※歴史や通説を本作だと仮定したら、新解釈は二次創作だよなー?とか考えて書きました。
※ノストラダマス先生の解釈です。本気で信じないでください。
『本日、義の武将、剛勇鎮西一と言われている「立花宗茂の実像に迫る」というテーマから、お招き頂きました。立花宗茂を長年研究してきたと自負するノストラダマス先生です。』
お初にお目にかかります。
私、ノストラダマスは「立花宗茂」を研究し続けておりました。
『それで、先生は立花宗茂についての新解釈を発見したと?』
はい。
様々な文献を見つけて、新たな新解釈を入れた話を解説していこうと思います。
……先ずは、今宵、関ヶ原合戦前。
立花宗茂は悩んでいたと思われますよ。
立花宗茂「……どうする?西軍か?東軍か?」
……何故なら、
立花宗茂「……西軍に付いて家康を殺して、全部三成のせいにすれば、オレの天下になるんじゃねえかな?」
彼は世間が言う“武士の鑑”ではなかったからです。
歴史に詳しい諸兄の方には「ん?」と思うことでしょう。
しかし!私が唱える『新解釈・立花宗茂』から引用すると、こう見えるのです!
立花宗茂が“こんな性格”になった理由です。
例えば、こんなエピソードが有ります。
立花宗茂………当時八歳で千熊丸という名だった立花宗茂が行った見世物の最中に、群集の中で争いが起きて死傷者が出て、周りが大騒ぎする中でも、
千熊丸(後の立花宗茂)「今日の見せ物はこれで終ったのか?」
と供の者に述べたことがあり、その“気”は充分に有ったのです。
それだけでなく、
更にこう言ってのけました。
千熊丸「お前たちが慌てるとはおかしなことだ。
我々は、あの論争の相手ではないのだから、どうしてこちらに切りかかって来るようなことがあろうか。
見せ物がまだ終ってないのに、どうして立ち去る必要があるのか?」
と。
史実では、豪胆や大将の器として描かれていますが……コレ、どう見ても、八歳の子供が考える代物じゃないですよね?
若干、怖いと思いましたよ?私は、ええ。
何故なら、コレって“共感性の欠如”が如実に現れてるじゃないですか?
普通、八歳の子供は泣いたり、怖がったりするでしょう?
なのに、平然とこの千熊丸……後の立花宗茂は、“他人を自分の物語の背景としてしか見ていない”部分が散見されるのです!!
他には、こんなエピソードが有ります。
ある時野犬の群れに襲われた千熊丸は、腰の刀を抜くや刃を返し峰打ちで野犬を叩き伏せて追い払ったというエピソードです。
高橋紹運「何故野犬を斬らなかったのか?」
と尋ねられた、千熊丸は、
千熊丸(立花宗茂)「刀は敵を斬るもので、犬畜生を殺す道具ではありませぬ。」
と答えたとか。
それを聞いた高橋紹運は、
高橋紹運「我が子ながら器量雄才ともに抜群だ。しかし成長して後、自分の才能を誇るようなことをしてはならぬ。」
千熊丸……後の立花宗茂の“武将の器量”を絶賛したというエピソードですが、こうも読み取れるのです。
ある時野犬の群れに襲われた千熊丸(立花宗茂)は、腰の刀を抜くや刃を返し峰打ちで野犬を叩き伏せて追い払った。
高橋紹運「何故野犬を斬らなかったのか?」
と尋ねられた、千熊丸は、
千熊丸(立花宗茂)「刀は敵を斬るもので、犬畜生を殺す道具ではありませぬ(……犬畜生を殺すのに適した武器は“刀”じゃねえし。)」
と答えたとか。
それを聞いた高橋紹運は、
高橋紹運「我が子ながら器量雄才ともに抜群だ。しかし成長して後、自分の才能を誇るようなことをしてはならぬ。」
千熊丸(立花宗茂)「……はい?(……ん?変なこと言ったか?刀は犬を殺すのに適した武器じゃねえよな?)」
というふうにも、見えるのです!!
お分かり頂けたでしょうか!!?
『な……なるほど、先生は立花宗茂は所謂“義の武将”ではなかったのでは?とお考えになってるワケですね?』
……いえ、どちらかと言うと、立花宗茂は
・感情より合理性が先に来る。
・他人の期待する道徳を演技で合わせられる。
・そんなわけで結果的に名将ムーブになる。
という人物像であると言えます。
他にも、『第二次太宰府石坂の戦い』で立花宗茂は初陣を飾り、150人を率いて敵軍の側面を襲撃、騎射で秋月方の勇将・堀江備前の左腕に鏑矢を命中させたエピソードが有りますが、彼はこう思ったでしょう。
立花宗茂(……アレ?何か楽しいぞ?)
と、堀江備前を鏑矢で命中させたことで自信が付いたのでしょう。
その後の秋月種実との『嘉麻・穂波の戦い』にて、嘉穂八木山の石坂で秋月勢を迎え討ち、150の兵を率いて戦って敵将の首をとる戦功を挙げ、戦闘全体においても初陣の武将とは思えない冷静沈着にして、豪勇絶倫な指揮を見せることが出来たのです!!
そのため、
立花宗茂(やっべえええ!戦争が全て自分の思い通りになってるの、すげえたのしいいいいいいい!!)
立花宗茂はこんなことを思ったのでしょう。
現に、その後も参加した戦に全て冷静に勝利し、立花道雪の出陣後の留守を狙って攻めてきた秋月種実の軍8000を夜襲や火計で撃破した時も、
立花宗茂(よーし!次は奇襲とか釣り野伏せりとか試してえなあああああ!!)
とか思ったことでしょう!
しかし、この事を知ってか知らずか立花道雪は、
立花道雪「天性の質を備えており、末は立派な武将となるであろう。
長生きしてその姿を見たいものだ。」
と、70歳を越えた身ながら、立花宗茂の“本質”に気付くことなく、大絶賛してしまいました……。
そんなこともあり、些細なすれ違いのまま、すくすくと育った少し“怖い部分”が有る立花宗茂は、実父・高橋紹運が763の兵士と共に岩屋城に籠もり、島津からの降伏勧告を受け入れずに玉砕するまで追い込んだ九州最強軍団の島津軍を相手にしても、上記の性格も相まって、
立花宗茂(紹運死んだかー……ま、紹運に「養子に行ったならばもはや高橋の人間ではない。」と言われたし、別にいっか。)
と実の父である紹運の言葉をそのまま真に受け、
立花宗茂「弔い合戦(高橋紹運の部下が居るため、)は望むところだ。ウキウキ
潔く討ち死にする覚悟なれば、早々にこの城を攻めるがよかろう。ウキウキ
弓矢鉄砲で会釈いたす。ウキウキ」
と九州最強軍団島津軍相手に冷静に対処できたのでしょう。
『……な、なるほど、しかし、紹運に「養子に行ったならばもはや高橋の人間ではない。」というエピソードが有ったのでしょうか?……不勉強で申し訳無いですが?』
ハハ……それは、申し訳ありません。
こんなエピソードが有ります。
立花宗茂……当時千熊丸だった立花が、立花家へ婿養子に行く際に実父の高橋紹運より、
高橋紹運「高橋と立花の間に戦が起こった場合はなんとする?」
と問われて、
千熊丸「高橋に味方する。」
と答えたところ、紹運に、
高橋紹運「養子に行ったならば、もはや高橋の人間ではない。立花勢の先鋒となってわしを討ち取れ。道雪殿は常日頃から未練な振る舞いを嫌っておられるので、おぬしに不覚の行跡あろうものなら義絶されよう。その時は高橋に帰ろうと思うのではなく、この剣で直ちにその場で自害せよ。」
と一剣を渡され諭されたという物ですよ。
宗茂はその剣(備前長光)を紹運の形見として、終生身辺から離さなかったというエピソードが有ります。
『は……はぁ、なるほど?となると、立花宗茂は“情の深い人”という見方が出来ますが?』
そう思うことでしょう?……しかし、立花宗茂は紹運から渡された備前長光を持った理由はこう思ったのではないでしょうか?
千熊丸「なるほど、紹運を殺すのに適した武器ってことね。」
……と、感情より合理性を求めるとこうなると思われるのですよ。
『は……はぁ。』
そうして、豊臣秀吉が来たため、撤退する島津軍を追撃して散々に打ち破り、島津方となっていた高鳥居城や、宝満城、そして生まれ育った岩屋城を三日あまりで奪還する電撃戦を展開し、筑前に展開していた島津軍は掃討したことで立花宗茂は、
豊臣秀吉「東国にかくれなき本多平八(本多忠勝)に、西国無双の立花宗茂。その忠義は鎮西一、またその剛勇も鎮西一。」
本多忠勝「……何と、素晴らしき御仁よ。会って話してみたい!!」
島津義弘「実父が死んだのにあの胆力……死なすには惜しい!!流石は高橋紹運殿の息子だ!!」
と誰もが立花宗茂の“本質”に気付くことなく、大絶賛!!
そんなことも有って、「……西軍に付いて家康を殺して、全部三成のせいにすれば、オレの天下になるんじゃねえかな?」とか言っちゃう性格になってしまったのでしょう……。
『……ま、まあ、史実においても立花宗茂は島津義弘や細川忠興といった敵味方から称賛されてますからね?』
そこです!!
『……え?』
そこなのです!!
立花宗茂と似ている人物が居るのです!!
『だ、誰ですか?その方は?』
日本史の大英雄、室町幕府の足掛かりを作った『足利尊氏』その人ですっ!!!
『……ええ!?』
何故なら、足利尊氏も、
・立花宗茂と同じく『武士の鑑』と言われ、
・立花宗茂と同じく“敵味方から称賛”され、
・立花宗茂と同じく“危険を恐れない”と、
言われているのですっ!
『……い、言われてみれば……!』
そう、立花宗茂とは“戦国時代に現れた足利尊氏”と見ると、三成の西軍に付いた理由。後に徳川家康に仕えた理由。といったことが全て説明が付くのです!!
そうして、本多忠勝と語り合ったり、茶道も細川忠興からも一目置かれていたり、忠興が子の細川忠利に対して、数寄の事は宗茂を見習う事ということを知った立花宗茂は、
立花宗茂(……そっか、助けたら、こっち側になんのか。)
と学習したことでしょう!
そんなことも有って、
立花宗茂「ああ、だから、領地経営って、こうするべきなんか。」
領地経営も上手く行ったのです!
『……ああ、それで、柳川の民から慕われたと?』
そうです!
そうして、彼は朝鮮出兵でも活躍しました。
『え……ええ、確か、小西行長が加藤清正を見捨てて帰ろうとしたら、島津義弘と共闘したとか?』
……そうです!助けたらこっち側になると学んだ立花宗茂は、そこで島津義弘と共に加藤清正を助け、黒田長政や小早川隆景等といった武将等と懇意にしたのです!
それ故に、
成長した立花宗茂は朝鮮出兵後のこと、
石田三成「あなたの今回の功績が秀吉様から高く評価され、加増(領地が増えること)されるように、私から秀吉様に口利き(執成し)をしてあげましょう。」
立花宗茂「手前の仕合次第と存候(てまえのしあわせしだいとぞんじそうろう)」
と断った後に、彼は悟ったことでしょう。
立花宗茂(石田三成……アイツ、馬鹿じゃねえの?)
と、そして、
立花宗茂(……というか、口利きみたいなこと言ったら、嫌われること分かんねえのか?アイツ?)
と、立花宗茂は石田三成の人物像を理解したのです!
『な、なるほど。……その石田三成の行動が後押ししたと?』
そうです!
もし、此処に“足利尊氏”が居たら、同じ行動をすると思いませんか?
『………そうかな?』
そして、今は医学が発展しましたので、足利尊氏といった“特異な精神性”を持つ人間が居ることは解明されておりますが、昔の人はそう見えなかったのではないでしょうか?
……例えば、そう、ミステリアスな人間に見えたのでは?
そんなミステリアスな人間が“忠節”や“義”と説くと、人は惹かれるのだと思われます。……もしくは、過剰に脚色されたか美化されたか……そこは不明ですが。
『……え?あ?……せ、先生は立花宗茂が足利尊氏と同様に先生が仰る“特異な精神性”を持つとお考えで?』
ええ、でないと、説明出来ない部分が有ると思うのです!!
……まあ、その話は後で、石田三成の方も。
石田三成(……ちっ、味方に出来なかったか。……ま、いっか、嫌いな小早川秀秋とか減封したし。)
といった事を述べる人間性であり、
石田三成(……待てよ。オレが家康を殺せば、秀吉様が織田家を乗っ取ったように、オレも豊臣家を乗っ取れば、豊臣家はオレの物になって、オレの天下じゃね?www)
徳川光圀や世間一般で言われるような“義の武将”ではなかったと思われます。
『え!?な、何か確証は有るのでしょうか!?』
ええ。確証は有ります。
……彼が本当に“義の武将”であるならば、決定的にしないことをしているのです!!
『そ、それは……何ですか?』
従来の彼は、徳川光圀によって、
「石田治部少輔三成は、にくからざるもの也。人それぞれその主の為にすと云ふ義にて、心を立て事を行ふもの、かたきなりとてにくむべからず。君臣ともによく心得べきことなり。」
(訳:石田三成は非常に立派な人物だ。人はそれぞれ、その主君に尽くすのを義というのだ。徳川家の敵といって三成の事を悪く言うのは良くない。君臣とも三成のように心がけるべきだ。)
と言われています。
そして、石田三成は、『内府違いの条々』の中に“上杉征伐”は無断出撃と言っていました。
……しかし、この石田三成の言う“無断出撃”……いえ、上杉征伐は淀殿だけでなく豊臣秀頼(豊臣公儀)から支持されているのです!!
『………………へ?』
実際、家康が大坂城から出陣する際、淀殿の息子である豊臣秀頼から、餞別として黄金2万枚、兵糧米2万石という莫大な軍資金が公式に与えられています。
コレは豊臣家がこの遠征を「謀反人を成敗するための公的な戦い」と認めていた決定的な証拠です。
それに!淀殿は関ヶ原の戦いが迫る中、淀殿は家康に対して、
「今回の三成たちの挙兵は、**彼らが勝手に起こした暴走(私戦)**であり、豊臣家(秀頼・淀殿)の本意では決してありません。大坂城は彼らに包囲されてしまい、どうしようもない状態です。内府(家康)殿におかれては、どうか惑わされることなく、速やかにこの事態を収拾してください。」
という弁明の手紙を実際に送っています。
『ほ、ホントですか!?』
ええ。コレは、最近発見されました。
これらを鑑みるに、会津の上杉景勝が『上洛要請』の命令を無視して、軍備を増強したことは、豊臣政権に対する『謀反』とみなして良いでしょう。
その上杉景勝の勝手な軍事増強に、五大老の筆頭であった家康は豊臣政権の最高責任者である「大老」として、豊臣家のために逆賊を討つという大義名分を掲げて出陣しています。
『……そ、そんなことが有ったんですか。』
そう考えると、石田三成はこう考えて、『内府違いの条々』を各大名に贈ったのではないでしょうか?
石田三成「上杉征伐を"無断"ってことにすりゃ、家康を逆賊にできる。淀殿とか秀頼様とかが許可したとかは…………まあ、書かなきゃバレねえだろwww」
こうすりゃ、バレねえだろwww……って。
……というか、“義の武将”が豊臣家公認の任務に就いてる人の後ろを撃つって豊臣家の顔に思いっきり泥を塗ってるようなものですから、やって良いことなんですかね?
分かりやすく言うなら、
豊臣家という内閣総理大臣から徳川家康という防衛大臣が自衛隊に指示して、勝手に武装する集団に対して“治安出動”してたら、内閣と関係無い石田三成が「白色テロだ!」と叫んで、豊臣家という内閣総理大臣や自衛隊員等の家族を人質に取って内閣府を占拠して武装蜂起した。
……みたいな。
こんなんを政権側が許したら、政権は維持できないと思いますが?
『う……うーん……?』
其処で疑問が生じます。
……では、立花宗茂は西軍に付く際、
立花宗茂「秀吉公の恩義を忘れて東軍側に付くのなら、命を絶った方が良い!」
と言っていましたが、コレは正しかったでしょうか?
豊臣家の顔にフルスイングで泥を投げる石田三成が近くに居ますけど?
……まあ、内府違いの条々にも書いてますけど、勝手に婚姻とか結ぶ徳川家康とどっこいどっこいな人ですよね?
『………。』
……如何でしょうか?
『……いや待ってください。それ先生の解釈が正しけりゃの話ですよね?普通は西軍につくのが忠義でしょ。』
そうでしょうね。
しかし、西軍が公務中の徳川家康を討つのは“忠義”ではありません。
……というか、家康を三成が殺しちゃったら、誰も豊臣家の上洛要請を無視する謀反人を取り締まれなくなり、謀反だらけになって政権が維持できません。
……それを佐和山城主として善政をした程の能力を持つ石田三成が気づかないでしょうか?
というか、西軍の忠義は“公務中の徳川家康を殺す”のではなく、ちゃんと“帰還後に詰問して徳川家康を政治から排除”するのが忠義で筋なのでは?
例えば、婚姻させた家臣同士で喧嘩沙汰を起こさせて、刃傷沙汰にすれば、内府殿の責任問題にすることが可能でしょうし。
……そのことに、立花宗茂や石田三成が気づかないでしょうか?
まあ、次は、立花宗茂が徳川家康と出会ったことで最大の敵と思い、西軍に付けば家康殺せる算段をして、大津城に向かったという解説をしようと思います。
『………分かりました。本日はありがとうございます。以上、ノストラダマス先生の解説でしたー。』
第二話。予告。
勝手な私婚の推進やら、私利私欲の政治やらをするタヌキこと徳川家康に、「秀吉様に言って加増させようか?」とバカみたいに聞く石田三成よりも脅威を感じる立花宗茂。
しかし、真正面に戦えば“武士の鑑”のブランドが消えるだけでなく、徳川四天王とかと真正面で戦うことになることに苦悩する立花宗茂。
そのために、立花宗茂は石田三成が徳川家康を殺すことで「秀頼公のためとか、話が違うじゃないか!」と言って石田三成を糾弾し、始末することを考える立花宗茂。
……だが、そんな理由で西軍に付く立花宗茂に最大の障害が立ちはだかる!!
次回『全員謀反人』
次回も蛍大名が地獄の防衛戦でサービス!サービス!!