Fate/Last Snow Grail   作:ボルメテウスさん

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目覚めたマスター

雪の音が、まだ窓の外を叩いていた。

俺は、重いまぶたを持ち上げた。体が、鉛のように重い。バーサーカーとの戦闘で消耗した魔力回路の疲労とは違う。もっと内側の、骨の髄に残るような沈んだ重さだ。夢の余韻が、まだ胸の底に澱のように沈んでいる。

 

首だけを動かし、傍らを見る。

沖田総司が、そこにいた。

桜色の着物を崩さず、背筋を伸ばして座っている。刀は膝の上。霊体化せず、実体のまま一晩中、周囲の警戒を続けていたらしい。上空を旋回するライダーの気配、気配遮断で近づくかもしれない。

 

「おはようございます、マスター」

沖田が、吠が目を覚ましたことに気づいて振り返る。その声は、いつもと変わらない軽やかさだった。戦場を駆ける最速の剣士であり、どこか人を食ったような飄々とした少女。彼女は、ただのサーヴァントとしての職分を果たしただけだと言わんばかりに、眉一つ動かさない。

 

だが、吠の目には、彼女がいつもと違って見えた。

膝の上の刀。細い身体。頼りなげに見えて、いざとなれば獣よりも速く敵を斬り伏せるその背中。それらすべてに、夢の中の光景が重なってしまう。起き上がることのできなかった身体。重くて抜けなかった刀。布団の上に置き去りにされた無力な誰か。

 

(お前は、昔――)

 

言葉が、喉まで出かけて止まった。

尋ねるべきではない。そんな直感があった。それはただの詮索だ。英霊としての彼女ではなく、人間としての彼女を暴こうとする行為だ。同情か? 哀れみか? そんなものを彼女は欲してはいないはずだ。

 

吠は、口を開きかけたまま、言葉を飲み込んだ。

 

一瞬の、沈黙。

沖田の動きが、かすかに止まった。膝の上の刀へ触れていた指先が、ほんの一秒だけ、ぴたりと止まる。彼女は吠の顔を見つめ、それからすぐに視線を外した。サーヴァントとマスターを繋ぐ契約の回線。その向こう側で、自分の記憶の断片が漏れた可能性に、彼女は気づいたのだ。

 

だが、沖田は何も言わなかった。自分から説明しようともしない。ただ、いつものように少しだけ首を傾げ、悪びれもせずに言った。

 

「妙な夢でも見ましたか? マスターは寝言がうるさい方ではないかと思っていましたが」

その声は、わざとらしいほど明るかった。過去の重さを隠すための、皮膚のような軽さ。沖田は、そうやって生きてきたのだと吠は理解した。

 

「寒いですか、マスター」

声がして、顔を上げる。

沖田が立っていた。戸口の傍らに背を預けて、刀を抱くようにして、俺の方をじっと見ている。外の月明かりを背負った姿は、まるで雪の精か何かみたいに白く浮き上がっていた。

 

「……別に。これくらい慣れてる」

「左様ですか。私は寒さには強い方でして。生まれが北国ではないのですが、体を動かしていると平気です。まあ、今は動いてはいませんが」

軽い調子で言って、彼女は口元だけで笑う。そういう、妙に芝居がかった立ち居振る舞いが、この女には似合っていた。いや、似合わなくなっている。俺の中で、彼女の姿が二重に見え始めている。

 

「なあ、沖田」

「なんですか」

「お前、無理してるだろ」

彼女の笑みが、ほんの少しだけ硬くなった。

ほんの僅かだったが、見逃せない程度には、確かに変化していた。

 

「……何がでしょうか」

「警戒だ。お前、一晩中起きてたんだろ。俺が寝てる間、家の中まで入ってくるものを全部、切れるように呼吸を合わせてた。今もだ。戸口の結界に気味の悪い魔力が這った瞬間、お前は俺を置いて外に出る気でいる」

沈黙が満ちる。

外では風だけが吹き荒れて、木々の枝を鳴かせていた。

 

「マスター」

「ンだよ」

「そこまで見抜かれていると、私も立場がありませんね」

彼女は笑いながらも、手にした刀を抱え直した。俺の心なんて見透かしているみたいに、奇妙に落ち着いた目をしている。

 

「別に、無理をしている自覚はありません。サーヴァントというのは、総じてそういうものです。マスターを守るのも、勝つ為に立ち回るのも、私にとっては呼吸と同じ。特別に気負っているわけではないのですよ」

「なのに一晩中、目を開けてたんだろ」

「目を開けていないと、マスターが死ぬかもしれませんので」

そう言って、彼女はさらりと笑う。その軽妙さが、かえって痛々しく感じて仕方がなかった。

「お前さ、」

俺は一度だけ口を閉じて、それから、普段なら絶対に吐かないはずの言葉を、仕方なく絞り出した。

 

「無理をしてる奴は、平気な奴より先に死ぬぞ」

 

沖田は一瞬きょとんとして、けれどすぐに、口元を引き締めた。

 

「それは、私への警告ですか」

「そうだ。俺はお前に死んでほしくない。命令でも何でもないが、これはただの相棒としての願いだ」

「マスターが私を相棒と呼ぶのは、今日が初めてですね」

 

彼女はそう呟いて、少しだけ俯いた。

沈黙の質が、さっきとは違う。互いを探り合う静けさじゃない。もっと泥臭くて、不器用で、それでも確かな熱を孕んだ沈黙だ。

 

「……嬉しいです」

「あ?」

「いえ。こちらこそ、あなたに生きていてほしい。私が一晩中起きていたのは、他でもない、その為です。マスターは私を監視するよりも先に、自分を守ることを学ぶべきかと」

「うるせえ。わかってる」

「わかっていないから言っているのです」

彼女はくすっと笑い、戸口から離れて、俺の隣へ腰を下ろした。

 

「マスター。少し、私の話をしても?」

俺は黙って聞く体勢を整えた。

吹雪の音だけが、廃屋の中を満たしていく。

 

「私は、戦うことしか知らない女です。昨日のように、人を斬ることに何の呵責もない。ですが、あなたが眠っている間、私は考えておりました。この男を守ろうと。死なせまいと。そう思える相手に出会うことが、私にとってどれほど奇妙なことか。だから、眠らずにいられたのです。目を離すのが、惜しくて」

「……お前、そういうこと恥ずかしげもなく言うタイプか」

「恥ずかしげもなく、言うタイプです」

 

相変わらず涼しい顔で彼女は言う。だけど、ほんの少しだけ、声の端が震えていた。

 

「私は、あなたと共に戦うと決めた。だからあなたに生きていてほしい。あなたは私に、死んでほしくないと言った。……それだけで、私はもう、この雪の夜を生き抜けます」

「大げさだよ」

「大げさで結構。最期まで大げさな女で通します」

 

彼女が笑う。俺も、笑っている。声には出さない。でも、口元が緩んでいることくらい、俺にだってわかる。

外の雪はしんしんと降り積もり、世界を静かに埋め尽くしていた。俺たちの関係に名前をつけるなら、まだ何もなかった。けれど、この寒さの中で、お互いの体温を確かめるように、背中合わせの夜は続いていく。

 

「――死ぬなよ、沖田」

「お互いに、です」

 

それだけの静かな夜だった。

死が外で雪と一緒に待ち構えている。聖杯戦争なんて泥臭い殺し合いの只中だってのに、こうして馬鹿げた会話をしている時間が、俺の心臓を生かしていた。

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