愉悦者は嘲笑う~世界を書き換えて遊んでいたら、政府も軍も本気で世界の真実を探し始めた~ 作:ユーザーA
それではお楽しみください
ぽぽ、ぽぽぽ
六月三十日、午前七時十二分。
きさらぎ駅騒動から二日。
世界はまだ、その余韻の中にあった。
テレビでは連日、ユウト失踪事件が特集されている。
Linkでは「#きさらぎ駅」が依然としてトレンド上位を維持し、Visionには新たな考察動画が一時間ごとに投稿され続けていた。
人々は日常へ戻ろうとしていた。
しかし、その日常は以前と同じものではない。
今や「都市伝説」は、笑い話ではなくなっていた。
そんな朝。
一つの短い動画がLinkへ投稿される。
投稿者は、ごく普通の高校生。
フォロワーも数百人ほどしかいない、無名の利用者だった。
動画の長さは、わずか十二秒。
登校中に偶然撮影しただけだという。
画面には、田園風景が映っていた。
細い農道。
青々とした田んぼ。
電柱が等間隔に並び、遠くには小さな雑木林が見える。
どこにでもある、日本の田舎の景色。
撮影者も最初は、その風景を友人へ送るつもりだった。
だが、動画の最後。
画面右端に、一瞬だけ何かが映る。
白い服。
異様に背の高い人影。
それだけだった。
投稿者自身も気付いていなかった。
動画を見返した視聴者が、その存在を指摘する。
「最後の白い人、何?」
「人じゃなくない?」
「身長おかしくないか?」
「加工?」
投稿から三十分。
再生回数は十万回を突破した。
さらに一時間後。
百万回を超える。
きさらぎ駅事件以降、人々は「異常」を探すようになっていた。
だからこそ、ほんの小さな違和感すら見逃さない。
コメント欄には、拡大画像や明度補正を施した画像が貼られ始める。
確かに映っている。
白いワンピースのような服。
長い黒髪。
そして、周囲の標識よりも高い位置にある頭。
誰かが冗談半分に書き込んだ。
「これ……八尺様じゃない?」
その一文が、流れを変えた。
返信が一気に増える。
「いやいや。」
「八尺様ってあの都市伝説?」
「さすがに違うだろ。」
「でも特徴は一致してる。」
「白い服、長身、黒髪……。」
冗談のはずだった。
誰も本気では信じていなかった。
しかし、「八尺様」という名前が書き込まれた瞬間から、人々の検索ワードは変わる。
「きさらぎ駅」から。
「八尺様」へ。
検索サイトの急上昇ランキングに、その名前が現れる。
都市伝説を紹介する古いブログ。
まとめサイト。
動画投稿。
十年以上前の記事まで掘り起こされ、多くの人が読み始めていた。
『背の高い女。』
『白い服。』
『ぽぽ、ぽぽぽという声。』
『見た者は数日以内に連れ去られる。』
人々は笑いながら読む。
「こんなの作り話だ。」
そう言いながらも、最後までページを閉じる者はいなかった。
きさらぎ駅が現実となったかもしれない今。
誰も、「都市伝説だから」の一言で片付けられなくなっていた。
そして、その日の午前九時四分。
日本の各地で、ほぼ同じ時刻に三件の投稿がLinkへ現れる。
「さっき、すごく背の高い女を見た。」
「白い服だった。」
「……あれ、人間だったのかな。」
投稿者同士に面識はない。
住んでいる県も、それぞれ異なっていた。
だが、その偶然を、まだ誰も「始まり」だとは思っていなかった。
♢
最初の三件は、偶然だと思われていた。
日本には一億人以上の人間が暮らしている。
同じ日に、似たようなものを見たという証言が重なることくらい珍しくない。
そう考える者が大半だった。
しかし、午前十時を過ぎた頃から状況は変わり始める。
Linkには、新たな投稿が次々と流れ始めた。
「通学中に見た。」
「田んぼの向こうに立ってた。」
「一瞬だけだった。」
「見間違いだと思う。」
「でも……大きかった。」
十分後。
さらに増える。
「こっちも白い服。」
「顔は見えなかった。」
「身長が二メートル以上あった。」
「動画撮ろうとしたら消えた。」
投稿者の居住地は北海道、宮城、長野、静岡、兵庫、福岡。
あまりにも離れすぎていた。
同一人物とは考えられない。
それでも証言内容は驚くほど似通っていた。
白い服。
黒い長髪。
異様な長身。
遠くからこちらを見ている。
その四つだけは、ほぼ全員が一致していた。
Linkのトレンドは一時間もしないうちに書き換わる。
一位。
#八尺様
二位。
#白い女
三位。
#長身の女性
急激な変化だった。
Visionでも早速、便乗する配信者が現れ始める。
『【速報】八尺様目撃情報まとめ』
『【ライブ】本当に現れたのか検証』
『【考察】きさらぎ駅との関連性』
配信が始まるたび、数万人の視聴者が集まる。
コメント欄は猛烈な勢いで流れていく。
「また都市伝説か。」
「さすがに今回は偶然。」
「でも昨日もそう言ってた。」
「きさらぎ駅の時も最初は笑われてた。」
「今回はどうなんだ。」
「信じない。」
そう書き込む者ほど、配信を閉じようとはしなかった。
Open Forumでも、新たなスレッドが立ち上がる。
【速報】八尺様目撃情報、全国で相次ぐ
1:名無しの探索者
また始まったぞ。
2:名無しの探索者
きさらぎ駅の次は八尺様か。
3:名無しの探索者
便乗だろ。
4:名無しの探索者
いや、場所がバラバラなんだよ。
5:名無しの探索者
北海道でも出たらしい。
6:名無しの探索者
九州にも投稿ある。
7:名無しの探索者
同じ人物じゃないだろ。
8:名無しの探索者
全員、白い服って言ってる。
9:名無しの探索者
偶然にしては一致しすぎ。
10:名無しの探索者
……嫌な流れだな。
その書き込みを境に、体験談は雪崩のように増え始めた。
「家の近くの畑で見た。」
「河川敷に立っていた。」
「神社の鳥居の横にいた。」
「学校帰りに見掛けた。」
「工場の裏にいた。」
場所は違う。
時間も違う。
だが、語られる姿だけは変わらない。
誰かが、ふと書き込む。
112:名無しの探索者
そういえば。
まだ誰も声を聞いたって言ってないな。
その一文に、多くの利用者が反応した。
八尺様という都市伝説を知る者なら、誰もが思い浮かべる特徴がある。
姿ではない。
“声”だ。
低く、不気味に響く。
「ぽぽ、ぽぽぽ。」
その声を聞いたという証言だけは、まだ一件も存在していなかった。
だから人々は、まだどこかで安心していた。
「似ているだけだ。」
「都市伝説とは別物だ。」
「偶然だろう。」
そう、自分に言い聞かせることができた。
しかし、そのわずかな安心は、あと数時間で静かに打ち砕かれることになる。
♢
六月三十日、午後一時四十分。
八尺様という名前がネット上で急速に拡散される中、日本各地の行政機関にも異変が現れ始めていた。
最初に異常へ気付いたのは、地方警察だった。
「またですか?」
通信指令室へ一本の通報が入る。
『背の高い女がずっと田んぼの中へ立ってるんです。』
通報者は高齢の女性だった。
様子がおかしいわけでもない。
取り乱しているわけでもない。
ただ、不思議そうに話している。
『近所の人かと思ったんですけど……動かないんです。』
『ずっと同じ場所に立ってるんです。』
巡回中の警察官が現場へ向かう。
だが。
「……異常ありません。」
現場へ到着した時には、誰の姿もなかった。
通報者は首を傾げる。
『さっきまで、そこにいたんですよ。』
『本当に見えたんです。』
それから十分も経たないうちに、別の県でも似たような通報が入る。
『川沿いに変な女が立っています。』
『白い服なんです。』
『身長が異常に高いんです。』
こちらも、警察が到着した時には誰もいなかった。
午後二時。
全国の警察本部では、似た内容の通報が十件を超える。
午後二時三十分。
二十七件。
午後三時。
四十八件。
すべて内容が酷似していた。
白い服。
長い黒髪。
異様な長身。
近付こうとすると姿が消える。
それだけだった。
やがて、その情報は特殊災害対策局――SDAにも共有される。
本部会議室。
大型モニターには、日本地図が映し出されていた。
赤い印が、一つ、また一つと増えていく。
「現在確認されている目撃情報は四十八件。」
「北海道から鹿児島まで分布しています。」
「同一人物の移動速度では説明できません。」
報告担当者が淡々と説明する。
「防犯カメラは?」
「ほとんど映っていません。」
「ほとんど?」
「三件だけ、それらしい映像があります。」
室内が静まり返る。
映像が再生された。
住宅街の防犯カメラ。
画面左端。
ほんの二秒。
電柱の向こう側へ、白い服の人物が立っている。
異常に背が高い。
しかし、画質が粗く、顔までは判別できない。
二本目。
農道の監視カメラ。
遠くの畑。
人影らしきものが映る。
数フレーム後。
突然、画面から消える。
三本目。
河川敷。
犬の散歩を撮影していた家庭用カメラ。
奥の土手。
一瞬だけ。
白い人影がこちらを向いて立っていた。
映像が終わる。
誰もすぐには口を開かなかった。
偶然。
ノイズ。
見間違い。
そう片付けるには、三本とも共通点が多すぎた。
局長は静かに資料を閉じる。
「……まだ断定はしない。」
「しかし。」
「きさらぎ駅事案との関連性も含め、同一レベルの警戒対象として扱う。」
その決定と同時に、SDA内部で新たな調査コードが発令された。
名称は、まだ付けられていない。
だが、日本は再び、新たな異常現象へ向けて静かに動き始めていた。
♢
同日、午後四時十分。
特殊災害対策局から送られた資料は、その日のうちに国立超常現象研究所――NPRIへ届けられた。
会議室の大型スクリーンには、防犯カメラの映像と全国の目撃地点が表示されている。
机の上には、数十冊もの資料。
その中には、つい数日前まで「民間の都市伝説」と分類されていた八尺様に関する記録も含まれていた。
「……一致率が高すぎる。」
一人の研究員が静かに呟く。
「目撃証言の約九割が共通しています。」
「白い服。」
「黒髪。」
「異常な長身。」
「人気の少ない場所。」
「しかも、年齢も職業も居住地も一致していません。」
別の研究員が資料をめくる。
「警察へ寄せられた通報だけで五十一件。」
「Linkへの投稿は四千件を超えています。」
「Visionへ投稿された関連動画は七百本以上。」
「すでに世界中で翻訳も始まっています。」
室内が静まり返る。
きさらぎ駅事件から、まだ数日しか経っていない。
それなのに、新たな都市伝説が世界規模で拡散し始めていた。
「偶然でしょうか。」
若い研究員が口を開く。
その問いに、所長は首を横へ振る。
「偶然かどうかを判断するのは、私たちの仕事ではありません。」
「事実だけを積み重ねる。」
「それが研究です。」
短い言葉だった。
しかし、その一言で室内の空気が引き締まる。
感情ではなく、証拠。
憶測ではなく、観測。
NPRIは、その姿勢だけを貫いてきた。
午後五時。
今度は世界異常対策機構――WAROでも緊急会議が開かれていた。
議題は、もちろん八尺様である。
「日本国内だけの現象でしょうか。」
一人の代表が問い掛ける。
議長は資料へ目を落とした。
「現時点では断定できません。」
「しかし、日本国外からも類似報告が入り始めています。」
モニターへ世界地図が映し出される。
日本。
韓国。
台湾。
アメリカ西海岸。
イギリス。
それぞれに黄色い印が灯る。
「まだ件数は少ない。」
「ですが、共通する証言があります。」
「白い服。」
「異常な長身。」
「突然姿を消す。」
議場に沈黙が落ちる。
誰も軽々しく言葉を発しない。
きさらぎ駅の時と同じだった。
最初は都市伝説。
やがて未解決事件。
そして今では、世界規模の調査対象となっている。
もし、この現象も同じ道を辿るのなら。
今は、まだ始まりに過ぎない。
一方、その頃。
世界最大報道機関・WENは、夕方のニュース番組で速報を流していた。
『日本各地で相次ぐ”長身女性”の目撃情報。』
『政府は現時点で関連性を否定も肯定もしていません。』
『専門家は冷静な対応を呼び掛けています。』
その映像は瞬く間に世界中へ配信される。
そして、ニュースが終わる頃には。
「八尺様」という名前は、再び世界中の検索ランキングを駆け上がっていた。
誰もが、その名前を知り始めている。
だが。
まだ誰一人として、本当の恐怖を知らなかった。
♢
六月三十日、午後六時五十八分。
夕焼けが街をゆっくりと夜へ染め始める。
日本各地では、仕事帰りの人々が駅へ向かい、学生たちは部活動を終えて家路を急いでいた。
どこにでもある夕暮れ。
いつもと変わらない日常。
――そう思っていた。
午後七時〇三分。
Linkへ、一件の投稿が行われる。
「……今、聞こえた。」
たった一文。
写真もない。
動画もない。
場所も書かれていない。
それでも、その投稿には数分で数千件の反応が集まった。
「何が?」
「どうした?」
「大丈夫?」
投稿者から返信はない。
そして、その五分後。
別の利用者が投稿する。
「誰か分かる人いる?」
「さっき、外から『ぽぽ、ぽぽぽ』って聞こえた。」
その一文が流れた瞬間、コメント欄の空気が変わった。
誰もが、その言葉を知っていた。
八尺様。
その都市伝説を調べた者なら、一度は目にする特徴。
――低く、不気味な声。
――「ぽぽ、ぽぽぽ」。
数秒の沈黙。
そして、一斉に返信が流れ始める。
「釣りだろ。」
「やめろ。」
「タイミング悪すぎ。」
「冗談でも笑えない。」
「録音ある?」
投稿者は数分後、震えるような文章を返した。
「録音しようと思った。」
「でも、その時には聞こえなくなってた。」
さらに十分後。
今度は別の県の利用者が書き込む。
「俺も聞いた。」
その投稿には、短い音声データが添付されていた。
再生時間は四秒。
最初は風の音しか聞こえない。
しかし、最後の一秒。
遠くから。
まるで何かが囁くような声が入り込む。
『……ぽぽ。』
それだけだった。
ノイズかもしれない。
風の音かもしれない。
そう片付けるには、人の声に近すぎた。
音声は瞬く間に拡散される。
Visionでは解析動画が投稿され始めた。
『ノイズ除去版』
『周波数解析』
『音声拡大』
投稿されるたび、再生回数は数十万、数百万と伸びていく。
専門家を名乗る配信者は、
「自然音です。」
と言い切る。
一方で別の配信者は、
「人間の発声帯域と一致しています。」
と真逆の意見を述べる。
結論は出ない。
だが、世界はまた一つ、新しい「証拠」を手に入れてしまった。
午後七時四十五分。
Open Forumには、新しいスレッドが立てられる。
【速報】とうとう「ぽぽ、ぽぽぽ」が録音される
1:名無しの探索者
おい、聞いたか?
2:名無しの探索者
鳥肌立った。
3:名無しの探索者
ノイズだろ。
4:名無しの探索者
俺には声に聞こえる。
5:名無しの探索者
きさらぎ駅の次はこれか……。
6:名無しの探索者
嫌な予感しかしない。
7:名無しの探索者
まだ誰も被害出てないよな?
8:名無しの探索者
……そこなんだよ。
9:名無しの探索者
「まだ」が付くのが怖い。
誰もが不安を抱きながらも、心のどこかで思っていた。
――まだ目撃情報だけだ。
――まだ声だけだ。
――まだ誰も消えてはいない。
その「まだ」という希望は、静かに終わりへ近付いていた。
♢
午後八時二十三分。
Open Forumでは、「ぽぽ、ぽぽぽ」の音声を巡る議論が止まらなかった。
解析班と名乗る利用者たちが、音声データを次々と分析していく。
218:名無しの探索者
ノイズ除去した。
219:名無しの探索者
どうだった?
220:名無しの探索者
風じゃない。
221:名無しの探索者
人の声っぽい。
222:名無しの探索者
低すぎる。
223:名無しの探索者
普通の女性じゃ出せない高さ……いや、低さか。
224:名無しの探索者
再生速度変えてみろ。
225:名無しの探索者
変えても「ぽぽ」って聞こえる。
その投稿を皮切りに、音声データはさらに拡散されていく。
誰もがイヤホンを着け、音量を上げ、何度も繰り返し再生する。
「聞こえた。」
「いや、聞こえない。」
「思い込みだ。」
「確かに声だ。」
結論は出ない。
それでも、一つだけ確かなことがあった。
この音声を聞いた人間は、誰も無関心ではいられなかった。
一方、Visionでは生配信が始まっていた。
登録者数三十万人を超える心霊系配信者。
タイトルは、
『八尺様の目撃現場へ向かいます』
同時接続者数は十五万人を超えている。
配信者は住宅街を歩きながら、視聴者へ話しかけていた。
「昼間に目撃情報があった場所です。」
「正直、私は都市伝説だと思ってます。」
「でも、本当に何かいたら面白いですよね。」
コメント欄は猛烈な勢いで流れていく。
「後ろ!」
「振り返るな!」
「配信やめろ!」
「何もいないじゃん。」
「ビビらせるな。」
配信者は笑う。
「ほら、何も――」
その瞬間だった。
マイクが、何かを拾う。
『……ぽぽ。』
ほんの一瞬。
風に紛れるほど小さな音。
配信者は足を止める。
「今、何か聞こえませんでした?」
コメント欄が一斉に止まり、直後に爆発する。
「聞こえた!」
「イヤホンで聞こえた!」
「嘘だろ!」
「録画しろ!」
「逃げろ!!」
配信者は周囲を見回す。
街灯。
住宅。
人気のない道路。
誰もいない。
「……気のせいですね。」
そう笑って歩き出す。
だが、コメント欄の空気はもう笑っていなかった。
同じ頃。
日本各地の警察本部には、新たな通報が相次いでいた。
『女の人の声がする。』
『姿は見えない。』
『低い声で、何かを繰り返している。』
『近くを探しても誰もいない。』
通報件数は一時間足らずで七十件を超える。
そして、その中の一件だけが、他とは決定的に違っていた。
午後八時五十七分。
埼玉県。
一人暮らしの大学生から、110番通報が入る。
『家の外に、すごく背の高い女がいます。』
通話記録には、その言葉がはっきりと残されていた。
『……ずっと、こっちを見ています。』
オペレーターが住所を確認し、落ち着くよう呼び掛ける。
その時だった。
受話器の向こうから、小さく。
とても小さく。
何かが聞こえた。
『……ぽぽ、ぽぽぽ。』
通話は、そこで途切れた。
♢
午後九時十四分。
埼玉県警通信指令室。
先ほど途絶えた110番通報の対応に追われ、室内には緊張した空気が漂っていた。
「再接続できません。」
「携帯電話の位置情報は。」
「取得しました。現場は住宅街です。」
「最寄りのパトカーは。」
「到着まで四分。」
指令員の声が飛び交う。
画面には、通報者の住所が表示されていた。
現場へ急行するよう無線が流れる。
「現着後、直ちに状況を確認してください。」
『了解。』
通信は短く終わる。
誰もが、ただの悪戯で終わることを願っていた。
午後九時十九分。
パトカーが現場へ到着する。
二人の警察官が周囲を確認する。
住宅街は静まり返っていた。
街灯が道路を照らし、風に揺れる木々の音だけが響いている。
「異常なし。」
一人が無線へ報告する。
「通報者宅へ向かいます。」
玄関のチャイムを鳴らす。
返事はない。
もう一度鳴らす。
やはり返事はない。
鍵は掛かっている。
室内の照明は点いたままだ。
テレビもついている。
しかし、人の気配だけが感じられない。
その時。
一人の警察官が道路の先へ目を向けた。
「……誰かいる。」
百メートルほど先。
街灯と街灯の間。
白い服を着た人物が立っている。
遠すぎて顔は見えない。
だが。
異様に背が高い。
隣の電柱と比較しても、その身長は明らかに異常だった。
「女性か……?」
警察官は懐中電灯を向ける。
光が届く。
その瞬間。
人影は、すっと闇へ溶けるように消えた。
「……見失いました!」
二人は周囲を捜索する。
曲がり角。
路地。
空き地。
どこにも姿はない。
逃げられる距離ではない。
それなのに、人影は完全に消えていた。
現場周辺の捜索は三十分続いた。
結果。
通報者も。
白い人影も。
最後まで発見されることはなかった。
その報告は、すぐにSDAへ送られる。
会議室では誰も口を開かなかった。
目撃情報ではない。
写真でもない。
今度は、現職の警察官二名が同じ人物を目撃している。
証言内容も完全に一致していた。
「白い服。」
「長い髪。」
「異常な長身。」
「突然消えた。」
局長は静かに席を立つ。
「……警戒レベルを一段階引き上げる。」
「これより本件を、きさらぎ駅事案と同等の重要案件として扱う。」
誰も異論はなかった。
部屋の空気が、一段と重くなる。
昨日までネットの向こう側だけだった都市伝説は。
今、現実の捜査対象へ変わろうとしていた。
♢
同日、午後十時三十一分。
日本中が、静かな不安に包まれていた。
Linkでは「八尺様」の投稿が止まらない。
Visionでは検証配信が夜通し続けられ、Open Forumでは数え切れないほどの考察スレッドが乱立していた。
誰もが情報を求めている。
誰もが真実を知りたがっている。
しかし、その答えを持つ者は世界中のどこにも存在しなかった。
いや。
正確には、一人だけ知っていた。
その頃。
都内の一室。
部屋の照明は落とされ、窓の外に広がる夜景だけが室内を淡く照らしていた。
真白空はソファへ深く腰を掛け、静かに世界を眺めていた。
テーブルには四台の端末。
一台にはLink。
一台にはVision。
一台にはOpen Forum。
そして最後の一台には、WENの特別報道が映し出されている。
世界は忙しなく動いている。
政府は対策を始めた。
研究者は解析を始めた。
配信者は検証を始めた。
一般人は恐怖し、それでも興味を捨てられず画面を見続けている。
そのすべてを、空は静かに眺めていた。
「やっぱり。」
穏やかな声が部屋へ響く。
「人は、答えが見えないものほど追い掛けたくなる。」
空はOpen Forumを開く。
画面いっぱいに流れる書き込み。
そこには恐怖も、不安も、期待も入り混じっていた。
『八尺様は実在する。』
『全部集団催眠だ。』
『政府が隠している。』
『きさらぎ駅と繋がっている。』
『次は何が起きる。』
どれも違う。
どれも正しくない。
それでも、人々は自ら考え、自ら答えを組み立てていく。
空は、その姿を見るのが好きだった。
誰かへ命令したわけではない。
誰かを操ったわけでもない。
ただ一粒の”種”を蒔いただけ。
その先は世界自身が歴史を作り、証拠を生み出し、伝承を補完し、人々が真実として受け入れていく。
その過程こそが、この舞台で最も美しい瞬間だった。
空は立ち上がり、窓際まで歩く。
眼下には無数の灯りが広がっている。
一つひとつの灯りの向こうに、それぞれの日常がある。
笑う人。
怯える人。
眠れない人。
考察を続ける人。
今日という一日だけで、世界はまた少し変わった。
ほんの数日前まで、八尺様は「古い都市伝説」の一つに過ぎなかった。
だが今では違う。
世界はもう、その存在を前提として動き始めている。
「面白い。」
空は小さく微笑む。
「きさらぎ駅が世界を揺らし。」
「八尺様が、その波紋をさらに広げていく。」
「同じ舞台でも、結末は毎回違う。」
それこそが、空の求める愉悦だった。
端末へ一件の速報が表示される。
『全国で八尺様目撃情報、一〇〇件を突破。SDAが調査範囲を全国へ拡大。』
その見出しを見た空は、静かに画面を閉じる。
「さて。」
「世界は次に、どんな答えを見つけるんだろう。」
その問いに答えられる者は、まだ誰もいない。
夜は静かに更けていく。
そしてその闇のどこかで、新たな”物語”は、誰にも知られることなく動き始めていた。
ぽぽぽぽ、ぽ
うふふ、八尺様に、魅入られ無いよう、気をつけてくださいね
少し質問です、今作品の主人公、真白空さん、出番は今の所少なくしている予定なのですが。空くん視点の話、欲しいです?
-
欲しい
-
要らない
-
どちらでも
-
空くん8割、他の視点2割(空くん多め)
-
空くん3割、他の視点7割(今まで通り)
-
任せる