終業のチャイムもなり、生徒たちも帰り始めた頃。彩葉はスマホを見ては緩む頬を引き締めていた。
「ふひひ」
「彩葉ー、今日バイト無かったよね。一緒に帰ろう」
「帰ろ〜」
声をかけたのは綾紬芦花と諌山真実。ともに美容系インフルエンサーとグルメ系インフルエンサーの肩書を持つ以外は普通の女子高生。
待たせてはいけないと思ったのか、友達想いな彩葉は荷物をすぐ片付けて教室を出てくる。
「ごめんごめん、行こ」
「彩葉、またヤチヨちゃんの握手券見てたでしょ」
「アハハ、わかる?」
「分かるよ、何回も抽選してようやっとだもんね。彩葉、当選通知来た時ちょー喜んでたし」
彩葉に嬉しそうな顔を向ける芦花。彩葉の念願が叶ったのがよほど嬉しいのだろう。思わず頬も緩むものである。
「私もわかるよ〜。帝様のライブチケットも毎回激戦だから!受付30分前にはチビたち寝かせないとって思っちゃうしぃ」
「わかる。私も今回の抽選はバイトもシフト入れないようにしてもらって、1時間前には応募ページ開けてたから」
ヤチヨは別格として、帝アキラも押しも押されぬトップライバー。一緒に張り合うように愛が溢れる。
「2人とも気合入り過ぎぃ」
「「そんなことないよ!」」
抽選は戦場だよ!そんな思いを彩葉とともに込める。芦花はいつもの笑みを深くするだけ。目線が完全に彩葉ですなぁ。ちょっとジェラシー。
「そーいう芦花は推してるライバーいなかった?」
「そういえば、聞いたことなかったかも。どうなの?」
彩葉は芦花の推し活に興味があるのか、芦花の顔を覗き込む。目線をそらすように立てた指を顎に当て、考え込む。うだるような暑さの中、ハンディファン越しに赤い耳が見える。
「…推しっていうか、最近よく曲聴くライバーの人はいるかも」
「へー?誰々、もしかして帝様?!」
「違う違う」
「じゃあ、ヤチヨ??」
「もー、2人して」
微笑みに苦笑の色を濃くしながら、この人と見せてきたスマホには該当人物のチャンネル画面。
ライバー名、葛原イッキ。黒を基調とした着物に、カラスをモチーフとしたコートを着用した青年。登録者三桁万台のツクヨミ黎明期から活動している古参ライバーであった。
「あ~、この人」
聞こえてくるのは随分と苦い声。好きな物と苦手な物が一緒に口に入ってしまった時のような葛藤が伺える。
「ふふ、彩葉はイッキ苦手だもんね」
「推しに近づく虫っていうか、ちょくちょくヤチヨちゃんの方が近づいてる感じあるし。これは!いつやちというやつでは!?」
「ないない!ないないないない、絶対にない!ヤ、ヤチヨはみんなの歌姫だから!いや、でも…っ前のコラボ配信でも配信外の話題で盛り上がってたしぃ…それに……先月の…頻度も……」
いつやち、度々距離の近さが散見されるライバー2人をカップリングした呼称。ヤチヨの配信は全部見ていると豪語する彩葉の脳裏にはその場面が過っているのだろう。認められないようだが。
「あーらら、彩葉自分の世界に入っちゃったね」
「私にはわかる。ああなったらしばらく帰ってこないよ」
推しのカップリングは解釈という魔境に生息している。その噂が根も葉もあるものなら討伐難航は必至。世は無常である。
だが、葛原イッキといって真実の脳裏に浮かぶのは熱唱する彼氏の姿。
「でも葛原の曲、私もよく聞くんだぁ。彼がファンでカラオケでよく歌ってるし」
「それ、ラブソングでしょ?大事にされてるってことじゃん」
「デヘヘ〜、甘々で困っちゃいますなあ」
「はいはい、ご馳走さま」
気安いあしらいと優しい目線が向けられる。友情と愛情が心身に染み渡る。いずれ万病にも効きそう、そんなおバカな考えが浮かぶ。
切り抜きや歌ってみたはショート等でも見かけることはある。だが、そこで見れるのは表面的なライバーとしての特徴。
「実際、勧められてアーカイブ見てみたけど、雑談だと、物知りだし。コラボ相手がいると和やかな空気になること多かったねぇ」
「そう、声からして若い成人男性なんだけど、老成した雰囲気はギャップもあっていいね。ちょっとボケが多いのは…、愛嬌かな、うん」
ボケというより、天然といった方がいいかな。彼の勧めたアーカイブではそんな場面がちょくちょくある。普段の和やかな雰囲気といい、天然由来の愛嬌といいキャラが立っている。ライバーによくあるキャラ作りも感じられない。
「でも、確かここ最近は動画投稿も配信もやってないらしーね」
「コラボ配信とかはちょくちょく顔出ししてるんだけど。ソロ配信とかは無くなったんだよね」
「彼も嘆いてたよ。
「そうなんだよねぇ。イッキって記憶力凄いから、コメントしてる視聴者のことほぼ覚えてるの。沼だよ沼」
「それホントなんだぁ、案外ヤチヨと同じAIだったりして」
「…ヤチヨ?!」
「あ、戻ってきた」
魔境よりのご帰還だ。顔を見る限り討伐はあえなく失敗だろう。
「何だ、幻か」
「大丈夫?」
「大丈夫、ヤチヨに中の人はいない」
「お〜、いつもの彩葉だね」
いつものヤチヨ信者である。
「いつものって何なの?」
「彩葉はいつもかわいいってこと」
「そ、そゆこと~」
流してる冷や汗を隠して芦花に便乗する。顔の良い芦花に褒められて気分の上がらないやつはいない。一般常識である。
「なにそれ」
緩く苦笑した彩葉。許された。
このまま畳み掛けるように話を続ける。芦花の呆れた視線は無視だ。
「葛原、彩葉も見てる?彼も推してるんだぁ」
「葛原はあんまり見てないかな。確かに落ち着いた低音で歌もいい。KASSENもうまいと思うけど、ヤチヨが1番!」
「彩葉、ブレないね」
「と~っぜん」
我が事のようにヤチヨのことを誇る。葛原も良いライバーだ。ただ、推しは一夜にして成らず。追いかけて、為人を知って、好きになるのである。
だが、葛原と言えば歌や雑談だけではない。
「KASSENはよく指導配信やってるんだっけ?曰く鉄壁の守りぃって」
「実際AI説、元軍人説、常人離れした記憶力も合わさって色々言われてる。博識だし、特に歴史は有識者が言うには専門家並みかそれ以上だって話。天然で歌えて強くて歴史家なみの知識持ちとかちょっと盛り過ぎ」
そこには布教する様な空気は無い。ただ、知り得た事実を列挙しているだけだ。
芦花にしては珍しく、ちょっと早口だ。
彩葉と視線が合う。
「そういうわりには詳しくない?」
「切り抜きよりアーカイブの方、見てるんだってぇ」
「推しじゃん」
「推しだよ」
頷き合う。新たなファンガールの誕生に水筒で乾杯。今日はおチビたちにメロンパンでも買って帰ろう。お姉ちゃんは今ご機嫌である。
「2人ともどうしたの?」
「「なんでもない」」
ちょっとおめでたいことがあっただけ。
水筒をしまった彩葉が鞄から紙包みを取り出す。新聞柄の耐油紙を解いて、中からは美味しそうなクッキーが。
「いる?」
「もちろん!ありがたくいただきますよ〜」
「はい、芦花も」
「いいの?ありがとう」
見た目は普通のバタークッキー。包装は見たことがないが、新店舗でもあっただろうか。いざ、実食。
「「おいしぃ~」」
サブレとクッキーの合わせ生地だ。ここまで綺麗に合わせられたものは中々見ない。しかも、バターも相当管理に気を使っている。普通の冷蔵庫に突っ込んで置いているものでは断じて無い。
「ね、これどこの?」
「さぁ?もらい物だから」
「確か藤原さんだっけ?」
「そ。あの人と会うたび何かもらってる気がする」
彩葉と芦花の会話が耳から耳へ抜けていく。完全回復薬があったなら、これのことだ。
口の中が幸せに満ちている。
「真実、これどこのかわかる?」
「絶対ウィストリア」
ギョッとする彩葉。
「え、うそ?!」
「うん、この紅茶に合わせるシンプルな感じ。ウィストリアのやつに間違いないよ、前と変わらない癖のない良いバターの味ぃ」
彩葉が広げたクラフト紙に乗るクッキーを凝視している。説明は聞こえていなさそうである。ウィストリアのお菓子ちょっと高いもんね。
「でも、そんな包装のやつあったかなぁ?」
「三角ラッピングだったよね」
「う、うん」
「多分売り物じゃないと思うよ?あそこクッキー缶と個包装での販売が主流。紙袋で少量包装はしてなかったはず〜、多分」
表情の固まった彩葉だが、しばらくすれば元に戻った。また、
伝え聞いたあたり藤原さんは度々彩葉にこうしたお菓子を渡しているらしい。少々強引だが彩葉自身もそれを許容している。どうやったのだろうね。彩葉って中々物を受け取ってくれないのに。
「でえ、彩葉」
気になる、藤原さん。
芦花と少し聞いた話では、お菓子をくれて、哲学を問いかけてくる人。そう聞くと不審者である。彩葉のためにも、ちゃんと聞かなきゃいけない。
「ん?どうしたの」
「結局、藤原さんってどんな人?」
考え込む彩葉。パッと答えない様子は形容する言葉を探して、中々出ない時にする困り顔。芦花も興味津々で彩葉を見ている。
「どんな人…、世話好きなおじいちゃんかな」
「世話好きな」
「おじいちゃん」
お菓子をくれる世話好きなおじいちゃん。不審者どころか田舎ではよく出没していそうな好々爺である。私のお爺ちゃんもそうだ。
「会うたびにお菓子とかドライフルーツとか渡してくる。しかも滅茶苦茶強引。なんでか頻繁に褒めてくる」
「確かにおじいちゃんだ」
「好々爺だね」
特に彩葉のような可愛い子はおじいちゃんおばあちゃんは大好きだろう。一人暮らしで頑張っているとなれば尚更。
芦花も同じ結論に達したのか、安堵のため息をついている。
「黙ってると貫禄が出て絵になるのに、喋ってるとおじいちゃんかなって」
「70くらい?」
「へぇ~、貫禄あって絵になるんだ。仙人?」
「精神年齢はそんな感じ。ただ、もう何歳なのか見た目じゃわからなくなるんだ」
貫禄があり、見た目のわからない皺くちゃな老人が思い浮かぶ。周りを見渡しても、例えられそうな人物は見えない。だが、代わりに別のものが目についた。
公園の遊具に腰がけて、涼んでいる男性。
黒髪のウルフロング。サングラスをして目は伺えないが、顔立ちは優しそう。仕事終わりかカジュアルなスーツ姿。足元には子猫が一匹擦りついていて、随分と懐いて見える。
日光が木々の隙間から照らす様はまるでエンジェルラダーで、夏の晴天にあってより映える光景。
この下校途中の住宅街にあって、映画のワンシーンでも見ている気分になる。
「絵になるってあんな感じ、だよねぇ」
「お~、野生のイケメン」
「そうそう、あんな…かん…じ…」
目を見開いて彩葉が固まっている。
「どうしたの彩葉」
「ま、まさかヤチヨ一筋の彩葉がイケメンに見惚れた?!」
無いとは思われるが、突飛な発想が口を突いて出る。それを聞いて、芦花が大慌てで彩葉を覗き込んだ。
「いや、真実。彩葉、目が死んでる」
「……あの人」
「あの人がどうしたの?」
もしかして、知り合いだろうか。地元だという京都の。
「あの人が藤原さん」
藤原さん。
貫禄があり、見た目のわからない皺くちゃな老人。
藤原さん?
視線の先にいる優しげな若い成人男性。
「ほぇ!?めっちゃ若いじゃん!?おじいちゃんどこ??」
「彩葉、ほんとに?」
「うん」
藤原さんがこちらに気づいたのか手を振っていた。その余裕がある態度からは遠目で見た目以上の貫禄が感じられる。だが、何処からどう見ても若い。とてもおじいちゃんとは形容しようがない。
「落ち着いた美容院にいそうな人じゃん」
「話すと印象だいぶ変わるよ、ほんとに」
「実感大分籠ってる」
実体験なのだろう。もともとは彩葉も同じ印象を抱いていたのを感じる。
「あ、猫吸いしてる」
声につられて藤原さんの方を見る。猫を抱きかかえ、深く顔を埋めていた。
恍惚とした顔をしている。
「「…」」
さっきまで感じていた貫禄は秒で浜で死んだ。
「話してないけど」
「印象って変わるね」
そのまま遠目で挨拶だけして通り過ぎる。最初のインパクトが強かっただけに落差がすごい。
残念イケメン、世は無常なり。
※
男は自身をごく普通の大学生だと自認していた。
上京して、始めたひとり暮らし。
バイトと講義の合間にサークルに顔を出している。友人と飲み歩いては酔いつぶれて、翌日の講義に遅れて頭を抱える。
バイトで失敗して、落ち込んで。家に帰っても誰もいないことに、また落ち込む。
流行りの映画やオススメされたアニメを見ながら、まったく進まないレポートを開いて、そのまま寝落ちする。
そして、また遊んで、バイトして、講義に出る。
そんな毎日を過ごす。
傍目からはどう映っていたのか。
要領の悪いやつ?
一緒にいて飽きないやつ?
話は面白いやつ?
それとも、
誰の記憶にも残らないその他大勢か
男にとってはどうでもいいことだった。今を生きるのに精一杯。その中で自分なりの楽しみが見つけられれば万事上々。
そんな想いは、
きっかけは興味本位、どころか無いはずの展開に期待して参加した合コンだった。
合コンと聞いて男が思い浮かべることなど相場が決まっている。
だが、知らないメンツに囲まれて、委縮して浮いてしまった。
いつも通りに交流するつもりだった。サークルの延長のつもりで参加した男。
実態は、ただの数合わせだった。
だが、そんな自己主張のない数合わせに興味を示した女がいた。酔って遠慮をなくした好奇心旺盛な女が。
最初は突然横に来られて警戒していた男も、話しているうちに徐々にいつもの調子を取り戻していく。
元々流行の話題には敏く、友人間でも相手に合わせて楽しむことを男は得意としていた。するとどんどん話が弾み、そのまま遊びの予定まで出来ていた。
そこまでは男としても友人間の付き合いの延長だった。
初めての環境だがこの空気感はいつもどおり、いつもどおりだった。
ただ、そう。
女にとっての何気ない一声は、男にとってはそうではなかった。
ただ、それだけ。
「じゃあ、デート楽しみにしてる!遅れないでよ?」
そう言って満面の笑みを浮かべた女を直視して、男は悟った。
ああ、恋をしてしまったんだ