堂島家の姉は、犯罪者が好きなことを隠している。 作:an-ryuka
ジュネスのフードコートは、昼過ぎのざわめきに満ちていた。
揚げ物の油、紙コップのコーヒー、子ども用カレーの甘い匂い。レジの電子音が遠くで鳴り、買い物帰りの主婦たちが「今日キャベツ安かったね」と話している。どこにでもある、浅くて明るい日常の音。
その端の席で、鳴上たちは真剣な顔をしていた。
花村陽介は身振りが大きく、落ち着きなく紙コップを指で回している。里中千枝は前のめりで、声を抑えていても熱がある。天城雪子は少し青白い顔をしていたが、姿勢はまっすぐだった。そして鳴上悠は、全員の言葉を受け止めながら、必要なところで短く頷いている。
ただの高校生の雑談には見えない。
真白は少し離れた位置で足を止めた。
小西先輩。
犯人。
警察。
いくつかの単語がまばらに聞こえた。
鳴上がふと顔を上げる。
目が合った。
彼は一瞬驚いた顔をして、それから丁寧に会釈した。
避けてもよかった。
けれど、ここで避けるほうが不自然だった。
真白は緩く微笑んで近づいた。
「こんにちは。真剣な話してそうだから、挨拶やめておこうかと思ったんだけど」
鳴上は椅子から半分立つ。
「いえ、大丈夫です」
花村が慌てて姿勢を直した。
「あ、ど、どうもっす」
千枝も軽く頭を下げる。
「こんにちは」
雪子は少し遅れて、柔らかく会釈した。
「こんにちは」
真白は三人を見てから、鳴上に視線を戻した。
「他の子たちは友達?」
「はい」
「そっか」
真白は三人に向き直る。
「堂島真白です。悠くんの親戚、かな。菜々子ちゃんの姉みたいなこともしてます」
「花村陽介っす」
「里中千枝です」
「天城雪子です」
名前を聞きながら、真白は一人ずつ顔を見る。
真白は、彼らを忘れないようにした。
「困ったら連絡してね」
空気を軽くするように、真白は笑う。
「おじさんには言いづらいこととかあるでしょ?」
花村が「あー、それはまあ」と曖昧に笑い、千枝が肘でつついた。
鳴上は静かに頷く。
「ありがとうございます」
「うん。じゃあ、邪魔してごめんね」
真白はそれだけ言って、席を離れた。
背中に視線を感じる。
特に鳴上の視線は、ただの親戚を見るものより少しだけ慎重だった。
悪くない。
疑いは、相手をこちらへ向かせる。
その視線が、真白は昔から嫌いではなかった。
真白が離れると、花村が小声で言った。
「菜々子ちゃん、お姉さんなんていたんだな」
鳴上が答える。
「姉妹ってわけじゃない。近くに住んでる親戚の人、らしい。たまに料理を作りに来てくれる」
「へぇ……なんか、落ち着いた人だね」
千枝が言う。
雪子は真白が去っていった方を少し見つめていた。
「優しそうだった」
鳴上は一拍置いてから、静かに言った。
「話を戻そう」
堂島が足立を連れて帰ってきたのは、ずいぶん遅い時間だった。
「帰ったぞ」
玄関から堂島の低い声がした。
その後ろで、足立が気の抜けたように言う。
「お邪魔しまーす……って、ほんとに来ていいんすかね、これ」
「今さら何言ってんだ。飯くらい食ってけ」
「いやぁ、堂島さんの奢りなら外がよかったなー、なんて」
「文句言うなら帰れ」
「冗談ですって」
菜々子がぱたぱたと廊下を走る。
「おとうさん! おかえりなさい!」
「あぁ。ただいま」
「足立さんも、こんばんは!」
「こんばんは、菜々子ちゃん。元気だねぇ」
足立の声は外向きだった。
軽い。少し間延びしていて、頼りなさそうに聞こえる。堂島の前では、わざと力を抜いている。鳴上や菜々子の前では、害のない大人の顔をしている。
台所から真白が顔を出した。
「二人とも、おかえりなさい」
足立の目が、そこで一瞬だけ止まった。
ほんの一瞬。
菜々子にも、堂島にも分からないくらい短い。
真白はいつも通りだった。
淡い色のエプロンをつけ、髪をまとめ、菜箸を片手に持っている。視線が足立に触れる。少しだけ笑う。それだけで、すぐ堂島に向き直った。
「夕飯、温めますね」
「悪いな。急に」
「大丈夫。おつまみ系、何か入りますか?」
「お前、食ってる途中だろ。いい、俺がやる」
「おじさんがやると、冷蔵庫の中ぐちゃぐちゃになるから」
「ならねぇよ」
「なるよ」
「……お前な」
堂島の声が少しだけ柔らかくなる。
足立は玄関先で靴を脱ぎながら、そのやり取りを見ていた。
家族の距離だった。
血がどうとか、戸籍がどうとか、そういう話ではない。台所のどこに何があるか知っていて、相手が何を言えばどう返すかも分かっていて、遠慮のない小言を言える距離。
そこに真白はいた。
足立の知らない顔で。
いや、知っていた顔でもある。
誰かのために料理を作り、少しだけ笑い、必要とされる場所に収まる真白。
大学時代、足立の部屋でもない真白の部屋で、当然のように食事を出していた女と同じ顔。
ただ、その相手が自分だけではないことに、胸の奥が妙にざらついた。
「足立さん」
鳴上が居間から立ち上がり、軽く会釈した。
「こんばんは」
「あ、鳴上くん。こんばんはー。いやぁ、今日は堂島さんに捕まっちゃってさ」
「お疲れさまです」
「ほんとだよ。新人使い荒いんだよね、この人」
「誰が新人だ。お前はもう少し使い物になれ」
堂島が上着を脱ぎながら言う。
「ひどいなぁ。僕だってそれなりに頑張ってますよ?」
そう言いながら、足立は笑った。
その笑いのまま、視線だけが一度、台所へ流れた。
真白は見ていないふりをしていた。
菜々子が足立の袖を引く。
「足立さん、ご飯食べる?」
「食べる食べる。菜々子ちゃんの家、飯うまいし」
「お姉ちゃんが作ったんだよ!」
「へぇ。そりゃ楽しみだね」
白々しいほど自然な芝居だった。
キッチンから真白の声が飛ぶ。
「足立さんは何飲みますー?」
足立は一瞬だけ返事に詰まった。
家の中で、他人行儀に名前を呼ばれる。
その奇妙さに、喉の奥が引っかかった。
「……あー、じゃあ、ビールで」
「はい」
真白はそれ以上何も言わない。
鳴上が座布団をずらし、足立の場所を作る。
足立は礼を言いながら腰を下ろした。菜々子が今日あったことを話し始める。友達の家で見た犬のこと。学校の係のこと。鳴上が作った卵焼きのこと。
「お兄ちゃん、卵焼き作れるんだよ!」
「へぇ、鳴上くん料理男子?」
「真白さんに教えてもらいました」
「ふーん」
足立は鳴上を見てから、台所に立つ真白をちらりと見た。
「いいねぇ。将来困らなそうで」
「足立、お前も少しは覚えろ」
「いやいや、僕は食べる専門で」
「威張るな」
真白がビールを持ってくる。
足立の前に置くとき、指先がほんの少しだけ近づいた。
触れない。
触れないが、足立だけが分かる距離だった。
「どうぞ」
「……どーも」
真白は足立の返事に少しだけ笑って、すぐ菜々子の皿を見た。
「菜々子ちゃん、にんじん残ってる」
「あとで食べるもん」
「今食べたら、あとで果物出すよ」
「……食べる」
「偉い」
堂島がそれを見て、苦笑した。
「お前が言うと素直に聞くな」
「おじさんが怖い顔するからじゃない?」
「してねぇ」
「してるよ」
「してない」
菜々子が笑う。
鳴上も少し笑う。
足立はビールを一口飲みながら、その光景を眺めていた。
自分はここにいるのに、ここには入っていない。
それなのに、真白は自分のほうへ帰ってくる。
その事実が、ひどく気持ち悪く、ひどく甘かった。
夜が更けて、堂島が少し酔い、菜々子が眠そうに目をこすり始めると、真白は片付けを始めた。
鳴上が自然に立ち上がる。
「手伝います」
「ありがとう。じゃあ、こっち拭いてくれる?」
「はい」
足立はその二人の並びを見て、面白くなさそうに口元を歪めた。
「鳴上くん、すっかり助手じゃん」
「まだ一、二回くらいです」
「へぇ。マメだねぇ」
「足立さんもやりますか」
「僕? いや、僕がやると堂島さんに怒られるから」
「やる前から逃げるな」
堂島が酒を飲みながら言う。
足立は肩をすくめた。
「はいはい。すみませんねぇ」
真白は洗い物をしながら、少しだけ足立を見た。
足立はその視線に気づいて、わずかに目を逸らす。
外ではいつもの足立透でいる。
軽く、薄く、どこか頼りない。
堂島の部下で、鳴上の前では情報をうっかり漏らす大人で、菜々子には人のよさそうな警察官。
真白は、それを壊さない。
壊さないまま、見ている。
それが足立には、首にゆるく指をかけられているみたいに感じられた。
その夜、真白のアパートに戻ると、足立は玄関を閉めるなり息を吐いた。
「……疲れた」
「お疲れさま」
「お前、よくあんな顔でいられるな」
靴を脱ぎながら言うと、真白は鍵をかけ、振り返った。
「どんな顔?」
「家族です、みたいな顔」
真白は少し考えた。
「家族だよ」
足立は眉を寄せる。
その答えが気に入らないわけではない。気に入るわけでもない。
「……ふぅん」
「嫌?」
「別に」
「透、分かりやすいね」
「うるせぇ」
真白は笑った。
その笑いに、足立はまた腹が立つ。
だが、言い返す前に真白がテレビの前に座った。
「ねぇ」
「何」
「マヨナカテレビ、見ようか?」
足立の動きが止まる。
「……は?」
「雨の日だし」
窓の外では、細い雨が降っていた。
街灯の光を受けて、ガラスに水滴がいくつも張りついている。
足立は露骨に嫌そうな顔をした。
「何でわざわざ見るんだよ、そんなの」
「気になるから」
「噂だろ」
「そうだね」
真白はテレビの黒い画面を見ている。
声は静かだったが、そこには弁護士として話を聞くときの顔が混じっていた。相手の言葉をほどき、行動の筋を探す顔。
足立は舌打ちした。
深夜十二時。
部屋の電気を消すと、テレビ画面に二人の影が薄く映った。
砂嵐が走る。
ざあ、と音が鳴った気がした。
実際には音などなかったのかもしれない。けれど、画面の奥で何かが擦れるような感覚があった。
やがて、白く霞んだ画面の向こうに、人影が浮かぶ。
和服。
長い黒髪。
旅館の娘として、最近話題になっている少女。
天城雪子。
真白は画面を見つめたまま、少しだけ目を細めた。
「……天城さん」
足立は黙っていた。
画面が揺れる。
像が崩れ、砂嵐に戻る。
しばらく、二人とも動かなかった。
やがて足立が、ゆっくりテレビに手を伸ばした。
真白はその手を止めない。
指先が画面に触れる。
沈む。
水面でも、膜でもない。
現実の物質がそこだけ拒否をやめたみたいに、足立の手首までがテレビの中へ消えた。
真白は息を呑むどころか、少し楽しそうに笑った。
「……へぇ。こうなってたんだ」
「知ってただろ」
足立の声は低い。
「具体的なやり方はさっぱりだったよ」
真白は自分の手を伸ばした。
足立が画面に触れている、その横から。
足立が怪訝そうに見る。
真白の指先が画面に触れる。
沈んだ。
「……入る」
「おい」
足立の声が変わった。
真白はもう片方の手も伸ばし、テレビの奥を覗き込むように身を乗り出す。
黒い画面の奥に、彼女の顔が近づく。
「ちょ、待てって!」
足立が慌てて真白の腰を掴んだ。
引き寄せる力は乱暴だった。真白の体が後ろに倒れ、足立の腕の中に収まる。
「は!? 何やってんだよ、お前!」
外向きの軽さは消えていた。
低くて、焦っていて、怒っている声。
真白は足立の腕の中で、彼を見上げた。
少しだけ髪が乱れている。目は落ち着いている。
「……落ちると思った?」
足立は答えない。
ただ、抱きしめる手に力が入った。
真白はその沈黙を見て、小さく息をつく。
やれやれ、とでも言いたげな目をして、それから素直に足立の胸に寄りかかった。
「大丈夫だよ」
「何がだよ」
「透が掴むと思った」
「そういう問題じゃねぇだろ」
「そういう問題だよ」
足立は歯を食いしばった。
「……ほんと、ろくなことしねぇな、お前」
「透ほどじゃないよ」
「笑えねぇ」
「笑ってない」
真白は足立の胸に寄りかかったまま、テレビを見ていた。
画面はもう黒い。
真白は顔を上げ、足立を見た。
「天城さん、入れる?」
「入れねぇよ」
答えは早かった。早すぎた。
真白は頷いた。
「だよね」
「……何だよ」
「ううん」
疑われていない。
それが、疑われるより気持ち悪かった。
「運命の人、か」
真白は少し笑った。
それから、まだ足立の腕の中にいるまま、彼の頬に手を伸ばす。
足立は、その手を払いのけなかった。
「透は透らしくしてればいいよ」
「僕らしくって何」
「見ないふりが上手で、うっかりが上手で、嫌なことから逃げるのも上手」
「褒めてねぇだろ、それ」
「褒めてるよ」
真白の親指が、足立の頬を軽く撫でた。
「大丈夫。捕まったら、私が助けてあげる」
足立は一瞬、ひどく嫌そうな顔をした。
だが、その奥で何かがわずかに緩む。
「……頼んでねぇよ」
「弁護士だからね」
「勝手に決めんな」
「決めるよ」
「ほんと、腹立つな」
「知ってる」
足立はため息をつき、真白を腕から離した。
けれど、完全には離さなかった。指先が真白の手首を掴んだ。
真白はそれに気づいていたが、何も言わない。
雨は窓の外で、細く降り続いていた。テレビの黒い画面には、並んで立つ二人の姿がうっすら映っている。
砂嵐はもう消えたはずなのに、画面の中の影だけが、まだ少し歪んで見えた。