学生の生活というのは忙しいものでアッと気がついたらもう3ヶ月も過ぎているのだ。日々の勉強、友達との生活、何より個人的な研究。これらが合わされば時間は真夏のチョコレートのように溶けていく。
ホグワーツには今まで見たことのないような本がたくさんあるのでつい夢中になって調べてしまう。「魔法理論序説」や「ブリテン島古代魔法史」、「ルーンと魔法の関係」あたりならともかく、「失われた魔法〜その痕跡は何処に〜」とか「古の秘術」なんかは家にもフローリシュ・アンド・ブロッツ書店でも見たことがない。
そんなものだから最近の日課は専ら図書館で本を借りて重要部分を羊皮紙に写すことだった。
しかしこういう類の本はそもそも数が少なく、3ヶ月も過ぎた今、棚にあるほとんどの本は読み終えてしまった。もちろん他分野の本に手を出せばホグワーツ生活7年では到底全てを読破なんてできないのだが。
だからちょっと他の分野の本に手を出すか。
いやいっそ魔力の流れを地図にまとめてみてもいい。
休暇になったら親にお願いして痕跡を巡る旅に出たいし、その計画を立てるのも悪くない。
でも、呪文を唱えた時の魔力の動きを観察するのも面白そうだ。
そうやって次々と考えだけが膨らみ、気が付けば机に頬杖をついたまま視線は宙を泳いでいた。
「ケイロン、君がぼーっとしているなんて珍しい。何かあったの?」
突然、聞き慣れた声が頭上から降ってくる。
頭を上げるとそこにはエイブリー…とリドルがいた。
「リドルはともかくエイブリー、君こそ図書館なんてどうしたんだい。明日には地獄の釜が凍るかもしれないよ。」
「そんな事言うなよ。リドルに魔法史のゴブリン反乱についての宿題を手伝ってもらうだけさ。」
エイブリーが口をとがらせて言い返す。ちょっと待って、魔法史のゴブリン反乱のレポートは期限が今日だったはずだけど。
「でもエイブリーの言う通り君が図書室でぼんやりしているなんて珍しい。もしかして借りる本が見つからなかったのかい?」
ふわりと優等生の笑みを浮かべたリドルを見てエイブリーもいるし…とつい口が開く。
「大したことじゃないんだけどね。気になる分野の本を読み終えてしまったからこれからどうしようかなって」
エイブリーが「なんだって」と声を上げるのも構わず、リドルは静かに
「君の夢中になる分野って何だい?」と目を妖しく煌めかせて尋ねてきた。
「魔法理論さ。尤も今の魔法体系じゃなくて失われた魔術についての解明が目的だけどね。」
一息つく。リドルならきっともうわかるだろう。
「19世紀にはすでに失われていた。先行研究はあるけど、どれも断片的だ。
…まあ僕一人で全てを解明できるとは思ってないけどね。」
研究なんてそんなものだ。何人もの人生が積み重なって、ほんの少し前へ進む。その積み重ねの先にようやく新しい発見がある。
僕がその歩みを〇・一ミリでも前へ進められたなら、それだけで十分光栄だ。
リドルはやっぱり頭の回転が早いのだろう。こちらの言葉尻を拾っては、淀みなく次の質問を重ねてくる。
相槌は絶妙で、質問にはつい答えたくなる。
気付けば、普段なら誰にも話さないようなことまで口にしていた。
後になって思うと彼の言葉にはそういう、心の奥底を引き出すような魅力があったように思う。
少し話しすぎたかなと後悔したのは全てが終わった後だった。
しかしこの頃、僕は研究とは別にどうにも要領の掴めないものがあった。
ホグワーツに入学して三か月。授業にも寮生活にも慣れ始めた一方で、純血貴族として避けて通れないものがあった。
それは社交だ。
スリザリンの談話室はただ休憩する場所ではない。家同士の縁も、先輩後輩の繋がりも、多くはここで築かれる。
父からも「談話室での立ち振る舞いは授業と同じくらい重要だ」と何度も聞かされていた。
暖炉の周囲には純血貴族の子息令嬢が、少し離れた場所には混血の生徒たちが集まっている。誰かが決めた席ではない。それでも三か月も経てば、自然とそういう配置になっていた。
ただ、どちらかというと口下手で受け身な僕は見知った人としか話せず、暖炉の近くにいても知らない上級生やあまり話したことのない家の人達とは上手く繋がれなかった。
もっとも、それだけが理由でもない。
上級生たちの話題は専ら、この家とこの家が婚約を結んだとか、誰が魔法省のどの役職に就いたとか、有力な大臣候補の後ろ盾はどこだとか、そんな社交界の話ばかり。
では一年生の輪に入れば面白いかといえばそうでもない。
「誰がかわいい」「誰がかっこいい」「宿題が難しい」「先生が怖い」──そんな話題が延々と続く。
正直、どちらにもあまり興味は持てなかった。
でも聞いているだけなら、まだ上級生の輪のほうが退屈しなかった。
だから僕は暖炉の傍らで上級生たちの話を聞き流しながら紅茶を啜り、ときどき菓子を摘むくらいがちょうどよかった。
一方でエイブリーは誰とでも打ち解け、リドルは誰と話しても好印象を残す。不思議なことに、気が付けば二人の周りにはいつも人が集まっていた。
気がつけば話題は勉学のことになっており、6年生の先輩のOWLの話をしていた。
良い成績を残したいのはみんな同じのようでリドルも珍しく熱心に耳を傾けていた。
「ところでグリーングラス」
ツンとした、しかし気品のある高い声が突然僕の名前を声にした。
声の主はヴァルプルガブラック先輩だった。
「あなたも勉学に励んでいるようですね。しかしあなたのルームメイトのリドルから学校の勉強以外のこともしていると聞いています。何をしているのですか。」
心臓がひやりと冷える。まさか古代魔術のことを悟られたのだろうか。
それともスリザリンでは研究の真似事はよろしくないのかもしれない。
「その、研究の真似事を少し。」
少しばかりの恐れを悟られないよう、自信を持って落ち着いて答える。
しかし僕の予想に反してヴァルプルガ先輩はニッコリと微笑み、
「研究は貴族の嗜み。誇るべきことよ。何の分野をしていて?」と聞いてきた。
「魔法理論を少し。」
「まあ、素晴らしいじゃないの。スリザリンは魔法薬学が得意な生徒が多いからてっきりあなたもそうなのかと。でもそうね…」
ヴァルプルガ先輩は近くで先輩たちと話していた少女へ視線を向ける。
「ルクレティア、今いいかしら。」
暖炉の前で上級生と談笑していた少女が豊かな黒髪を揺らしながらこちらに向かって歩いてきた。
「どうしたのヴァルプルガ。
あら、こんにちは。あなたはグリーングラス家の長男ね。私はルクレティア・ブラック。ヴァルプルガの再従姉妹よ。」
「こんばんは、ルクレティア先輩。」
「研究なら私よりも彼女に聞いたほうがいいわ。彼女、魔法薬学研究会の会長なの」
そういうヴァルプルガ先輩は、親しい再従姉妹を自慢するように少し誇らしげだった。
「ああ、そういうことね。それなら…」
どうやらホグワーツもスリザリンも僕が想像していた以上に研究に寛容なようだ。
ルクレティア先輩は、ホグワーツには決闘クラブだけでなく研究クラブもあり、他分野の生徒と交流したいならスラグホーン先生の主催するスラグ・クラブが最適だと教えてくれた。
どうやらクラブというのは面倒な付き合いばかりではないらしい。禁書庫の本を上級生に頼んで借りてもらったり、一年生では手に入らない魔法薬学の材料を融通してもらったりと、研究を続ける上では何かと便利なことが多いようだ。
「私も一年生の頃は先輩によく助けてもらったのよ。」
「私なんて研究室を夜遅くまで使わせてもらっていたわ。」
「珍しい触媒なら卒業生に頼むこともあるわね。」
先輩方は口々に自分たちの経験を語り始める。
ルクレティア先輩の人望ゆえか、それともブラック家という名家の求心力ゆえか。最初は二人だけだった話し相手は三人、五人と増え、気がつけば暖炉の周りにはちょっとした人だかりができていた。
「論文を書けば先生方が目を通してくださるわ。」
「出来が良ければ卒業生や研究者のところへ送られることもある。」
「珍しい材料なら先輩が融通してくれることもあるぞ。」
「研究会同士で合同発表会をすることもあるわね。」
次々と飛び交う話は、どれも僕の知らない世界だった。
その輪の中で、僕はただ相槌を打ちながら耳を傾けていた。
今は退屈ではなかった。
こういう活動は主にレイブンクローが主流となり、次いでスリザリンのようだ。
どうやら研究というものは一人で机に向かい、本を読み、実験を重ねるものではないらしい。
研究は、人と繋がることで、もっと遠くまで届くものでもあるようだ。
「あなたは優秀な生徒と聞いています。私も、優秀な人との縁は大切にすべきだと思っています。望むならスラグ・クラブに推薦しますよ。」
ブラック家の令嬢にそう言われて断る理由などない。僕は二つ返事でお願いした。
暖炉の火が小さくなり始める頃には話も一区切りつき、ちらほら寝室へ戻っていく人が見え始めた。ふと見上げると、少し離れた場所でリドルがこちらを見ていた。目が合うと、何事もなかったかのように微笑み、先に階段を上っていく。
僕もその背中を追って僕は今日教わった研究部やスラグ・クラブのことを頭の中で整理しながら寝室へ向かった。
寝室に帰ると「やっと君もスラグ・クラブに入るのか。」
とリドルが微笑んでいた。
「君を勧誘してくれないかとスラグホーン先生から再三言われてたんだ。」
はて、僕は君ほどスラグホーン先生に気に入られているわけではないし、誘われたことなんてあったか…解せない。
「そうだ、彼が砂糖漬けパイナップルを好むのはよく知られているけど、実は蜂蜜酒、それもオーク樽で熟成された高級なのも好きなんだ。ぜひ持っていくといいよ」
「よくそんなことを知ってるね。」
「みんな頼めば教えてくれる。それに案外、人は自分の好きなものを話したがるものさ。」
リドルは一息置いてちらりと僕のキャビネットを_正確には僕のキャビネットに置いてある本を視界に入れる。
「ところで」
今度こそ古代魔術について悟られてしまったようだ。
いや、もうすでにわかっていて後は機を伺っていただけなのかな。
「君の研究内容は古代魔術だろう。」
「僕、君にそこまで話したっけ。」
「いいや、あの後もう一度調べ直したんだ。」
これだから天才さんは。
「『古代魔術_現代の魔法使いが扱えない、あるいは忘れ去られた古の魔法体系。知るものは少なく、扱えるものは先天的にその才を身に宿すが現代では希少である。』」
「…『失われた魔法〜その痕跡は何処に〜』だ。君が借りていた本だろう。」
「使えるのか。古代魔法。」
「どうしてそう思うんだい。リドル。」
「興味がなければ人は学ぼうとはしない。」
「僕がロマンを感じて憧れているだけかもよ。」
「僕はこの3ヶ月、君を見てきた。」
「図書館でも_」
「談話室でも_」
「そして寝室でも。」
この感じだともう確信しているんだろう。
まあいいさ。別に隠しているわけではないのだから。
「オーケー。君の言ってることは半分正解だけど半分不正解。僕は扱えるわけではない、いや全くというわけでないけど…」
あーまあ、見えるってだけだよ、ホントに。古代魔法も使えるかもしれないけど使い方がわからないんだ。簡単な浮遊とかエバネスコよろしくの消失出現とかならともかく、普通の魔法のほうが使えるし。ということは黙っておく。沈黙もまた、時に価値ある選択だ。
「なるほどね。つまり君は特別ってことだ。」
リドルの黒い瞳がこちらを射抜く。
「君は随分相対的なものに価値をおくんだね。」
気がつくと口から言葉が出ていた。
「どういうことだ。」
彼の声から笑みが消える。
「特別_確かに特別かもしれない。でも昔は多くの人ができていた。ならそれはフツウのことだ。特別じゃあない。」
「僕がすごいんじゃない。時代が違うだけさ」
「…それが何なんだ。」
その声はかつて聞いたことがないほど威圧的だった。
「今できる人間がいない。それだけで十分だ。」
「昔はどうだったか、だって?そんなものに何の意味がある。」
彼は一歩こちらに近づいた。端正な顔は歪められ、うっすら小鼻が膨らんでいる。
「君は生まれつき、それを持っている。」
「望んでも手に入らないものを。特別を」
「それなのに_
瞳が鋭く歪む。激昂したように声が荒くなる。
「それなのに、お前は__」
彼の瞳の奥に一瞬赤い光が宿った気がした。
…オーケー分かり合えない溝が僕たちの間にあるってことだ。
「落ち着けって、リドル。焦っているのか苛立っているのか知らないが紅茶でも飲もう。
夜だからカフェインの入ってないルイボスティーがいい。」
そう言うとリドルは少し拍子抜けしたような腑抜けた表情を浮かべ、恐る恐るといった感じでベッドに座った。
エイブリーや他のルームメイト(名前なんだっけ)はまだ戻ってこない。大方レポートが終わってもないのに雑談に花を咲かせているんだろう。
こちらは楽しく雑談なんて夢のまた夢のような状況だ。ああ全くマーリンの髭!
ティーカップに湯気の立つ紅茶をなみなみと入れ、一口サイズのミルクチョコを差し出すとリドルは何も言わず、ゆっくりそれを口に含み瞳を閉じる。
次にその瞳が開いた時、先程のような赤は入っていなかった。
「すまない。少し熱くなってしまった。今のことは忘れてくれ。」
「いや、気にしてないよ。」
僕たちは何も話さなかった。部屋には紅茶を啜る音とカップのカチャカチャという音だけが響いていた。
ポットのお茶が空になってリドルはむっつりと「ありがとう」と言った。
「君は僕に何も尋ねないのかい。」
「そうだね、両親にも、エイブリーにも言ってない秘密を君は知ったんだ。
君の秘密も教えてほしいところだけど。」
まあ君の気が向いたときでいいよ。
ふっと笑みを溢してカップを片付ける_ために後ろを向いた。
リドルは黙って僕を見ていた。
ふと瞬くと周囲の青白い魔力の糸が後ろの一点に収束している。
細く、鋭く、人の記憶へ潜り込むための魔力。
トム・リドル。
君は何を求めているんだ。
特別であることか。
偉大であることか。
さっきから君の口をついて出るのは「特別」という言葉ばかりだ。
君は、自分を特別だと思っているのか。
それとも__どうしても、そう思えないのか。
求めること自体は悪じゃない。
でも__僕にはうまく言葉にできない。説明できない。
君が言ってることは少し違うんじゃないかって思うけど、それを意味にできない。
僕が君に伝えたいナニカが今の僕にはわからなかった。
だから__
「オブリビエイトはやめてくれ。」
ゆっくりと後ろを振り返る。
白い杖を構えたままのリドルと目が合った。
弱さを見られた。
彼にとってはそれで十分だったのだろう。
その瞳が見開かれる。
だが次の瞬間にはいつもの無表情へと戻り、悔しげに唇だけが固く結ばれた。
「いつからだ」語気を強めにリドルが言い放つ。
「何が?」
本当に何を言っているのだろう。
「僕がどういう人間かについてだ。」
「それなら最初から。」
「…でも、それを悪いことだとは思わない。
君のそういうところも、君の一部なんだから。」
「君の秘密は僕の中だけにしまっておくよ。」
「だから僕のも、よろしく。」
僕は天蓋のカーテンを下ろし眠りについた。
僕たちは今日、本当の意味で言葉を交わした。
それがトム・リドルとの初めての対話だった。