堂島家の姉は、犯罪者が好きなことを隠している。 作:an-ryuka
足立が目を覚ますと、カーテンの隙間から薄い朝の光が差し込んでいた。
真白はすでに起きていて、キッチンに立っている。フライパンに卵を落とす音と、味噌汁の匂いが部屋に満ちていた。
振り返った真白が、大学のころと同じように微笑む。
「おはよう」
足立はベッドの上で半身を起こし、乱れた髪をかき上げた。
喉の奥に、言いようのないものがつかえている。
「……弁護士、ほんとにやってんの?」
自分でも脈絡のない質問だと思った。
けれど、真白は少しも不思議そうにしない。
「うん。続けてるよ」
「……おまえが?」
鼻で笑うように言うと、真白は箸を並べながら、くすりと笑った。
「んー。……他の犯罪者に嫉妬する?」
「は?」
「透、嫉妬深そうだから」
「誰がだよ」
むっとした顔をすると、真白は笑みを深くした。
でも次の瞬間、その表情が少しだけ落ち着く。
「大丈夫だよ」
「何が」
「透みたいな人って、案外いないんだよね」
足立はそれに返せなかった。
馬鹿にされているのか、特別扱いされているのか、その両方なのか、判別がつかない。
真白は味噌汁をよそい、何でもない朝みたいな顔でテーブルに並べていく。
足立の分まで、当然のように。
窓の外では、稲羽の朝が鈍く明るくなっていた。
足立は腕時計を手に取り、少しだけ見つめてから、また手首に巻いた。
真白は何も言わない。ただ、その様子を見て、静かに目を細めた。
湯気の立つ食卓に向かい合うまでの数歩が、やけに自然だった。
それがいちばん気持ち悪い。
気持ち悪いのに、足立は椅子を引いた。
真白はそんな足立を見て、少し微笑む。
向かいに座って、箸を取った。
「悠くんの友達に会ったよ」
足立の目が、露骨に嫌そうに細くなる。
「へぇ」
「花村くん、里中さん、天城さん」
「……ずいぶん仲良くなってんじゃん、あいつ」
「事件の捜査、してるらしいね」
足立は鼻で笑った。
「僕なんか、もっと直接的に聞かれたよ? 警察の情報、ちょっと話したら食いつく食いつく」
「わざと?」
「さぁね。僕、うっかり屋さんだから」
軽い言い方だったが、目は笑っていなかった。
「情報ボロボロこぼすヤツって思われてるんだろうな。ま、実際そう見えるようにしてるわけだけど」
真白は箸の手を止めた。
「……」
「何」
足立の声が少し尖る。
「なんだよ、その顔」
「あの子たち楽しそうだった?」
「真剣だったよ。だから余計ムカつく」
足立は目の前のものを、ただ口へ運んだ。
卵焼き。味噌汁。
当然のように美味いのも、むかつく。
「あいつらさ、何なんだろうな。警察よりよっぽど核心に近そうな顔して、こそこそ集まって。高校生がさ。バカみたいにまっすぐで」
「嫌い?」
「嫌いだね」
即答だった。
「正義の味方ごっこしてるガキは嫌い。自分だけは違うって顔してるやつも嫌い」
「悠くんも?」
足立は黙った。
鳴上悠だけは、少し違う。
足立にはそれが分かっていた。あいつは正義に酔っているというより、背負うことを選んでいる。だから余計に嫌だった。そんな顔をされると、こちらが空っぽみたいに見える。
「……どうでもいいよ」
足立は不機嫌に言い捨てる。
真白は笑った。
「捜査進んでそうだね」
「お前、楽しんでんだろ」
「うん」
真白は否定しなかった。
足立が目を細める。
「鳴上くんが関わってんのに?」
「だから、よく見てる」
その答えは、善意には聞こえなかった。
真白にとって「よく見る」は、守ることと同じではない。
対象を理解すること。使える形に分解すること。
必要なら助ける。必要なら黙っている。
必要なら、危険に近づける。
「……ほんと、嫌な女」
「透が好きな女でしょ」
「調子乗んな」
「乗ってないよ」
真白は手を伸ばす。
足立の手に軽く触れた。
「透は透らしくしてればいいよ」
「だから、それ何なんだよ」
「何も知らない顔で、知ってることを少しだけ落として、相手が勝手に拾うのを見る」
足立は黙る。
「得意でしょ?」
真白は足立の顔を覗き込む。
「少なくとも、警察よりは悠くんたちのほうが近い。透もそう思ってる」
「知ったようなこと言うなよ」
「知ってるから」
足立は舌打ちする。
真白の手を掴んで、少し乱暴に引いた。
真白は抵抗しない。
テーブルに手をつく形になり、足立を見上げる。
真白は首を傾げた。
「もうやめて、とか言ってほしい?」
足立の指に力が入る。
真白は平然と続ける。
「自首して、とか。罪を償って、とか。人を傷つけちゃだめ、とか」
「……」
「そういうの、聞きたい?」
足立は真白を睨んだ。
欲しいわけがない。
けれど、誰にも止められないまま肯定され続けることが、こんなに息苦しいとは思わなかった。
真白はその表情を見て、満足そうに目を細める。
「私は、透がどこまで行くか見たい」
「……」
真白は足立の手首に触れる。
腕時計の革ベルトを、親指でなぞった。
「逃げるなら私のところにしてね」
その声が甘いのに、内容は鎖だった。
足立は笑った。
短く、乾いた笑いだった。
「お前、僕のこと好きっていうより、飼いたいだけなんじゃないの」
「どっちも」
「否定しろよ、そこは」
「嘘つくところ?」
足立は返事に詰まった。
真白は立ち上がり、何事もなかったように皿を片付け始める。
その背中を見ながら、足立はひどく苛立っていた。
自分はテレビに誰も入れていない。
あれからは、誰も。
それなのに、事件は続いている。
誰かがテレビに入れている。
誰かが助けている。
多分鳴上たちだ。
警察は外側だけを撫でる。
自分はうっかり情報を落とす。
真白は笑う。
それが正しいと言う。
正しいと言われるたびに、足立は少しずつ追い詰められていった。
その日マヨナカテレビに映ったのは、久慈川りせだった。
雨の深夜。
二人はもう、習慣のようにテレビの前に座っていた。
画面の奥に、派手な輪郭が揺れる。
アイドル。
町に戻ってきた有名人。
今、稲羽で話題になっている人物。
砂嵐が消えたあと、真白はしばらく黙っていた。
足立が横目で見る。
「何」
「マヨナカテレビに映る人は、稲羽にいる、その時話題になってる人物」
「……今さら?」
「運命の人なんかじゃない」
足立は一瞬、真白を見た。
それから、呆れたように眉を上げる。
「お前、そこ気にしてたのかよ」
真白は少しだけ拗ねたような顔をした。
「だって……嫌。運命とか」
「……」
「透が、誰か別の人を見てたら嫌だし」
足立はしばらく黙ったあと、視線を逸らした。
「……僕がここにいて、まだ文句あんのかよ」
ぶっきらぼうな声だった。
だが、それを言うまでに少し間があった。
真白はその間ごと受け取ったように、足立に抱きついた。
珍しく、縋るみたいな腕だった。
足立は露骨に顔をしかめる。
「……重い」
「少しだけ」
「少しじゃねぇんだよ」
そう言いながら、足立の手は真白の背中に回った。
強くは抱かない。けれど、離しもしない。
「透」
「何」
「私、運命って嫌い」
「聞いた」
「でも、透が稲羽に来たのは嬉しい」
「左遷だっつの」
「うん。だから嬉しい」
「性格悪いな」
「知ってる」
真白は足立の胸に顔を寄せたまま、声だけで笑った。
その笑いは温かくない。
優しくもない。
足立が落ちた場所を、彼女は祝福している。
都会で成功した足立ではなく、失敗して、左遷されて、何もない田舎で腐りかけた足立を、真白は好きだと言う。
足立はそのことに救われている。
救われている自分に、心底うんざりしている。