堂島家の姉は、犯罪者が好きなことを隠している。   作:an-ryuka

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過去話。足立視点。


8.5

退屈な大学生活の中で、真白の部屋だけが妙に濃かった。

 

人間らしくて好き、と犯罪者のことを言った女。

僕の性格の悪さを見て嬉しそうに笑う女。

自分がまともじゃないことを、あまり隠さない女。

 

その女が、僕のために朝飯を作る。

僕の名前を呼ぶ。

僕の手首を取る。

 

変な話だ。

 

変なのに、馴染んでいく。

 

だからたぶん、あの日の僕は油断していた。

 

真白なら、何を言っても平気だと思っていた。

真白なら、こっちの嫌なところを見ても逃げないと思っていた。

 

それは、ある意味では正しかった。

 

正しかったからこそ、最悪だった。

 

その日、僕は朝から苛立っていた。

 

理由はいくつもあった。

講義で教授がくだらない理想論を喋った。

ゼミのやつが僕を見下したような顔をした。

就職だ進路だ将来だと、周りが勝手に浮ついていた。

 

みんな、自分はちゃんとどこかへ行けると思っている。

 

馬鹿みたいだ。

 

僕は真白の部屋に着いても、しばらく黙っていた。

 

真白は気づいていたはずだ。

 

気づいていて、いつもより少しだけ距離を近くしてきた。

 

「ご飯、食べる?」

 

「いらない」

 

「お腹空いてる顔してる」

 

「いらないって言ってんだろ」

 

真白は怒らない。

 

「じゃあ、お茶だけ」

 

「いらねぇ」

 

「そう」

 

そこで黙ればいいのに、真白は黙らなかった。

 

「今日、何かあった?」

 

「別に」

 

「別に、の顔じゃない」

 

「うるさいな」

 

「透」

 

名前を呼ばれた。

 

その声が、やけに耳についた。

 

「何」

 

「嫌なことがあったなら、言って」

 

「言ったらどうすんの」

 

「聞く」

 

「聞いてどうすんだよ」

 

「透が、少し楽になるかも」

 

その言葉に、僕は笑った。

 

楽になる。

 

何だそれ。

 

正しい人間みたいなことを言うなよ。

お前はそっちじゃないだろ。

 

「お前まで、そういうこと言うんだ」

 

真白は僕を見た。

 

「そういうこと?」

 

「話せば楽になるとか、誰かに聞いてもらえば救われるとか。馬鹿みたいなこと」

 

「私は、救われるとは言ってないよ」

 

「似たようなもんだろ」

 

「違うよ」

 

真白は近づいてきた。

 

「透が何を考えてるか、知りたいだけ」

 

その言葉は、優しさではなかった。

 

興味。

 

いつもの真白だった。

 

なのに、その日はそれすら腹立たしかった。

 

「知ってどうすんの」

 

「透をもっと好きになるかも」

 

僕は顔を上げた。

 

真白は静かにこちらを見ている。

 

その目に、嘘はなかった。

 

だから、余計にむかついた。

 

「気持ち悪いな、お前」

 

言った瞬間、真白は少し笑った。

 

「透に言われるの、好きだよ」

 

その笑い方だった。

 

僕の中で、何かがずれた。

 

 

気づいたときには、真白の肩を掴んでいた。

 

真白は少し目を見開く。

でも、逃げない。

 

「透?」

 

その声も、落ち着いていた。

 

落ち着いているのが、許せなかった。

 

僕は真白を壁際に押しつけた。

 

背中が壁に当たる音がした。

小さな部屋に、どん、と鈍く響く。

 

「何でも分かったみたいな顔すんなよ」

 

声が、自分でも低かった。

 

「透」

 

「呼ぶな」

 

「……」

 

「どいつもこいつも、馬鹿にしやがって」

 

言葉が勝手に出る。

 

「正しい顔して、努力してます、将来考えてます、みたいな顔してさ。お前もどうせ、僕を見て笑ってんだろ」

 

真白は黙っていた。

 

僕は、気づいたら真白の首に手をかけていた。

 

細い首だった。

 

手のひらの下に、体温がある。

脈がある。

 

少し力を入れるだけで、真白の呼吸が変わった。

 

その感覚に、頭の奥が真っ白になる。

 

やばい。

 

そう思った。

 

でも、手を離せなかった。

 

「お前もどうせ」

 

指に力が入る。

 

「僕のこと、見下してんだろ」

 

真白の目が見開かれる。

 

喉が圧迫されて、息が詰まる音がした。

普通なら、ここで暴れる。

怖がる。

手を剥がそうとする。

 

真白は、僕の手に触れた。

 

剥がそうとする力じゃなかった。

 

確かめるみたいな指だった。

 

そして。

 

笑った。

 

苦しそうに。

目を潤ませて。

それでも、確かに嬉しそうに。

 

笑った。

 

 

その顔を見た瞬間、血の気が引いた。

 

僕は手を離した。

 

真白の体が少し崩れる。

咳き込む。

壁に背を預けて、喉を押さえる。

 

「……っ、げほ、……」

 

僕は後ずさった。

 

手が震えていた。

 

「違う」

 

何が違うのか分からないまま、言った。

 

「違う。そんなつもりじゃ」

 

真白は咳をしながら、顔を上げた。

 

首には僕の指の跡が薄く残っている。

 

それを見て、胃の奥が冷えた。

 

「真白」

 

初めて、自然に名前が出た。

 

真白は少しだけ目を細めた。

 

まだ咳が残っているのに、彼女は僕に近づいた。

 

「来んな」

 

言ったのに、真白は止まらなかった。

 

そして、僕にキスをした。

 

軽いキスだった。

でも、息を奪うみたいなキスだった。

 

僕は動けなかった。

 

真白は僕の背中に腕を回し、抱きしめる。

 

落ち着かせるみたいに。

逃がさないみたいに。

 

耳元で、掠れた声がした。

 

「いつかすると思ってた」

 

僕は、全身が冷たくなるのを感じた。

 

「……お前」

 

声が出ない。

 

「怖くねぇのかよ」

 

真白はゆっくり顔を上げた。

 

首は赤い。

声も少し掠れている。

 

それなのに、目は静かで、嬉しそうだった。

 

「怖いより」

 

真白は僕を見る。

 

「今の透の方が、すごく好きって思う」

 

本気だった。

 

本気で言っていた。

 

僕は少し引いた。

 

「お前、やっぱりおかしいだろ」

 

「透も、じゃダメ?」

 

その声が、初めて少しだけ寂しそうだった。

 

僕は答えられなかった。

 

僕はおかしくない。

お前よりマシだ。

そう言いたかった。

 

言いたかったのに、喉につかえた。

 

真白は小さく笑う。

 

悲しそうな顔だった。

 

その顔を見た瞬間、なぜか胸が痛んだ。

 

僕は、ゆっくり手を伸ばした。

 

今度は首じゃない。

 

真白の背中に腕を回す。

 

抱きしめる。

 

真白の体は少し震えていた。

恐怖ではないのかもしれない。

興奮かもしれない。

安堵かもしれない。

 

分からなかった。

 

分からないのに、離せなかった。

 

「……ほんと、最悪だな」

 

僕が言うと、真白は僕の胸元で小さく笑った。

 

「うん」

 

「うんじゃねぇよ」

 

「でも、透が好き」

 

僕は目を閉じた。

 

雨も降っていない夜だった。

窓の外は静かで、部屋には冷めたお茶の匂いが残っている。

 

僕の手には、まだ真白の首の感触があった。

 

細くて、熱くて、簡単に壊れそうで。

 

それを嬉しそうに受け入れた女が、今、僕の腕の中にいる。

 

逃げろ。

 

そう思った。

 

こんな女からは逃げたほうがいい。

こんな自分からも逃げたほうがいい。

 

でも真白が僕の背中を掴んでいた。

 

そして僕も、真白を離さなかった。

 

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