堂島家の姉は、犯罪者が好きなことを隠している。 作:an-ryuka
堂島家で、菜々子が珍しくごねた。
テレビでは、連続殺人事件の続報、
高校の教師が殺された事件についての報道が繰り返されていた。
堂島からは、今日も遅くなるとの連絡があった。
鳴上は夕飯を済ませ、菜々子とテレビを見ていた。けれど菜々子はいつもより口数が少なく、テレビ番組の内容にもあまり笑わなかった。
やがて小さな声で言った。
「お姉ちゃん、どこ?」
鳴上は菜々子を見た。
「真白さん?」
菜々子は頷く。
「最近、あんまり会ってない」
その声に、鳴上は少しだけ胸が痛んだ。
菜々子は我慢する子だ。寂しいと言わない。欲しいものを欲しいと言う前に、大人の顔を見る。だからこそ、今の一言はかなり珍しいわがままだった。
鳴上は携帯を取り出して真白に電話をかけた。
出ない。
時刻は二十時を少し過ぎている。
仕事中かもしれない。
「出ないな」
菜々子の肩が少し落ちる。
鳴上は冷蔵庫に貼られたメモを見た。
緊急連絡先。堂島の字。真白の住所。
少し迷ってから、真白にメールを送る。
菜々子が会いたがっていること。
今から伺ってもいいかということ。
堂島にも念のため連絡を入れた。
数分後、真白から返信が来た。
大丈夫。気をつけて来てね。
菜々子の顔がぱっと明るくなる。
「行っていいって」
「ほんと?」
「うん」
「やった」
夜道を二人で歩く。
菜々子は小さな歩幅で、けれど急ぎ足だった。鳴上はその隣を歩きながら、空気の冷たさを感じていた。雨の後のアスファルトと、どこかの家の夕飯の匂いが混じっている。
真白のアパートに着き、インターホンを押す。
少しして扉が開いた。
真白はいつもよりラフな格好だった。薄い部屋着にカーディガンを羽織っていて、髪も完全には結ばれていない。仕事帰りというより、もう家にいる人の姿だった。
「おねぇちゃん!」
菜々子が駆け寄る。
真白はしゃがんで受け止め、頭を軽く撫でた。
「いらっしゃい。暗くなかった?」
「大丈夫!」
鳴上はその様子を微笑ましく見ていたが、玄関に視線を落として、少しだけ動きを止めた。
男物の靴がある。
見覚えがある気がした。
どこかで見た、安っぽい革靴。
鳴上は真白を見る。
「……大丈夫ですか?」
真白は一瞬だけ、いたずらっぽい顔をした。
「んー。おじさんには言わないでね?」
奥から菜々子の明るい声が飛ぶ。
「足立さんもいるー! なんでー?」
鳴上は目を見開いた。
真白は人差し指を唇に当てる。
その顔は、優しい親戚のものではなかった。
秘密を共有させる人間の顔だった。
「ほら、悠くんも入って」
奥から足立の投げやりな声がした。
「ここ来ると飯食えるんだよ」
「お姉ちゃんのご飯おいしい!」
「ガキは自分家で満足してろ」
「おとうさん、遅くなるって……」
その言い方はひどいのに、声の底には本気の冷たさがない。
菜々子も怖がっていない。
鳴上が部屋に入ると、足立はソファに座っていた。ネクタイを外し、髪を少し乱している。堂島家で見るよりもずっと機嫌が悪そうで、同時に、奇妙なくらい居場所になじんでいた。
鳴上は軽く頭を下げる。
「こんばんは」
足立は気まずそうに目を逸らした。
「……何見てんの」
「いえ」
鳴上はそれ以上言わなかった。
代わりに真白を見る。
「最近ずっと我慢してたみたいで。真白さんにもあまり会えてなかったので、何かしてあげられないかなと」
真白は菜々子の頭を撫でながら、鳴上を見る。
「ありがとう」
その声だけ聞けば、真白は本当に優しい姉だった。
けれど鳴上には、玄関での仕草がまだ残っていた。
秘密を作ることに慣れた人。
それを誰かに持たせることにも慣れた人。
「ご飯まだなら食べてって?」
真白が笑う。
菜々子が振り返る。
「食べる!」
「悠くんは?」
鳴上は一瞬だけ足立を見た。
足立は不機嫌そうに缶ビールを持ち上げる。
「食ってけば。どうせこいつ、余分に作ってるし」
「……じゃあ、いただきます」
真白は満足そうに台所へ向かった。
その背中を、鳴上は静かに見た。
この部屋は、真白の場所だ。
同時に、足立の逃げ場所でもある。
そして菜々子は、何も知らずにその中へ入ってきた。
食卓は穏やかだった。
菜々子は真白に学校の話をし、鳴上は必要なところで相槌を打つ。足立は文句を言いながらも、菜々子の話に適当に返している。
真白は全員の皿を見ていた。
誰が何を残したか、誰が何を飲んでいるか、誰の表情が変わったか。
料理を出す手つきは優しい。
だが、その目はいつも何かを測っている。
鳴上はそのことを、はっきりと言葉にはできなかった。
ただ、この人を完全に味方だと思ってはいけない。
そういう感覚だけが、胸の奥に残った。
帰り道、菜々子は満足そうだった。
「お姉ちゃんの家、また行っていいかな?」
「真白さんに聞いてからな」
「うん!」
「足立さんがいたことは……」
菜々子は少し考える。
「おとうさんに言わないほうがいいの?」
鳴上は返事に迷った。
「真白さんが、そうしてほしいみたいだった」
「じゃあ、言わない」
菜々子はあっさり頷いた。
鳴上はその横顔を見て、少しだけ不安になった。
子どもは、大人が思うよりずっとよく見ている。
そして、大人が思うよりずっと簡単に、大人の秘密を抱える。
その夜、真白のアパートに残った足立は、テーブルに肘をついていた。
「……鳴上くんに見られたじゃん」
「うん」
「うん、じゃねぇよ」
「言わないと思うよ」
「何で分かんだよ」
「悠くんは、言っていいことと言わないほうがいいことを考える子だから」
足立は嫌そうに顔を歪めた。
「あいつのこと、ずいぶん買ってんだな」
「嫉妬?」
「はぁ?」
「透、分かりやすい」
「マジで黙れよ」
真白は笑いながら、足立の前に温かいお茶を置いた。
「大丈夫。悠くんは、菜々子ちゃんを泣かせることはしない」
「……お前は?」
真白の手が止まる。
足立は顔を上げずに続けた。
「お前は、泣かせねぇの」
真白はしばらく黙っていた。
湯呑みから白い湯気が上がる。
「必要なら、泣かせるかもしれない」
足立がゆっくり顔を上げる。
真白は静かに言った。
「でも、壊したくはない」
「それ、いい人ぶってるだけでしょ?」
「そうだね」
真白は足立の隣に座る。
「菜々子ちゃんが壊れたら、おじさんも壊れる。悠くんもたぶん壊れる。透も、たぶん困る」
「僕が?」
「うん」
「困らねぇよ」
「じゃあ、さっき鳴上くんたちが来たとき、どうして逃げなかったの」
足立は黙る。
「菜々子ちゃんに、出てけって言えた?」
「……」
「言えないでしょ」
真白は湯呑みに触れた。
「私は、それを知ってるから壊したくない」
優しさではない。
損得と執着と、ほんの少しの情。
真白の中では、それらが区別されずに混ざっている。
足立はしばらく彼女を見て、やがて苦く笑った。
「やっぱ、お前最低だわ」
「うん」
「……疲れた」
「うん」
足立は視線を逸らす。
真白はその横顔を見て、静かに笑った。
「おやすみ。もう寝ていいよ」
足立が寝息を立て始めてから、真白はしばらくその横顔を見ていた。
本当に眠っているのか、眠ったふりをしているのかは分からない。けれど、まぶたは閉じていて、呼吸はゆっくりしている。仕事で疲れていたのは本当らしかった。
真白はそっと布団から抜け出した。
枕元に置かれた腕時計を手に取る。足立が寝るときだけ外す、古い革ベルトの時計。六年前、卒業祝いだと言って渡したもの。
指先でベルトを撫でる。
それから、引き出しから小さな器具を取り出した。
音を立てないように、慎重に裏蓋へ触れる。
中に仕込んでいた小さなものを取り出す。今となっては、少し役目が古い。
真白はそれを布の上に置き、新しい部品を代わりに収めた。
その途中で、足立の呼吸がわずかに変わった。
真白は手を止めない。
背中に視線を感じる。
足立が薄く目を開けているのが分かった。きっと、真白の手元も、腕時計も見えている。
だが、足立は何も言わなかった。
しばらくこちらを見て、それから面倒くさそうに目を閉じる。
真白も、気づいていないふりをした。
取り替えを終えると、腕時計を元の場所に戻す。
それから器具を片付け、何事もなかったように布団へ戻った。
足立の隣に潜り込むと、彼の肩が少しだけ動いた。
「……起きてた?」
小さく訊く。
足立は目を閉じたまま、低く返した。
「……寝てる」
真白は少し笑った。
「そういうとこも好きだよ」
返事はなかった。
真白は足立にくっつくように体を寄せ、目を閉じた。
足立はもう、腕時計に何かがあることを分かっている。
六年前から、きっと薄々分かっていた。
それでも外さなかった。
捨てなかった。
今も、怒鳴ることも奪い返すこともしなかった。
なら、もういい。
そうやって諦めたものの名前を、足立は考えないようにした。
数日後から、足立の「うっかり」は増えた。
警察署の廊下で、ジュネスのフードコートで、商店街の角で。
花村たちに声をかけられれば、足立は困ったように笑って、言ってはいけないぎりぎり手前の情報を落とす。
「いやぁ、僕に聞かれても困るんだけどさ」
「堂島さんには内緒ね?」
「まあ、警察もそこまで掴んでないんだよねぇ」
軽く、薄く、頼りなく。
鳴上たちはその断片を拾い、繋げていく。
足立はそれを見て、苛立った。
自分が渡した情報で動いている。
なのに、あいつらは自分の知らない場所へ踏み込んでいる。
テレビの中で何をしているのか分からない。どうやって助けているのか分からない。なぜ死なないのかも、なぜ強くなっていくのかも分からない。
分からないことが、足立は嫌いだった。
真白は、そんな足立を見るのが好きだった。
「今日も悠くんたちに会った?」
「会ったよ。あいつら、またコソコソしてた」
「何か言った?」
「別に。ちょっとだけ」
「偉いね」
「犬かよ、僕は」
「似てるところはある」
「殺すぞ」
「殺してみたら?」
足立は黙った。
真白は笑う。
「冗談だよ」
その本気ともつかない言葉を聞くたび、足立は胸の奥に冷たいものを感じた。
けれど、それを嫌いきれない自分もいる。
正しいと言われる。
そのままでいいと言われる。
でも、どこまで行っても真白の目は「もっと」と言っている。
もっと落ちて。
もっと崩れて。
もっと、誰にも拾えないところへ。
足立は誰もテレビに入れていない。
本当に、あれからは。
それでも事件は続く。
マヨナカテレビは映る。
誰かが消える。
鳴上たちがそれを戻した。
そして足立は、戻ってきた人間を見るたび、自分が失敗したわけではないのに、なぜか負けたような気分になった。