堂島家の姉は、犯罪者が好きなことを隠している。 作:an-ryuka
足立透の取調べは、思ったよりも早く行き詰まった。
彼は最初、よく喋った。
真白の言葉には従わなかった。
山野アナを殺した。
小西早紀も殺した。
自分がやった。
自分が落とした。
言葉だけなら、十分すぎるほどだった。
けれど、言葉しかなかった。
どうやって。
どこで。
何を使って。
遺体発見現場までどう運んだ。
侵入経路は。
凶器は。
目撃者は。
物証は。
そのどれにも、現実的な答えがなかった。
「テレビに入れました」
足立はそう言った。
取調室にいた刑事たちは、最初は怒鳴った。
ふざけるな、と。
ちゃんと話せ、と。
二人死んでるんだぞ、と。
足立はしばらく、いつもの軽い顔で笑っていた。
「いやぁ、だから言ってるじゃないですか。テレビに入れたんですって」
「足立!」
「ほんとなんだけどなぁ。信じてもらえないってつらいですねぇ」
軽い。
ふざけている。
反省がない。
そう見えるように、足立は喋った。
けれど、真白には分かった。
あれは開き直りではない。
疲れた人間が、最後に残った逃げ方を使っているだけだ。
真白が動いたのは、その日の夜だった。
彼女は表向き、ひどく傷ついた関係者だった。
足立と親しかったらしい女。
堂島家に出入りしていた親戚。
菜々子の世話をしていた弁護士。
警察に対しては、震えた声で答えた。
「……信じられません」
「いつから、そんなことを」
「私は、何も……」
言葉の端を少しだけ濁らせる。
言いすぎない。
否定しすぎない。
泣きすぎない。
可哀想な女は、やりすぎると疑われる。
だが、冷静すぎても疑われる。
真白は、その中間を知っていた。
翌日には、都市部の刑事事件に強い弁護士へ連絡を入れた。
父の代から細く残っていた伝手。
大学時代に作った伝手。
犯罪者と話す事務所で働いていたころに繋いだ伝手。
正義のために動く弁護士ではない。
勝てる穴を見つける弁護士。
検察の組み立てを崩すことに慣れた弁護士。
依頼人の人格に期待しない弁護士。
そういう相手を、真白は選んだ。
「本人が自白してるんでしょう?」
電話の向こうで、男が言った。
淡々とした声だった。
真白は窓の外の雨を見ながら答える。
「自白の内容が、現実的に立証できません」
「内容は?」
「テレビの中に入れた、と」
数秒、沈黙があった。
「……冗談ではなく?」
「本人は本気です」
「精神鑑定に持っていかれる可能性がありますね」
「それでも構いません。少なくとも、殺害方法として成立しない」
真白は言う。
「彼が二人を死なせたことと、現実の法廷で二人を殺したと証明できることは、別です」
電話の向こうで、小さく笑う気配がした。
「あなた、被害者側の親族では?」
「はい」
「それで、彼を助けるんですか」
真白は少しだけ目を伏せる。
「私は、弁護士ですから」
嘘ではない。
けれど、本当でもなかった。
弁護士だから助けるのではない。
足立透だから助ける。
真白は、それを誰にも言わない。
足立との接見が許されたのは、さらに少し後だった。
透明な仕切りの向こうにいる足立は、思ったよりもくたびれて見えた。髪は整っていない。頬は少し痩け、目の下に薄い隈がある。けれど、真白を見ると口元だけで笑った。
「来たんだ」
「来たよ」
「弁護士さん?」
「うん」
「へぇ。かっこいいねぇ」
足立は皮肉っぽく言った。
外向きの軽さに似せているが、声が少し低い。
真白は椅子に座り、書類を置く。
「余計なこと、喋ったね」
足立は肩をすくめる。
「どうせ捕まるなら、言っちゃってもいいかなって」
「よくない」
「冷たいねぇ」
「助けにくくなる」
「助ける気なんだ」
真白は足立を見る。
「助けるよ」
足立の笑みが、一瞬だけ消えた。
「……何で」
「透だから」
「それ、理由になってんの」
「なってる」
足立は目を逸らした。
少しだけ、苦しそうな顔をする。
「僕、言っただろ。二人、落としたって」
「うん」
「死んだんだぞ」
「うん」
「山野アナも、小西も」
「うん」
「……僕を助けるって、堂島さんに言えんの」
真白はすぐには答えなかった。
接見室の空気は乾いていた。消毒液と古い椅子のビニール、警察署に染みついた紙と煙草の匂い。仕切りの向こうの足立だけが、少し遠くにいる。
「言えないかもしれない」
「だよな」
足立は笑った。
「じゃあ、やめれば」
「やめない」
「お前さぁ……」
「透」
真白は低く呼んだ。
「これからは、私が許可したこと以外喋らないで」
足立の目が、少しだけ細くなる。
「命令?」
「お願い」
「お願いって顔じゃないけど」
「じゃあ命令」
足立は小さく笑った。
「ほんと、最低の弁護士」
「そうだよ」
「被害者のこととか、考えないわけ」
「考えるよ」
真白は静かに言った。
「小西さんのお母さんが泣くことも、花村くんが怒ることも、おじさんがあなたを信じてたことも、菜々子ちゃんが足立さんって呼んで笑ってたことも、全部考える」
「……」
「考えた上で、透を助ける」
足立は、しばらく何も言わなかった。
やがて、顔を伏せる。
「……お前、ほんとにおかしいよ」
「知ってる」
「僕より、よっぽど」
「そうかも」
「……でも」
足立はそこで言葉を切った。
真白は待った。
「でも、来ると思ってた」
その声は小さかった。
真白は微笑む。
「うん」
「来なかったら、どうしようかと思った」
「怖かった?」
足立は顔を上げ、睨むように見る。
「うるせぇ」
真白はその顔を見て、少しだけ満たされた気持ちになった。
怖がっていた。
足立透が。
自分が来ないかもしれないことを。
その事実だけで、真白はもうしばらく生きていける気がした。
「大丈夫」
真白は言う。
「私が、あなたを現実に戻してあげる」
足立は笑った。
「現実ねぇ」
「テレビじゃないところで、逃げられないように」
「……怖」
「嬉しい?」
「嬉しくねぇよ」
即答だった。
でも、目は逸らさなかった。
足立の処分を巡る話は、そこから崩れていった。
彼の自白はある。
けれど殺害方法が現実的でない。
供述に基づく物証が出ない。
山野アナと小西早紀の死亡経緯には不可解な点が多く、足立の供述で埋まらない。
むしろ、足立が実行したと考えるには矛盾が増える。
生田目の件も絡んだ。
行方不明者をテレビに入れていたとされる生田目。
その説明も、通常の捜査資料としては破綻している。
テレビ。
異世界。
シャドウ。
ペルソナ。
どれも、法廷には乗らない。
真白はその「乗らなさ」を利用した。
検察側が現実的な筋を組もうとすればするほど、足立の自白と噛み合わない。
足立の自白を採用すればするほど、事件は非現実へ落ちる。
非現実は、人を救わない。
だが、裁くこともできない。
その穴に、真白は足立を押し込んだ。
鳴上悠は、その流れを黙って見ていた。
花村は怒った。
千枝も納得できない顔をした。
直斗は、悔しさを隠しきれない声で「現行法では難しい」と言った。
鳴上だけは、真白のところへ来た。
夕方の堂島家だった。
菜々子はまだ病院で、堂島は署に呼ばれていた。居間には真白と鳴上だけがいた。台所には作りかけの煮物があり、醤油と砂糖の匂いが静かに漂っている。
「足立さんを不起訴にするつもりですか」
鳴上が言った。
真白は鍋の火を弱めた。
「私が決めることじゃないよ」
「でも、そのために動いてる」
「うん」
鳴上の手が握られる。
「小西先輩は、戻ってきません」
「そうだね」
「花村は、ずっと苦しんでます」
「うん」
「堂島さんも」
「うん」
鳴上の声が少しだけ低くなる。
「あなたは、それでも足立さんを助けるんですね」
真白は振り返った。
「悠くんは、私に何を言ってほしい?」
「……」
「反省してる、とか。苦しんでる、とか。私もつらい、とか」
「そういう話じゃありません」
「そういう話だよ」
真白は微笑まない。
「あなたたちは、足立透が悪い人間だと知っている。私も知っている。だから罰せられるべきだと思っている」
「はい」
「でも、法はそういう気持ちだけでは動かない」
「分かっています」
「分かってるなら、私を責めても意味がない」
鳴上は黙った。
真白は静かに言った。
「私は、足立透の味方をする。犯罪者の味方をするために弁護士になったから」
鳴上の目が揺れる。
初めて、真白が自分の本心をはっきり言った瞬間だった。
「堂島さんは、それを知っていますか」
「知らない」
「話すつもりは」
「ない」
「……ひどい人ですね」
鳴上の声には怒りがあった。
真白は少しだけ笑った。
「うん」
「菜々子が、あなたを好きなのに」
その言葉だけは、真白の表情を止めた。
鳴上はそれを見逃さなかった。
「菜々子は、真白さんを信じています」
「知ってる」
「それでも?」
真白は鍋のほうへ視線を戻した。
「それでも」
鳴上は、しばらく何も言わなかった。
やがて、静かに言う。
「俺は、あなたを許せません」
「うん」
「でも、菜々子の前では言いません」
「ありがとう」
「あなたのためじゃない」
「分かってる」
鳴上は立ち上がった。
「菜々子のためです」
そう言って、居間を出て行った。
真白は一人残された台所で、煮物をかき混ぜた。
鍋の中で、人参とじゃがいもが静かに転がる。
悠くんは正しい。
そう思った。
正しい人は、いつもまぶしい。
でも、まぶしいからといって、そちらへ行きたいわけではない。
数日後、菜々子が目を覚ました。
その報せが入ったとき、堂島は声にならない声を出した。
鳴上は病室で泣きそうな顔をした。
花村たちも、ようやく少しだけ息をついた。
真白も病室へ行った。
菜々子はまだ弱っていたが、目を開けていた。
小さな手が布団の上に出ている。
「おねえちゃん……」
その声を聞いた瞬間、真白の胸が痛んだ。
痛んだのに、涙は出なかった。
真白はベッドのそばに座り、いつものように笑った。
「菜々子ちゃん」
「おとうさん……泣いてた」
「うん」
「お兄ちゃんも、へんな顔してた」
「心配してたから」
「おねえちゃんも?」
菜々子が聞く。
真白は少しだけ間を置いた。
「うん。心配した」
嘘ではない。
全部ではないだけだ。
菜々子は弱く笑った。
「よかった」
「何が?」
「おねえちゃん、いる」
その言葉に、真白はしばらく動けなかった。
菜々子は目を閉じる。
まだ眠いらしい。
真白はその小さな手に、そっと触れた。
温かい。
生きている。
壊れなかった。
今回は。
真白は目を伏せた。
菜々子を利用するつもりはなかった。
傷つけたいわけでもなかった。
でも、自分の計算と興味が、結果として菜々子を危険に近づけた。
その事実は消えない。
けれど、それで足立を見捨てる理由にはならない。
真白は、そういう人間だった。
病室の外に出ると、堂島が廊下にいた。
怪我はまだ痛むはずなのに、壁にもたれず立っている。
刑事の顔と、父親の顔が混じっていた。
「真白」
低い声だった。
真白は足を止める。
「はい」
「少し、話すぞ」
逃げられない声だった。
鳴上は少し離れた場所から、こちらを見ている。
何も言わない。
ただ、すべてを分かっているような目で。
真白は堂島の後をついて、人気のない廊下の奥へ向かった。
窓の外は、冬の曇り空だった。
病院の廊下には消毒液の匂いが濃く漂っている。遠くで看護師の靴音がする。
堂島はしばらく黙っていた。
そして、言った。
「……お前、俺が何も気づいてないと思ってるか」
真白は何も答えなかった。
堂島は振り返る。
その目は、刑事のものだった。
そして、父親のものだった。