貞操観念ぎゃくてん・ざ・ろっく! 作:テト
「じゃ~ん!私のマイベース、スーパーウルトラ酒呑童子EX!どう?ひとりちゃんもこれカッコいいと思うでしょ!」
「あっ、カ、カッコいいです……」
「ね~!淳君はどうか……あ」
高ぶったテンションのままに俺の方を見た廣井さんはしまったと言わんばかりに目を見開き、そして。
「―――いかにベースが優れたものであろうと、それを手に握るのが私の時点で台無しですよね……それとスーパーウルトラとかイキったダッサい名前付けて申し訳ございません……」
「…………」
……俺もうガスマスクでも付けて自分の顔を隠した方がいいのかな、街中でそれ付けたら一発で通報されそうだけど……特殊部隊のコスプレだとでも言えばワンチャン通せるか?いやハロウィンでもあるまいしやっぱり通報ENDは避けられないよね……己の社会的な死の想像に震えるがここは一旦説明に移らせてもらうとしよう。
『お酒、抜けちゃった―――アッその私なんかを心配する必要全然ないですよ』、廣井さんはそう自分自身に驚くように力なく呟くとつい先ほど酒を瓶1本丸ごと飲み干したにも関わらず、またもや素のシラフ状態へ逆戻りしてしまうのであった。そして彼女は気まずそうにこちらから顔を逸らすと……ちょうどその視界内に置かれた後藤さんのギターが入ったらしく、廣井さんは暗い表情のまま「あの、後藤さんってギターやっていらしてるんですね……えっと、実は私も一応バンドやっていまして。まあインディーズですけど……ちなみに担当はベースで……」
何故かそこでピタッと言葉が止まってしまい、廣井さんはただでさえ良いとは言えない顔色を更に悪くさせながらゆっくりと口を開いた。「ベース、居酒屋に忘れてきちゃいました……」、そしてフラフラと立ち上がり「取りに行ってきます……本当に助けていただきありがとうござました」と俺と後藤さんに深々と頭を下げて憂鬱の二文字を全身に纏うかの如く重々しい雰囲気を漂わせながらトボトボと歩き出してしまった。流石にその限界すぎる背中を黙って見送るのは良心が咎めると言うか、あまりにもいたたまれないし純粋に心配でもあるので俺は確認するようにチラッと横目で後藤さんを見れば……「うぅ……あ、あのお姉さん、写し鏡みたいで私の心が締め付けられる……でっ、でも考えは淳くんと同じだよ……?」と自分の胸をギュッと押さえつけながらも頷いてくれた。こうして俺達は、廣井さんに同行する事を決めたのであった―――
そして居酒屋へ行き無事ギターを取り戻せたのだが、同時にもう耐え切れないと言わんばかりに己のストックであるパックのおにころ6本のうちの2本を飲むと、二度目となる酒の魔法にかかった状態へ変身し俺達を連れて海沿いの広場まで来た。先ほどまでは楽しげに話す元気そのものな様子だったが、俺とは何としてでも顔を合わせないという意志は感じ取れた。正直辛いがこの貞操観念逆転世界では常識が通用しないし、それに廣井さんが呪詛を吐くように語っていた過去話からも男と接するという経験が無く、本人の性格もあってか活発に攻め込んでくるここの女性達と違い逆に異常なほど緊張感を抱き距離をおこうとしてしまう。そこら辺の事情が大まかにだが理解出来たので、彼女の為なら仕方ないかと割り切っていたのだけれど……マイベースの話でただでさえ高いテンションが更に上がり気も緩んでしまったのか、俺に顔を向け話を振ってしまい……
「陰キャならロックをやれってよく聞きますけど、バンドマンって陽キャやチャラい人が多いからバンドへ入ったはいいものの居場所が無いという問題に直面する人は多いと思います。大変ですよね……私もお酒の力が無かったら対人スキル壊滅的ですし、ははは……」
「そそ、それ凄く分かります……!」
三度目のシラフ状態という今に至るわけだ……ていうか後藤さんが何か廣井さんにシンパシー抱いて目を輝かせてるな……さっきも自分の写し鏡みたいと言っていたが何も同類と出会い生まれるのは苦しみだけではなく、こういった共感もあるという事か。まあ正直俺も陰キャ側だから偉そうな事とか言える立場になど全く無いんだが……
「ウ、ウヘヘッ、同じバンドやってる人で陰側と出会えるなんて。自分だけじゃないんだってちょっと安心できる……もっ、もし世界が全て闇に覆われたらみんな陰キャになれるのかな。最高だ……」
それは多分バッドエンドだと思うよ??まあ後藤さんがこんなに楽しそうにしているのだから、変な横槍は入れたくないけれど……だが廣井さんはこの素の状態を曝け出しているというのがとても嫌らしく残り4本のおにころのうちの2本を飲み酒キメ状態になってしまった。
「お酒サイコー!」
「あっ変わっちゃった……」
せっかく同類を得れたのに失ってしまったと名残惜しそうな表情を浮かべる後藤さん、廣井さんは一体変身と解除を何回繰り返すつもりなのだろうか?ニチアサでもこんな短時間のうちに何度も変身するなんて殆どないぞ……
「お、お酒好きなんですね」
後藤さんが引いた声色で尋ねる、この場では喋らず完全に空気に徹している俺だが同意しかない。それに対し廣井さんは曇りなき笑顔で。
「うんっ!だってお酒飲んだら全て忘れられるからさー!」
「全部?」
「ほら、将来の不安とか。年金問題、地方の過疎化、ストレス社会、貧困格差、結婚…………結婚かぁ。そういえばお母さんから最近、アンタも彼氏ぐらい作りなさいよ、女は男を幸せにする義務があるんだからねとか電話で言われたっけ―――アッ辛い。もう無理ですダメ女でごめんなさい……」
「!?」
「も、戻ってくれた……!」
声に出さず動揺する俺、何か強引に酒ぶち込んだから完全に変身し切れてないですよね……?それと後藤さんがサラッとシラフ状態帰還に喜んじゃってるし……
「ああ、私の幸せスパイラルが崩れ去って……後藤さんは私みたいにならないでくださいね」
「えっ?そ、それってどういう意味ですか?」
「……後藤さん、お酒にハマりそうな感じしますから。顔で分かります……」
「……はぁ」
廣井さんに言われその姿を想像するように目をつぶる後藤さん……これはまずい、ずっと黙り込むしかなかったが今すぐ妄想をやめさせてあげなければ。
「ご、後藤さんはまだ未成年なんだからさ、そういうのを考えるのは20歳になった後でいいんじゃな「押し入れに独りぼっちで引きこもる私……結束バンドのみんなとも疎遠、そして淳くんは大きくなったふたりに奪われて―――ヴァァァァァァ!????」
遅かったか……切ない将来に悲鳴を上げる後藤さん、ただまあ俺がふたりちゃんに奪われるというのがよく分からないけど……どうやって現実へ引き戻そうか悩んでいたそのとき。更なる問題が発生した、それは。
「……老後とか肝臓の数値とか男の子に一生相手にされない孤独な人生とか……ヤバい、頭割れそう……」
精神感染と言わんばかりに後藤さんのパニックに引きずられ、廣井さんまで自分の将来について考え苦しそうな声を出しながら頭を抱えてしまった……もうやだぁ……
どうすればいいか分からず途方に暮れた俺は、後藤さんや廣井さんと同様にその顔を曇らせ落ち込み頭を抱えてしまい―――3人して絶望のオーラを漂わせる様はもはやこの世の終わりを想起させるものであった。
「―――よっしゃ!ライブ、一緒に頑張るよひとりちゃん!」
「ど、どうしてこうなったんだろ……」
状況に脳の理解が追い付かないと言わんばかりに嘆きの声を口から漏らす後藤さん……場の全員が絶望に包まれる地獄と化した後、残されたおにころ2本を飲み干し残機0の復活を遂げた廣井さんに改めて俺たちが今日何をしていたのかの説明を行った。後藤さんのチケットノルマの未達成、そしてフライヤーを配るも誰もライブに関心を持ってくれず絶望していたという経緯を話すと彼女はベースを肩に担ぎ、不敵に笑いながら「命の恩人達のピンチ、ここは私に任せてよ!」
何かと首を傾げる俺と後藤さんだったが、廣井さんは街頭を歩く人達に「みなさーん!今からライブやりまーす!タダなんて良ければ見てってください!」と呼びかけた……つまり路上ライブである。確かに手っ取り早いとは思うがこの方法は……異を唱える暇もなく廣井さんはバンドメンバー仲間に連絡して機材を持ってこさせるなどあっという間に準備は進んでいってしまった。
「わっ、私に路上ライブなんて無理に決まってる、どうしよ淳くん!?」
「……すぐにみんなに声掛けちゃったから、止めようにも止められなかったけど流石にこれはやっぱりキツいよね。俺が代わりに廣井さんに伝えてくるよ」
……また動揺されてしまう可能性は大きいが、仕方ないと思い機材のセットを行っている廣井さんの元へ足を進めようとすると。
「ま、待って……!」
後藤さんに呼び止められてしまった、どうしたのかなと思い振り返れば―――
「このライブをしなかったら淳くんはフライヤー配りをまたやるんだよね……?」
そう、唇をギュッと噛みしめながら不安を顔に強くにじませて聞いてきたのだ。
「……それしか方法はないしね、でも大丈夫だよ!次こそは必ず成功させてみせるからさ!」
「…………」
あまりにも辛そうにしているものだから、俺は後藤さんを安心させる意味も込めて普段より声を大きく張るようにして伝えたのだけれど……むしろその不安は増幅してしまったようだ。一体どうしたのだろう?
疑問を抱く俺に対し、後藤さんは何かの覚悟を決めたような力強い意志をその瞳に宿らせ……
「じゅ、淳くん……やっぱり大丈夫、やる」
路上ライブ参加を伝えてきた……
「後藤さん……どうして……?」
「さ、さっきフライヤー配ってたとき淳くんは苦しそうにしながら凄い頑張ってた、でも私は何も出来なくて。だから……今度は私が頑張る番なんだ」
「……別に俺は平気だよ、それにこれはマネージャーとしてやらなきゃいけない事で」
「……じ、淳くん」
後藤さんは恥ずかしそうに顔を赤くしながらも、屈託のない笑顔で。
「わっ、私の演奏―――見てて」
「…………うん、見てるよ」
お互いに親友として俺と後藤さんは通じ合っている、それを改めて認識した瞬間であった。
ライブ開始直前、ギターを手に持ち集中している様子の後藤さんを邪魔しちゃいけないと思い距離を取っていると。
「―――大丈夫そうだね、ひとりちゃん」
「そう、みたいですね」
「いや~、私がアドバイスするまでもなかったか~」
「……廣井さん、ごめんなさい。背後から話しかけられるのちょっと怖いです」
俺の背中に話しかけてくる廣井さんにツッコミを入れたくはなかったが、つい触れてしまった。
「だってしょうがないじゃん!こうしないとまた戻っちゃいそうになるんだからさ!?」
後ろからまるで陰と陽が入り混じるような廣井さんの魂の叫びが耳に入ってくる、会話出来てるのが不思議だったのだがそういう訳だったのか。確かにそれなら仕方ない……
「もうおにころのストック0本ですもんね……もしまた戻ってしまったら……」
「怖い事言わないでね!?ホントにそうなったら私弾けなくなっちゃうんですよ!」
「……え、今廣井さん最後にですよって敬語口調になってませんでした?」
「そんなわけないじゃないですか……あっ!?」
俺は驚いて後ろへ振り返り、廣井さんを見てみれば……彼女は心の底から絶望したような表情でシラフ状態時の特徴である青ざめた顔色になってしまっていた。
「ど、どうして……!?」
意味が分からないと言わんばかりに声を荒げる廣井さん、さっきのときにもその前兆はあったがこれは恐らく……
「たった2本の、しかも小さいパックのおにころを飲んで強引に酔おうとしてるから完全にはその状態になれてないのでは……」
「だからすぐに酔いが覚めちゃうって事ですか……?」
「……はい、多分ですけど」
「アッ終わった……もう時間間近で買いに行く余裕がない、これじゃあライブが……淳君、ひとりちゃんにごめんねって伝えて……」
まるで魂が抜けるようにそのまま廣井さんは力なく地面へ倒れていき……
「ひ、廣井さんっ……!」
「ぇ」
俺は必死に手を伸ばし、倒れかけそうな彼女の手を掴み支えた。
「じじゅ、淳君!?」
「―――良かったです、怪我しなくて」
俺は彼女の手を握ったまま優しく微笑みかける。
……その瞬間、廣井きくりの脳を例えおにころを100本一気飲みしても得られないような凄まじい快感が襲った。
(何、これ……っ!?)
生まれて初めて触れた、男の子の手。それは女の自分とは違いゴツゴツしているが、同時に安心感を抱かさせるように温かい。そして体に触れただけでなく……この世界において男という存在は女を軽蔑し、恐れ、近寄らせないのが普通のはずなのだ。それなのに……どうしてこの子はこんなにも無防備に優しく触れてくれるのか?
「ど、どうして」
「え?」
「どうして、そんなに優しくしてくれるんですか……男の子は女の人が怖くて嫌いなはずですよね……」
潤んだ瞳で、問う彼女。そして彼は手を握ったまま、困ったように眉を下げて笑った。
「まあ……色々と事情がありまして」
「事情……?」
「これ、他のみんなには内緒ですよ?」
笑みを浮かべたまま優しく言う彼に対し。
「……うん」
廣井きくりはただボーッと回らない頭のままゆっくりと頷くのだった。
―――結果を言うと路上ライブは大成功だった、緊張してるだろうに必死に演奏を行う後藤さん。集まった観客達の一人が「頑張れー!」と声援を送ってくれたりして、そこからこわばっていた演奏が若干和らいだように感じた。それに緊張してたであろうなら廣井さんだって同じである、己の支えである酒が抜けてしまったのにだ。でも彼女は圧巻のベースパフォーマンスを見せてくれて……逆境にも負けないその姿を見て俺は廣井さんに心の底からの尊敬の念を抱いた。
でも一つだけ疑問に思った所があり、それは……弾いてる最中にチラチラとこちらを見ていた気がするのだ。しかもそのときの瞳には愛しい恋人へ向けるが如く熱が籠っていたような……
「じ、淳くん……チケット3枚全部売れた……!」
「ホント!?」
「うっ、うん、女の人2人が買ってくれて、嬉しい……」
「……あれ?それだと1枚余るよね?」
「さ、最後の1枚はお姉さん……廣井さんが買ってくれて」
少し離れた所で、ライブ機材の片づけの前に座って一息ついている廣井さんを見て俺は心の中でとある結論を付けた―――酒に溺れすぎとかちょっと(???)問題はあるけれど、ライブ中もずっとカッコよくてオマケにチケット買ってくれるような出来た大人が未成年の俺に対してそんな風な目で見てくる訳ないよね!俺の気のせいだ!
「……楽しそうだなぁ」
夕暮れの広場でチケットノルマをさばけて喜ぶ後藤ひとりと、それを我が事のように笑顔で祝福する彼。そんな2人の様子を少し離れた場所から廣井きくりは静かに見つめていた。
触れられた右手が未だに熱い、自分はお酒が入っていなければダメな日陰者に逆戻り。そんな状態でライブなど出来るはずが無いと思っていた、でも今日初めてやれたのだ。お守りのように安心感を抱かせてくれる右手のぬくもり、それに不安が心の中で上がってきても彼を見れば大丈夫。安らぎを得られると、だからライブ中に何度もこの目で見ていた。彼のおかげで自分はこの危機を乗り越えられたのだ。
そして何より彼のとある言葉が脳内で何度も、何度も繰り返される。
『まあ……色々と話せない事情がありまして』
『これ、他のみんなには内緒ですよ?』
はにかむように微笑んでいたあの愛らしい少年の姿、廣井きくりは彼を見つめながらその口元をねっとりとした、どこか確信に満ちた笑みへと歪めていった。
(事情ねぇ……あんなのもう答えを言ってるようなものじゃん……)
この貞操観念逆転世界において貴重極まりない男の子が、見ず知らずの女のために優しく手を握りあんなに慈愛に満ちた表情を向ける。その行動の正体なんてもはや一つしかあり得ない。
(男の子の口から直接言うのは恥ずかしいから事情なんて濁してたけどさ……つまりあれだよね? 淳君は私に―――惚れちゃったんだろうな。うん、間違いない)
初対面で、しかも年上のお姉さんに惚れてしまうなんて彼はおませな男の子だ。けれど、あの温かい手の感触を思い出すたびに胸の奥がひどく疼いてしまうのもまた事実。
(あ~あ、参っちゃったな。男の子にロックオンされちゃうなんて……責任、取ってあげなきゃダメだよね!)
こうしてまた一歩、彼は貞操の危機に近づいたのであった。
次回はふたりちゃん回です!