空っぽの王様のひとつだけ   作:カルキよし

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第11話「候補」

 

 

後継者編・第二話「候補」

 

同じ問いが、二人の前に置かれた。 片方は、注がれたものをすべて満たし。 片方は、何一つ受け取れなかった。 ——そして男は、満たせなかった子の首に、

「候補」という名の首輪を、巻き直した。

 

 死柄木弔は、崩れかけた玩具の山の中で、それを、ぼんやりと感じていた。指先で、古いフィギュアを潰す、五本の指が揃う崩れる。

退屈な遊戯を繰り返しながら、彼は別に深くは考えていなかった。

 新入りが、一人増えた。それだけのことだ。

 

「死柄木弔。先生が、お戻りになりました」

 

 黒霧の、穏やかな声。

 

「ふーん。どこ行ってたんだよ、先生」

「子供を、迎えに。——御自ら」

「ふーん」

 

 死柄木は生返事をした。御自らという言葉に、ほんの少しだけ引っかかりは覚えた。先生が、自分から出向くなんて、珍しい。でもそれ以上は、追わなかった。追う気にもならなかった。

 

 どうせ、また駒を拾ってきたんだろう。先生は、使えそうな個性を見つけては、手元に置きたがる。いつものことだ。新入りが来たところで自分の場所が、揺らぐわけじゃない。

 

 俺は、古参だ。先生の一番近くにいる。何年もそうやってここにいる。ぽっと出の拾い物が、どれだけ珍しい個性だろうと、俺ほど先生のことを分かっちゃいない。

 

 その慢心が、死柄木を油断させていた。彼は、自分の足元で何かが、音もなく傾き始めていることに、まるで気づいていなかった。

 そのとき、奥の扉が開いた。先生が出てきた。機嫌がいいのがすぐにわかった。長く見ていない、満ち足りた様子で。

 

「弔。ちょうどいい子を見つけてね。実に、見込みのある子だ」

 先生は、上機嫌に続けた。

「何も望まない空っぽでね。だからこそ、何でも注げる。お前とは、また違う良さがある」

 

 お前とは、違う。

 その一言が、なぜか、胸の奥に小さな棘のように刺さった。

 死柄木は、自分でもその感覚をうまく説明できなかった。ただ、先生のあの満ち足りた顔。あんな顔を最近自分に向けられた覚えが——と、そこまで考えて、彼はその考えを振り払った。

 気のせいだ。先生はただ、いい拾い物に上機嫌なだけだ。

 

「……後継者にするのか」

 

 なぜか、声が少しだけ掠れた。

 先生は笑った。否定も肯定もしなかった。ただいつもの、あの言葉を置いた。何年も、何年も、弔の首に巻かれ続けてきたあの首輪を。

 

「焦るな。——お前も、候補だよ」

 候補。

 その言葉に、死柄木は少しだけ安心した。そうだ。自分も候補だ。

先生はちゃんと、自分を見ている。

 

「いいかい、弔。あの白い子供は、確かに優秀だ。だが、優秀すぎる器は扱いを誤れば、こちらの手に余ることもある」

 

先生は、諭すように言った。

 

「その点弔には、弔にしかない強みがある。憎しみだ。確かな意志だ。あの子にはそれがない。だから私は、お前のこともちゃんと見ているよ」

 

 死柄木の胸の奥が、じわりと温かくなった。

 ああ先生は、見ていてくれる。さっきの棘も、気のせいだったんだ。新入りが、どれだけ優秀でも、本命は、まだ決まっていない。自分にもまだ目がある。

 

「……当然だ」。死柄木は、虚勢を張った。

「俺が、本命だ。あんなガキ、すぐに追い抜いてやる」

「ああ。その意気だ」

 

 先生は死柄木の頭に、ぽんと手を置いた。昔と同じ仕草で。そのぬくもりに死柄木は、強張っていた肩から力が抜けるのを感じた。

 飢えた犬が骨を一本もらって尾を振るように。

死柄木弔は、満たされて薄暗い地下へ戻っていった。

 

 その背を見送りながら、オール・フォー・ワンは、もう死柄木のことなど、半分も考えていなかった。

 あの言葉のどれにも、本心などなかった。「お前のことも見ている」「本命はまだ決まっていない」——そんなものは犬を走らせ続けるための、餌の一片にすぎない。

 

 本命は最初から、あの白い器に決まっている。

死柄木に告げた「優秀すぎる器は手に余る」も、半分は嘘だ。あの少年は空っぽで御しやすい。手に余るどころか、これ以上ない理想の素材だ。

だがそれを正直に言ってやる義理はない。飢えた犬には、まだ望みがあると思わせておくほうが、ずっとよく働く。

 

 あれは安い保険だ、と男は値踏みしていた。本命の器が万一使い物にならなかったときの、予備。出来は劣るが、憎しみという燃料だけは、人一倍ある。よく燃える。使い潰しても惜しくない。ただし、高い保険料を払うつもりは毛頭なかった。情も、時間も、本物の期待も注がない。

 

「お前も候補だ」というタダ同然の一言だけを、ときおり投げてやればいい。飢えさせたまま、繋いでおく。それがいちばん安く、いちばんよく燃える

保険の掛け方だった。

 

 男は満足げに奥の部屋へ戻っていった。本命の器のもとへ。

 そしてその部屋で、男は来る日も来る日も、注ぎ続けた。

 知識を。言葉を。数学を。そして魔王の哲学を。

 シュンカは、それをすべて吸い込んだ。

 言語を与えれば、瞬く間に操った。難解な概念を理解し、誰も解けぬ問いを退屈そうに解いた。話術を教えればそれも見る間に吸収した。

人の心の急所を、どう言葉で動かすか。どう欺き、どう操るか。幼い少年の口から、大人びた皮肉が零れるようになったのは、この頃からだった。平坦な声に、乾いた毒が混じる。それは男が三年をかけて彫り込んでいく、後継者の声だった。

 

「素晴らしい、素晴らしいよ、シュンカ、お前は、私の想像を超えていく」

 

 シュンカは何の感慨もなく、ただ与えられた問いを解き続けた。褒められても期待されても、彼の中の水面は揺れなかった。

 男はそれを見て、さらに満ち足りた。

野心も自惚れもない。植えたものが何一つ歪まずに根づいていく。これほど理想的な土壌があるだろうか。

 

 知識は根づいた。技は根づいた。哲学も、弁舌も、すべて根づいた。

 ただ一つ、「意志」だけが。

 どれほど注いでも、根づかなかった。野心も、憎悪も、支配欲も。男が最も後継者に求めたはずの、その核だけが、空白のまま残った。

 あるとき男は試すように問うた。

 

「シュンカ。お前は何になりたい? どんな力が欲しい? この世界を、どうしたいと思う?」

 

 どんな子供でも、何かしらは返す問いのはずだった。だが、シュンカは少し考えて、平坦に答えた。

 

「別に。何も」

「……何も、ないのかい」

「うん。なりたいものも、欲しいものも、僕にはないよ。生きるだけで手一杯だったから。そういうの、考える余裕、なかった」

 

 普通ならこれは欠陥だ。意志のない器に、どうやって遺志を継がせる。

 ——だが、男の口の端が、ひとりでに吊り上がった。むしろこれは歓喜だった。

 意志がないということは、競い合う自我がないということ。いつか自分がこの器に移り住むとき、押しのけるべき抵抗が何もないということ。

 

完璧な空白。完璧な玉座。後継者を育てるという建前の裏で、男が本当に仕込んでいたのは、これだった。自分の遺志を継ぐ者ではない。いずれ自分自身が座るための、誰もいない清らかな空席。

 

「いいんだよ、シュンカ。何も望まなくて、いい。望みは、これから私が教えてあげよう」

 

 シュンカは「ふうん」とだけ答えて、また次の問いに目を落とした。

 

 ——同じ教育は、死柄木にも注がれていた。だが、そちらの結果は、惨憺たるものだった。

 

 言語も、算術も、話術も。死柄木は、ほとんど全部、壊滅的だった。文字は読めても、その先が続かない。複雑な思考は苛立ちに変わり、苛立ちは破壊衝動に変わった。机を崩し、教材を崩し

 

「こんなもん、何の役に立つんだよ」と吐き捨てた。

 

 同じものを与えられて、シュンカは歪みなく根づかせ、死柄木は一つも受け取れない。器の差は、もう、覆いようがなかった。

 

 男はそれを見て——慰めた。

 

「いいんだ、弔。お前にはお前の戦い方がある。崩壊という、素晴らしい力があるじゃないか。学問なんて、向き不向きがあるものさ」

 

 優しい声だった。父のような。

 だが、その内側で、男は別のことを考えていた。シュンカを拾っておいてよかったと。

もし死柄木しかいなかったら、後継者計画は、もっと難航していた。この子供は、注いだものを何一つ受け取れない。器が小さすぎる、穴が開きすぎている。それに比べて、あの白い器は注げば注ぐだけ満ちていく。比べるのも馬鹿らしいほどだ。

 

 男は、死柄木の頭を撫でた。昔と同じ仕草で。けれど、もう同じではなかった。それは最も価値あるものへの愛撫ではなく、番える駒へのねぎらいだった。よく走る安物に、餌を一粒与えるような。

 

 死柄木はその手を振り払わなかった。むしろ、すがるように受け入れた。慰められたと思って。まだ見込みがあると信じて。

 

 その姿が、男の内側の結論を、より強固にした。

 慰めの言葉を、こうもあっさり本物だと信じる。なんと御しやすい駒か。だがそれは同時に、致命的なことでもあった。本気で認められたいと飢えているからこそ安い慰め一つで満たされ、自分が見限られていることに永遠に気づけない。

 

 ——やはり、本命は、あの白い子だ。

 

 男の中で、天秤は、もう完全に傾いていた。死柄木に残された価値は、ただ一つ。憎しみという、よく燃える燃料。それだけだった。

 

 死柄木はそれを知らなかった。知る術もなかった。たった今、自分の頭を撫でたその手が、すでに自分を「番える安物」と値踏みしていることも。優しい慰めの言葉が、本当は 「お前にはもう、本命の目はない」という宣告の裏返しであることも。

 

 撫でられた頭のぬくもりだけを抱えて

死柄木弔はその日も満たされた気でいた。

知らなかった。男の注ぐ黄金が、白い器をどれほど満たそうとその玉座には、最初から、たった一人、座っている者がいたことを。

男が決して明け渡されることのない、ただ一人の主が——あの黒髪の少女が、とうに、その席に座っていたことを。

 

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