Fate/Last Snow Grail 作:ボルメテウスさん
雪が、音を吸い込んでいた。
洞窟の入り口までは、あと五十メートルほどだ。遠野吠は足を止め、雪原の先に口を開けた闇を見つめた。キャスターの大魔術が穿った傷痕はまだ生々しく、崩れた岩盤が月明かりの下で湯気を立てている。蒸発した雪と霧が混ざり合い、視界は悪い。だが――それ以上に、臭いが違った。
「血の臭いだ」
吠は短く言った。人間の血ではない。もっと獣臭く、魔力の滲んだ血液。捕食端末の死体が、崩落の跡に何体も埋まっている。それだけじゃない。まだ生きている奴がいる。洞窟の中から、かすかな爪音と呻き声が聞こえていた。
「戦闘は終わったみたいですね。バーサーカーは――」
沖田総司が言葉を継ごうとした瞬間、銃声が轟いた。
乾いた破裂音が雪山に反響し、吠の耳を打つ。反射的に身を伏せようとした彼の目の前で、雪原の陰から跳び出そうとしていた捕食端末の頭部が弾け飛んだ。脳漿と魔力の残滓が雪を汚し、端末はそのまま雪上へ倒れ伏す。
「――狙撃」
沖田が低く呟き、一歩で吠の前に出た。右手はすでに刀の柄を握り、鯉口がわずかに切られている。彼女の目は銃声の方角を正確に捉えていた。雪煙の向こう。廃坑の入り口から東へ二十メートル、倒れた鉱山機械の残骸の陰だ。
「まだ終わってなかったみたいだな」
吠は雪に膝をついたまま、周囲の気配を探る。危険察知が警鐘を鳴らしている。狙撃手だけじゃない。もう一つ――いや、もう一人いる。
霧が動いた。
倒れた端末の死体のすぐ横で、白い靄が不自然に渦を巻く。次の瞬間、そこから黒い影が滲み出るように出現した。小柄な体躯。床まで届く黒衣。そして――手に握られた刃が、端末の喉笛を切り裂く。端末は最期の悲鳴も上げられず、雪の上で痙攣しながら絶命した。
アサシンだ。
姿を現したのは一瞬だった。喉を裂いた刃を翻し、返す刀でもう一体の端末を切り伏せる。霧の中から現れ、霧の中へ消える。その動きはまるで影が影を斬るようで、気配遮断と攻撃が完全に一体化している。
「沖田、あれは――」
「アサシンですね。しかも、相当な手練れ。姿を見せて攻撃した瞬間に、次の気配がもう消えてる。これじゃあ、斬りかかるタイミングが掴めない」
沖田は刀を抜かず、しかし抜刀の構えを解かないまま、霧の中を凝視していた。彼女の目は、アサシンが消えた方角を正確に追っている。だが、それ以上踏み込まない。相手はクラスとして気配遮断を持つ。正面から斬り合うより、背後を取られる方が危険だと理解しているのだ。
「そこで止まれ」
低い声が、霧の向こうから響いた。
鉱山機械の残骸の陰から、一人の男が歩み出る。猟銃を構え、銃口を吠たちへ向けている。年齢は四十代半ばだろうか。無精髭を生やし、雪に汚れた猟師の外套を纏っている。その立ち姿には、戦闘慣れした者の落ち着きがあった。足運びに無駄がなく、視線は二人を同時に捉え、いつでも引き金を引ける体勢を崩さない。
「セイバーのマスターだな。そして、そっちがセイバーか」
樺守斎一は、静かにそう言った。彼の目は、まず吠の手元を見た。令呪の位置を確認している。次に足元。雪への沈み具合で体重移動を読んでいる。そして最後に、沖田の刀の柄に注がれた力の入れ具合を観察した。
「お前ら、バーサーカーの仲間か」
吠は立ち上がりながら、低く尋ねた。彼の声には警戒心が滲み、右手はポケットの中で何かを握りしめている。
「違うな。俺たちはアサシン陣営だ。ここで生き残った端末の掃討をしている。お前らこそ、どうしてここに」
「殺気を感じたからだ。それと――」
吠は言いかけて、口を閉じた。樺守の猟銃が、わずかに沖田の方へ向けられたのだ。牽制ではない。本気で撃つ時の目の動きだ。沖田はそれを見て、あえて刀から手を離した。代わりに両手を軽く上げ、敵意がないことを示す。
「私たちは、ただ様子を見に来ただけです。戦闘する気はない」
「サーヴァントがそれを言うか」
「言いますよ。私は沖田総司。セイバーのサーヴァントです。そっちのマスターは――名乗る気はありますか?」
樺守は答えなかった。代わりに、彼の背後で霧が揺らめき、アサシンが再び姿を現す。今度は完全に実体化し、樺守の左後方に立った。黒衣の奥から覗く目が、吠と沖田を静かに観察している。
「マスター、この二人は――」
アサシンが何かを言いかけた時、吠が鋭く顔を上げた。
「――喧嘩してる場合じゃねぇ。中から来るぞ」
彼の危険察知が、洞窟の奥から近づく複数の気配を捉えていた。足音。爪音。それも一つや二つじゃない。五、六――いや、もっとだ。崩落の奥で生き延びた端末たちが、新たな獲物の気配を嗅ぎつけて集まってくる。
「数は――十はいる。それも、さっきのよりデカい奴が混ざってる」
沖田が再び刀に手をかけた。樺守は一瞬だけ吠の顔を見つめ、それから無言で猟銃の向きを変える。銃口はもう、吠たちには向けられていない。洞窟の入り口へと向けられていた。
「アサシン」
「わかっている。掃討を続行する。セイバー、そちらは――」
「共闘しますよ。敵の敵は、とりあえず味方です」
沖田が笑みを浮かべ、刀を抜いた。月光を反射する刃が、白く輝く。吠はポケットから手を出し、代わりに足元の鉄パイプを拾い上げた。
「俺は足手まといかもしんねぇが――逃げるつもりはねぇ」
樺守はそれを見て、ほんの少しだけ口元を緩めた。笑ったのかどうかは、わからない。ただ、彼の指が引き金にかかり、アサシンが霧の中へ溶けていった。
洞窟の奥から、咆哮が響く。