公爵令嬢の愛馬〜剛腕ケンタウロス娘の騎士道物語〜 作:ケモ耳はヒト耳を置き換える形が好き太郎
公爵家の屋敷は基本的に静かなものだ。
主人である公爵が静かな状態を好む為。
本人も滅多に声を荒げるような事はなく、抑圧的な空気が漂っている。
だかからこそ、だろうか。
屋敷が騒がしくなった時は、大きな波乱が起きる時なのだ。
私室にて、公爵と彼の長男ルーファスが並ぶ。
安楽椅子に深く腰掛け酒を呷る公爵と、その横に立つルーファス。
共に酒を楽しむような事はしない。
窓の外は未だ明るく、公爵はもう一日中酒を飲んだ後だからだ。
「父上、あまり飲まれてはお身体に障りますよ」
「お前が公爵になる日が早くなるだけだろう」
「まだ父上から学ぶ事が多くありますから、ご自愛ください」
「上辺の言葉だな。本心では反発している程度、分かる」
「既に終わった事ですから。医者によるとラシェルは問題なく、ケンタウロスには傷が残ると」
「……クソが!」
声を荒げて、酒杯を放り投げる父の姿を、ルーファスは冷ややかに見つめていた。
瞬間的な怒りが収まり、上下する肩が落ち着いた頃、ようやくルーファスは口を開く。
「落ち着かれましたか」
「これで、十余年の計画も終わりか。傷跡の残った醜い馬に価値はない」
「そんなにも王家の関心が得たいのですか。公爵家の威信は、もはや並ぶもののないものであるかと」
レッドメイン公爵家の強さとは何か?
それは質の良い馬。それを元に集めた資金。更にその資金を投じて開拓した広大な農地。そしてその農地からは馬の飼料を得て……この国で馬を扱おうと思うと、レッドメインに行き当たる。
軍事行動であれ、質の良い馬を探そうとも。
「だからこそだ。妬む者にいつ脚を引かれ、転落するとも限らない。王家でさえも、我らを危険とみなすやもしれん。争いは望まん。恭順の意を示さねば……」
「それでレッドメイン家の象徴である赤毛の馬を?なんて迂遠な」
「だが金で買える進物には価値が無い。金は幾らでもある。戦争に際しての供出を求めれた時、金と物資で解決出来る程度にはな」
レッドメイン公爵家の強みは資金力。
であるならば、それは軍事力にも転用出来る。
良い軍馬を揃え、良い装備を揃える。あとは傭兵でも良い、兵を集めれば良いのだ。
だが、現在のレッドメイン公爵家ではそれをしない。
「軍事力を多く持たなければ、不興をかう事なく存続出来る……父上の考えは理解しています。均衡を保ちたいのだと」
「ならば何が不満だ」
「今回の件、無理に猟場を広げ、管理の手が行き届かなかった事が原因かと。隣国との戦争で馬の需要が高まっているのです。現状維持ですら財は増える一方ですよ。欲をかきすぎていたのでは」
「だからなんだと? 王族すら招く猟場が必要なのだ。これこそがレッドメインの領分だろう」
「金勘定ばかりで自意識の肥え太った、惰弱な者のやる事でしょう」
少し、空気が張り詰める。
少しであったのは、ルーファスの父への反抗的な言葉、態度が無言の圧にて咎められたから。
何を言わずとも、相手は父親であり大貴族。背負うものも纏うものもまるで違った。
ルーファスが怯み、言葉に詰まれば沈黙が続く。
公爵には話す事が無い。ルーファスは苦言を呈したかったが、口にするのを躊躇ってしまった。
そんな気まずさを破ったのは……激しく開けられた扉の音。
「お父様!」
ラシェルの大きな声が響き、公爵は眉間に皺を寄せる。
対してルーファスは穏やかな笑みを浮かべ、怪我をしたばかりの妹を気遣った。
「ラシェル……まだ安静にしているべきだ。部屋で寝ていなさい」
「大丈夫よお兄様、それよりも──」
「戻れ、ラシェル」
だが、ラシェルへ父親から向けられたのはたったこのこれだけ。
ルーファスは眉間に皺を寄せ、当のラシェルは気にしない。
自身を心配する言葉や態度よりも、明確な目的を持ってここに来たから。
臆せずに父親の前へ……公爵の前へ歩み出る。
赤い長髪の向こうの、鋭い瞳を真っ直ぐに見つめて。
「お父様、ローリーを助けて欲しいの! ローリーは私を助けてくれた、全部私が悪いの! 狩りに着いていきたいと言ったのも私で、私が無事だったのはローリーのお陰で!」
「ああ。それは理解している」
「なら!」
「……治療はしてやろう。だが本来の目的に適さない以上、ただ屋敷に置いておくつもりもない」
「どうするつもりなの……? お願い、ローリーを助けて……」
懇願。ただの子供に出来るのはそれだけ。
相手が大貴族としての顔しか見せないのであれば、返ってくるのは無慈悲な返答。
「辺境伯への軍馬の提供、あれに加えれば良いだろう。戦争にはどれだけ人手があっても良いんだろうからな」
「せ、戦争……ローリーは戦った事なんてないのよ! きっと殺されちゃうわ……」
ラシェルは顔面蒼白で、力無く座り込み公爵の膝に縋る。
それを見ても貴族としての顔でラシェルに対する公爵は、眉一つ動かさず瞑目するばかり。
そんな光景にルーファスは兄として心が痛むのだろう、ラシェルの背中をさすって幾ばくかの慰めを口にする。
「それはどうでしょうか。訓練も無しに熊を屠ったのですから、悲観的になる事もないかと。それに辺境伯閣下は父上の盟友、悪いようにはしないでしょう」
だが慰めは慰めで、救いにはならない。
ラシェルは知っている。ルーファスはローリーの事をあくまでケンタウロス、馬、物であり資産と見做していると。
愛する兄であっても、その価値観の違いがラシェルの不安、悲しみを癒す事はなく……代わりに、深く年輪の刻まれた声が響く。
「失礼いたします、公爵閣下」
「何の用だ」
個人的な時間を過ごす公爵の前へ、呼ばれてもいない老騎士が歩み出れば、少なからぬ不興を買ってもおかしくはない。
だが数多の戦場を越えてきた老騎士は怯む事なく、姿勢正しく、凛々しく、淡々と言葉を紡ぐ。
「ラシェル様が抜け出したのを確認し、見守っておりました。何度も脱走を企てたので、一度満足させた方が良いかと思いまして」
「抜け出した事、気付いていたのね……」
「ええ、ですから失礼ながら話も。あのケンタウロスを軍馬として辺境伯領へ送るのであれば、戦う術を叩き込む時間を頂きたく」
それは明らかに我儘。家臣の領分を超えた行いだ。
立ち聞きに、時間と公爵家の資産を使わせる提案。
公爵は興味なさげに視線を向けると、何も言わずに鼻で笑う。
ただ無言で睨み合うような時間が続き、見かねたルーファスがため息を吐き、そこでようやく時間が動いた。
「父上、軍馬としても騎兵としても中途半端なモノを送っても、ただ迷惑をかけるだけでは」
「好きにしろ……ラシェル」
「は、はいお父様。ローリーの事、ありがとうございます」
「違う。お前は第二王子と結べ」
「父上? 第二王子派閥に着くのですか?」
「奴らも金が必要だろう。敵対する意思が無い事を示す、絶好の機会だ」
公爵の頭の中に絵図はある。
だがそれを他人と共有しようとせず、聞いても会話をする気がない事をルーファスも老騎士も経験から理解していた。
だからただ続く言葉を待つ。
「ケンタウロスは辺境伯領へ。猶予としてこの冬と、その次の戦争の季節は与えてやろう。そしてラシェルは第二王子との婚約を。以上だ、下がれ」
公爵はそのような男だ。
だが約束を違えない事も、2人はよく知っていた。
与えられた時間の猶予は短くも長くもならず、ラシェルの慰めに足りるか否かは老騎士の指導と、ローリーの回復と成長にかかっている。
顎で退室を促され、自室へと戻る道中、ローリーは付き添っていた老騎士に不安げに尋ねた。
「ローリーは大丈夫かしら……」
「大丈夫、とは無責任に申せません。ですがこの老骨、これでも騎士として幾度も戦い、こうして生き延びた猛者であると自負しております。その経験の全てを教え込みましょう」
「お願い、ローリーはとても良い子よ。私のせいでこんな事になったのに、私は何も出来ないなんて……ほ、本当に酷い事を……」
もしあの場にラシェルが居ない、いつも通りの狩りだったなら。
襲われるのはケイレブのみ、そのケイレブも馬に乗って逃げて、誰も傷付かなかったかもしれない。
ローリーの傷の責任を自覚して、ラシェルは震える。
「ラシェル様のおっしゃる通り、ローリーは良い子です。熊に立ち向かい、傷を負った時も貴女様の身を案じておりました。ですから、落ち着いたらあの子に会ってやっては貰えないでしょうか」
「でも……合わせる顔がないわ」
「それでも、会うべきです。労を労う、それも貴族の責務でしょう」
ラシェルは懸命に不安を飲み込み、見せかけで笑う。
「そう、ね。貴方の元で戦い方を学んだら、ローリーは騎士になれるかしら」
「それは……難しいでしょう。ケンタウロスが騎士になった例などありませんので」
それは現実的な話。だが老騎士が何より話したかったのは、ローリーの成長を見守ってきた立場からの別の話、
「ですが、あの時のローリーは微塵も躊躇わずに身を挺して貴人を守る、そんな高潔な行いをしたのです。あれこそが騎士の持つ真の強さ。敬愛する方からの激励があれば、より力が湧く筈」
「ローリーって、私の事をそんなふうに思っていたの?」
「ええ、実に慕っておりますとも。それにローリーは実に力が強い。熊の巨体を持ち上げる剛腕の持ち主なのです。そこに技術を加えれば、勇名が轟くまでそう時間は掛からないでしょうな」
押さえ込んだ不安を飲み込んで、ラシェルは軽く息を吐く。
これ程言葉をかけて貰ったのだ。そろそろ落ち着かなければと、見栄の部分も働かせて。
「決めたわ。ローリーに謝って、感謝して、そして約束する。だから、戦う方法をローリーに教えてあげて」
「御意に」
「騎士になれなくたって、騎士になれるくらい強くするのよ」
「ええ、お任せを」
「……鞭を打ったり、する?」
「必要とあらば」
「駄目よ。女の子にそんな事するなんて!」
「ですが痛みこそが最も強い教訓となります……その点で言えば、此度の出来事はローリーにとって重要な教えを与えたのでしょう」
「教えって、なにを?」
老騎士は優しく、そして心の底から湧き出る愉しみが漏れ出た笑みを浮かべた。
「敬愛する主君をお守りする、その誓いを胸にした時の力強さを、です。その強さを知る者は必ずや大きく成長するでしょう。ご安心を。ローリーは大器でございます」
騎士は馬を扱う人である。
ではあるが、やはり心より満たされるのは同じ騎士を相手にした時。
口ではどうと言いつつも、心と身体が備わった若者を前に老騎士は心が躍った。
持ちうる全てを教えてやって、アレを一角の騎士にしてやりたい、と。