貞操観念ぎゃくてん・ざ・ろっく! 作:テト
「―――有識者が言っていた、ここのカレーは絶品だと。ホントに素晴らしい味だった」
「…………」
下北沢の路地裏に構える、お洒落なアンティーク調の喫茶店。その店内の奥側のテーブル席で俺の目の前に座りカレーについて語っているのは……結束バンドのベース担当こと山田さんだ。鮮やかな青い髪と中性的で端正な顔立ちは喜多さんのような同性をも魅了し、伊地知さん情報によればいつも無表情で気だるげにしている彼女は知らない人から見ればクールでミステリアスだと捉えられ良き印象を抱かれているらしい。
俺はそんな山田さんに対し無言を貫き、やがて呆れたように大きなため息をついた……え?何故かって?それは―――
「山田さん……あの、もう一度だけ確認したいんですけど」
「何?」
俺は頼むから嘘であってくれと、そんな願いを込めた真剣な眼差しを真正面に座る彼女へ向けて尋ねる。
「……今、財布に5円しか入ってないって本当なんですか……?」
「―――うん、ホント」
当たり前だと言わんばかりに迷わず即答する山田さん、その瞳は一切の曇りなきまるで湖の如く澄んだものであった。いや所持金5円って何です??10円駄菓子すら買えないじゃん……そもそも事の発端は約数時間前、俺が自宅の自室で明日の日曜日に金沢八景の街中で行うと決まった、例の後藤さんのチケットノルマ解決の為のライブ宣伝用フライヤー配り。そのフライヤーを全て作り終えて一息ついていたときの事だ。
この件はどうしたものかと数日間の話し合いを交わした結果、2人でフライヤーを配りバンドに興味を持ってもらってチケットをさばく作戦になった。そしてそのフライヤー作成は俺が請け負う事に……いや後藤さんも「じ、自分の不甲斐なさが招いた事態だし淳くんだけに任せるわけにはいかない、私も手伝う……」って申し出てくれたのだが、演奏のアドバイスや指摘にバイト。それらのみではマネージャーとしての役目をあまり果たせていないと、以前から常々感じていたので「ここは俺に任せてよ、ね?」と優しく笑って伝えると彼女は「少し前に破壊された脳が再生していく……やや、やっぱり幼馴染こそが正義だよね……!」、そう嬉しそうに笑っていて……発言の意味はよく分からないけど喜んでくれたから良かったなぁ。
フライヤーに関してはシフトが休みなだけでなく休日なのも相まって朝から制作に励み、正午を少し回った辺りで完成した。そして話を戻すが、目的を達成し俺はベッドに寝転びながらスマホをいじっていたそのとき……画面にとあるメッセージが映し出されたのだ。アカウント名を見れば送ってきたのは山田さんで何事かと内容を読むと……短く簡潔に。
『助けて淳』
ヘルプを求める山田さんのメッセージ、それとここの喫茶店のURLが送られてきたのだった……何事かと思い慌てて家を飛び出し下北へと向かってみれば―――こんな有様である。俺の貴重な休日が……
「カレーを食べ終えた後に気づいて淳にロインで送ったから、2時間以上もここで時間潰しを行う羽目になってしまった。疲れた」
「喫茶店だから居座っても文句言われないのは幸いでしたね……もしここが中華屋とかだったらどうするつもりだったんですか……」
「土下座一択、私の土下座は見る者全てを魅了し虜にする美しさを持つからそれを見たら店長もきっと許してくれるはず」
「何でそんな自信満々でおられるんです……ていうか前にも同じような事ありましたよね?ほら、後藤さんと作詞についての相談を山田さんにしたときですよ」
「そういえばそんな事もあった、デジャブ」
…………ちなみにそのときの代金俺が全部立て替えてたんですけど、一体いつ返してくれるんですかね……貸しが積み重なる事実に再度ため息をつきつつ、俺は抱いたとある疑問について尋ねる事に。
「俺をわざわざ金沢八景から下北へ呼ばなくとも、比較的近い喜多さんや下北住の伊地知さんがいるじゃないですか」
……もちろん彼女達に支払わせればいいってわけじゃないし、そうなるのは絶対に嫌だが一応この点は何故だろうと思ったまでだ。
「郁代は今日友達と遊んでるみたいでダメ、虹夏は……うん、虹夏も用事があったんだ」
「いや伊地知さんに頼もうものならジャイアントスイングされるから言えなかったんですよね……?」
「淳も私と虹夏の関係性に対する理解度が深まってきたみたいで嬉しい」
「俺は全然嬉しくないです……」
はぁ……と本日何度目か分からない深い溜息が出る、まあ仕方ないか……
「分かりました、とりあえず俺が払っておきますね」
俺が伝票を手に取ってレジへと向かおうとすると、山田さんは表情こそ普段と変わらないもののどこか動揺するようにその瞳を揺らがせるとゆっくりと口を開き。
「……淳、前に一度払わせて今もまた同じ真似をさせようとしてる私が言うのもアレなのは分かってる、でも聞きたい。どうして―――淳は何の条件もこっちに提示してこないの?」
「本当にアレすぎてビックリですよ……えっと、条件ですか?」
「……うん」
コクリと頷く山田さん、条件と言われてもな……金出す代わりに俺の言う事聞けや的な感じだろうか?いやそんなのするぐらいなら普通に後でお金だけ返してもらって終わりでいいし、そもそもぐへへ案件なんて起きるはずがない。だって。
「―――山田さんは同じ結束バンドのメンバーであり、何より友達じゃないですか」
「っ……!?」
その瞬間、山田さんの瞳が驚くように大きく見開かれた。
「友達が困ってるのなら助けるのは当たり前ですよ……まあ二度もこんな事やられたら普通にムカつきはしますけどね?はははっ」
「でも……淳は助けるんだ……」
噛み締めるように呟く山田リョウ……彼は把握せずにサラリと言い放っているが、この世界において女性が数少ない男性に対しアタックする際は大金を貢ぐなんてのは日常茶飯事に行われている事だ。それはもはや王様への献上に近く、だからこそ王である男性が女性に対し金を渡すなど一時的な立て替えですらあり得ない行為とされる。
だからこそ、彼女は彼に対し何か特別な対価を求めて来ないのか?と聞いたのだ。王とまで持て囃されるあまりにも歪んだ存在となってしまったこの世界の男達、しかし彼というイレギュラーは違った。彼女達に対し煙たがったり避ける事なんて一切せず、それどころか困っている自分のために「君のためなら」と呆れながらも笑って財布を開いてくれる。果たしてその姿は、彼女の目にどう映ったのか―――
(……だ、ダメだ、この包容力……きっと淳は私が何の無茶ぶりをしようが何だかんだ最終的には許して受け入れてくれる。バンドマンのお手本たる私がこの優しさという名の底なし沼に沈められ堕落してしまう……!)
顔を赤面させて内心嵐の如く慌てふためく彼女に、無自覚の追撃が襲い掛かる。
「山田さん」
「な、何?」
「今更になっちゃいますけど、送られてきた助けてって文面を見たとき俺ホントに焦ったんですよ。でも―――山田さんが何事もなく無事で良かったです」
そう言って心の底から嬉しそうな微笑みを浮かべる彼に、ハイパー天才ベーシストこと山田リョウは。
「……私は、野草を食べても、体壊さないぐらい強い存在だから……」
瞳をグルグルと回しながら、たどたどしい返答しか行えないのであった。
支払いを済ませ店を出ると、時刻が夕方なのもありオレンジ色の夕日が差し込み山田さんを照らしていた。これにより……何故か先ほどから太陽にも負けないぐらい顔が真っ赤に染まったままの彼女は、更にその顔色を濃く変える事になった。一体どうしたんだろう……山田さんの様子に疑問を抱き首を傾げていると、山田さんは鞄からワイヤレスイヤホンをいきなり取り出し片方を俺の右手にポンと渡してきた。
「えっと、山田さん?」
彼女は少しの沈黙の後、まるで絞り出すようにゆっくりと発した。
「……これ、途中で別れるまで一緒に聞こ」
「え?べ、別に構いませんが……」
突然の提案に驚きながらも俺は山田さんから受け取ったイヤホンを片耳に付けると、流れてきたのは重厚でどこか哀愁を帯びた歪んだベースラインが特徴的な海外のアンダーグラウンドなロックバンドの曲だった。
「……どう?」
「……凄くカッコいいですね、これ好きです」
俺と山田さんの音楽センスは結構似ており、彼女が良いと感じるものは自分も同じような気持ちを抱く場合が多いのだ。個人的にこういった共通点を持てるのはとても喜ばしい。
「おお、流石―――私の淳は分かってる」
「……私の?」
「ななっ、何でもない……!」
何だ、俺の聞き間違いか。
―――こうして俺と山田さんは別れ際まで一緒にイヤホンで音楽を共有するという、そんな心地良い時間を過ごしたのであった。ただまあ……正直この前の分も含めていつになるかは定かじゃないが、出来るだけ早くお金は返してほしいものだ……
(男なのに女と普通に接して、それどころか優しくて困ったときは駆けつけ手を差し伸べてくれる。しかも音楽のジャンルも合う……間違いなく断言出来る、私にとってこんな存在はきっとこの先の人生で二度と現れてくれない。逃したくない、淳……ううん―――私の淳)
次回は酒のお姉さんこときくりさんの前編回となります!