Fate/Last Snow Grail   作:ボルメテウスさん

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追跡者への招待状

洞窟の奥で、ビルマは床に落ちた蜂の残骸を拾い上げた。

 

バーサーカーの手斧で両断された使い魔は、すでに魔力の大半を失い、形を保てずにいる。それでも、翅の一部だけは原型をとどめていた。黒く、透明で、脈理の走った翅。ビルマはそれを指先で摘み、ランタンの灯りにかざす。翅はかすかに震え、まだ送信を続けようとしているのか、微かな魔力の残滓を放っていた。

 

「蜂、か」

 

彼女は翅を指先で転がしながら、笑った。ランタンの光を受けて、翅がきらきらと輝く。その輝きを、ビルマはまるで宝石でも鑑賞するかのように見つめている。

 

「蜂を使う魔術師。それに、この繊細な造り――ただの偵察用じゃないわね。工房ごと覗こうなんて、ずいぶんと勉強熱心なこと」

 

彼女は蜂の翅を、テーブルの上に置いた。破壊するつもりはない。むしろ、標本のようにして保存する。観測者への、ささやかな返礼のつもりだった。

 

「キャスターかしら。それとも、植物科あたりの魔術師? どちらにしても、これだけ見られた以上、黙って引き下がる相手じゃなさそうね」

 

ビルマは洞窟の入り口の方角を見た。坑道の入り口には、彼女が張った結界がある。本来なら、侵入者を拒み、内部の魔力を隠蔽するためのものだ。だが、ビルマはそれを完全には閉じていなかった。わざと隙間を残し、洞窟の魔力が外へ漏れるようにしてある。

 

「閉じ込めるより、開けておいた方が面白いでしょう。どうやって入ってくるか。何を仕掛けてくるか。それを見てから、ゆっくり調理してあげる」

 

彼女は椅子に座り、足を組んだ。テーブルの上の蜂の翅が、かすかに震えている。まだ生きている。まだ繋がっている。観測者は、この洞窟を見ている。ビルマはそれを承知の上で、あえて自分の工房を隠さない。

 

「さあ、来なさい。キャスターでも、セイバーでも、誰でもいい。この洞窟は、あなたたちを待っている」

 

彼女の声は、鍾乳石の間を抜け、坑道の闇に吸い込まれていった。

 

 

湖畔の温室で、アロイシアは目を閉じていた。

 

彼女の前には、キャスターの開いた本がある。光輝の書ゾーハル。その頁の上に、セフィロトの樹が浮かび上がり、さらにその上に北海道の地図が重なっている。山脈の稜線。河川の流れ。都市の灯り。そして、それらを縦横に走る霊脈の光。

 

「洞窟の座標は、ここです」

 

アロイシアは地図の一点を指さした。札幌から離れた山間部。かつて鉱山があった場所。今は廃坑となり、地図にも載っていない。だが、霊脈の流れを見れば、その位置は一目瞭然だった。洞窟は、複数の霊脈が交差する地点に穿たれている。天然の魔力の吹き溜まり。魔術師が工房を構えるには、これ以上ない好条件だ。

 

「問題は、洞窟の内部構造です。蜂が破壊される前に送ってきた断片によれば、内部には捕食端末を生み出す魔力溜まりがある。それと――」

 

アロイシアは言葉を切り、指を地図の上で滑らせた。洞窟を中心に、霊脈の流れが歪んでいる。まるで、洞窟が霊脈から魔力を吸い上げているかのように。

 

「――あの洞窟は、単なる工房じゃない。霊脈に寄生して、魔力を吸収している。端末を生み出すための燃料は、土地そのものから奪っているのよ」

 

「なるほど」

 

キャスターが、本の頁をめくった。地図が消え、代わりに洞窟の魔力構造が模式図として浮かび上がる。鍾乳石を伝う魔力の流れ。水溜まりから生まれる端末。そして、檻の中に閉じ込められた人々。

 

「ということは、あの捕虜たちは――」

 

「ええ。いずれ、魔力溜まりに投げ込まれるでしょう。端末を生み出すための、追加の燃料として」

 

アロイシアの声は冷静だった。だが、その目は地図の一点を凝視している。雪山の中に、黒い染みのように浮かび上がる洞窟。そこだけが、霊脈の光を吸い込み、周囲の生命を枯らしている。

 

「今はまだ、生かしている。でも、それは鮮度を保つためだ。必要な時に、必要なだけ、魔力を搾り取る。バーサーカー陣営のマスターにとって、人間は食材であり、燃料であり、そして魔術資源でもある」

 

「手のつけようのない異常者、ですか」

 

キャスターは本を閉じた。その顔に、怒りはない。ただ、深い悲しみのようなものが浮かんでいる。

 

「いえ、異常という言葉すら生ぬるい。あれは、倫理の外にいる。善悪の判断を持たない。ただ、空腹を満たすためだけに、あらゆるものを食い尽くす」

 

「しかし、マスター」

 

キャスターはアロイシアの顔を見た。その目は、主の本心を探っている。

 

「あなたは、あの洞窟を危険だから排除するのですか。それとも――研究対象として価値があるから、手を出すのですか」

 

アロイシアは、少しだけ黙った。温室の中に、果実の甘い香りが漂っている。彼女が育てた果樹が、ほのかに明滅している。生命の樹。カバラの教えを具現化したその木は、まだ完成していない。剪定が必要な枝が、いくつもある。

 

「両方よ」

 

彼女はようやく答えた。その声には、魔術師としての冷徹さと、科学者としての好奇心が同居している。

 

「バーサーカー陣営は、聖杯戦争の障害になる。それに、一般人の大量失踪を放置すれば、時計塔が動く。そうなれば、この聖杯戦争そのものが破綻する。それは、私の目的にとっても不都合だ」

 

「それが、一つ目の理由」

 

「ええ。そしてもう一つ――あの洞窟の魔術式は、私が知らないものだ。霊脈に寄生し、魔力を吸い上げ、端末を生み出す。あれは伝承に基づく魔術ではなく、バーサーカーのマスターが独自に構築したものだ。魔術師として、あれを解析しない手はない」

 

アロイシアは温室の窓に手を触れた。ガラスの向こうに、吹雪が舞っている。遠くの山並みが、白く霞んで見える。その中で、一点だけが黒い染みのように浮かび上がっている。洞窟だ。霊脈を吸い尽くす、病んだ土地。

 

「それに――」

 

彼女は、窓に映る自分の顔を見つめた。金髪。青い目。若く見えるが、その瞳の奥には歳月の重みがある。時計塔で何十年も研究を続け、それでも届かない根源への焦燥。

 

「――あの洞窟を放置すれば、いずれ霊脈そのものが枯れる。そうなれば、北海道全体の神秘が衰退する。神秘が薄れ、魔術が使えなくなる。それは、私の目的――根源到達――を、さらに遠ざけることになる」

 

「つまり、魔術師としての危機感、ですか」

 

キャスターは静かにうなずいた。彼はアロイシアの剪定思想を理解している。理解しているが、賛同はしていない。それでも、今この瞬間、アロイシアがバーサーカー陣営に向ける敵意は、彼女の目的と一致している。

 

「わかりました。私も協力しましょう。ただし――」

 

キャスターはアロイシアの横に立ち、窓の外を見た。遠くの山。黒い染み。

 

「――あの洞窟には、まだ生きている人々がいます。彼らを救うことも、視野に入れてください」

 

「ええ、もちろん」

 

アロイシアは窓から離れ、テーブルに戻った。地図を広げ、洞窟の周辺地形を確認する。山の斜面。雪原。河川。廃道。洞窟に至るルートは限られている。それをどう使うか。

 

「キャスター。追跡を続けます。蜂を洞窟の周囲に配置して、出入りを監視する。内部の偵察は、もう少し慎重に。バーサーカーに感知されない距離から、魔力の流れを計測する」

 

「承知しました。それと――」

 

キャスターは本を開き、頁をめくった。セフィロトの樹が浮かび上がり、その枝の間に新たな文字が刻まれる。

 

「――他の陣営への連絡は、どうしますか。バーサーカー陣営の危険性を、どこまで伝えますか」

 

「必要最低限でいいわ。私たちが単独で動いていると思わせないこと。それと――」

 

アロイシアは、地図の上に指を走らせた。洞窟から伸びる霊脈の流れ。それが、町の方角へと続いている。

 

「――セイバー陣営には、特に注意を払って。あの若いマスター、遠野吠。彼はバーサーカーと直接遭遇して、生き延びた。その理由を知りたい」

 

「恐怖で動けなかっただけでは?」

 

「それもあるでしょう。でも、それだけじゃない。バーサーカーは、獲物を見逃すような英霊じゃない。なのに、撤退した。ビルマがわざわざ命令を出してまで。あのマスターとサーヴァントには、何かある」

 

アロイシアの目が、地図の上で光った。研究者の目だ。未知の現象を前にした時の、抑えきれない好奇心。

 

「追跡続行。観測を強化。そして――機会があれば、セイバー陣営と接触する。バーサーカーを倒すには、人手がいる」

 

温室の外で、黒蜂が飛び立った。吹雪の中を、山の方角へ。洞窟へ。そして、町の方角へ。セイバー陣営を探して。

 

 

洞窟の奥で、ビルマは立ち上がった。

 

彼女はテーブルの上の蜂の翅を、そっと指で撫でた。まだ震えている。まだ送信している。観測者は、まだこの洞窟を見ている。それでいい、とビルマは思う。

 

「見ていなさい。これから、もっと面白くなるわ」

 

彼女は檻の方へ歩いていった。鉄柵の向こうで、捕虜たちが身をすくめる。彼らの目には、恐怖と、諦めと、かすかな希望が混ざっている。まだ助かると思っている者もいる。警察が来る。自衛隊が来る。誰かが助けてくれる。その希望が、ビルマには滑稽に映った。

 

「大丈夫、今はまだ食べないわ。あなたたちは、もう少し寝かせておく。魔力がもっと凝縮して、もっと美味しくなるまでね」

 

彼女は檻から離れ、水溜まりの方へ歩いた。魔力の液体が、鍾乳石から滴り落ちている。その表面が盛り上がり、新たな端末が生まれようとしている。

 

「でも、次の狩りはもうすぐよ。今度はもっとたくさん捕まえてくる。セイバーのマスターも、サーヴァントも。それから、私たちを覗き見している蜂の魔術師も」

 

ビルマは水溜まりに手を浸した。黒い魔力が、彼女の指に絡みつく。冷たい。だが、彼女にはそれが心地よかった。

 

「みんなまとめて、晩餐会に招待してあげる」

 

彼女の笑い声が、洞窟に反響した。

 

鍾乳石が脈打ち、魔力が滴り、端末が這い出る。壁には爪痕。積まれた衣類。途切れた呻き声。そして、そのすべてを見下ろすように、バーサーカーが立っていた。赤い髪の下で、飢えた瞳が光っている。次の獲物を待っている。

 

洞窟の入り口では、結界がかすかに揺らいでいた。完全には閉じていない。あえて開かれた隙間から、魔力の光が漏れ出している。それは、見方によっては灯台のようにも見えた。獲物を誘い込む、捕食者の灯りだ。

 

聖杯戦争の夜は、まだ明けない。

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