後継者編・第四話「薪」
男は、神を繋ぐ鎖を握ったと信じた。
予備が作れぬなら、鎖さえ握ればいい、と。
——その鎖を握った手こそが。 やがて、自らの喉を絞めることになる。
私は、与え続けた。
甘いものを。美しいものを。楽しいものを。
シュンカに。そして——ミカにも。
あるとき、私は、講義の前に、ミカにも声をかけた。
「体調は大丈夫かい。欲しいものがあったら、何でも言いなさい。——僕は、君のことも、大事に思っているからね」
慈父の声で。少女を気遣う、優しい顔で。
だが、その内側は冷たく乾いていた。この子はシュンカに必要な唯一の部品だ。
機嫌よくしておかねばならない。安いものだ、少女一人のご機嫌取りなど。それで、心臓と鎖が、同時に手に入るのだから。
ミカは、何も欲しがらなかった。
豪奢なおもちゃも。美しいドレスも。甘い菓子も。私が差し出すすべてを彼女は静かに退けた。
受け取らないどころか、私が近づくたびに
半歩シュンカのほうへ寄った。庇うように。あるいは隠れるように。
そして、彼女が求めたものは、たった一つだった。
シュンカの隣。
物ではなかった。隣にいること。それだけ。私がいくら黄金を積んでも、買えないたった一つの場所だった。
私は、それを見て、満足した。少女がシュンカに執着するほど、鎖は確かなものになる。引き金は、効きを増す。あの少女さえ握っていれば、この最強の器は、永遠に手の中で灯り続ける。
——だが、同時に、私は一つの不安を抱いた。
あの少女が、唯一のヒューズだ。もし、壊れたら。神の電源が、落ちる。
予備を、持つべきだ。
私は、考えた。ミカ以外に、シュンカの心臓を宿せる者を。スペアを。万一あの少女を失っても、別の器に心臓を移せれば、神の電源は保たれる。
そして、試みた。
別の子供を、シュンカに引き合わせた。世話役として、護衛として、話し相手として。日々をともに過ごさせ、信頼できる誰かを、人工的に作らせようとした。心臓を移せる、別の宿主を用意しようとした。
失敗した。
知識は、植えられた。技は植えられた。力も、哲学も、すべて注げた。だが——信頼だけは、どれほど丹精込めても、作れなかった。
シュンカの心臓は、彼が心から信じる者にしか宿らない。そして、シュンカが心から信じるのは、この世でただ一人、ミカだけだった。
あてがった子供に、シュンカは、最後まで何の関心も示さなかった。優しくされても、尽くされても、「ふうん」と受け流すだけ。彼の心臓はその子供の中で、一度も脈打たなかった。
それは、私が与えたものではなかった。私が引き合わせた、だけ。二人が自力で掴んだ絆。私には複製できぬ、ただ一つのものだった。
私は、しばらく、その事実を持て余した。
信頼は、注げない。命じて作れない。金で買えない。脅して植えられない。——あらゆるものを奪い、与え、操ってきた私にとって、それは、生涯で数えるほどしか出会わぬ、手の届かぬ領域だった。
だが、私は、その不気味さに、長く留まらなかった。すぐに、いつもの実利へと、思考を畳んだ。
予備が無理なら、鎖を握ればいい。
神を繋ぐ、ただ一本の鎖。ミカ。それを、私が握る。少女の安全を人質に取れば、神は永遠に従う。スペアなど要らない。元栓を握っていれば、それでいい。
単純で、確実な答えだった。私は、それで満足した。複製できぬものに頭を悩ませるより、握れるものを握る。それが、何百年と生き延びてきた、私の流儀だった。
——その確認のように。ある日、私は、シュンカを呼び出して、探りを入れた。
「シュンカ。お前は、少し、あの子に執着しすぎているね」
私は、穏やかに言った。
「分かるかい。お前にとって、彼女は——ただの薪に過ぎないんだよ。火を絶やさぬための。燃やすだけのもの。お前ほどの器が、たかが一人の少女に心を縛られるのは、惜しいことだ」
それは、試験だった。鎖がどこまで効くか。少年が、どこまで従順か。あわよくば、あの執着を、もっと御しやすい形に均してやろう、という算段もあった。
シュンカは、少しのあいだ、黙っていた。
それから、平坦に答えた。
「薪に火をつけるのは、僕です」
赤い瞳が、私を見た。何の感情もなく。けれど、その奥に、揺るがぬ一線があった。
「だから——手を、出さないでください」
それは、警告だった。この空っぽの少年が、世界でただ一つ引いた、絶対の線。ミカにだけは、誰も触れるな。それを破れば、何が起きるか。
だが、私は、それを読み違えた。
——可愛い、独占欲だ。
私は、微笑んだ。少年が少女に執着すればするほど、鎖は強くなる。けっこうなことだと。
「自分のものだから手を出すな」と言うのは、それだけ少女に縛られている証拠。鎖がこちらの想定以上に、深く食い込んでいる証拠。
御しやすさが、また一つ増えた、と私は記録した。
私は、少年の言葉を「警告」とは受け取らなかった。「従順な、独占欲の表明」と解釈した。
その誤読が、三年後の夜に、私の命を奪うことになる。
「薪に火をつけるのは僕だ」——それは、独占欲ではなかった。ミカは、燃やされる薪ではない。火をくべる者がいるとすれば、それは自分だけだという、
立場の宣言だった。
あの少女を“燃料”と呼んだ瞬間、私は、火をつける側の領分に、手を突っ込んだ。だから、引け。——その意味を、私は、最後まで取り違えた。
私は、上機嫌だった。鎖は、確かに自分の手の中にある。神は、永遠に従う。計画は、一片の隙もなく閉じている。
握った鎖の、その先で。神が、何を「絶対に許さない」と決めているのか。私は、ついぞ、知ろうとしなかった。