堂島家の姉は、犯罪者が好きなことを隠している。 作:an-ryuka
生田目のトラックの助手席は、洗剤と段ボールと、古い布シートに染みた汗の匂いがした。
真白はシートベルトを締めながら、運転席の男を横目で見た。生田目太郎は、真面目そうな顔をしている。真面目で、追い詰められていて、自分の焦りを善意だと信じ込もうとしている顔だった。
こういう人間は、犯罪者になった自覚が遅い。
だから厄介で、だから話す価値がある。
「どこへ?」
真白が聞くと、生田目はハンドルを握り直した。
「少し離れたところへ行く。ここじゃ、まずい」
「警察に見られるから?」
「……それもある」
否定しない。
追求もしない。
生田目はほんの少しだけ息を吐いた。
トラックが稲羽の町を抜けていく。街灯の少ない道へ入ると、窓の外は黒く沈んだ田畑ばかりになった。雨の名残が道路に残り、タイヤが水を踏むたびに、しゃ、と小さな音がする。
「最初は、山野さんでしたね」
真白は静かに言った。
生田目の顔が歪む。
「……見えたんだ」
「マヨナカテレビに?」
「……そうだ。真由美が、テレビに映って……そのあと死んだ」
生田目の声は震えていた。
恐怖ではなく、何度も自分に説明しようとして失敗した人間の震えだった。
「あの女子高生にも、危ないって伝えた。だけど、信じてもらえなかった。結局、死んだ」
「だから、次に映った人を助けようと思った」
「そうだ」
生田目は前を見たまま、焦るように言葉を続ける。
「テレビの中に、入れたんだ。そしたら死ななかった。あそこなら、外より安全なんだって思った。誰にも見つからない。犯人にも、警察にも。しばらく隠れていれば、助かるって」
真白は頷く。
「テレビの中がどういう場所か、知っていますか?」
「……詳しくは分からない」
「中に入った人が、どう過ごしているかは?」
生田目は黙った。
「戻ってきた人たちに、話を聞いたことは?」
「それは……」
ない。
その沈黙だけで分かった。
真白は窓の外を見る。
黒い水田。遠くのガードレール。雨上がりの土の匂い。
「つまり、あなたは中が安全かどうかを知らないまま、人を入れていた」
生田目の指がハンドルを強く握る。
「でも、助かった」
「誰かが助けたのかもしれません」
生田目が真白を見る。
車体が少し揺れた。
真白は声を荒げない。
「あなたがテレビに入れたから助かったのか。あなたが入れたあと、別の誰かが助けたのか。そこは分けて考えたほうがいい」
「でも、二人は死んだ」
真白は彼の横顔を見た。
「山野さんと小西さんも、テレビの中にいたかもしれない」
「違う!」
生田目はすぐに否定した。
「入れてない!俺は、あのときまだ……テレビの中に入れられるなんて、知らなかった」
「そうですか」
真白は頷いた。
知っている。
そこはもうほとんど確定していた。
山野アナと小西早紀は、足立が入れた。
生田目はその後に、救済のつもりで同じ手段を使っている。
殺意と善意が、同じ入口を通っている。
面白い。
真白はそう思った自分を、否定しなかった。
「生田目さん」
「……何だ」
「あなたは、菜々子ちゃんを助けたいんですね」
「当たり前だ!」
「じゃあ、確認しましょう」
真白はゆっくり言った。
「テレビの中が本当に安全なのか」
生田目は口を開きかけて、閉じた。
トラックは町から離れ、高速道路沿いの人気のない駐車場へ入った。夜の駐車場には、自動販売機の光だけが浮いていた。雨で濡れたアスファルトに赤と青の光が滲み、遠くを走る車の音が、壁の向こうから低く響いてくる。
生田目はトラックを止めた。
荷台には、大きなテレビが積んであった。
古い型ではない。
運ぶには十分な大きさで、人ひとりを押し込むには、たしかに都合がいい。
真白は荷台の前に立ち、画面を見つめる。
「あなたは、自分で中に入れますか?」
生田目は怯えた顔をした。
「自分で?」
「はい」
「そんなこと……」
「人を入れられるなら、自分も入れるかもしれない」
真白は生田目を見る。
「入って、戻ってこられるなら、少なくともあなたには中で動ける条件がある。戻れないなら、今までの人たちも安全だったとは言えない」
「君は……」
生田目の声が掠れる。
「君は、俺に入れと言ってるのか」
「菜々子ちゃんを入れる前に、あなたが確かめるべきだと言っています」
正論だった。
正論の形をした誘導だった。
生田目は画面を見る。
唇が震えている。
真白は追い打ちをかけるように言った。
「あなたは、助けたいんでしょう?」
それは呪いに近い言葉だった。
善人でありたい人間は、自分の善意を証明する機会を拒みにくい。
生田目は、しばらく何も言わなかった。
やがて、震える手をテレビ画面に伸ばす。
指先が沈んだ。
「……本当に」
生田目の顔が青ざめる。
真白は一歩も動かない。
止めない。
助けない。
生田目は息を荒くしながら、画面に両手をついた。
「戻ってくる」
「はい」
「戻ってきたら……菜々子ちゃんを、どう助けるか、ちゃんと話す」
「分かりました」
生田目の体が、ゆっくり画面に飲まれていく。
肩、頭、足。
最後に靴底が消えた。
テレビ画面は何事もなかったように黒く戻る。
駐車場に、真白だけが残った。
雨は降っていない。
けれど湿気が濃く、アスファルトから冷えた水の匂いが上がってくる。自動販売機の駆動音が、ぶうん、と単調に鳴っていた。
真白はテレビを見つめたまま、考える。
生田目が戻ってくれば、自分で入れる人間は少なくとも即死しない。
戻れなければ、テレビの中は救済どころか、閉じた処刑場に近い。
鳴上くん。
透。
生田目。
テレビに触れられる人間の共通点は何か。
稲羽の外から来たこと。
事件に触れたこと。
何かを抱えていること。
その程度なら、条件として弱い。
他にもいるかもしれない。
いないかもしれない。
分からないことが多い。
真白は少しだけ笑った。
分からないから、人は間違える。
間違えるから、面白い。
遠くから車の音が近づいてきた。
一台の車が駐車場へ入ってくる。
乱暴ではないが、急いでいる運転だった。ライトが真白の足元を照らし、濡れた地面に白く反射する。
足立の車だった。
止まる。
ドアが開く。
足立透が降りてくる。
仕事用の上着を羽織ったまま、髪は少し乱れている。顔には、怒りと焦りと、見たくなかったものを見せられた人間の嫌悪が混じっていた。
「……お前」
足立は真白の後ろにあるテレビを見る。
それから、真白だけが立っていることを確認する。
「生田目は」
「中」
「は?」
「自分で入った」
足立の顔が歪む。
「何やってんだよ」
「確認」
「何の」
「テレビの中が安全かどうか」
足立は一歩近づいた。
今にも掴みかかりそうな足取りだった。
「バカじゃねぇの、お前」
「菜々子ちゃんを入れられるよりいいでしょ」
「だからって、お前がこんなとこまで来る必要あったか?」
「あるよ」
「ねぇよ!」
足立の声が駐車場に響いた。
遠くの高速道路の音が、そのあとを薄く覆う。
真白は静かに足立を見ている。
その目が、また足立を苛立たせる。
責められてもいない。怯えてもいない。ただ、ここまで来ることも、足立が追ってくることも、最初から計算に入っていた顔。
「机の上のアレ、何だよ」
足立は低く言った。
「位置情報?」
「俺のもあっただろ」
「うん」
「いつから」
「ちょっと前」
足立は乾いた笑いを漏らした。
「ちょっと前、ね」
「怒った?」
「怒ってるに決まってんだろ」
「外さなかったんだ」
足立の手が、自分の腕時計に触れる。
一瞬だけ外そうとするように指が動き、すぐに止まった。
真白はそれを見ていた。
足立はその視線に気づき、顔を歪める。
「……見るな」
「ごめん」
「謝る気ねぇだろ」
「うん」
「最悪だな」
「うん」
足立は息を吐き、真白の腕を掴んだ。
「帰んぞ」
「生田目さん、戻ってくるかも」
「知るか」
「確認が」
「知るかって言ってんだよ」
足立の手に力がこもる。
「お前、菜々子ちゃん守るとか言いながら、自分がどこまで行けるか試してるだけだろ」
真白は黙った。
足立はさらに続ける。
「生田目が戻ってくるかどうか見たい。テレビの中がどうなってるか知りたい。自分が殺されるかもとか言いながら、僕が来るかどうかも試した」
「……」
「当たってるだろ」
真白は視線を少しだけ落とした。
「うん」
足立は顔をしかめた。
「うん、じゃねぇんだよ」
「でも、来たね」
「……っ」
「透は来ると思ってた」
足立は真白の腕を掴んだまま、しばらく何も言えなかった。
夜風が冷たい。
自動販売機の光が二人の横顔を青白く照らしている。荷台のテレビは沈黙していて、その黒い画面には、並んで立つ二人の影が歪んで映っていた。
「……帰んぞ」
今度の声は、さっきより低かった。
真白は小さく頷いた。
「……そう、だね。お迎えありがとう?」
「ふざけんな」
「ふざけてないよ」
「ふざけてるだろ。だいたい何だよ、『生田目の所行ってくるね』って。散歩かよ」
「詳しく書いたら止めるでしょ」
「当たり前だろ」
「だから書かなかった」
足立は本気で嫌そうな顔をした。
「お前さぁ……」
それ以上は言葉にならなかった。
車に乗り込む前、真白はもう一度だけテレビを見た。
黒い画面。
閉じた入口。
生田目は戻ってくるだろうか。
戻ってきたら、何を言うだろう。
自分が助けていたつもりの場所が、危険だったと知って、どんな顔をするだろう。
真白はそれを見てみたいと思った。
けれど足立が腕を引く。
「乗れよ」
「うん」
真白は助手席に乗った。
帰り道、車内はしばらく無言だった。
足立は荒くは運転しない。
けれどハンドルを握る指に力が入っている。車内には安い芳香剤と、足立の煙草の匂い、雨上がりの湿った空気が混じっていた。
真白は窓の外を見ていた。
やがて、足立が言った。
「生田目が戻らなかったら?」
「テレビの中は、危険」
「そうじゃねぇよ」
「じゃあ?」
「お前が人を殺したことになるんじゃねぇの」
真白は足立を見た。
「そう思う?」
足立は前を見たまま答えない。
真白は少し考える。
「そしたら、透とお揃いだね」
ブレーキが一瞬だけ強く踏まれた。
車体が小さく揺れる。
足立は真白を睨んだ。
「……マジで黙れ」
真白は黙った。
けれど、その横顔は少しだけ嬉しそうだった。
足立はそれを見て、低く吐き捨てる。
「何でお前、そうなんだよ」
真白は窓の外へ視線を戻す。
「お父さんが死んだときね」
足立の目がわずかに動く。
真白は淡々と続けた。
「みんな、私をどうするか話してた。誰が引き取るか。誰が面倒を見るか。押し付け合いみたいな空気だった」
足立は何も言わない。
「おじさんだけが、私を見たの」
夜の道路に、街灯が等間隔で流れていく。
「どうしたい、って聞かれたとき、私はおじさんを見た。父に少し似てたから」
「……堂島さんが?」
「雰囲気だけ」
真白は小さく笑う。
「おじさんは、受け入れてくれた」
「……だから?」
「だから、壊したくない」
足立は眉を寄せた。
「今の話から、そうは繋がらねぇだろ」
「繋がるよ。私の中では」
「分かりにくいんだよ、お前は」
「透は分かるでしょ」
「分かんねぇよ」
即答したくせに、足立の声は少しだけ弱かった。
真白はそれ以上、何も言わなかった。