練習用短篇 作:レファレンス
時刻は午後六時。
他の人はもういない筈の教室で彼女は座っていた。座っていたというか寝ていた。
知らない人。多分だけどクラスメイトではない。
だって、彼女が寝ている席、僕の席なんだぜ。
だけどそれだけでクラスメイトでは無いと確証は取れない。
まず彼女は寝てしまっているので、顔が見えない。なにより僕がそんなにクラスメイトに対して詳しくないからだ。
と言うのも彼女は女子で、僕は男子だ。これで世の男子諸君には分かって貰えるだろうが、それだけでクラスメイトの距離は天と地ほどかけ離れる。実際、もしクラスの女子と話しかけるなら「初めまして」と僕は言うだろう。
「初めまして」と言えば良いのか「こんにちは」と言えば良いのか。どちらが優先されるべき言葉なのか分からないけど、彼女を見たとき開口一番に僕が言った言葉はこのどちらでもなく「うおッ!」だったのはしょうがない事だろう。だって、こんな時間に誰かいるなんて想像もしていなかったのだから。
「えーと、初めましてこんにちは。こんなところで一体何しているの?」とでも話しかければ良いだろうか。それとも何か、何も話さずに用事だけ済ませれば良いのか。片や忘れ物を取りに部活帰りに来た僕と何しているのかわからない彼女。
これでこっくりさんでもしていたら、まだ状況はつかめたのだろうけど。
何で寝ていたのか分からない。いや、しかしなんで俺の席?
時計の針はさっきから変わらず18時の方向を指し示している。
6月17日、現状の天気は夕暮れだけど、明るいわけではなくむしろ若干暗い。
だから教室入るときに、何の気なしに電気を付けたけど、こんなホラー展開があったとは思いもしなかったぜ。
この教室に入る前、廊下を歩いている最中に二つの教室を見てきた。
部活動で使っている教室とそうでない教室。
部活動で使っている教室は総じて明るかった。それはもちろん人がいて、電気を付けているからと言うのもあるけど、人がいることで起こる雰囲気とでも言えば良いのだろうか。
集団で騒いだりしている雰囲気、それがとても明るく僕の目には映った。
そうでない教室、つまりさっきまでの僕が使っている教室なんかは寂しさが残っていた。
数時間前まで大勢の人がいたとは思えないほど静まりかえった一室には、チョークの消し忘れや誰かの椅子のずれなど確かに人がいた痕跡が残っていた。
規則的に並んだ机や椅子の影が夕日に照らされて、まるで人のような形を作る。
もちろんそこに誰もいるわけではないのだけど、いるんじゃないかと錯覚してしまう。
そんなノスタルジーの気分に浸っていたワケなんだけど、実際にいたらそれはそれで話しが変わって来るというもの。ホントに人がいるじゃねーかという驚きが勝ってしまう。
バレないように、起こさないように、荒波たてないように、忘れ物だけを取りに行くってのはむずかしいよなぁ。
とにもかくにも寝ている席がわるいのだ。というか、僕の席で寝ている奴が悪いのだ。
どうしようかと困っていると、電気がついたことで明るくなった教室に違和感を覚えたのか。知らない彼女が「うーん」と机にもたれた状態で手を前に出して伸びをしていた。
もう少しで多分起きるだろう。
彼女は起きたとき、僕は彼女の寝顔を覗いていた変態になるのだろうかと一瞬だけど、そう思ってしまった。そう思われたくないなら教室を出なければならない。でも、彼女が起きたとき、暗かった教室が明るかったら不自然だし、なにより僕は忘れ物を取りに来たのであってやましい下心があって来たわけでは無いのだ。
だから居座る、何ら問題は無い。
「ふわぁぁ」と幸せそうな声を上げて彼女はゆっくりと起き上がった。身体はまだ椅子に預けたまま、上半身だけを動かして、凝り固まった身体を伸ばしたりしている。
僕はそれを動物園にいる動物を見ている感覚で眺めていた……と思う。
ひとしきり伸ばしたのだろう。幸せそうな彼女がコッチを向く。
少し眠たげな目だった。
その双眼が僕のことをゆっくりと、でも確かに認識するとゆっくりと瞬きをして、すると次には開いた目のまま固まってしまった。
「ど、どうも」
自分でもぎこちない笑顔だなとは分かりつつも、顔を作り挨拶をする。
「あわわわわわ」
彼女は驚いたようで、まるでどこかの配管工みたいな語彙力になっていた。
「お、おはようございます?」
「はわわわわわわ」
「はわわわわ?」
「はわわわわわわ」
まるでコッチの言葉が通じていないかのように驚く彼女。もしかしたら「はわわわわ」か「あわわわわ」しか喋られないのかもしれない。そんな分けないけど。
「ごめん、起こすつもりは全くなかったけど、そこの席僕のなんだよね。ちょっと忘れ物してさ。どいてくれない?」
「あぁ! え! ご、ごめんなさい!」
静かだった教室に彼女の謝る声が響く。
すこしうるさいが、教室が一層明るくなったように思えた。
「ごめん」と謝りつつ僕は、勢いよい良く立ち上がった彼女の横で、忘れた教材をバックにしまっていた。
しまう最中、僕も彼女も無言だった。
教室はいつの間にか暗くなったような気がした。
「どうして、こんなところで寝てたの?」
気付けば無言に耐えられなかった僕が彼女にそう聞いていた。
彼女は「えーっと」とごまかすように目を左右に移動させながらぎこちない笑顔を見せていたけど、やがて観念したように「味わっていたんです」と言った。
「味わっていた?」
僕は、不思議に思って聞き返していた。
「えぇ、味わうために寝ていたんです」
意味が分からなかった。彼女は寝ている最中、何かを食べているようには思えなかったし、見えなかった。
「えーっと、あはは。『味わっている」だけじゃ分からないですよね。その、ほら! 教室って数時間前までは授業があって、静とがいて、先生がいて、大勢の人がいたじゃないですか。でも帰りの時間になったら誰もいなくなって、静かになる。さっきまでとは違った雰囲気、孤独感。それを味わっていたんです」
「な、なるほど」
何となく、理屈はわかるような分からないような。
「でも、じゃぁ。なんでウチのクラスに? 自分の教室で良いじゃん」
「いやーそれはその」
「なにか理由があるの?」
「それはー」
また彼女はもにょもにょと隠そうとしていたけど、やがて観念したようだった。
「ほら、自分とは違うクラスってなんだか入るとき別の場所に来たような、そんな感じがするじゃないですか、それも味わいたくって……」
確かによその教室に入る一瞬、ちょっぴりと緊張する。
あぁ、あの感覚を彼女は孤独と一緒に味わっていたのか。
「そっか、教えてくれてありがとう」
僕はそう言って教室を離れた。彼女もどうやら帰宅するようだった。
静まりかえった廊下、どこからかまだ活動している部活の笑い声なんかが遠くから聞こえてくる。
僕もいつかはやってみよう、そう思いながら、学校を出た。