練習用短篇 作:レファレンス
春先、と言うには少し遅い5月頃。
毎年のように来ている雨の時期は、今日も相変わらずのようだった。
あいもかわらず梅雨だった。
「私、雨のことが好きなのよね」
中島が不意にそう言った。
目は変わらず小説に傾けてはいたが、口だけはこちらを向いていた。
「皮肉かよ」
俺はたまらずそう言った。
傘を忘れて帰れないからである。
帰る事ができないからこうしてなかなか参加していなう部活動へと足を運んでいた。
「傘を忘れた俺への……」
うなだれて僕はそう言った。
怒る気にもなれなかった。
「あら、そうだったの。ごめんなさいね」
彼女は悪びれる様子もなく、少し薄笑いをしながらそう言った。
昼放課の1年4組、文芸部の部室は外にも負けず空気が冷え切っていた。
芝山高校、文芸部。
名前のとおり芝の上にあるようなこの学校は、文芸部といういかにもなオタクの集まりである部活動にそれ専用の部室を与えられるほどの面積や教室数を持っておらず、こうして授業が終わったあとの1年4組を部活動の場所として借りていた。
なので座る机や椅子などは普段の1年生たちが使っているものを間借りさせて貰っている。男の子の席だとか女の子の席だとかは関係無かった。とにかく目についた、真ん中の席に僕は座っていた。中島は少し離れた右斜め前の席に座っていた。
「それでね、私は雨が好きなんだけど――」
「まだ続けるのかよ」
さっきのでその話題は終わったんじゃなかったのかよ。
「続けるわ」
「なら、一人でやってろ。関わってらんねーよ」
「ええ、もとより独り言のつもりだったのに、勝手に会話に入って来たのは貴方よ。石川くん」
「へいへい」
現在、部室にいるのは僕含めて二名だけ……つまるところ、俺と中島しかいないわけだけど、そんな中、不意に「私、雨が好きなんだけど」なんて話していたら、話しかけられたと思ってしまうのはしょうが無いようなきがする。
「私は雨が好きなんだけど、ほら雨が降るとみんな部屋に籠もったり、家に籠もったりして、外出なんかしないでしょう。それで、待ちが静かになって、落ち着くの。それに、晴れた日と違って過ごしやすい気温になるしね。だから、私は晴れた日よりも雨の日の方が好きなのだけど――」
中島は一人で話していた。誰かに話しかけるような口調で。
その口調のせいで余計に聞いてしまう。
てか、コイツ。こんなに電波みたいな話しをするやつだったけ?
「でも私は雨の事を好きなのだけど、雨は私の事が好きじゃないみたいでね」
「……そんで」
「あら、関わらないんじゃなかったかしら?」
「……うっせー」
うっせー、そんな話し方されたら余計に気になってしょうが無い。
「なんで、私が傘を持ってきていないときに限って、雨が降るのかしらね」
「おめぇも忘れていたんかい!」
まさか、まさかである。
傘を忘れていたなんて
良くそれで、雨の事が好きなんて言えたな
「はぁ、なんで今日に限って雨なのかしらね」
小説を読みながらそう答えのない問いを投げかける彼女は傘を忘れた人としては様になっていた。
「しらないよ、コッチが聞きたいくらいだよ」
降水確率80パーセント。今調べたらそうでていた。
朝のうちにこのことを調べていれば、今の今までこう待ちぼうけのような事にはならなかったはずなのに
後悔後にただずだった。
時間はいっぱいあるんだ。
僕は諦めて、彼女と同じく小説を読む。
と言っても、彼女とは違って部活動の先輩方が残した作品だけど
『紫の香り』
『夏色ファンタズマ!』
『僕がバラバラ殺人になったわけ』
「モラトリウムとバラバラ殺人』
……エトセトラ、エトセトラ
個性豊かな作品が並んでいた。
気になった作品を取っていく、『雨に残されたものは、バラバラ殺人だった!?』
あめ、あめ、あめ、バラバラ殺人、バラバラ殺人、バラバラ殺人。
どうやら一時の文芸部はバラバラ殺人が流行だったのかもしれない。
何て陰鬱な流行なんだ。
「はぁーー」
思わずため息をはく。
雨なんか降っていなければ、傘をキチンと準備出来ていたら、今頃家でぐーたら出来ると言うのに……
「ため息を吐かないで、こっちまで気分が悪くなるじゃないの」
「そりゃ、悪かったな」
中島の口が少しとがったような気がした。
悪かったって
偉大な先輩たちの文章を読む気にもなれず、かといってため息を吐くにも責められる。虎の子のスマホはもう充電が心許なかった。
外を見ると、運動部が雨の中だというのにたくましく外で走り回っていた。
時計を見る。
時刻はさっきから十分しか経っていなかった。
体感ではもう一時間くらい経っている気がしたけど、そんなことないようだった。
「はぁ」
ため息を吐いた。
俺ではない
中島がこれ見よがしに吐いたのだった。
「おい」
「あら、なにかしら」
「ため息」
「あぁ、私は良いのよ」
何て奴だ。
他人のため息はダメで、自分のため息は良いのか。
傲岸不遜も甚だしい。いや、前から思っていたけどこんな奴だったか。
まぁ、男性のため息と女性のため息じゃ喜ばれるのは後者だけど、ぼくは女性のため息で興奮するタイプではない。たぶん。心動かされなかったし、違うはずだ。
てか
「なんでため息?」
僕はそう中島に聞いていた。
雨が好きならため息なんかでに筈だと思ったからだ。
もしかして、彼女も帰れない現状に不満を抱いているかも知れない。
そしたら仲間だ。不満仲間。いや、仲間が出来たからどうってワケじゃないけど。
「ダメかしら?」
「いや、なんだか妙だなって思って、雨が好きならため息なんて出ないかなってさ」
僕がそう言うと、彼女はもう一度、「はぁ」とため息を吐いた。
まるで物わかりの悪い子どもに辟易している母親みたいな態度で
「私だって、ため息の一つや二つでるものよ。それに……どうしようか、迷っても居るのよ」
「迷っている?」
珍しい事だった。僕のイメージの中の彼女は迷うなんて事はしないような人物だったから。いざ、本人から迷っていますなんて言われるとますます不思議に思えてくる。
「ええ、決断すべきか迷っているわ」
パタンと彼女は読んでいた小説を閉じて、コッチに振り返る。
長い黒髪が首の動きに合わせてサラリとなめらかに動いた。
そこには真剣な表情をした彼女がいた。
彼女は真っ直ぐ僕を見据えていた。
こんな表情、長い付き合いだけど中々見たことがなかった。
一度見たことあるのは中学校の時だっただろうか。
あまり思い出したくない記憶だったが、確かにその時もこんな表情を彼女はしていた。
という事は、現状はそんなにも真面目な場面だというのか。
じっとりと汗が滲み出てくる。
窓のガラスの雨のようにツーっと僕の顔から汗が落ちたのを感じた。
気付けば、雨音が酷く大きく聞こえ始めた。
「決断って?」
僕はゴクンと唾液を飲み込んで聞いた。
どんな言葉を聞いても大丈夫なように、手をぎゅっとにぎり、やや前傾姿勢になる。
「そこに置き傘があるでしょ」
そういって、僕の前の席を指さす。
そこには確かに置き傘が置いてあった。
「あるけど……」
僕は困惑しながらそう言った。
彼女の意図が分からなかったからだ。
置き傘とあの真剣なまなざし、僕の中でピンと来ていなかった。
「その傘を奪って、今すぐに帰ろうかしら、とね」
「普通に犯罪!」
突っ込まずには居られない。
人のモノ取ったらサイテー。
さっきまで緊張していた僕がバカみたいだった。実際バカだったんだろう。
「いいじゃない、こんな雨の日に置き傘を置いて行ってる子よ? きっと必要とはしてないわ」
「だとしても! お前、傘取られた時の悲しみ知らないだろ!」
知ってるか、アレってくっそ怒りが沸いてくるんだぜ。
傘があるという安心感があったのに気が付いたら、無くなっている。
え? と一瞬頭が真っ白になって探してみても見つからない。
喪失感と同時に奪った奴への恨みが募るのだ。その怖さをお前は知らないだろ
「しらないわ」
彼女は堂々とそういった。
傘を取る取らないで、そんな威厳を出さないで欲しいものだ。
がっくりと僕はうなだれた。
そんな僕を見て彼女はクスクスと楽しそうに笑った。
「バカね。私がそんなことをするわけがないじゃない。ほんとうにバカね」
罵倒されている。だから怒ったって良いはずだ。
でも、楽しそうに笑う彼女を見ているとそんな気にならなかった。
罵倒されても、どこか怒れずにいた。
顔を上げる。
そこには笑った彼女がいた。
雨音がだんだんと弱まったような気がした。
「そっか、そっか」
僕は自分に言い聞かせるようにそう言っていた。
「ええ、バカね」
相変わらず彼女は笑っていた。
「でも、決断しなきゃと思ったのは本当なのよ」
彼女はいたずらっ子なような顔でそう言った。
「そうなのか?」
「ええ、でも今じゃないわね」
「タイミングがあるのか」
いえ、そう言うわけじゃないのだけど、私が個人的に思っていることよ」
大事な決断。
タイミングが重要。
うーん、全く分からなかった。
「わからないなぁ」
「でしょうね」
彼女はまたすまし顔でそう言った。
その顔は先ほどからどこか嬉しそうな顔だった。
「……実は私傘持っているのよね」
「…えっ、でもさっき持っていないって」
「嘘よ、嘘」
そう言って彼女は鞄の中から置き傘を取りだした。
「……それ、どっかから奪った奴じゃないだろうな」
僕はいぶかしげにそう言った。
さっきの例がある。
彼女は人の物を奪ったりしない人だけど、念のために。
「バカね。コレは私のモノよ」
そう言って、彼女は僕に傘を手渡した。
そこには中島 萌衣と彼女の名前が書いてあった。
どうやら本当らしい。
僕は彼女に傘を返す。
雨音は完全にしなくなっていた。
「でも、もう必要ないわね」
彼女はそう言って、置き傘を鞄にしまってしまった。
かくいう僕も、自分の荷物をまとめ帰る準備をする。
過去の先輩たちの小説を部活動倉庫へ入れて、1年4組の教室を出る。
ずいぶんと長いこといたような気がしたけど、時計を見たらそんなに経っていなかった。
やる事なんて無かったし、早く帰りたかったのは本当だけど、もう少し居ても良かったなと思えてしまう。
「それじゃ」
学校の校門で中島とそれぞれ別れる。
その挨拶だった。
「待って」
彼女はそう言った。
「え」
僕は歩く足を止めて振り返る。
そこには先ほどまでと違って、真剣なまなざし、あの部室で見せた顔をしていた。
でも、どこか緊張しているようで、口元をわなわなと震わせて、スカートをぎゅーっと精一杯握っていた。よく見たら汗もかいているし、顔が少し赤かった。
「わた、わたしたち」
彼女は震える口で必死に言葉を投げようとしていた。
「どうし――」
「私たち、付き合わない?」
目をつぶって、そう言った彼女。
止まった時間。
雨は既に止んで、鮮やかな虹が僕らの頭上に架かっていた。