特に劇的な事もなく。
戦場にはただ生死がある。
ローリーにとって2度目の戦争の季節の始まりに、そう大きな変化はない。
ケイレブも第二王子も、ローリーと関わる事はないのだ。
そもそも相手は貴人。ローリーを良く見て一兵卒としても、そんな身分で関わる相手ではない。
ローリーの抱えていた漠然とした不安は、そんな現実にすっかり霧散していた。
だからこそ、その光景は些か刺激的だった。
ローリーがルイスの指揮の下で突撃を敢行した後、戦場を見渡す小高い丘に辿り着いた時の事。
騎兵の突撃を受けた敵歩兵はすっかり散り散り、潰走状態。
無理に追う労力も惜しいとその姿を見送り、勝利の余韻に浸ろうかとしていると。
ローリーらの横に、騎馬の一団が現れた。
先頭には戦場には不釣り合いな程、過剰に華美な鎧姿の第二王子セシル。
「やあやあ、お膳立て御苦労。あとは任せたまえ」
まるで緊張感のない、都の社交場にでも居るようなこの場に不似合いな態度でそう言った王子に、ルイスは思わず怪訝な顔を返してしまった。
「は……もう、この場は終わりましたが」
「ん? ああそうか、君達の役目はこれで終わりだ。幾らか褒美もくれてやろう。では下がってよし」
王子は朗らかに、きっぷの良い上位者らしく振る舞う。
そして背後に控える手駒に合図をすれば、それらは前へと歩み出て弓を引く。
狙いう先には……潰走する敵歩兵。
「よし、放て」
ただそれだけ。
放たれた矢は大きく山なりの軌道を描いて敵へと降り注ぐ。
とはいえ距離や歩兵間の距離などもある。そう多くは当たらず、よほど運が悪い歩兵でもないと逃げ足が止まるような事も無かったが。
「正気ですか!?」
「獲物を取られたからといって、そう喚くな。ようは狩りと同じだろう? 追い立てる役と仕留める役が居るだけ……だが、お前達には心底ガッカリだ。あれだけ居るのになぁ、仕留めたのはたったあれだけか?」
「距離が離れていますので」
王子が残念そうに従者に問えば、感情の一切を殺したようにそう返る。
返答も、弓を射かけた結果も面白くないと王子は口を曲げる。
そして王子はそのまま剣を抜き放次ので、従者の表情には恐怖が色濃く現れた。
「ならば、やはり剣を執る必要がある。良かったじゃないかケイレブ殿、お得意の剣の出番だ」
これだけ言って、王子は馬を走らせて敵へ向かってしまう。
そうしてしまえば、他の者は王子に着いて行くしかないと理解しているからだ。
王子を追って次々走り去る騎馬の中、ローリーは黒髪の少年を見た。
「あ、ケイレブ様……」
ローリーの赤は目立つ。
向こうもローリーに気付いたようで、横目で少しだけ見たものの完全に視線は向けなかった。
顔は完全に、獲物を狙う険しいもの。
「昔は……狩りの時はもっと楽しそうな顔をしていたのに」
ローリーも思わずそう溢す、そんな表情。
しかし気遣うように側にやって来たルイスは、ローリーの丸まった背を軽く叩いて真面目な顔で言う。
「狩りとは違うんだ。初陣でそんな楽しげな表情をしている方が心配になる……まさしく殿下がそうだが」
後半は人に聞かせる気の無い、口の中で呟いた程度のもの。
思わず言わずにはいられない、だが大っぴらに言う訳にもいかない苦慮に挟まれて漏れ出た音だった。
「ラシェル様の婚約者らしいのであります、あの王子様。ラシェル様が会う人は、みんな良い人だと嬉しいですけど……」
「そんな人生は存在しないな。だからこそ婚約者のような、人生を共にする相手が良い人であると幸せなんだろうが」
実際はどうか?
王子ら騎馬の集団は、各々剣や斧を掲げて逃走する敵歩兵への追い付き始める。
背後から迫る蹄の音に、逃げ足を早める歩兵だが馬の速度には敵わない。
立ち止まって迎え討とうにも、そもそも潰走して歩兵集団というより散逸した個。
己が生き残る事だけを優先した逃走に、立ち止まったり振り返る選択肢は存在しなかった。
それ故に……ただひたすらに逃げる無防備な背に、刃が振り下ろされる事に。
「よぉし! ひとつだ!」
王子は無邪気に数を数える。
それが悪い事だと思っておらず、ただ遊びの延長線上にあるように、次々と刃を振るう。
そのように先を行く主人がそうしているのだから、それを追う者も同じようにしなくてはならない。
次々と刃が振るわれ、馬が通った後には2本の脚で立っている者は存在しなかった。
「なんか……嫌な感じがするのであります」
「そうだな。逃げる敵を追い、殺す事は禁じられてはいない。場合によっては追撃を選ぶ事もある。だが、あれでは……あれは命を弄んでいるだけだ」
眉を顰めるルイスは己の中の高潔さと反する行いを前に、唖然といった様子。
そしてローリーの方はと言えば、己の中の言葉に言い表せない嫌な感じに対する疑問が大きくなっていた。
「狩りとこれはどう違うのでありますか? 嫌な感じはします、でも違いが上手く言葉に出来なくて」
「人間と動物は違う──いや、これは駄目だ。そうか狩りならばその後に食うから……いや、だが遊興で殺す事もある狩りは……」
ルイスはローリーに授ける、良い答えを持ち合わせていなかった。
単純化するなら命を奪う行為を比べて、違いを明確にする事が出来ずに押し黙る。
人間と動物は違うと咄嗟に答えたそれが、ルイスの本心である事はローリーにも分かった。
種族が違う……ローリー自身にも当て嵌まりかねないそれを、ルイスは自覚し引っ込めたのだと。
だからこそ次々と倒れる歩兵、振るわれる刃、その間に見えたケイレブの姿に享楽の色がなく、必死さのみが見出せた時はローリーは不思議と安心感を覚えた。
答えの出ない不快感を、既知の相手に見出さずに済んだからだ。
とはいえ振るうのは躊躇いのない一刀。追い立てている筈のケイレブが、むしろ追い立てられているかのような焦りに突き動かされた激しい攻撃。
それはそれで、見ていて居た堪れないものだが。
「ケイレブ様は、変わってしまったのでありましょうか」
「人は変わる。お前だってそうだろ、ローリー。戦う術を知り、騎士道とは何たるかを知り始め、成長している」
「ケイレブ様も成長してああなったのでありますか?」
「人はどのようにだって変わる事がある。悪人が改心する事も、善人が堕落する事だってあり得る。重要なのは、やって来た変化の節目で踏ん張れるかどうかだ。変わる事が出来るように、変わらないように」
「じゃあケイレブ様は踏ん張れなかったのでありますか? 自分は何も分からないです。今日もずっと質問してるのに、何も分からない……」
「分からないからこそ知り、成長するんだ。ケイレブ殿についても知りたいか?」
「はい! 何と言えばいいのか……気になるのであります。詳しくは知らない人だけど、ケイレブ様はラシェル様の兄君ですから」
「そうか。俺としても落ち着いてくれる分には有り難い。決闘だなんだと、あまり問題を起こされても困るからな」
勝鬨を上げる王子らを遠目に見て、ローリーとルイスはため息をひとつ。
名誉も何も無い、暴力と死ばかりが見える光景への嫌気。
そして立場による、それらに対して何も出来ない無力感を吐き出したものだった。
「ルイス様は踏ん張れましたか?」
「俺にはまだ、その時が来ていない。その時……踏ん張れるかどうか、自信が持てるように普段から鍛えるんだろうな」
「自分も踏ん張れるように、頑張らないといけませんね。その時というのは、いつ来るのでありましょうか?」
「分からないからこそ恐ろしく、だからこそ日々の鍛錬が重要になる。そして俺はその時を恐れるあまり、頭でっかちになっているな」
ルイスは苦笑してそう言った。
ローリーからすると、いつも賢く冷静で言葉や教えを授けるルイスが、自らをそのように評するのはローリーの認識とは離れていて意外。
目を丸くして自嘲する様を眺めていた。
「不安と逃避の言葉ばかりが溢れてくるよ、まったく……ケイレブ殿もそうなんだろう。不安だとがむしゃらに動きたくなるものだ。喧嘩をしたり、色々な」
「言葉ばかり……動きたくなる……ヒューゴ様みたいです」
「おっ、観察力あるな。アレはまさしくそれだ。言葉を弄し、身体を動かし、自分を慰めている」
「ほー……つまりケイレブ様も、選択肢があれば落ち着くのでありましょうか」
ヒューゴが言っていた言葉を思い出し、ローリーはぼんやりと思案する。
取り留めもなく、疑問が渦巻くばかりのものだったが。
「ケイレブ様は、どうして戦うのでしょう? 自分は初陣なんて、緊張してあんなに動けなかったのありますが……聞いてみたいけど、お話が出来れば……」
ローリーに名案アリ。
「話さないと分からないのでありますから、話してみれば良いのでありますよ。ここで悩み続けても仕方ないし、どうやったら話せるかを悩む事にするのであります!」
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