Fate/Last Snow Grail 作:ボルメテウスさん
雲の切れ間から、崩れた山腹が見えた。
キャスターの大魔術が穿った傷痕は、月明かりの下でまだ煙を上げている。蒸発した雪が水蒸気となり、崩れた岩盤が熱を帯びて闇の中で赤く脈打っていた。あの洞窟から、バーサーカーは消えた。令呪の強制転移。地上の襲撃者たち――アサシンも、セイバーも、そしてキャスター自身も――バーサーカーを見失っている。
だが、ライダーだけが違った。
「見えたぞ」
アメリア・イアハートは操縦桿を握る手にほんの少しだけ力を込め、機首を北西へ向けた。彼女の目は計器を見ていない。風を見ている。雲の流れ。雪の舞い方。そして――風に逆らって流れる、微細な魔力の航跡。
「令呪の転移は完全じゃなかった。バーサーカーはあの大魔術で深手を負っている。霊基が傷ついて、魔力が漏れているんだ。それに――」
彼女は窓の外を指さした。雲の一部が、不自然に渦を巻いている。風向きとは無関係に、何かが雲を乱しているのだ。
「転移の残滓だ。空間を強引に引き裂いた痕跡が、大気の流れに残っている。あれを追えば、バーサーカーがどこへ消えたかわかる」
旅人は副操縦席から身を乗り出し、ライダーが指さす方角を見つめた。彼の目には何も見えない。だが、英霊共感適性が、かすかな違和感を捉えていた。北西の森。洞窟から離れた、深い針葉樹の林地帯。そこから、魔力の名残が立ち上っている。
「追跡するのか」
旅人の声は、自分でも驚くほど冷静だった。心の中は違う。情報を独占する利益と、捕虜を救う責任が、胸の内でせめぎ合っている。バーサーカーの新拠点を知っているのは、今のところ自分たちだけだ。この情報をどう使うかで、聖杯戦争の流れは変わる。他の陣営に教えれば、共闘の呼び水になるかもしれない。教えなければ、自分たちだけが次の一手を打てる。
だが――。
「捕虜がいる」
旅人は言った。短く、それだけを。ライダーは答えず、ただ機体をゆっくりと降下させた。雲の下へ。月光の航路を外れ、吹雪の残滓が舞う低空へ。彼女はすでに、旅人の決断を聞くまでもなく、追跡を始めている。
「機体を低空に移す。風が乱れている。少し揺れるぞ」
ライダーの声に、旅人は頷いた。機体が雲の下に潛り込むと、視界が一変する。月光は雲に遮られ、あたりは闇に包まれた。だが、その闇の中で、かすかな光の筋がいくつも見えた。魔力の航跡だ。傷ついたバーサーカーの霊基から漏れ出た魔力が、風に流されて尾を引いている。それは目立つ光ではない。蛍火のような、淡く儚い輝き。だが、ライダーはその一本一本を正確に読み取り、機体を進めた。
「見えるか」
「ああ。あの航跡は森の中へ続いている。それと――」
旅人は目を閉じ、意識を地上へ集中させた。英霊共感適性が、魔力の痕跡を増幅する。森の奥。針葉樹の合間に、小さな魔力反応がいくつも動いている。端末だ。それも、戦闘用ではない。もっと小さく、鈍重で――何かを運んでいる。
「端末の一団がいる。数は十匹ほど。動きが遅い。戦闘じゃなくて、輸送だ。捕虜を運んでいるんだと思う」
「新拠点への移動中、か」
ライダーは地図をちらりと見た。洞窟から北西の森林地帯。かつて鉱山で栄え、今は廃村となった集落が、ちょうどその方角にある。坑道の跡。廃屋。そして――古い精錬所。
「あの森の先に、廃村がある。鉱山が閉じるまで、坑夫たちが住んでいた場所だ。精錬所の地下には、鉱石を溶かすための炉がある。あれだけの魔力を隠すには、最適の場所だ」
「新拠点をそこに移すつもりか」
「だろうな。洞窟はキャスターに破壊された。次の場所が必要だ。それに――」
ライダーは機体をさらに降下させ、針葉樹の梢すれすれを飛んだ。雪が舞い上がり、翼にぶつかって砕ける。
「――捕虜を運んでいるということは、まだ全員は死んでいない。今なら、まだ間に合う」
旅人は唇を噛んだ。情報を独占する利益。それを捨てて、他の陣営に知らせるべきだろうか。セイバーなら、捕虜の救出に動くかもしれない。アサシンも、つい先ほどまで洞窟で捕虜を探していた。キャスターは――どうだろう。あの魔術師は、バーサーカーを倒すことが目的で、捕虜の救出は副次的なものに過ぎないかもしれない。
「ライダー」
「なんだ」
「この情報、他の陣営に――」
「今はダメだ」
ライダーは即答した。
「情報を流せば、バーサーカー陣営にも伝わる可能性がある。令呪で転移した以上、バーサーカーは深手を負っている。今なら追い詰められる。だが、情報が漏れて逃げられれば、捕虜もろとも消える。それに――」
彼女は機体を旋回させ、森の上空を大きく一周した。眼下には、端末たちの行列が点々と見える。松明も灯さず、ただ魔力の感覚だけで闇を進む捕食者の群れ。その中央で、縄で縛られた人間の影が数人、引きずられるように歩かされている。
「――もし他の陣営が動けば、バーサーカーは確実に捕虜を盾にする。あのマスターは、そういう女だ。ビルマ・レイフィールド。彼女にとって、捕虜は食料であり、人質であり、道具だ。無理に奪還しようとすれば、捕虜を殺して逃げる」
旅人は地図を握りしめた。指が震える。捕虜を救う責任。情報を独占する利益。二つの間で、彼の心はまだ揺れている。
だが――少なくとも、今は追跡を続けるべきだ。新拠点の位置を特定し、捕虜の正確な人数と状態を確認し、それからどう動くかを決める。
「わかった。今は追跡に専念する。でも――」
「でも」
「見捨てるな。あの人たちを、見捨てるな」
ライダーは少しだけ黙り、それから静かに言った。
「ああ。約束しよう。私は、誰も見捨てないために空を飛んでいる」
機体はさらに降下し、森の中の輸送隊を追跡する。旅人は地図を広げ、廃村の位置を確認し、その周囲の地形を調べた。精錬所。坑道。逃走路になりそうな谷筋。すべてを書き込みながら、彼は心の中で決断を固めつつあった。
追跡を続ける。情報を集める。そして――捕虜を救うために、何が必要かを考える。
月明かりが雲の切れ間から差し込み、森の上空を白く染める。機体はその光の中を滑りながら、静かに、しかし確実に、獲物を追う猟犬のように進路を北西へと取った。