公爵令嬢の愛馬〜剛腕ケンタウロス娘の騎士道物語〜   作:ケモ耳はヒト耳を置き換える形が好き太郎

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公爵家の赤毛のケンタウロス④

 

 轡を並べて猟場へ。

 ローリーは鞍上のラシェルと目線を合わせ、少し緊張しながら歩いていた。

 

「本当に大丈夫でしょうか……」

 

「ローリーはいつもそれね。そう思うのなら、背中に乗せてくれればいいのに」

 

「背中に人を乗せて走った事がないんです。もしかしたら振り落としてしまうかも」

 

「じゃあ私が馬術の練習をしたら大丈夫よね? どんな暴れ馬でも乗りこなせるようになるわ」

 

「自分はそんなに暴れませんから……」

 

 晴れやかな空と、緑の香りを感じる風の中を進む。

 普段2人が会う時は、夜の厩舎だ。

 声を潜める必要もない時間と場所で、ラシェルは少々舞い上がり気味。

 対してローリーは、ラシェルと普段とは違う場所で会っている事に緊張気味。

 

「ねぇ、今日は何を狩るの?」

 

「鹿でしょうか。近頃のケイレブ様は大きな獲物を狩る事に夢中なので」

 

「もっと大きな獲物は狩らないのかしら? 猪とか熊は?」

 

「危ないですよ……」

 

 2人はずっとそんな調子で、猟場でもラシェルはとにかくよく笑った。

 ローリーにとっては緊張の原因となる非日常感は、ラシェルにとっては楽しさそのものだ。

 貴族の子女として求められる抑圧的な生活に対しての、この解放感の差がよく効いた。

 

「あー、とっても楽しい。普段は本当に窮屈なの。マナーとか、ダンスとか、お勉強をさせられて。でも乗馬は好きよ、外に出られるから」

 

「ラシェル様は家がお嫌いでありますか?」

 

「ずっと誰かに、しかもすぐ近くで見られているんだもの。窮屈よ。せめて距離がある外の方が気が楽ね」

 

「入った事はありませんが、確かにあのお屋敷は狭そうでありますね……頭をぶつけそうで」

 

「ローリーの大きさではそうでしょうね」

 

 とはいえ、狩りの場に出たとてラシェルがする事は特にない。

 乗馬は出来るが弓が出来るわけでもないラシェルは木立の陰の下、兄の側で狩りの様子を眺めているだけ。

 それでもローリーが駆ける様子を見ては、歓声を上げてはいたが。

 

「きゃー! ローリー頑張って!」

 

「やりづらい……」

 

 叱責が飛ぶ事はあっても、歓声は経験がない。

 ローリーは緊張の上に、慣れない状況で更に落ち着かず、単純に大きな音が意識を持っていく。

 注意散漫になりがちなローリーに、老騎士は苦笑しながら声を掛けた。

 

「これも必要な事。慣れなければなりませんな」

 

「あんなに大きな声を出していては、獲物が逃げてしまいます」

 

「だが、我らがそれを言う訳にもいかないであろう? 粛々と事を進めよ、ローリー」

 

「はぁ……気にしない、気にしない」

 

 ローリーは努めて冷静に、周囲をよく見て、協力して鹿を追い立て、狩りの成功の為に動く。

 6年間で何度も練習してきた動き。王侯貴族を相手に気分良く狩りを楽しんでもらう為の、ある種の接待技術。

 背筋を伸ばして見栄えを良くし、整然と動く。

 その間も時折聞こえる声に、なるべく気を散らさないようにして。

 

「ローリー! 先走り過ぎだ!」

 

「っ! はい先生!」

 

 だがやはり、ローリーは未熟。

 完璧を求めて努めてみても、結果が伴うかは別の話。

 ラシェルの声を意識の外に置こうとして、真剣に追い立てている鹿を睨む。

 

(集中……他の人は気にしてないんだから、自分も)

 

 連携して駆け、網を広げるように獲物を追い立てる。

 集中し、逃げる隙を作らないよう、気を張って……それでもやはり、集中の網を通り抜けて声が聞こえた。

 ローリーは視線を僅かに声の方向へ動かして、それを見た。

 

「えっ……熊!」

 

 ラシェルらの背後の木立から、大きな動物が這い出している。

 ローリーが見たものを思わず口にした事で、鹿を追っていた老騎士も事態を把握し大声で叫ぶ。

 

「ケイレブ様! ラシェル様! お逃げください!」

 

「なんだっ!? うお、くっ熊か!」

 

「ひっ……」

 

 乗り手の動揺を感じ取り、馬も慌てて走り出す。

 殆ど暴走状態の、滅茶苦茶な走りはケイレブならば耐えられた。

 だがラシェルはしがみついていられずに、途中で落馬し無防備に呻く。

 当然、そんな獲物は真っ先に狙うもの。

 ローリーは、ラシェルへ迫る熊を見るや否や、全速力で駆け出した。

 

「ラシェル様!」

 

「いかん! ローリー危険だ! 止まれ!」

 

「助けないと!」

 

 ローリーは速い。公爵家のどの馬よりも速い。

 全力で走れば止められる者はおらず、静止する声を遠くする。

 ぐんぐんと近づく彼我の距離にも関わらず、視界にはラシェルも熊も収まっている。

 

「ラシェル様、頭を打ったんだ。立ち上がってくれたら、引っ張り上げられるのに……!」

 

 ラシェルは腕を地面に付いてはいるものの、朦朧として力が入らず立ち上がれそうにない。

 身長の差と可動域の問題で、ローリーはラシェルを拾い上げて逃げる選択肢を捨てざるを得なかった。

 であれば、残る選択肢は2つ。

 ラシェルは助けられないと諦め逃げるか、熊を殺してラシェルを助けるか。

 

「大丈夫……鹿と同じ、槍を心臓目掛けて差し込めば!」

 

 ローリーが取ったのは、止め刺し用の槍を脇に抱えたランスチャージの構え。

 鐙など必要とせず、馬体と一体であるローリーが十分に速力を乗せた一撃。

 穂先を熊に向け、狙いを定めた突撃。

 熊の息遣い、瞳孔の収縮すら分かる距離まで、飛び込む。

 

「うわああっ!」

 

 狩りとは──少なくともローリーが経験した狩りとは優位を取って獲物を仕留める事を前提としたもの。

 当然、獲物も生きる為に暴れて予想通りには事が進まない場合もあるが、基本的には数の優位を活かした群れでの行動。

 被食者と捕食者が明確な、狩猟だった。

 だが……これは違う。

 

(──外した!?)

 

 一対一の、そして大きな差もない力関係。

 むしろ、自分の命を危険に晒した経験の有無で、ローリーの方が弱い。

 ローリーの突撃は確かに致命的な威力を宿してはいたが、熊も動かない的ではないのだ。

 心臓目掛けて飛び込んだものの、身を捩られては槍は肩口から背中へ抜けて、肉を抉る程度で終わる。

 

 そして、そんな痛みを貰っては決死の反撃を貰ってしまう。

 

「ラシェル様っ!」

 

 振りかぶられた爪からラシェルを庇うよう、無理矢理に身体を差し込む。

 ローリーの大きな身体は盾には十分。

 太い爪がローリーの馬体、右半身を奔る。

 

「いっ……!? うぁあ!」

 

 真っ赤な赤毛が真っ赤な血に染まり、草原を濡らして倒れ込む。

 ローリーは起き上がろうと両手と四本脚をバタつかせ、槍をたぐって振り回す。

 生まれて初めての激痛、それがまともな思考力を奪い、恐慌による出鱈目を招く。

 

「ひぃ、ひぃ……」

 

「ロー……リー?」

 

「ラシェル様! 逃げて、逃げられますか!?」

 

「あたま、痛くて。床……こっちくる」

 

 背後には未だ朦朧とした友人(ラシェル)

 自分も負傷し、血が止まらない。

 目の前には手負で血走った眼をした熊。

 だが、ローリーの手には槍がある。

 自分の命も、友人の命も守るには、この槍に頼る他にない。

 

「うぅ……やる、やるしか。やってやる……っ!」

 

 熊の深く荒々しい吐息を前に、ローリーも深く息を吸う。

 痛みを堪えて身体を起こし、せめて馬体を伏せた状態まで持っていく。

 

「鹿と同じ、とどめを刺せば良いだけなんだ!」

 

 ローリーは槍を構えて熊を睨む。

 狙うは心臓。動けないローリーは熊が飛び込んで来るのを待つしかない。

 間合いでは槍が有利だが、一度仕留め損ねれば振り回されて力負けする。

 全て理解して、槍を構えた。

 

(来る……来る……!)

 

 荒々しく吠える熊が、牙を剥き出しにして迫るのを見た。

 容易く骨を砕けるだろう威力を湛える、前脚が振り上げられるのを見た。

 後ろ脚で踏み切って、彼我の距離を一気に縮めるのを見て、ローリーは動く。

 

(──今だ!)

 

 天性のものであるのか、ローリーは冷静にタイミングを見極めた。

 槍を突き出して、ちょうど心臓に届く位置。

 相手の勢いを利用して、刺突の威力を最大化する。

 それらを自然とこなして……槍は深々と熊の胸に突き刺さった。

 肋骨を避けて通すような丁寧なものではない。

 むしろ肉から骨から内臓まで、無理矢理に引き裂いた強引な一撃。

 生まれながらの膂力と物理が、致命の一撃を繰り出した。

 

「うっ……! この熊まだ生きて──!」

 

 だが、心臓が破壊されても即座に死にはしない。

 胸に槍が突き刺さったまま、顎を使って、爪を使って暴れ回る。

 無防備な背中は何度も裂かれ、鼻先同士は触れ合うほど近い。

 それでもローリーに出来る事といえば槍を突き出す程度。

 だがそれは火事場の、そして人外の膂力であれば相当なもの。

 深々と刺した槍を更に押し込み、背中側の肋骨に引っ掛け熊の巨体を持ち上げる程。

 

「ううおお! この、まま!」

 

 息絶えるまで、熊の巨体を持ち上げる。

 石突を地面に引っ掛け、爪の殺傷範囲から離脱する。

 あとどれ程耐えればよいのか、焦燥が胸を満たす中で、ローリーの耳は蹄の音を捉えた。

 

「ローリー! そのまま堪えるのだ!」

 

 聞こえてきた老騎士の声にローリーは気を緩めそうになるが、最後の力を振り絞り、堪える。

 最後に堪えた一瞬で、熊も最後の力を振り絞り大きく顎を──開いたまま、首が宙を舞う。

 

「無事……ではないな! 気を強く持て!」

 

 抜剣した老騎士が馬から飛び降りローリーを支え、ラシェルを見やる。

 見た目においては一目瞭然、ラシェルは傷ひとつ負わず、ローリーは代わりに真っ赤。

 そんな状態であれ、ローリーは老騎士の手を掴み、懇願する。

 

「自分は、大丈夫なので……ラシェル様が……」

 

「ああ、分かっているとも。お前が無事にお守りしたのだ」

 

「そう、ですか。良かった……」

 

 生まれて初めての激痛、生命の危機、狩りではない殺し合い。

 それらの強烈なストレスからの解放が、ローリーを安心させた。

 安心し、気が緩んだそのまま……意識を手放す。

 確かな満足感を胸に……

 

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