Fate/Last Snow Grail 作:ボルメテウスさん
霧が、金色に染まった。
洞窟の上空で、光が割れる。最初は小さな点だった。星のように瞬き、すぐに線となり、幾何学的な模様を描いていく。円。三角。セフィロトの樹。キャスターの魔術式が、洞窟の真上で花開くように展開されていた。
湖畔の温室で、キャスターは本を開いていた。光輝の書ゾーハル。頁から光の粒子が立ち上り、洞窟へと伸びる魔力線を伝って流れていく。彼の魔術は、カバラの神秘に基づく。十のセフィラと二十二の経路。天使の階層。そして、神の名を刻んだ光の文字。
「結界、展開完了。洞窟外周の霊脈を一時的に制圧しました」
キャスターの声は穏やかだった。戦いを前にしても、彼の指は祈るように頁をなぞっている。
「天使の門は開きました。後は、あなたの使い魔を――」
「ええ」
アロイシアが鋏を一振りした。切られた枝が光に包まれ、形を変える。植物科の魔術。生命を操作し、形を与え、使い魔として戦場へ送り出す。だが、今回の使い魔は植物ではなかった。キャスターの天使召喚と、アロイシアの生命付与。二つの魔術が組み合わさり、新たな形を取る。
光の繭が割れ、翼が広がった。
天使――いや、天使を模した防衛装置だ。人の形をしているが、顔には目鼻がない。代わりに、無数の魔術式が浮かび、周囲の魔力を解析している。翼は光で編まれ、手には盾。神聖さはない。あるのは、魔術師が設計した機能だけ。侵入者を排除し、敵を押し返し、指定された領域を防衛する。それは信仰の対象ではなく、純粋な兵器だった。
「降下」
アロイシアの命令で、天使が洞窟へ向かって降りていく。霧の中へ、金色の光が一直線に伸びた。霧は魔術的なものだ。アサシンの領域。普通の使い魔なら、霧に触れただけで方向感覚を失い、迷い込んで終わる。だが、天使は違った。キャスターの魔術式が、霧の結界を解析し、進路を割り出す。
天使が霧に突入した瞬間、端末たちが反応した。
三匹の端末が、アサシンを追っていた隊列から離れ、天使に襲いかかる。天井から、壁から、床から。同時多方向からの攻撃。先ほどアサシンを追い詰めたのと同じ戦法だ。端末たちの連携は正確で、天使の退路を断ちながら包囲を狹める。
天使は、盾を構えた。
最初の端末が、正面から突進する。天使はそれを盾で受け止め、押し返した。物理的な力ではない。盾に刻まれた魔術式が、端末の魔力を解析し、逆向きの力を発生させる。端末は壁に叩きつけられ、鍾乳石の破片が飛び散った。
二匹目が右から。天使は翼を広げ、翼そのものを盾にして防いだ。三匹目が背後から。だが、天使は振り返らない。代わりに、翼から光の矢が放たれ、端末の足を床に縫い止めた。
――無機質な防衛装置。
上空の機体から、ライダーがその様子を見つめていた。彼女は操縦桿を握りながら、静かに分析する。
「キャスターは攻撃を優先していない。天使の動きは完全に防衛型だ。端末を殺すんじゃなく、押し返して戦場を制圧している」
「どういう意味だ」
旅人が尋ねた。彼は地上の魔力の流れを感じ取っているが、戦術までは読めない。
「天使が端末を殺せば、バーサーカーはすぐに新しい端末を生み出す。洞窟の中には魔力溜まりがあるんだろう。いくら倒してもキリがない。だからキャスターは、殺すんじゃなくて無力化している。戦場を制御して、バーサーカー本体を引きずり出すつもりだ」
「つまり――」
「キャスターの目的は、端末の掃除じゃない。バーサーカーを洞窟の外へ誘導し、本体を叩くことだ。そのために、アサシンと協力するつもりはないが、結果的に同じ敵を攻める形になる」
ライダーの分析は正確だった。
洞窟の中では、天使が次々と端末を押し返していた。盾で打ち据え、翼で薙ぎ払い、光の矢で足を止める。端末たちの包囲は崩れ、アサシンへの圧力が弱まっていく。アサシンはその隙を見逃さず、さらに洞窟の奥へと進んだ。
だが、キャスターの狙いは端末だけではなかった。
洞窟の上空で、光の輪がさらに広がる。幾何学的な模様が複雑に絡み合い、一つの巨大な術式を形成していた。それは照準器だ。キャスターは天使を使って端末を制圧しながら、同時に洞窟全体をスキャンしていた。鍾乳石を伝う魔力の流れ。水溜まりから生まれる端末の生成速度。そして――洞窟の奥で動く、巨大な魔力反応。
「捕捉しました」
キャスターが頁をめくる。光の文字が浮かび上がり、洞窟の内部構造を三次元で描き出す。その中心に、赤い光点が一つ。バーサーカーの霊基反応だ。狂戦士のクラスに特有の、暴力的なまでに膨れ上がった魔力。理性の枷を外した英霊だけが持つ、飢餓そのもののような魔力の波動。
「バーサーカーは、洞窟の最深部にいます。端末の生成場を守るように配置されている。おそらく、捕虜もその近くに」
「アサシンの位置は」
「バーサーカーの手前、第二坑道の分岐点です。捕虜の檻へ向かっている。天使が端末を引きつけている間に、アサシンが捕虜の救出を試みる――そういう展開になりそうです」
アロイシアは温室の窓から洞窟の方角を見つめた。金色の光が、霧を貫いて輝いている。
「私たちは、アサシンと協力するつもりはない。でも――」
「でも、結果的に同じ敵を攻める形になる。それで十分でしょう」
キャスターが静かに言った。彼は本の頁をさらにめくり、新たな術式を展開する。
「天使を増やします。端末の数はまだ多い。アサシンが捕虜に到達するまで、持ちこたえられるかどうか」
「やれるだけやりなさい」
アロイシアは鋏を構え、次の枝を切り落とした。
洞窟の中で、天使の数が増える。二体、三体。光の防衛装置が霧の中に降下し、盾を並べて壁を作る。端末たちはその壁に何度も突進するが、押し返される。爪が光の盾を引っ掻き、甲高い音が洞窟に反響した。
アサシンは振り返らなかった。
自分を追っていた端末が天使に阻まれ、包囲が崩れたことを確認すると、そのまま第二坑道の奥へと消えた。霧が彼――あるいは彼女――の後を追うように流れ、坑道の闇に溶けていく。
残された天使たちは、無言で盾を構え続けている。顔のない光の兵士たち。彼らはアサシンを援護するために来たのではない。ただ、指定された領域から敵を排除するために動いている。その結果として、アサシンの進路が開けた。それだけの話だ。
洞窟の奥から、重い足音が響いてきた。
バーサーカーが動き始めている。天使の侵入を感知し、端末だけでは対処できないと判断したのだろう。赤い髪を揺らし、手斧を手に、坑道を進んでくる。その瞳には、飢餓の光が宿っていた。
上空で、旅人はその気配を感じ取った。
「バーサーカーが動いた。天使の方へ向かっている」
「なら、キャスターの狙い通りだ。バーサーカーを洞窟の入り口近くまで引き出せれば、他の陣営も動きやすくなる」
ライダーは機体を旋回させ、洞窟を見下ろす位置を保った。
「これで、戦場が動く。キャスターがバーサーカーを引きつけ、アサシンが捕虜を探し、セイバーが町から接近中。そして俺たちは――」
「――見て、記録する。今はそれでいい」
旅人は窓に手を当てた。指先がかすかに震えている。地上では、光と霧と飢餓が絡み合い、戦いが激しさを増している。自分はそれを見ていることしかできない。でも、見ているだけの自分にも、できることがあるはずだ。
「ライダー、逃走路の確認を続けてくれ。捕虜が助け出された時、どこへ逃げれば安全か。それを俺たちが示すんだ」
「了解」
機体が、月光の下を滑っていく。雲の上と洞窟の中。二つの戦場が、同じ夜を共有していた。