神野区。爆豪勝己が囚われたヴィラン連合の牙城を、ヒーローたちはついに突き止めた。包囲に穴はない。崩れた雑居ビルの前、ひび割れた二車線の道路に精鋭たちが降り立ち、その先頭に立つオールマイトの肌を、久方ぶりの宿敵の気配が刺す。
オール・フォー・ワン。生涯をかけて対峙してきた悪の根源。今夜で決着をつける、そのつもりで拳を握り込む。
戦闘はすぐに始まり、閑静な街が一瞬で戦場に変わる。その混戦の中に、オールマイトは奇妙なものを見つけた。
白い髪の子供だ。
二十メートル先、道路の真ん中。十歳にも満たないだろう子供が、ぽつんと立つ。怯えもせず、昂りもせず、放課後の教室に居残っているような退屈そうな顔で。
その子供の周りでだけ、戦いの理が狂っている。
ヒーローの拳が、刃が、確かに届く。なのに傷一つつかず、子供の肌の上で滑るか止まるかしてしまう。
逆に子供が無造作に手を振ると——触れられた敵が消える。
斬られたのでも、吹き飛ばされたのでもない。触れたところから、そこに在ったものが「最初から無かった」ことになる。だるま落としのように。
化け物だと、ヒーローの誰かが呟く。
いや、違う。あれは——子供だ。
その違和感の正体を掴む前に、戦況が動く。
追い詰められているのはAFOのほうだ。オールマイトの拳が三度、四度とその肉体を削り、AFOは瓦礫の山まで押し込まれた。かつての全盛には、もうほど遠い。
そのときだった。
AFOが、背後の瓦礫の陰へ手を伸ばす。
オールマイトは初めて気づく。そこにもう一人、子供がいたことに。黒髪の小さな少女。戦いから離れた場所で、息を潜めていたその子に。
AFOの手が少女の腕を掴む。引き寄せ、白い髪の子供から見える位置へ盾のように突き出して、何ごとかを叫ぶ。喧騒に紛れて、言葉までは聞き取れない。脅している。それだけは分かった。
——オールマイトの奥歯が軋む。踏み込もうと踵に力を込めた、その瞬間。
周りの怒号が、一拍遠のいた気がした。
白い髪の子供がこちらを——いや、AFOを見た。
その顔から、退屈そうな色が消えている。代わりにそこにあるものを、オールマイトはうまく名づけられない。怒りではない。憎しみでもない。長い計算の最後に、ようやく答えへ辿り着いたような顔だ。
子供の唇が動く。
声は喧騒に呑まれて届かない。短い。AFOに向かって、問い質すように、あるいは宣告するように。
その一言で、AFOの顔から血の気が引く。
次の瞬間、子供の姿が掻き消える。
十五メートルを、誰も目で追えない。オールマイトですら。気づいたときには、子供はもうAFOの傍にいる。少女を掴むその腕の、すぐ脇に。
白い指が触れる。
——AFOの腕が消えた。
少女が解き放たれる。子供は空いた手で、少女を自分の後ろへ回す。乱暴ではなく、ただ確実に。肩に添えたその手は、さっきAFOの腕に触れたのと同じ手だ。
それから子供は、淡々と作業を続ける。
AFOの脚が消え、残った腕も消える。世界で最も多くの個性を束ねた男が、為す術もなく瓦礫の上に転がる。
AFOが何かを口にしている。命乞いか、誘惑か。掠れた声で、必死に。
子供は答えない。あるいは、ごく短く何かを返したのかもしれない。その横顔には勝利の悦びも、復讐の昂りも、憎しみすらも浮かんでいない。
蠅を払うときと、何一つ変わらぬ顔だ。
子供が最後に手を伸ばす。
オール・フォー・ワンの首は撥ねられた。
絶望を顔に貼り付けたまま。生涯をかけてオールマイトが追ってきた悪の根源が、人形のように。
誰も動けない。
すぐ横で、誰かの刀が手から落ちて、乾いた音でアスファルトを打つ。拾おうとする者はいない。
オールマイトは立ち尽くす。
拳はいつの間にかほどけていて、指先の震えが止まらない。
「……子供じゃないか……」
掠れた声が、喉から零れ落ちた。
十にも満たぬあの手が、世界を変えた。利用されて、兵器にされて、あんなにも空っぽな目で。
あれは倒すべき敵ではない。救うべき子供だ。
なのに、足が前に出ない。伸ばしかけた右手が、肩の高さで止まる。
子供はもう、瓦礫の上のものを見ていない。
ただ振り向く。背後の黒髪の少女の、その無事だけを確かめるように。短い言葉を交わし、少女が小さく頷く。
子供の肩から、ほんの少し力が抜けたように見える。
なぜだ。
最強の悪を消したばかりの手で、勝利にも、自分の成したことの大きさにも目を向けず、たった一人の少女の無事だけを確かめている。あの子にとっては、それがすべてだとでもいうように。
二人の子供は誰にも止められぬまま、神野の夜の中へ走り去っていく。白い髪の子供が、黒髪の少女の手を引いて。
オールマイトは、その小さな背中を見送る。肩の高さで止まったままの右手を、ゆっくりと下ろす。
悪の根源が消えた夜は、ヒーローにとって勝利の夜にはならなかった。
オールマイトはまだ知らない。
あの子がなぜAFOを消したのか。その本当の理由を。
あの夜、子供が口にした聞き取れなかった一言の意味を彼が知るのは——ずっと、後のことになる。