公爵令嬢の愛馬〜剛腕ケンタウロス娘の騎士道物語〜 作:ケモ耳はヒト耳を置き換える形が好き太郎
厩舎を拡張する形で設けられたローリーの部屋は、少なくとも風邪を引かずに過ごせる快適性だけは確保されている。
そもそもが王家への忠誠心を示す為の進物なのだから、
だがそれでも、扱いはあくまでも馬にしては手間を掛けているという域を出ず、寝床は藁の他に簡素な毛布がある程度。
とはいえローリーは比較対象を厩舎の馬しか知らない為、自分は恵まれていると思って毎日満足して眠りについているのだが。
「明日は外に出る。外ってなんだろう」
今日に限っては中々眠りにつけなかった。
藁の上で毛布を抱き、ローリーは期待に胸を膨らませる。
明日はいよいよ、狩りを教えてもらう日だからだ。
「れいぎ、かり、おもしろい……」
完全なる未知にローリーは不安を抱く事はない。
自らの意思で部屋の扉を開く事もないローリーには、全てを受動的に取り込む事を楽しんでいた。
扉の向こうからは厩舎係の女性が、ローリーの世話をする為にやって来る。
扉の向こうからは調教師の男性が、ローリーを運動の為に連れ出して他の馬と走らせてくれる。
そして老騎士が、礼儀作法や様々な事を教えてくれる。
ローリーの世界には、この3人しか居ない。
これ以外では滅多に現れない公爵と、遠巻きに陰口を叩く使用人らが居る程度。
そんなローリーの閉じた世界の、部屋の扉がゆっくり開かれた。
「あら、ご機嫌よう」
「えっと、はい」
「貴女がケンタウロスさんよね? メイド達と兄様達が話しているのを聞いていたけど、何処に居るのか分からなかったから探しにきたの」
「そう、ですか。ローリーはケンタウロス、らしいです」
ローリーは習いたての敬語を使い、急にローリーの閉じた世界にやって来た人間を見る。
それはローリーの理解では小さな人間だ。
黒い髪と、緑の瞳の、違いは脚が少ないくらいで自分とそこまで違いのない少女。
「らしいってなに? 不思議ね。貴女はとっても素敵なケンタウロスよ」
「すてき? ローリー……自分はケンタウロス、です」
「ローリーが貴女のお名前? 私はラシェルよ」
少女──ラシェルは寝巻きを摘んで、拙いカーテシーを披露する。
緑の瞳が半月になるような笑みを浮かべて。
「ラシェル……さま。ラシェルさまは自分に何をするんですか?」
「えぇっ? そんな事考えてなかったわ。ローリーは普段何をしてるの?」
「おばちゃんはご飯をくれて、ブラシもかけてくれます。おじちゃんは走り方を教えてくれて、お爺ちゃんは他の事を教えてくれます」
「じゃあ私も何かローリーに教えたいわ。知らない事はない?」
「知らない……ラシェルさまは自分と同じで小さいのに、脚が少ないのはなんでですか?」
「ケンタウロスじゃないからよ。私は人間だもの、脚は2本なの」
ラシェルは2本の脚を使ってローリーに近寄り、その手を取った。
ローリーにとって生まれて初めての、同じ目線の高さに合わせる事が出来る存在。
小さな人間は、それだけでローリーにとっては大変珍しい存在に思えて、目をぱちくりさせていた。
「人間はみんな大きいんだと思ってました。赤い人も大きかったです」
「赤くて大きい人! きっとお父様ね! 貴女の同じ赤い髪をしているの」
「お父様……はなんですか?」
「お父様はお父様よ。他にお母様も居るわ」
父も母も、ローリーには縁遠い概念だ。
家族というもの、それ自体を理解していなかったので、目の前の少女が何を言っているのか、まるで分からなかった。
分からないからこそ、そんな事を知っているラシェルは、厩舎係や調教師、老騎士ら大人と同じように見えたのだろう。
目を輝かせてラシェルの手を握り返した。
「ラシェルさまのお話、ぜんぶ知らないです。ラシェルさまはすごいですね」
「そう? ありがとう。でもローリーにもお父様とお母様が居るはずよ?」
「大きい人はおばちゃんと、おじちゃんと、お爺ちゃんしか知らないです」
「うーん、それなら……ローリーのお父様とお母様はきっと、ローリーと同じようにケンタウロスよ! 分かったわ、私がローリーのお父様とお母様を探してあげる!」
ラシェルは握った手を振り、はしゃぐ。
良い考えだと、思い付いた自分を称賛するように。
そしてラシェルの考えは、それだけではなかった。
「だから代わりに、私のお友達になって?」
「お友達……はなんですか?」
「こうやって手を繋いだり、お話するの」
「ならラシェルさまとは、もうお友達ですね」
「たしかにそうね! ふふっ、また会いに来るくるから待っていて。寝室を抜け出してきたから、早く帰らないといけないの」
「えっと、はい。楽しかったです」
「ええ、私もよ!」
ローリーの世界から、ラシェルが去る。
残されれば変わらず1人、そして閉じた部屋には既知しかない。
だがそれでも、この出会いは誰かに決められたものではなく、ラシェルは無理矢理にローリーの世界に踏み入った。
翌日になれば狩りを教わる為、未知の世界へ踏み出していたローリーに、先に未知の方からやって来たのだ。
この出会いがローリーにとってよかった事だと……後に分かる事だった。
「ローリー、狩りが何か分かりますかな?」
「わからない……です」
「うむ。狩りとは肉や毛皮を目当てに動物を殺す事」
「殺す?」
「うーむ、それが分からぬか……やはり閉じ込めておくのは教育に障りがあった」
老騎士はローリーの物の知らなさに、大いに悩んで白い髭を撫でる。
「自分、は何をしますか?」
「不安だろう、ローリー。これからはこの儂が様々な事を教えよう。だが今日は、知らぬなりに命じられた通りに狩りに同行しなければならん」
ローリーを連れ、老騎士は狩りへ向かう準備をする一団の元へ向かった。
当然ながらローリーと同じケンタウロスおらず、彼女への好奇の視線が向けられる。
その中には、ローリーよりは年上の子供の姿があった。
「兄上! 今日はボクが仕留めるからな!」
「真剣勝負なんだろう? 手加減無しだと……どうかな」
赤い髪の兄と、黒い髪の弟。
老騎士は2人に恭しく礼をすると、ローリーの背を軽く押して前に出す。
「ルーファス様、ケイレブ様。公爵閣下の命により、本日の狩り、こちらのローリーを同行させていただきます」
「父上が言っていたよ。狩りを教えるんだろう?」
「ええ、皆様のお手伝いを出来るように教育をば」
「おい大丈夫なのかコイツ! ノロそうだぞ」
「ローリー、こちらの方々は公爵閣下のご子息方だ。ご挨拶を」
「自分、はローリー……と申します」
おずおずと自己紹介をしたローリーに対し、黒髪の弟──ケイレブは不満げに鼻を鳴らす。
「ふん、邪魔はするなよ! ボクは今日こそ兄上に勝たなきゃいけないんだ」
「そちらは父上の肝入りだ、我々の遊びは気にせずにやってくれ」
赤髪の兄──ルーファスは柔和な立ち振る舞いで手を振り、先に馬に乗って行ってしまう。
ケイレブも追い掛けるように馬によじ登り、従者を引き連れ出立していった。
「ローリー、前に言った事を覚えていたようでなにより」
「前……?」
「色がどうだとか、そういった事を言わなかった事です。相手の見た目について、無遠慮に口にしてはいけませんぞ」
「上手く、出来てましたか?」
「ええ、もちろん。この調子で狩りについても、少しずつ覚えていきましょう」
その日、ローリーは生まれて初めての狩りというものを体験した。
とは言っても、ローリーは同行しただけで弓も槍も手にせず、獲物を追い立てる動きに合わせて走り回っていただけなのだが。
「おいケンタウロス! ウサギがそっちに行った! 追い立てるんだよ!」
「お、追い立てる……」
「グズ! あーもう! また兄上に負ける! お前のせいだからな!」
走り回っていただけなので、急に役割が与えられても全う出来ない。
無茶を言ったケイレブは、腹を立てながら次の獲物を探して馬を駆る。
癇癪を起こした子供の相手をしなくてはならない従者達は、ローリーに対して冷ややかな視線を送ってケイレブの後を追う。
「うまく、出来なかった」
「よいのですよ、ローリー」
だがそんな時に優しく声を掛けてくるのは、決まって老騎士だった。
鞍上から、穏やかな笑顔が向けられる。
「何をしたら、よかった……ですか?」
「周りの動きを見ながら動くと良いでしょうな。弓が獲物を射止めやすい位置へ誘導するように、何処に獲物が逃げ込めてしまうか」
「むずかしい……ですね」
困って俯いてしまったローリーの頭にに、大きな手のひらが降りてくる。
そして優しく、赤い髪を撫で付ける。
「当然。今日が初めてのローリーは着いて来れているだけで十分でしょう。仕留め損なった点に関しては……ケイレブ様もまだまだ未熟ですからな」
「ケイレブさまも、小さい人だからですか?」
「それを子供という。ケイレブ様も、ローリーも……ルーファス様はもうご立派で、子供と呼んでは失礼か」
「ラシェルさまも、子供?」
老騎士の皺の多い表情が、一瞬驚きに大きく動く。
しかし直後に皺が増え、大きな笑みへと変わった。
「そうかそうか。ラシェル様はまた抜け出して冒険をなされたか……困ったらお人だ。そう、ラシェル様も子供。ルーファス様とケイレブ様の妹御であらせられる」
「いもうと、ご? 子供、家族……自分にはむずかしいです」
「全てを一度に覚える必要はない。儂がゆっくり教えよう」
老騎士の大きな手がローリーから離れ、代わりに手綱を握って馬を歩かせる。
「……お爺ちゃんは、自分の家族ですか?」
「違うとも。1人が寂しいのかな、ローリー」
「わからない、です……ラシェルさまが言っていた家族が分からないので」
「うーむ、家族とは説明が難しいものよ。愛し合い、時に憎しみ合う。血縁だけが家族でもなかろう……うむ……」
「お爺ちゃんでも、分からない事があるんですね」
「当然だとも。ではローリー、家族とは何か。生涯を掛けてこれを考えてみるといい」
老騎士の背中を追い掛けて、ローリーは駆ける。
馬としても小さなローリーでは、追い付くだけでも相当な運動だ。
「儂は生涯を掛けて忠節を学び、実践してきた。代々レッドメイン公爵家に仕えてきた家に産まれたからだ。親を知らず、家族が分からないからこそ、お前にはそれを考える価値がある」
「わ、わからないです! むずかしくて」
「うむ、そうか……ならば考えずにひたすらに走るのだ、ローリー! 所詮、我らはその程度よ!」
「わかりました! 走ります!」
赤毛を風に靡かせて、ローリーは駆ける。
太陽が傾き始め、赤毛をより赤くする陽を浴びながら。
「ハハハ! 走るのは楽しいなぁ、ローリー!」
「はい! たくさん走りたいです!」
ローリーにはまだ、難しい事が分からない。
ただそれでも、信頼する人と走るこの時間が、心から楽しい事だけは分かっていた。