堂島家の姉は、犯罪者が好きなことを隠している。   作:an-ryuka

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13.

 

扉が閉まると、外の霧の音が遠くなった。

 

真白は腕を掴まれたまま、部屋の中へ連れ込まれる。足立の手は強い。痛いくらいだった。逃がす気がないのが分かる握り方で、それだけで真白の胸の奥が少しだけ甘く疼いた。

 

部屋は、真白のものだった。

 

大学時代のワンルーム。

 

キッチンには鍋が置かれている。中身は見えないのに、焦げかけた醤油と肉じゃがの甘い匂いだけが立っていた。 テーブルには二人分の箸。ソファの背には、足立が昔よく雑に脱ぎ捨てていた上着に似たものがかかっている。

ベッドのシーツは白く、妙に乱れていて、誰かがさっきまでそこにいたみたいだった。

 

「……本当に、よく覚えてるね」

 

真白が言うと、足立は乱暴に腕を離した。

 

「黙れよ」

 

声が低い。

外で使う、軽くて薄い声ではなかった。

 

真白は掴まれていた腕を見た。

指の跡がうっすら残っている。

赤くなったところを親指でなぞると、足立が嫌そうに顔を歪めた。

 

「何してんだよ」

 

「跡、ついたなって」

 

「だから何」

 

「嬉しい」

 

足立の顔が、さらに歪む。

 

「お前、ほんと……」

 

言いかけて、やめる。

言い飽きた言葉だったのだろう。

 

真白は部屋を見回した。

 

「ここ、透の中なんだね」

 

「見りゃ分かるだろ」

 

「私の部屋ばっかり」

 

「……勝手にそうなってんだよ」

 

「そう」

 

真白は小さく笑った。

 

「うれしい」

 

「うれしがるな」

 

足立は苛立ったように髪をかき上げる。

手首の腕時計が、霧の薄明かりを受けて鈍く光った。

 

それを見て、真白は目を細める。

 

「まだつけてる」

 

「……便利だからだって言ってんだろ」

 

「ここでも?」

 

足立は黙った。

 

現実ではない。

ここに時間の概念があるかは分からない。

時計が必要ないのならば、それはただの執着であり、手放せなかったものだ。

 

真白はそれを言葉にしなかった。

言葉にしたら、足立はきっと怒る。

怒るところも見たいが、今はまだ早い。

 

部屋の外から、何かがぶつかる音がした。

鳴上たちと影が戦っているのだろう。

霧が壁の隙間から薄く流れ込んでくる。

 

真白はその音を聞いて、少しだけ笑った。

 

「悠くん、強いね」

 

「……」

 

「羨ましい?」

 

足立の視線が鋭く戻る。

 

「何が」

 

「正しくて、強くて、仲間がいて、菜々子ちゃんにも懐かれてて、おじさんにも信頼されてる」

 

「うるさい」

 

「透が欲しかったもの、結構持ってるよね」

 

足立が真白の胸倉を掴んだ。

 

「黙れって言ってんだろ」

 

真白は抵抗しなかった。

胸元を掴まれたまま、足立を見上げる。

 

「怒った?」

 

「当たり前だろ」

 

「図星?」

 

足立の指に力が入る。

 

「お前さぁ、何しに来たわけ」

 

声が震えていた。

怒りで。

恐怖で。

それとも、見透かされたくなさで。

 

「僕を助けに来た? それとも見せ物? どっち?」

 

真白は瞬きもせずに答えた。

 

「両方」

 

足立が息を止める。

 

「私は透を助けたい。でも、透がどこまで落ちるかも見たい」

 

「……」

 

「捕まってほしくない。でも、捕まった透も見たい」

 

「……」

 

「私だけを選んでほしい。でも、私以外を全部捨てるところも見たい」

 

足立の顔から、少しずつ表情が抜けていく。

 

真白は胸倉を掴まれたまま、柔らかく笑った。

 

「良い恋人じゃないね」

 

「最低だな」

 

「うん」

 

「ほんと、最低だ」

 

「透もでしょ」

 

足立は手を離した。

突き放すような動きだった。真白は一歩よろけるが、倒れなかった。

 

「僕は……」

 

足立は言いかけて、口を閉じた。

 

僕は違う。

そう言うには、もう遅すぎる。

 

部屋の奥のテレビが、ひとりでに点いた。

 

砂嵐。

 

その中に、山野アナの顔が揺れる。

次に、小西早紀。

二人とも、はっきりした映像ではない。濡れた紙の上に描いた顔みたいに、輪郭が滲んでいる。

 

足立は見ないように顔を背けた。

 

真白は見た。

 

「透」

 

「見るな」

 

「見てるのは私じゃなくて、透でしょ」

 

「黙れ」

 

テレビの砂嵐が強くなる。

小西早紀の声のようなものが混じる。言葉にはならない。責めているのか、泣いているのか、笑っているのかも分からない。

 

足立は耳を塞がなかった。

ただ、顔を歪めた。

 

「殺す気なんてなかった」

 

「うん」

 

「テレビに入れたら死ぬなんて、分かるわけない」

 

「うん」

 

「僕は……ただ、ムカついただけで」

 

「うん」

 

「ちょっと、脅かしてやろうって」

 

「うん」

 

「……死ぬなんて」

 

「でも死んだ」

 

足立の呼吸が止まる。

 

真白は、そこだけは逃がさない。

 

「透が入れて、死んだ」

 

足立は真白を睨んだ。

泣きそうな顔ではない。

殺しそうな顔でもない。

 

ただ、逃げ道を塞がれた人間の顔だった。

 

「お前がそれ言うんだ」

 

「私が言うよ」

 

「僕の味方じゃなかったのかよ」

 

「味方だよ」

 

「じゃあ何で」

 

「味方だから、言う」

 

真白は一歩近づいた。

 

「透は殺したかったわけじゃない。けど、死んでもいいくらいには思ってた」

 

「違う」

 

「違わない」

 

「違う!」

 

足立の声が部屋を揺らした。

 

その瞬間、扉の向こうで、影の足立の笑い声が、ここまで響いてくる。

 

『違わないよ』

 

本物の足立が扉を見る。

 

『だって僕、ちゃんと思ってたもん。あんな女、消えればいい。あんな子、泣けばいい。こいつらみんな、自分が特別だと思って生きてる。だったら落ちればいい。誰も見てないところで、ぐちゃぐちゃになればいい』

 

影の声は、楽しそうだった。

 

『ねぇ、僕。何でそんな顔してんの? 僕、ずっとそうだったじゃん』

 

足立の顎が震える。

 

真白は扉を見た。

それから、本物の足立を見た。

 

「透」

 

「……」

 

「受け入れなよ」

 

足立は、信じられないものを見るように真白を見た。

 

「お前まで、それ言うわけ」

 

「うん」

 

「僕があれを認めたら、どうなると思ってんの」

 

「透になる」

 

「今も僕だろ!」

 

「半分くらい」

 

足立は笑った。

ひどく乾いた、壊れかけた笑いだった。

 

「やっぱりお前、僕を助けに来たんじゃないだろ」

 

「助けに来たよ」

 

「嘘つけ」

 

「嘘じゃない」

 

真白は足立の腕時計に触れた。

今度は許可を取らず、革ベルトの上から手首を握る。

 

「透が自分で自分を見ないなら、誰のところにも戻れない」

 

「戻るところなんかない」

 

「あるよ」

 

「どこに」

 

真白は足立を見上げた。

 

「私のところ」

 

足立は黙った。

 

その顔が、ほんの一瞬だけ歪む。

怒りでも嫌悪でもなく、縋りたい気持ちが漏れたような歪み。

 

真白はそれを見て、嬉しいと思った。

本当に、嬉しいと思った。

 

かわいそうだとは思わなかった。

救いたいとも、正しい意味では思わなかった。

 

ただ、足立が自分のところにしか戻れないなら、それはとてもいいことだと思った。

 

真白には分かっていた。

自分には、影は出ない。

 

「透」

 

真白は囁くように言った。

 

「逃げたいなら、私のところに逃げて」

 

足立の目が揺れる。

 

「一人では逃がさない」

 

「……檻じゃん」

 

「うん」

 

「否定しろよ」

 

「こういう時に嘘はつかないの」

 

足立は笑った。

泣きそうな顔で、笑った。

 

「ほんと、嫌な女」

 

「知ってる」

 

扉が軋んだ。

 

外の戦いが近づいている。

影の足立が押されているのか、あるいはわざとこちらへ導いているのか。

 

足立は腕時計を握ったまま、しばらく動かなかった。

 

やがて、低く言う。

 

「……僕があれを受け入れたら」

 

「うん」

 

「お前、引かないの」

 

真白は笑った。

 

「今さら?」

 

足立も笑った。

今度の笑いは少しだけ、本物だった。

 

「そうだよな。今さらだ」

 

扉の外では、霧が黒く渦巻いていた。

 

鳴上たちは影の足立と向き合っている。

影は軽やかに動き、攻撃をかわしながら笑っていた。

 

「遅い遅い。そんなので僕を捕まえるつもり?」

 

花村が斬りかかる。

影は半歩で避ける。

 

「小西先輩を……!」

 

「まだ怒ってるんだ」

 

影は笑う。

 

「いいねぇ。君、分かりやすくて好きだよ。大事な先輩を殺されて怒ってる。うん、正しい正しい」

 

「てめぇ!」

 

花村の攻撃が荒くなる。

鳴上が横から入る。

 

「陽介、落ち着け!」

 

「落ち着けるかよ!」

 

「足元!」

 

りせの声が響く。

 

黒い霧が足元から絡みつく。

千枝が蹴りで霧を散らし、雪子の炎がその隙間を焼いた。

 

直斗が影の動きを読む。

 

「彼は挑発しています。怒りで動きを乱させるつもりです」

 

「分かってるよ!」

 

花村は叫ぶ。

だが、呼吸は荒い。

 

影の足立は楽しそうに首を傾げた。

 

「ねぇ、鳴上くん」

 

鳴上は答えず、剣を構える。

 

「君は怒らないの?」

 

影は笑う。

 

「真白は生田目を見誤った。生田目が菜々子ちゃんを連れていった。僕は山野アナと小西早紀を入れただけ」

 

霧の中に、堂島家の食卓が浮かぶ。

 

菜々子の小さな椅子。

鳴上が拭いた皿。

真白の作った卵焼き。

足立の前に置かれた缶ビール。

 

「楽しかったよねぇ、あの家」

 

影が言う。

 

「何も知らない菜々子ちゃんが笑ってさ。堂島さんが疲れた顔で飯食ってさ。真白が家族みたいな顔してさ。僕も、そこにいた」

 

鳴上の手に力が入る。

 

影は嬉しそうに続ける。

 

「君は思わなかった? この人たちを守りたいって。なのに、全部嘘だったんだよ。僕も、真白も、ずっと何か隠してた」

 

「真白さんは」

 

鳴上が口を開く。

 

「菜々子を傷つけようとはしていない」

 

影が笑う。

 

「でも傷ついた」

 

鳴上の目が鋭くなる。

 

「それと、あなたがしたことは別です」

 

影は初めて、少しだけ笑みを薄くした。

 

「つまんないなぁ」

 

「つまらなくて結構です」

 

鳴上は前へ踏み出す。

 

「あなたを倒すために来たんじゃありません」

 

「へぇ?」

 

「足立さんを、現実に戻すために来ました」

 

影はしばらく鳴上を見た。

 

それから、肩を震わせて笑い始めた。

 

「あはは。現実」

 

その声が、霧の中に広がる。

 

「現実って、あの病院? 菜々子ちゃんが死にかけた場所? 堂島さんが足立透を見る場所? 真白が僕を囲おうとする場所?」

 

直斗が眉を寄せる。

 

「囲う?」

 

影は笑う。

 

「そういう女だよ、真白は。救うんじゃない。逃がさない。自分の手の届くところに置きたいだけ」

 

「それでも」

 

雪子が静かに言った。

 

影が雪子を見る。

 

「それでも、菜々子ちゃんの前で震えてた」

 

千枝が続ける。

 

「最低でも、全部嘘じゃない」

 

完二が舌打ちする。

 

「人間なんて、そんな簡単に白黒つくもんじゃねぇだろ」

 

影の目が細くなる。

 

鳴上は剣を構えた。

 

「足立さんは、あなたを否定している」

 

「そうだね」

 

影は楽しそうに言った。

 

「でも、そろそろ無理だと思うよ」

 

その言葉と同時に、奥の扉が開いた。

 

霧と一緒に、真白と本物の足立が現れる。

 

足立は真白の前に立っていた。

守るようにも、隠すようにも見える位置。

 

真白はその背中を見る。

 

細い背中だと思った。

大学のころより痩せている気がした。警察官の制服やスーツで誤魔化しているが、この人はずっと擦り減っていた。

 

影の足立は、本物を見る。

 

同じ顔。

同じ声。

違うのは、逃げているか、逃げることをやめているか。

 

影が楽しそうに手を広げた。

 

「で? どうするの、僕。僕を否定する? 鳴上くんたちみたいに、綺麗に乗り越えてみる?」

 

本物の足立はしばらく黙っていた。

 

それから、笑った。

 

「綺麗に?」

 

その声は低く、妙に落ち着いていた。

 

「馬鹿じゃないの」

 

影の笑みが少し止まる。

 

足立は続ける。

 

「お前は僕だよ。そういうことでいいんだろ」

 

空気が変わった。

 

鳴上が息を呑む。

直斗が目を細める。

花村が「え」と呟く。

 

影の足立は、初めて満足そうに笑った。

 

「へぇ」

 

「僕は山野アナをテレビに入れた。小西早紀も入れた」

 

足立の声は、霧の中にまっすぐ落ちた。

 

「死ぬとは思ってなかった。殺す気はなかった。……そう言えば少しは軽くなるかと思ったけどさ」

 

彼は鳴上たちを見る。

 

「でも、死んだんだよね。結果として」

 

千枝が唇を噛む。

雪子は青ざめる。

花村の顔から血の気が引く。

 

「小西先輩を……」

 

花村の声が震える。

 

足立は花村を見た。

 

「うん。僕が落とした」

 

その言い方は軽くなかった。

けれど、謝罪でもなかった。

 

花村が殴りかかろうとする。

鳴上が腕で制した。

 

「相棒!」

 

「今は」

 

鳴上の声も震えていた。

 

足立は笑う。

 

「偉いねぇ、鳴上くん。ちゃんと我慢できるんだ」

 

「足立さん」

 

鳴上は一歩前に出る。

 

「あなたを連れ戻します」

 

「連れ戻す?」

 

足立の顔が歪む。

 

「どこに? 警察? 堂島さんのところ? 菜々子ちゃんの病室?」

 

その名前が出た瞬間、空気がさらに張りつめる。

 

足立は一瞬だけ目を伏せた。

すぐに笑顔を作る。

 

「無理だよ。僕はもう、そっちに戻れない」

 

真白がその背中を見る。

 

戻れない、と言う声に、ほんの少しだけ期待が混じっていた。

 

だから真白は言った。

 

「私のところには戻るんだよね」

 

全員の視線が、真白に向いた。

 

鳴上の顔が硬くなる。

 

「真白さん」

 

真白は足立の横に並んだ。

鳴上たちの前に立つ。

 

直斗の声が冷える。

 

「彼が何をしたか、分かって言っていますか」

 

「分かってるよ」

 

「二人、死んでいるんです」

 

「うん」

 

「それでも?」

 

「それでも」

 

真白の声は揺れなかった。

 

花村が怒りで顔を歪める。

 

「ふざけんなよ……小西先輩は、戻ってこないんだぞ」

 

「知ってる」

 

「知ってて、それかよ!」

 

「知ってるから、言ってる」

 

真白は花村を見る。

 

「あなたが怒るのは正しい。足立透を許さないのも正しい。私を軽蔑するのも正しい」

 

「じゃあ何で!」

 

「正しいからって、私がそっちに立つ理由にはならない」

 

花村は言葉を失った。

 

鳴上が静かに言う。

 

「足立さん。戻りましょう」

 

足立は目を開けた。

 

「戻ってどうすんの」

 

「罪を償ってください」

 

花村が一歩前に出る。

 

「そうだ。小西先輩のこと、ちゃんと……」

 

声が詰まる。

怒りで震えている。

 

足立は花村を見た。

 

「ごめんって言えば満足?」

 

花村が拳を握る。

 

鳴上が制した。

 

足立は笑う。

だが、もうさっきのような勢いはない。

 

「満足するわけないよね。君たちは正しいもん。正しく怒って、正しく僕を裁きたい。いいんじゃない。そういうの」

 

「足立さん」

 

鳴上の声が低い。

 

足立は鳴上を見た。

 

「分かってるよ。もう逃げられないんでしょ」

 

真白は足立の横顔を見ていた。

 

逃げられない。

そう言いながら、足立はまだ逃げ道を探している顔をしていた。

 

自分のところへ。

真白のところへ。

 

それが分かって、真白は小さく笑った。

 

鳴上がその笑みを見た。

何も言わなかったが、目だけが問いかけていた。

 

あなたは、本当にこの人を止める気があったのか。

 

真白はその問いに答えなかった。

 

 

 

テレビの外へ戻ると、現実の空気は冷たかった。

 

ジュネスの家電売り場。

蛍光灯の白さ。

床に反射する光。

大型テレビの黒い画面。

 

足立は出ると膝から崩れかけた。

完二と花村が反射的に支える。

 

すぐに花村は嫌そうに手を離しかけたが、鳴上の視線で何とか踏みとどまる。

 

「……触んなよ」

 

足立が掠れた声で言う。

 

「こっちの台詞だっつの」

 

花村が吐き捨てる。

 

真白は一歩遅れてテレビから出た。

足元がふらつく。鳴上が手を伸ばしかけたが、真白は自分で体勢を戻した。

 

「大丈夫ですか」

 

「うん」

 

「……本当に?」

 

真白は鳴上を見た。

 

その目は、さっきよりも明らかに疑っていた。

 

「大丈夫じゃない顔をしたほうがいい?」

 

鳴上の眉がわずかに動く。

 

「真白さん」

 

「ごめん」

 

真白は少しだけ目を伏せた。

 

「今のは、よくなかったね」

 

謝罪の形だけは整っていた。

だが鳴上には、それが本当に悪いと思っている声ではないことが分かった。

 

直斗が近づいてくる。

 

「この後の説明を考える必要があります」

 

「足立透が自供した、でいいでしょう?」

 

真白が軽く言うと、直斗は鋭く見る。

 

「テレビの中の出来事は、通常の証拠にはなりません」

 

「そうだね」

 

「あなたは、それを分かって言っていますね」

 

「弁護士だからね」

 

真白は静かに返す。

 

「証拠がなければ、裁けない」

 

花村が声を荒げる。

 

「何言ってんだよ! こいつ、自分で言ったんだぞ!」

 

「ここで?」

 

真白は花村を見る。

 

「誰に? どこで? どうやって? 録音は? 任意性は? テレビの中で聞いた自白を、どこの法廷に出すの?」

 

花村が言葉を失う。

 

真白は責めていない。

ただ、事実を並べている。

 

だからこそ冷たかった。

 

鳴上が低く言う。

 

「真白さん」

 

真白は鳴上を見る。

 

「分かってる。今すぐ逃がしたりはしないよ」

 

「今すぐ、ですか」

 

「うん」

 

鳴上の目が険しくなる。

 

足立が、床に座り込んだまま小さく笑った。

 

「こわ……弁護士って怖いねぇ」

 

その口調だけ、少し外向きに戻っていた。

だが真白には、それが虚勢だと分かった。

 

彼は疲れている。

負けている。

なのに、まだこちらを見ている。

 

真白は足立に近づき、しゃがんだ。

 

「透」

 

「何」

 

「しばらく黙ってて」

 

足立は眉を寄せる。

 

「は?」

 

「余計なこと言わないで。今のあなた、頭回ってないから」

 

「……お前さぁ」

 

「助けてほしいなら、私の言うこと聞いて」

 

周囲の空気が変わった。

 

助ける。

その言葉を、真白は隠さなかった。

 

鳴上たちの前で。

 

足立は真白を見た。

少しだけ笑う。

 

「誰が助けてほしいって?」

 

「私が助けたい」

 

真白は言った。

 

足立の笑みが止まる。

 

「だから、黙って」

 

足立はしばらく真白を見ていた。

やがて、顔を逸らす。

 

「……勝手にしろよ」

 

それは、同意だった。

 

 

その後の現実は、ひどく面倒だった。

 

足立は病院での騒ぎのあと、姿を消した容疑者として扱われた。

ジュネスで発見されたことになった。

鳴上たちは、足立が逃げ込んでいたところを見つけた、と説明した。細部は曖昧だったが、誰もテレビの中の話などできない。

 

警察が来るまでのあいだ、真白は足立のそばにいた。

 

触れない。

寄り添わない。

ただ、少し離れたところに立っている。

 

まるで何も知らなかった女のように。

 

警察官たちが足立を連れて行くとき、彼は一度だけ真白を見た。

 

真白はただ、見つめ返した。

 

 

病院へ戻ると、堂島は菜々子の病室の前にいた。

顔色は悪く、怪我のせいで動きもぎこちない。それでも刑事の目だけは死んでいなかった。

 

「……足立は捕まったか」

 

真白は立ち止まる。

 

堂島は真白を見る。

その目には、怒り、困惑、疑い、そして父親としての痛みがあった。

 

刑事としてなら、疑えた。

足立と真白の距離。

今までの違和感。

菜々子が巻き込まれる前後の真白の動き。

足立が真白を見る目。

足立を追って消えた真白。

 

疑える材料はいくらでもある。

 

だが、そこにいるのは、かつて自分が引き取った子どもでもあった。

 

父親が死んだ葬儀の日、誰にも行き場を決められなかった少女。

台所に立って、料理をした少女。

弁護士になると言ったとき、真面目に父親の跡を継ぐのだと思わせた少女。

 

堂島は拳を握った。

 

「……いや」

 

低く言う。

 

「今はいい」

 

真白は何も言わない。

 

鳴上は、そのやり取りを見ていた。

真白が作った顔を。

堂島が見なかったふりをした瞬間を。

 

そして、自分が今ここで何かを言えば、菜々子の病室の前で全部が壊れることも分かっていた。

 

病室からは、機械の音が聞こえる。

小さく、規則的な音。

 

真白はその音を聞きながら、目を伏せた。

 

罪悪感はあった。

けれど、それは真白を正しい人間にはしなかった。

 

足立が連れて行かれた。

菜々子はまだ目を覚まさない。

堂島は疑いながらも、今は飲み込んだ。

 

盤面はひどく悪い。

 

それでも、足立は生きている。

喋れる。

裁かれるには証拠が足りない。

非現実が多すぎる。

 

真白は静かに息を吸った。

 

ここからが、自分の仕事だった。

 

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