Fate/Last Snow Grail 作:ボルメテウスさん
プロペラの轟音が、洞窟の冷気ごと鼓膜を震わせます。
頭上でホバリングをする小型機は、まるで死肉を漁る猛禽類のように冷徹な距離感を保っていました。着陸するつもりは毛頭ない。いつでも上昇し、いつでも離脱できる高度。それは救世主の降臨などではなく、あくまで交渉者の出頭でした。
『聞こえているか、サーヴァントたち』
拡声器を通じた声が、雪原に響き渡ります。若い男の声。妙に落ち着いていて、状況を楽しんでいるふしがある。
『我々は君たちの戦闘を上空から観測させていただいた。敬意を表して、タダの情報をくれてやろう。洞窟を離れた捕食端末の一団は、郊外の三地点へ分散した』
機体から何かが落下してきました。雪原に突き刺さったのは、小型の情報端末です。画面には北海道の地図が表示され、赤い光点が三つ点滅しています。
『ただし、タダではない。等価交換だ。君たちが地上で確認したバーサーカーの戦闘能力、そして洞窟内部の痕跡についての情報を提供してもらおうか』
(……ふざけやがる)
吠は雪を被りながら、低く舌打ちしました。空から安全な場所で高い値切り金を要求する、いかにも魔術師上がりのやり方です。
「マスター、下がってください」
沖田が即座に反応し、吠の前に立ちはだかります。刀はまだ納刀されたままですが、その手はいつでも抜ける体制に入っています。彼女の視線は小型機を睨みつつも、いつでも吠を抱えて雪煙の中へ消えられる位置取りを維持していました。
「空からの奇襲なら、私の間合いに入る前に墜とされる。ですが……様子がおかしい」
「ああ。殺気はねぇ。ただの商売人だ」
吠は沖田の背中越しに、上空の影を睨み上げます。
樺守はというと、猟銃を下ろしもしないまま、吐き捨てるように鼻を鳴らしました。
「……覗き見の報酬か。胸くそが悪い」
彼はそれ以上、会話に加わるつもりはないようです。自分たちが空から監視されていたという事実そのものに、生理的な不快感を抱いているのでしょう。アサシンもまた、黒衣の奥から無言の圧力を放つだけで、交渉の輪に入ってくる気配はありません。
(どうする?)
吠は自問しました。情報は欲しい。バーサーカーは撤退したと言っても、どこに隠れたのかわからなければ、次の襲撃で確実に死ぬ。だが、こっちの手持ちを全て明かすような真似はできない。
「……対バーサーカー限定だ」
吠は怒鳴るように言いました。
「俺たちが見たのは、あいつらは単なる狂犬じゃねぇってことだ。傷を負っても前に来るし、端末を囮にして背後を取る。それに、自分の分身みたいな偽物を作って、魔術の照準を狂わせやがった。殺すなら、本体を一撃で仕留めるか、端末ごと薙ぎ払うしかねぇ」
それが、吠が提供できる「死の経験値」でした。
上空の小型機が、わずかに高度を変えます。満足したのか、それとも損得勘定を終えたのか。
『了解だ。有益な情報に感謝する。地図の座標を見てくれ。三つの候補地がある』
吠は雪原に落ちた端末を拾い上げました。点滅する三つの赤い光。廃村、旧精錬所、そして山間部の孤立した建物。
(どれだ……?)
吠の感応特性が、回路に電流を走らせます。洞窟に残ったあの耐え難い飢餓の気配。その残滓が、まるで導火線のように雪原の向こうへ伸びているのが「見える」のです。
廃村は違う。精錬所も違う。もっと湿っぽくて、冷たくて、有機的な……。
「ここだ」
吠は地図の一点を指で強く押し込みました。
「山間部の工房。ここから飢えの気配がする。嫌な臭いがぷんぷんしやがる」
そこは、聖杯戦争に参加できなかった落ちこぼれの魔術師が、ひっそりと隠れ住んでいた場所のはずです。だが、今は飢えた獣たちのターゲットとして選ばれてしまった。
『だろうな。我々もその場所を最も危険と推測していた。では、生存を祈るよ』
小型機が上昇を開始します。用件は済んだと言わんばかりに、プロペラ風が雪を巻き上げました。
「行くぞ、沖田」
「はいはい、了解です。……しかし、本当にあっちの言う通りでいいんですか?」
「あいつらが俺たちを案内するつもりなら、利用してやるだけだ。信用はしてねぇ」
セイバー陣営が走り出すのと同時、霧が濃く渦を巻きました。樺守とアサシンの姿が、音もなく白い闇へと溶けていきます。返答も、別れの言葉もありません。ただ、同じ獲物を追う別の狼として、霧の中へ消えただけです。
* * *
山間部の工房。
暖炉の薪が爆ぜる音だけが響く、静寂な夜でした。
老魔術師は椅子に深く腰掛け、古い文献のページをめくっています。聖杯戦争など自分には無縁の騒ぎ。そう決め込んで、結界の奥で息を潛めていたはずの男の安らぎは、唐突に引き裂かれました。
パリーン!
乾いた破砕音が、書斎の静寂を粉砕します。
老魔術師が顔を上げるより早く、窓枠から雪と共に異形が侵入しました。赤く爛れた皮膚。鋭く伸びた爪。そして、胃の底から湧き上がるような飢餓の眼。
それは、捕食端末の腕でした。
ガラスの破片が床に降り注ぐ中、二本、三本と続いて腕が室内へ伸びてきます。血に飢えた指先が、ただじっと座っているだけの獲物に向け、ゆっくりと、しかし確実に掴みかかろうとしていました。