堂島家の姉は、犯罪者が好きなことを隠している。   作:an-ryuka

13 / 19
10.

 

白い廊下。

消毒液の匂い。

遠くから聞こえる機械音と、看護師の足音。

 

花村陽介は苛立ったように拳を握っていた。

里中千枝は唇を噛み、天城雪子は顔色を悪くしたまま、けれど目を逸らさなかった。

巽完二は落ち着かない様子で壁を睨み、久慈川りせは胸元を押さえている。

白鐘直斗は、警官と短く言葉を交わしていた。

 

鳴上悠は、何も言わなかった。

 

菜々子の顔が頭から離れない。

病室の白いシーツ。

細い腕。

かろうじて続いている呼吸。

 

今すぐ戻りたかった。

戻って、菜々子のそばにいたかった。

 

それでも、ここへ来た。

 

生田目が何を知っているのか。

菜々子をどうして連れていったのか。

あのテレビの中で、何をするつもりだったのか。

 

聞かなければならなかった。

 

警官が渋い顔で扉を開ける。

 

「短く済ませろ」

 

直斗が頷く。

 

「分かっています」

 

病室に入ると、生田目はベッドの上にいた。

 

顔色は悪く、目の下には濃い隈がある。点滴の管が腕に繋がっていた。体は衰弱しているのに、目だけがぎらぎらしている。

 

眠れていない目だった。

 

生田目は鳴上たちを見ると、わずかに身を起こそうとした。

 

「菜々子ちゃんは……」

 

鳴上の足が止まる。

 

「菜々子は、生きています」

 

声は思ったより低く出た。

 

生田目の顔が、少しだけ緩む。

 

「そうか……よかった。本当によかった……」

 

花村が一歩踏み出した。

 

「よかった、じゃねぇだろ」

 

声が震えていた。

 

「あんたが連れてったんだろ。菜々子ちゃんを。あんな場所に」

 

生田目は顔を歪める。

 

「違う。俺は、助けようとしたんだ」

 

「助ける?」

 

千枝の声が鋭くなる。

 

「助けるって何? あんなところに入れて、菜々子ちゃんがどうなったか分かってるの?」

 

「外にいたら殺されると思ったんだ!」

 

生田目の声が跳ねた。

 

「テレビに映った人は狙われる。山野真由美も、小西早紀も、死んだ。だから、あの子も危ないと思った。俺が守らなきゃって……」

 

「だからテレビの中に入れたんですか」

 

直斗が静かに言う。

 

生田目は頷いた。

 

「中なら、犯人に見つからない。そう思った。最初は、それで助かったんだ。みんな戻ってきた。だから……」

 

「違います」

 

直斗の声は冷たかった。

 

「戻ってきたのは、僕たちが助けたからです」

 

生田目が目を見開く。

 

「君たちが……?」

 

鳴上は答えなかった。

 

生田目は震える手でシーツを掴む。

 

「じゃあ、俺は……」

 

「少なくとも、あなたが入れただけでは助かっていません」

 

直斗は続ける。

 

「テレビの中は安全な場所ではない。あなたも、自分で入って分かったはずです」

 

その言葉に、生田目の顔が強張った。

 

りせが小さく息を呑む。

 

「自分で……?」

 

生田目は視線を落とす。

 

「……あの人が」

 

病室の空気が変わった。

 

鳴上の目が、わずかに細くなる。

 

「あの人?」

 

生田目は唇を震わせた。

 

「あの人は、俺の話を聞いてくれた。俺が菜々子ちゃんを助けようとしているって、分かってくれた」

 

「誰のことですか」

 

直斗が問う。

 

生田目はすぐには答えなかった。

 

「責めなかった。警察に突き出そうともしなかった。ただ、言ったんだ。菜々子ちゃんを入れる前に、自分で確かめるべきだって。テレビの中が本当に安全なのか、まず自分で入って確認しろって」

 

花村が顔をしかめる。

 

「何だよ、それ……」

 

「俺は入った」

 

生田目の声は掠れていた。

 

「怖かった。暗くて、息が詰まりそうで、何かに追われた。あんな場所だとは思わなかった。だから、戻ってきて、その人に言った。菜々子ちゃんは入れない。絶対に入れないって」

 

「なのに」

 

雪子が小さく言った。

 

「どうして、また……」

 

生田目は両手で顔を覆った。

 

「また映ったんだ」

 

声が、手の中で潰れる。

 

「菜々子ちゃんが、またテレビに映った。前よりはっきり。あの子が、こっちを見ていた。外にいたら殺される。そう思った。中が危ないのは分かってた。でも、外も危ない。なら、今度は俺も一緒に入ればいい。俺がそばにいれば守れるって……」

 

千枝が震える声で言った。

 

「それ、守るって言わないよ」

 

「分かってる!」

 

生田目は叫んだ。

 

「今は分かってる! でも、あのときは……あのときは、そうするしかないと思ったんだ!」

 

完二が低く言った。

 

「その、あの人って誰だよ」

 

生田目は沈黙した。

 

鳴上は、生田目を見ていた。

 

嫌な予感があった。

予感というより、もう形になりかけているものだった。

 

 

鳴上は静かに言った。

 

「真白さんですか」

 

生田目が顔を上げた。

 

その反応だけで十分だった。

 

花村が振り返る。

 

「真白さんって……菜々子ちゃんの?」

 

千枝が信じられないという顔をする。

 

「何で? 何で真白さんが?」

 

生田目は混乱したように首を振る。

 

「俺は、あの人が悪いとは言ってない。あの人は止めようとしてくれた。話を聞いてくれた。俺が間違っているって、分からせてくれた」

 

直斗は表情を変えない。

 

「ですが、あなたは再び菜々子さんを連れ去った」

 

「俺が悪い!」

 

生田目は叫ぶ。

 

「俺が勝手にやった。あの人は関係ない。あの人は……俺を責めなかっただけだ」

 

その言葉に、鳴上は少しだけ目を伏せた。

 

責めないこと。

肯定すること。

理解するふりをすること。

 

それが、ときに相手を止めるより深く押すことを、鳴上は知っている気がした。

 

そのときだった。

 

廊下の向こうで、足音が乱れた。

 

看護師の声。

誰かを呼ぶ声。

急に増える人の気配。

 

りせが顔を上げる。

 

「待って……何か、変」

 

鳴上は振り返った。

 

胸の奥が冷えた。

 

次の瞬間、病院の廊下を走る音がした。

 

「堂島菜々子さんの病室!」

 

誰かが叫んだ。

 

鳴上は、生田目から視線を外した。

 

考えるより先に体が動いていた。

 

「相棒!」

 

花村の声を背中で聞きながら、鳴上は病室へ走った。

 

白い廊下が長い。

長すぎる。

 

足音が響く。

息が詰まる。

誰かが名前を呼んだ気がしたが、返事はできなかった。

 

菜々子。

 

菜々子。

 

病室の前には、医師と看護師が集まっていた。

扉が閉まっている。

その前に、真白と足立が立っていた。

 

真白の指先が震えていた。

足立は壁に背をつけ、顔色をなくしている。

 

鳴上は足を止めた。

 

「菜々子は」

 

声が出たかどうか、自分でも分からなかった。

 

扉が開いた。

 

医師が出てくる。

 

堂島が、ほとんど倒れ込むようにそこへ向かう。

 

「菜々子は!」

 

医師は重い顔をしていた。

 

「一度、心肺が停止しました」

 

誰も声を出さなかった。

 

音が消えた。

 

鳴上は、息を止めた。

 

「今は戻っています。ただ、非常に危険な状態です。予断は許しません」

 

戻っている。

 

その言葉だけが、耳に残った。

 

鳴上は壁に手をついた。

膝が折れそうになる。

 

花村が隣で息を呑む。

千枝が口元を押さえる。

雪子が泣きそうな顔で菜々子の病室を見る。

完二は何かを殴りそうな顔をして、拳を握りしめている。

りせは小さく「菜々子ちゃん」と呟いた。

直斗は目を伏せ、唇を固く結んでいた。

 

今は、何も考えられなかった。

 

生田目のことも。

真白のことも。

足立のことも。

 

ただ、菜々子が一度止まった。

 

それだけが、頭の中にあった。

 

堂島は医師の説明を聞いていた。

けれど、立っているのがやっとに見えた。看護師に支えられながら、何度も頷いている。

 

鳴上は真白を見た。

 

真白は泣いていなかった。

顔も崩れていない。

 

ただ、手が震えていた。

 

鳴上は、その手を見た。

 

それから足立を見た。

 

足立も、自分の手を握り込んでいた。

震えを隠すように。

 

鳴上は小さく息を吸った。

 

「真白さん」

 

真白が顔を上げる。

 

「生田目に会いましたね」

 

足立が、ほんのわずかに動いた。

 

真白は鳴上を見ていた。

長い沈黙のあと、頷いた。

 

「うん」

 

花村が声を荒げた。

 

「何で言わなかったんすか!」

 

真白は花村を見る。

 

「止めたつもりだった」

 

「つもりって……」

 

千枝の声が震える。

 

「菜々子ちゃん、死にかけたんですよ」

 

真白の顔が、わずかに固まった。

 

「分かってる」

 

「分かってない!」

 

千枝が叫ぶ。

 

「分かってたら、そんな顔できない!」

 

雪子が千枝の肩に手を置く。

けれど、止める声は出なかった。

 

鳴上は真白から目を逸らさない。

 

「生田目は、真白さんが分かってくれたと言っていました」

 

「私は、彼の話を聞いた」

 

「責めなかった」

 

「責めてもあの人は止まらない」

 

「責めなくても止まらなかった」

 

真白は黙った。

 

その沈黙は、肯定だった。

 

足立が笑った。

 

短く、乾いた笑いだった。

 

「やめなよ、鳴上くん」

 

全員が足立を見る。

 

足立は、いつもの軽い顔を作ろうとしていた。

けれど、うまく作れていなかった。

 

「今、菜々子ちゃんが大変なときにさ。真白を責めてどうすんの」

 

花村が眉をひそめる。

 

「真白?」

 

足立の表情が止まった。

 

りせが小さく呟く。

 

「呼び捨て……?」

 

千枝が真白と足立を見比べる。

 

「え、何? 二人って……」

 

足立は笑う。

 

「……いやだなぁ。昔からの知り合いってだけだよ」

 

鳴上は静かに言った。

 

「真白さんの部屋にいましたよね」

 

病院の空気が、さらに冷えた。

 

花村が鳴上を見る。

 

「相棒?」

 

鳴上は足立から目を逸らさなかった。

 

「菜々子が真白さんに会いたがった日、真白さんのアパートに足立さんがいました」

 

足立は肩をすくめた。

 

「飯食いに行っただけだって。ほら、僕、よく堂島さんにも連れてこられるし」

 

「堂島さんには言わないで、と真白さんは言いました」

 

真白は何も言わなかった。

 

足立は、ほんの少しだけ真白を見た。

 

その目を、直斗が見ていた。

 

「足立さん」

 

直斗が口を開く。

 

「あなたは、どこまで知っているんですか」

 

「何を?」

 

「テレビのことです」

 

堂島は医師と話している。

病室の扉は閉じている。

廊下には、彼らしかいなかった。

 

足立は笑った。

 

「テレビ? 何それ。マヨナカテレビの話? こんなときに都市伝説?」

 

「生田目太郎は、人をテレビの中へ入れていた」

 

直斗ははっきりと言った。

 

「彼は、山野真由美と小西早紀については、自分ではないと言っています」

 

足立の目が、ほんの一瞬だけ細くなる。

 

「犯人の言うことを信じるんだ」

 

「事実と合います」

 

直斗は続ける。

 

「生田目が人を入れ始めたのは、小西早紀さんの事件の後です。少なくとも、最初の二件については別の人物がいる」

 

「へぇ」

 

足立の声が薄くなる。

 

「探偵くんはすごいねぇ」

 

鳴上は口を開いた。

 

「足立さん」

 

足立は鳴上を見る。

 

「山野アナと小西先輩をテレビに入れたのは、誰ですか」

 

その瞬間、足立の表情が消えた。

 

ほんの一瞬。

いつもの軽さも、頼りなさも、困ったような笑みも、全部消えた。

 

それを、鳴上は見た。

 

真白も見ていた。

 

「……何で僕に聞くわけ」

 

足立の声は低かった。

 

「知っているように見えるからです」

 

「ずいぶん失礼だな」

 

「足立さんは、何度も俺たちに情報をくれました」

 

「うっかりだよ」

 

「本当に?」

 

足立は笑う。

 

だが、目は笑っていなかった。

 

「君さぁ」

 

その声が、さっきよりも冷たい。

 

「菜々子ちゃんが死にかけてるときに、よくそんな探偵ごっこできるね」

 

鳴上の顔がわずかに歪む。

 

その一瞬を、足立は見逃さなかった。

 

「怒ってるんだろ? 悲しいんだろ? だったら生田目を責めればいいじゃん。あいつが連れてったんだから。君たちの目の前に犯人がいるんだからさ」

 

「生田目は犯人じゃない」

 

花村が低く言った。

 

足立は花村を見る。

 

「じゃあ何? 救済者? あんなのを?」

 

「そうじゃない!」

 

花村は声を荒げた。

 

「でも、あいつは最初の二人を殺してない!」

 

足立の口元が歪む。

 

「殺してない、ね」

 

その言い方に、直斗の目が鋭くなる。

 

「足立さん」

 

「何」

 

「あなたは、テレビに入れた人間が死ぬことを知っていましたか」

 

足立は黙った。

 

一秒。

二秒。

 

「……知るわけないでしょ」

 

その返事は、遅かった。

 

真白が小さく息を吸う。

 

「透」

 

足立が振り返った。

 

「呼ぶな」

 

その声は、鋭かった。

 

誰も動かなかった。

 

足立は真白を見ていた。

見られたくないものを、いちばん見てほしくない相手に見られた顔だった。

 

「お前さ」

 

足立の声が震える。

 

「ここで善人の顔すんの?」

 

真白の顔が固まる。

 

「私は」

 

「黙れよ」

 

足立は笑った。

 

壊れたような笑いだった。

 

「お前だって見てたじゃん。生田目をさ。止めるとか言いながら、どこまで行くか見てた。菜々子ちゃんがこうなって、今さら震えて、家族みたいな顔してさ」

 

花村が一歩前に出る。

 

「足立さん、何言って……」

 

「うるさいな」

 

足立は花村を見た。

 

その目に、もういつもの軽さはなかった。

 

「お前らもさ、何でそんな顔できるわけ? 高校生が事件解決? 人助け? 正義の味方? 馬鹿みたいだよ、本当に」

 

鳴上は足立を見る。

 

「足立さん」

 

「呼ぶな」

 

「あなたが、最初の二人を」

 

「だったら何?」

 

言った瞬間、空気が止まった。

 

足立自身も、止まった。

 

真白が、息を呑んだ。

 

足立はゆっくり笑った。

 

「……いやだなぁ」

 

声が震えている。

けれど、その震えは恐怖だけではなかった。

 

「何その顔。僕、何か変なこと言った?」

 

誰も笑わなかった。

 

鳴上は一歩近づく。

 

足立は一歩下がる。

 

「来んなよ」

 

「足立さん」

 

「来るなって言ってんだろ!」

 

声が廊下に響いた。

 

病室の中から堂島がこちらを見る。

医師の説明を聞いていた顔が、固まる。

 

「足立?」

 

その声を聞いた瞬間、足立の表情が歪んだ。

 

堂島に見られた。

 

鳴上に見られた。

高校生たちに見られた。

真白に見られた。

 

もう、戻れない。

 

足立は真白を見た。

 

真白は動かなかった。

泣いてもいない。

怒ってもいない。

 

ただ、見ていた。

 

その目が、足立には耐えられなかった。

 

「……見るな」

 

真白は小さく首を振った。

 

「透」

 

足立は近づいた。

 

一瞬、真白の手首を掴む。

 

強く。

逃がさないみたいに。

逃げ場に縋るみたいに。

 

真白は抵抗しなかった。

 

むしろ、一歩だけ足立に寄った。

 

「透」

 

その声は静かだった。

 

足立は真白を見た。

 

連れていく。

 

そう思った。

 

この女なら来る。

テレビの中でも、きっと自分を見る。

責めずに。

止めずに。

好きだと言って。

 

その想像に、足立はぞっとした。

 

そして、吐き気がした。

 

「……来んな」

 

足立は真白の手を離した。

 

真白の目が揺れる。

 

足立は笑った。

 

「お前はそこで見てろよ」

 

そう言って、背を向けた。

 

「足立!」

 

堂島の声が飛ぶ。

 

足立は走った。

 

病院の廊下を、走る。

看護師が驚いて道を開ける。

花村と完二が追いかける。

鳴上も走った。

 

「待て!」

 

足立は振り返らない。

 

待合室の奥。

休憩スペース。

古い大型テレビが置かれている。

 

電源は落ちていた。

黒い画面に、病院の白い光が映っている。

 

足立はその前で一度だけ立ち止まった。

 

振り返る。

 

鳴上たちが追ってくる。

堂島は来られない。

真白は廊下の向こうに立っている。

 

遠い。

 

それでいい。

 

足立は笑った。

 

「じゃあね」

 

鳴上が手を伸ばす。

 

「足立さん!」

 

足立はテレビ画面に手をついた。

 

指先が沈む。

 

花村が目を見開く。

千枝が叫ぶ。

完二が駆け出す。

 

足立の体が、黒い画面に飲まれていく。

 

最後に見えたのは、真白だった。

 

廊下の向こうで、足立を見ている。

 

足立は笑った。

 

見られたくない。

見ていてほしい。

 

そのどちらも、もう遅かった。

 

足立透は、テレビの中へ逃げた。

 

廊下には、誰もすぐには動けない沈黙が残った。

 

鳴上は黒い画面を見つめる。

 

拳を握る。

 

背後で、真白が小さく息を吐いた。

 

「……逃げた」

 

その声は、責めているようにも、愛おしんでいるようにも聞こえた。

 

鳴上は振り返る。

 

真白はまだ、足立の消えたテレビを見ていた。

 

鳴上は、その横顔を見て思う。

 

この人も、逃げていないだけで。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。