Fate/Last Snow Grail 作:ボルメテウスさん
焚き火の残り火が、雪の重みに耐える枯れ枝の下で静かに息を吐く。休息のために身を落ち着けた廃屋の外れ、遠野吠はポケットの中で震える携帯端末を一度だけ握りしめた。着信音は、設定した覚えもないのに短く、事務的だった。
「誰からだ」
沖田総司が、焚き火の向こうで顔を上げる。刀は鞘に収まったままだが、彼女の指先は常に柄から数センチの距離を保っている。夜明け前の寒気の中、サーヴァントの呼吸は白くならなかった。
「樺守からだ」吠は短く答えた。「ライダー陣営も含めて、情報交換をしねえかって話だ」
沖田の表情が、わずかに硬くなる。焚き火の揺らめきが、彼女の横顔に影を落とした。
「反対です」
声は静かだった。しかし、その中に断固とした響きがある。彼女は立ち上がると、廃屋の窓から外を一瞥した。雪原の向こうに、まだ何者かの気配はない。
「アサシンは、気配遮断でマスターを直接狙えます。今の状況で、交渉のテーブルに着くのは無防備が過ぎる。それにライダーは、前回、上空から私たちを一方的に観察していました。攻撃の機会は何度もあった。相手は、いつでも私たちを殺せる位置にいたんです」
「わかってる」吠は言った。
だが、それだけでは終わらなかった。彼の頭の片隅には、眠りの中で見た光景が張りついている。あの夢の中の自分は、あそこまで走っても、刀へ届かなかった。一人では届かない場所があった。あれが未来の記憶なのか、ただの疲労による幻覚なのかは分からない。けれど、嫌というほど覚えているのは、手のひらに残る冷たい雪の感触と、目の前で誰かが消えるような焦燥感だった。
「一人で抱え込むのも、同じくらい危ねぇ」吠は、焚き火に小さく薪を放り込んだ。
沖田が、困ったように眉を下げる。
「マスター。私は、あなたが誰かを信用することを否定しているのではありません。ただ――」
「会うだけだ」と吠は断言した。
空気が一瞬、静まる。焚き火の中で、やけに瑞々しい枝が爆ぜる。
「情報交換の場に、ただ向かう。こっちからは出すもんを選んで、あっちが出すもんを吟味する。それだけだ。門前払いにするには面倒すぎる相手だろ」
沖田は、深いため息を吐いた。それは諦めからではなく、忠告を聞き届けた上で主の意思を呑むという、騎士めいた了承でもあった。
「私の条件を呑んでいただけるなら」と彼女は言った。「真名は明かしません。私たちの拠点も、当面の移動経路も話しません。会合の目的は、バーサーカー対策に限定。他陣営の情報を積極的に開示する必要はありません」
「それでいい。こっちは名簿いらねぇ。必要なのは、どこであの女が喰い散らかしたかだ」
「では、準備を」
沖田は、慣れた手つきで焚き火を始末し始めた。雪をかぶせ、火の粉を消し、周囲の気温を確かめるように半歩下がる。逃げ道の確認だ。吠には、それが妙に細やかに見えた。そういうところまで目に入ってくるのは、自分が少し浮ついているからかもしれない。
(今度は、俺の手で扉を開く)
夢の中の自分は、たどり着けなかった。刀にも、背中にも、何にも。
今は、そのための氷の壁を一枚、自分で破るだけだ。
「沖田」
「なんですか」
「俺は、まだ誰かを信じたわけじゃねぇ。でも、お前の言い分も正論だ。だから、何かあれば切り抜けるぞ」
沖田は、わずかに笑った。それは、先日の、刀を向け合いながらも殺し合わなかった夜のように、少しだけ困ったような笑みだった。
「私は、いつだってあなたを切り抜けさせて見せます。それが、私の役目ですから」
廃屋を出る。雪の上に、まだ誰かの足跡はない。遠くで、夜明け前の鳥が一羽、凍てついた空に向かって低く鳴いた。