Fate/Last Snow Grail 作:ボルメテウスさん
洞窟の奥は、鉄錆と腐敗臭、そして焦げた魔力の残滓が混じり合った重苦しい空気に包まれていました。
「……ひどい有様ですね」
沖田が静かに呟きます。その声には嫌悪よりも、冷ややかな观察者の響きが混じっていました。床には空になった鉄の檻が転がり、錆びた鎖がからからと虚しい音を立てています。檻の中には何もありません。ただ、千切れた縄の切れ端が、まるで絶望そのものの手向けのようにぶら下がっているだけです。
「運び出されたみたいだな。生きてるかどうかは……まぁ、これを見れば想像はつく」
吠は檻の横に残された黒い染みを靴先で突きました。乾ききったそれは血ではない。引きずられた痕跡が坑道の奥へと続いています。露骨な残虐描写など不要です。切れた縄と空っぽの檻、それだけで何が行われたのかは嫌というほど伝わってきます。
「二列に並んで引きずられた跡がある。足跡は……小刻みだ。無理やり歩かされたか、あるいは担がれたか」
樺守がしゃがみ込み、土の沈み具合や雪の溶け方を確認しています。彼は魔術師のように魔力を探るわけではありません。あくまで足跡と土壌の状態から、人数と移動方向を割り出すのです。
「洞窟を出てから二手に分かれたようだ。一団は北西の森へ。もう一つは……川沿いか。消された魔力経路を読むより、こっちの方が確実だな」
樺守は立ち上がり、無造作に猟銃を提げました。
吠は目を閉じました。獣性寄りの感応特性が、洞窟内にこびりついた感情の残滓を拾い上げます。
(飢え……だ)
胃の底から這い上がってくるような、拭い去れない飢餓感。それが洞窟の外へと続く道に沿って残っています。バーサーカーと端末たちが去った後も、その渇望の気配だけは雪原の彼方へ消えずに漂っていました。
だが、それだけではありません。
(……なんだ?)
鼻の奥をくすぐる、かすかな甘い香り。
果実のような、いや、熟れすぎた果実のような濃厚な芳香。それが洞窟の壁際から漂っています。キャスター陣営が隠蔽処理を行ったため、大規模な魔術痕跡は消されていますが、この香りだけは消しきれなかったのでしょうか。
「どうしたんだ?」
樺守が吠の表情を見て問いかけます。
「……いや、何でもねぇ。ただの悪寒だ」
吠はぶっきらぼうに答えました。自分でもこの感覚が何なのか説明できない以上、迂闊なことは言えません。
「お前さん、魔力を探ってるんじゃないな」
樺守の目が細められます。鋭い観察眼です。
「普通の魔術師なら、残った魔力反応を探るもんだ。だが、お前はもっと別のもので周りを見ている。……何だそれは?」
図星を突かれ、吠はわずかに顔をしかめました。
「さあな。俺にもよくわかんねぇよ。……ただ、居場所がわかるだけだ」
誤魔化すような言い方ですが、嘘ではありません。吠自身、自分の能力を理屈で説明できないのですから。
「ふん……まぁいい。役に立つなら何でもだ」
樺守はそれ以上追求しませんでした。代わりに、視線を鋭く沖田と、その背後に広がる闇へ向けます。
「セイバー。お前さんの相棒も警戒してるようだぜ」
沖田は吠を背中に庇いながらも、その視線は常に闇の中を彷徨っていました。姿の見えないアサシンの位置を探っているのです。
「ええ、まあね。……背中がむずむずするんですよ。どうも、視線がいい感じに冷たくて」
沖田が軽口を叩きますが、その手は刀の柄から離れていません。
その時でした。
ブォォォォォン……。
低く唸るエンジン音が、雪と霧の向こうから近づいてきました。
「!」
沖田が即座に動きました。吠の前に躍り出て刀を抜き放ちます。銀閃が洞窟内の闇を切り裂きました。
「来ますよ!」
樺守も猟銃を構え、坑道の入り口へ銃口を向けます。
風が吹き込みました。霧と雪煙を巻き上げながら、巨大な影が頭上を覆い尽くします。
見慣れない小型機の影でした。
月光を背にして舞い降りたその影は、墜落するでもなく攻撃してくるでもなく、ただ静かに洞窟の上空でホバリングをしていました。
誰の敵か?
味方か?
答えの出ない緊張の中で、四人はそれぞれ武器を構えたまま、空からの来訪者を見上げました。