

 

 誰も、この数時間後に世界が一変するとは思っていなかった。

 

 

♢

 

 

ユウトは改札前の時計へ目を向けた。

 

 午後九時十三分。

 

 終電までは、まだ十分以上の余裕がある。

 

「時間もありますし、今日は皆さんから来てるコメントを読みながら雑談していこうと思います。」

 

 そう言うと、コメント欄はさらに勢いを増した。

 

『質問!』

 

『本当に怖くないの?』

 

『やめとけって!』

 

『彼女いる?』

 

『関係なくて草』

 

 ユウトは笑いながらコメントを拾っていく。

 

「怖くないかって?」

 

「いや、普通に怖いですよ。」

 

「ホラー映画とか苦手だし。」

 

「でも、今日だけはちょっと気になっちゃって。」

 

「ここまで話題になると、自分の目で確かめたくなるじゃないですか。」

 

 その言葉に、多くの視聴者が共感した。

 

『それは分かる。』

 

『俺も同じ。』

 

『だから見てる。』

 

『結局、好奇心なんだよな。』

 

「そうそう。」

 

「怖いんだけど、見たい。」

 

「そういう感じです。」

 

 ユウトはスマートフォンを少し持ち上げ、駅前をゆっくり映した。

 

 自動販売機。

 

 コンビニ。

 

 タクシー乗り場。

 

 仕事帰りの人々。

 

 何一つ異常はない。

 

 その「普通」が、視聴者を少し安心させていた。

 

 一方、その頃。

 

 Open Forumでは別のスレッドが急速に伸び始めていた。

 

【検証配信まとめ】

 

1:名無しの探索者

 

今夜配信してる人まとめ。

 

・都市伝説専門 登録者12万人

・鉄道専門 登録者8万人

・心霊系女性配信者 登録者15万人

・雑談配信者ユウト 登録者45万人

・その他数名

 

2:名無しの探索者

 

ユウトだけ勢い違いすぎる。

 

3:名無しの探索者

 

同接八万人超えた。

 

4:名無しの探索者

 

テレビかよ。

 

5:名無しの探索者

 

普段ホラー見ない層も来てるからな。

 

6:名無しの探索者

 

ニュース見て来た。

 

7:名無しの探索者

 

俺も。

 

8:名無しの探索者

 

これで何もなかったら平和で終わり。

 

9:名無しの探索者

 

それが一番いい。

 

10:名無しの探索者

 

でも少しだけ期待してる自分がいる。

 

11:名無しの探索者

 

最低だなお前。

 

12:名無しの探索者

 

分かるけどな。

 

 スレッドは笑い混じりで進んでいた。

 

 まだ、この時点では。

 

 誰もが「安全圏」から怪談を楽しんでいた。

 

 その空気は、Visionのコメント欄も同じだった。

 

『登録した。』

 

『初見です。』

 

『ニュースから来ました。』

 

『終電って何時?』

 

『帰れるなら帰ってね。』

 

『最後まで見届ける。』

 

 視聴者数は九万人を突破する。

 

 更新されるたびに増えていく数字へ、ユウト自身も苦笑した。

 

「九万人って……。」

 

「こんな配信、普段なら絶対ないですよ。」

 

「皆、好きなんですね。」

 

 そう笑いながら改札へ歩き出す。

 

 駅員へ軽く会釈し、交通系ICカードを改札へかざす。

 

 ピッ。

 

 軽い電子音。

 

 何も変わらない。

 

 普段と同じ音。

 

 普段と同じ改札。

 

 普段と同じ駅。

 

「それじゃあ。」

 

「行ってきます。」

 

 その一言に、コメント欄は一斉に流れ始めた。

 

『行ってらっしゃい!』

 

『無事で帰れ!』

 

『頑張れ!』

 

『何も起きるな!』

 

『でも最後まで見る!』

 

 ユウトはホームへ向かう階段を上り始める。

 

 一段。

 

 また一段。

 

 スマートフォンの映像は少し揺れる。

 

 階段を上り切ると、夜風が頬を撫でた。

 

 ホームには終電を待つ人々が数人立っている。

 

 スーツ姿の会社員。

 

 イヤホンを付けた学生。

 

 ベンチでスマートフォンを眺める女性。

 

 どこにでもいる、ごく普通の乗客たちだった。

 

 ユウトはカメラを下げ、周囲の人の顔が映らないよう注意しながら、小さく話す。

 

「思ったより人いますね。」

 

「終電だから、もっと誰もいないかと思ってました。」

 

 コメント欄にも安心したような反応が流れる。

 

『普通だな。』

 

『終電でも結構いる。』

 

『良かった。』

 

『何も怖くないじゃん。』

 

 ユウトはホームの時刻表を映す。

 

 終電まで、あと三分。

 

 夜のホームは静かだった。

 

 遠くから電車の走行音が聞こえる。

 

 アナウンスが流れる。

 

 向かい側のホームへ列車が滑り込む。

 

 すべてが、いつも通りの日常。

 

 その日常を見ながら、ユウトは笑う。

 

「ほら。」

 

「結局、普通ですよ。」

 

「ネットって大げさなんですよね。」

 

 その言葉に、視聴者の多くが安堵した。

 

 誰もが「このまま終わる」と思い始めていた。

 

 だが。

 

 ホームの端に設置された電光掲示板が。

 

 ほんの一瞬だけ。

 

 誰にも気付かれないほど短く。

 

 小さく明滅した。

 

 ユウトは気付かなかった。

 

 ホームにいた乗客も気付かない。

 

 だが。

 

 配信画面を録画していた一人の視聴者だけが、その違和感を見ていた。

 

 そして、その小さな異変が。

 

 今夜、世界を変える最初の予兆だった。

 

 

♢

 

 

電光掲示板の明滅に気付いた者は、ほとんどいなかった。

 

 ほんの一瞬。

 

 まばたきをしていれば見逃してしまうほど短い出来事だった。

 

 だが、配信を録画していた視聴者の一人が、その瞬間を切り抜いてLinkへ投稿する。

 

『今、掲示板おかしくなかった?』

 

 投稿には数秒の動画が添付されていた。

 

 再生時間はわずか五秒。

 

 夜のホーム。

 

 談笑するユウト。

 

 そして、一瞬だけ明滅する電光掲示板。

 

 それだけだった。

 

 当然、コメント欄は意見が割れる。

 

『気のせい。』

 

『普通にLEDのちらつきじゃない?』

 

『カメラだとよくある。』

 

『俺もそう思う。』

 

『でも一瞬文字変わってない?』

 

『いや、読めなかった。』

 

『スロー再生したけど分からん。』

 

 投稿は瞬く間に拡散された。

 

 だが、それでも大半の人間は「偶然」だと思っていた。

 

 今の時代、動画のノイズなど珍しくもない。

 

 カメラの性能。

 

 通信環境。

 

 照明の影響。

 

 説明できる理由はいくらでもある。

 

 だから誰も、本気では気にしなかった。

 

 ユウト本人も同じだった。

 

 ホームのベンチへ腰を下ろし、コメントを読みながら笑っている。

 

「今なんか掲示板映ったらしいですね。」

 

「俺、全然気付きませんでした。」

 

 コメント欄が流れる。

 

『俺も気付かなかった。』

 

『録画勢だけ騒いでる。』

 

『気にしすぎ。』

 

『ホラー脳。』

 

『こういうのが都市伝説になるんだろうな。』

 

 ユウトは頷いた。

 

「まさにそれですよ。」

 

「些細な違和感を積み重ねて、いつの間にか都市伝説になる。」

 

「きさらぎ駅も、最初はそんな感じだったのかもしれませんね。」

 

 その言葉を聞き、コメント欄には笑いの反応が流れる。

 

『説得力ある。』

 

『確かに。』

 

『今日は平和に終わりそう。』

 

『安心した。』

 

 その頃、Open Forumでは実況とは別に、考察スレッドが勢いを増していた。

 

【考察】きさらぎ駅はどうやって広まったのか

 

1:名無しの探索者

 

元ネタ知ってる人いる?

 

2:名無しの探索者

 

昔のネット掲示板。

 

3:名無しの探索者

 

二十年以上前だった気がする。

 

4:名無しの探索者

 

でも今日出てきた新聞の方が古いんだよな。

 

5:名無しの探索者

 

そこが一番意味分からん。

 

6:名無しの探索者

 

創作なら新聞は何なんだ。

 

7:名無しの探索者

 

偽造じゃない?

 

8:名無しの探索者

 

新聞社が否定してない。

 

9:名無しの探索者

 

鉄道資料もある。

 

10:名無しの探索者

 

全部偽物って方が無理ある。

 

11:名無しの探索者

 

……じゃあ本物?

 

12:名無しの探索者

 

それはそれで困る。

 

 スレッドは、結論の出ない議論を繰り返していた。

 

 誰も証明できない。

 

 誰も否定できない。

 

 その曖昧さが、人々の想像をさらに掻き立てる。

 

 真白空はその様子を眺めながら、静かにコーヒーカップを持ち上げた。

 

「答えがないから、人は考え続ける。」

 

「もし最初から答えが分かっていたら、誰もここまで夢中にはならない。」

 

 空は視線をVisionへ戻す。

 

 ユウトの配信は、同時接続十万人を突破していた。

 

 数字は今も増え続けている。

 

 画面の向こうでは、ユウトがホームの端へ歩き、線路の先を映していた。

 

「あと少しですね。」

 

「終電が来たら乗ります。」

 

 遠くから、かすかにレールを伝う振動が届く。

 

 まだ姿は見えない。

 

 だが、列車が近付いていることだけは分かった。

 

 ホームで待つ乗客も、自然と白線の内側へ集まり始める。

 

 夜の空気は少しだけ冷たくなっていた。

 

 コメント欄が再び勢いを増す。

 

『来るぞ。』

 

『終電だ。』

 

『いよいよか。』

 

『何も起きませんように。』

 

『無事に帰ってこい。』

 

 ユウトはホームの先を見つめ、小さく息を吐いた。

 

「じゃあ、本当に乗るだけです。」

 

「終点まで行って、何もなければ、そのまま帰ってきます。」

 

 その穏やかな声とは裏腹に。

 

 ホームへ流れる風だけが、ほんの少し強くなった。

 

 

♢

 

 

ホームへ吹き込んだ風は、一瞬で通り過ぎた。

 

 ユウトはフードを押さえながら苦笑する。

 

「ちょっと肌寒くなってきましたね。」

 

 六月も終わりに近いとはいえ、昼間は汗ばむほど暑かった。

 

 それなのに、今ホームを吹き抜けた風は、季節を一つ飛び越えたような冷たさだった。

 

 コメント欄にも同じ感想が流れる。

 

『風の音すごい。』

 

『マイク拾ってるな。』

 

『夜だからじゃない?』

 

『急に寒そう。』

 

『体調気を付けて。』

 

 ユウトは笑って肩をすくめる。

 

「大丈夫です。」

 

「これ終わったらコンビニ寄って帰ります。」

 

 その何気ない一言に、視聴者も笑顔のコメントを返す。

 

『フラグ立てるなw』

 

『何も起きないって。』

 

『帰ったらラーメン食べよう。』

 

『平和だなぁ。』

 

 ホームには、終電を待つ乗客が十人ほど。

 

 誰もスマートフォンで配信など見ていない。

 

 誰も都市伝説の話などしていない。

 

 疲れた表情の会社員。

 

 欠伸をする学生。

 

 ベンチで目を閉じる老人。

 

 どこにでもある終電前の光景だった。

 

 その時だった。

 

 カン。

 

 ホームのスピーカーから発車メロディが短く流れる。

 

 続いて、自動放送が響いた。

 

『まもなく、一番線に電車がまいります。黄色い線の内側までお下がりください。』

 

 ユウトは線路へカメラを向ける。

 

「終電ですね。」

 

 遠くに、小さな光が見えた。

 

 列車のヘッドライトだ。

 

 ゆっくりとこちらへ近付いてくる。

 

 レールを走る音が夜の駅へ広がる。

 

 ガタン。

 

 ゴトン。

 

 規則正しい走行音。

 

 何もおかしくない。

 

 いつもの終電。

 

 そのはずだった。

 

 Open Forum実況スレ。

 

 

【実況】終電検証ライブを見るスレ★2

 

325:名無しの探索者

 

来た。

 

326:名無しの探索者

 

普通の電車じゃん。

 

327:名無しの探索者

 

安心した。

 

328:名無しの探索者

 

これで何も起きなかったら今日は解散だな。

 

329:名無しの探索者

 

終点着いて終わりだろ。

 

330:名無しの探索者

 

平和が一番。

 

 

 列車はゆっくりとホームへ滑り込む。

 

 ブレーキ音。

 

 開く扉。

 

 降りてくる数人の乗客。

 

 仕事帰りらしい男性。

 

 買い物袋を持った女性。

 

 眠そうな学生。

 

 どこまでも普通だった。

 

「はい。」

 

「本当に普通ですね。」

 

 ユウトは笑う。

 

「これなら安心して乗れそうです。」

 

 コメント欄も和やかだった。

 

『お疲れー。』

 

『何もないじゃん。』

 

『やっぱ都市伝説だな。』

 

『帰ったら笑い話だ。』

 

 降車が終わる。

 

 乗客たちがそれぞれ改札へ向かって歩いていく。

 

 ユウトは一呼吸置くと、開いた扉の前へ立った。

 

「それじゃあ。」

 

「行ってきます。」

 

 コメント欄が一斉に流れる。

 

『行ってらっしゃい!』

 

『無事に帰ってこい!』

 

『終点まで見届ける!』

 

『頑張れ!』

 

 ユウトは電車へ乗り込んだ。

 

 車内は思っていたより空いている。

 

 終電ということもあり、乗客は十数人ほどしかいない。

 

 窓際で眠る会社員。

 

 スマートフォンを眺める若者。

 

 奥の座席で目を閉じる女性。

 

 誰もユウトのことなど気にしていない。

 

 ユウトは出入口付近へ立ち、カメラを自分へ向ける。

 

「終点までそんなに時間も掛からないので。」

 

「今日は雑談しながら行きましょう。」

 

 ドアが閉まる。

 

 プシューッ。

 

 発車ベル。

 

 ゆっくりと動き出す列車。

 

 窓の外でホームが少しずつ流れていく。

 

 ユウトは笑顔で手を振った。

 

「それでは。」

 

「終電検証、スタートです。」

 

 その瞬間。

 

 ホームの最後尾。

 

 街灯の明かりが届かない場所に、一人の人物が立っていた。

 

 黒いコート。

 

 年齢も性別も分からない。

 

 ただ静かに、走り去る電車を見送っている。

 

 誰も、その存在に気付かない。

 

 ユウトも。

 

 ホームに残った乗客も。

 

 配信を見ていた十万人の視聴者も。

 

 ただ一人。

 

 真白空だけが、その人物を見て、小さく笑った。

 

「――始まった。」

 

 

♢

 

 

列車は夜の街を静かに走り始めた。

 

 規則正しくレールを叩く音が車内へ響く。

 

 ガタン。

 

 ゴトン。

 

 ガタン。

 

 ゴトン。

 

 ユウトは出入口横へ立ち、窓の外へカメラを向ける。

 

「本当に普通ですね。」

 

「正直、ここまで何もないと安心します。」

 

 車窓には見慣れた街並みが流れていく。

 

 マンション。

 

 住宅街。

 

 コンビニの明かり。

 

 信号待ちをする車。

 

 どれも日常そのものだった。

 

 コメント欄も穏やかだった。

 

『普通だな。』

 

『安心した。』

 

『やっぱり都市伝説だ。』

 

『終点着いたら解散かな。』

 

『今日は平和配信だな。』

 

 ユウトは吊り革へ軽く寄り掛かる。

 

「今日は昼からずっと『きさらぎ駅』ばかりでしたからね。」

 

「俺も気になって資料とか結構見たんですよ。」

 

「昔の新聞とか、鉄道資料とか。」

 

「でも、あれだけで本当に存在するなんて思えないですし。」

 

 コメント欄にも同意する書き込みが並ぶ。

 

『それはそう。』

 

『証拠にはならない。』

 

『都市伝説は都市伝説。』

 

『でも面白かった。』

 

 列車は最初の停車駅へ到着した。

 

 ドアが開く。

 

 数人が降りる。

 

 新しく二人乗ってくる。

 

 何も変わらない。

 

 車掌のアナウンスも、駅名表示も、すべて正常だった。

 

 ユウトは小さく笑う。

 

「ほら。」

 

「本当に普通でしょ?」

 

「これなら家帰ったら皆に『何もありませんでした』って報告できますね。」

 

 コメント欄は笑顔の絵文字で埋まる。

 

『お疲れ配信w』

 

『都市伝説終了。』

 

『平和が一番。』

 

『安心して寝られる。』

 

 列車は再び走り出す。

 

 しばらく雑談が続いた。

 

 最近遊んでいるゲームの話。

 

 登録者が増えたことへの感謝。

 

 今日の昼に食べたラーメンの話。

 

 都市伝説とはまったく関係のない内容ばかりだった。

 

 その何気ない時間が、視聴者の緊張も少しずつ解いていく。

 

 Open Forum実況スレでも同じような空気になっていた。

 

 

512:名無しの探索者

 

雑談始まって草。

 

513:名無しの探索者

 

完全にいつもの配信。

 

514:名無しの探索者

 

平和すぎる。

 

515:名無しの探索者

 

今日は何もなさそう。

 

516:名無しの探索者

 

まあ都市伝説だし。

 

517:名無しの探索者

 

逆に安心した。

 

 

 ユウトは窓へ映る自分の姿を見ながら苦笑した。

 

「十万人も見てるのに、普通の雑談配信になっちゃいましたね。」

 

 その時だった。

 

 カチッ。

 

 車内の照明が、一瞬だけ暗くなる。

 

 ほんの一瞬。

 

 目を閉じるより短い時間だった。

 

「……ん?」

 

 ユウトは天井を見上げる。

 

 すぐに照明は元へ戻った。

 

「今、少し暗くなりました?」

 

 コメント欄が流れる。

 

『見えた。』

 

『一瞬だけ。』

 

『電圧かな。』

 

『古い車両だとたまにある。』

 

『気のせいじゃない?』

 

 ユウトも納得したように頷く。

 

「まあ、電車だとありますよね。」

 

「トンネルとかでも暗くなりますし。」

 

 そう言って笑う。

 

 誰も深く気にしなかった。

 

 列車は次の駅へ到着する。

 

 ドアが開く。

 

 乗客が一人降りる。

 

 誰も乗ってこない。

 

 発車。

 

 また一人降りる。

 

 今度も誰も乗ってこない。

 

 車内は少しずつ静かになっていく。

 

 ユウトはそれでも気にせず話し続けていた。

 

「終電だから人も減ってきましたね。」

 

 コメント欄も同じ反応だった。

 

『終電あるある。』

 

『地方はこんなもん。』

 

『普通普通。』

 

 だが。

 

 配信画面の右上。

 

 視聴者数だけは、なお増え続けていた。

 

 十万人。

 

 十一万人。

 

 十二万人。

 

 列車の乗客は減り続ける。

 

 それとは対照的に。

 

 世界中の視線だけが、この一本の終電へ集まり始めていた。

 

 

♢

 

 

車内は静かだった。

 

 先ほどまで聞こえていた話し声も、スマートフォンの操作音も、いつの間にか消えている。

 

 聞こえるのは列車がレールを刻む音だけ。

 

 ガタン。

 

 ゴトン。

 

 ガタン。

 

 ゴトン。

 

 一定のリズムが、妙に心地よく耳へ残る。

 

 ユウトは車内をゆっくり見回した。

 

「気付いたら、結構人減りましたね。」

 

 画面には数人の乗客が映る。

 

 窓際で眠る会社員。

 

 イヤホンを付けた若い男性。

 

 奥の座席に座る女性。

 

 皆、それぞれ静かに終点を待っているようだった。

 

 コメント欄も落ち着いていた。

 

『終電だからね。』

 

『あと何駅?』

 

『もう終点近い?』

 

『普通の配信で安心した。』

 

 ユウトは路線図へカメラを向ける。

 

「あと数駅ですね。」

 

「思ったよりあっという間かもしれません。」

 

 その時だった。

 

 ピロン。

 

 スマートフォンへ通知が届く。

 

 Linkの通知だった。

 

 ユウトは苦笑する。

 

「今見ると危ないので後で確認します。」

 

 そう言って通知を流そうとした。

 

 しかし。

 

 画面には異様なほど大量の通知が並んでいた。

 

【あなたがライブ配信を開始しました】

 

【あなたがライブ配信を開始しました】

 

【あなたがライブ配信を開始しました】

 

「……え?」

 

 ユウトは眉をひそめる。

 

「何これ。」

 

 同じ通知が何十件も届いている。

 

 コメント欄も気付く。

 

『通知バグ?』

 

『俺にも来た。』

 

『何回も通知来るぞ。』

 

『三回届いた。』

 

『俺は五回。』

 

 ユウトは首を傾げながら通知を閉じた。

 

「サーバー重いのかな。」

 

「今日は配信者多いですからね。」

 

 誰も深く考えなかった。

 

 ネットの不具合。

 

 そう片付けられる程度の違和感だった。

 

 列車はさらに走り続ける。

 

 窓の外には住宅街が流れていた。

 

 ぽつぽつと灯る街灯。

 

 信号待ちの車。

 

 踏切で停車する軽自動車。

 

 どこまでも見慣れた夜の景色。

 

 ユウトは窓を映しながら話す。

 

「ここ、昼間は結構混むんですよ。」

 

「仕事で何度か来たことあって――」

 

 そこで言葉が止まった。

 

 窓ガラスへ映る景色に、違和感を覚えた。

 

「……あれ?」

 

 カメラを外へ向ける。

 

 街並みは流れている。

 

 何もおかしくない。

 

 もう一度、窓ガラスを見る。

 

 そこには車内が反射して映っていた。

 

 吊り革。

 

 広告。

 

 座席。

 

 そして。

 

 ユウト自身。

 

 だが。

 

「……一人、多くない?」

 

 思わず漏れた声に、コメント欄が反応する。

 

『え?』

 

『何が?』

 

『見せて。』

 

 ユウトは窓ガラスへカメラを近付けた。

 

「いや、気のせいかも。」

 

「今、一瞬だけ……。」

 

 反射した車内。

 

 そこには乗客が四人映っている。

 

 会社員。

 

 若い男性。

 

 女性。

 

 そしてユウト。

 

 それだけだった。

 

「……疲れてるのかな。」

 

 苦笑しながら頭を掻く。

 

 コメント欄にも安心したような書き込みが流れる。

 

『びっくりした。』

 

『疲れてるだけ。』

 

『今日は朝から騒ぎだったしね。』

 

 ユウトは小さく息を吐いた。

 

「すみません。」

 

「ちょっと神経質になってるみたいです。」

 

 その時。

 

 列車が長いトンネルへ入った。

 

 窓の外が一瞬で真っ暗になる。

 

 車内だけがガラスへ映り込む。

 

 ユウトは何気なく窓を見る。

 

 そして。

 

 硬直した。

 

 ガラスへ映る車内。

 

 そこには。

 

 乗客が五人いた。

 

 ユウト。

 

 会社員。

 

 若い男性。

 

 女性。

 

 そして。

 

 出入口のすぐ後ろ。

 

 こちらへ背を向けた、黒いコート姿の人影が立っていた。

 

 ユウトは反射的に振り返る。

 

 そこには、誰もいない。

 

 再び窓を見る。

 

 黒い人影も消えていた。

 

「…………」

 

 数秒、言葉が出ない。

 

 コメント欄も静まり返る。

 

 やがて一人が書き込む。

 

『……今、何見た?』




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